【書評】『「毒親」の正体』(水島広子)

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 お薦めの本の紹介です。
 水島広子さんの『「毒親」の正体』です。

 水島広子(みずしま・ひろこ)さんは、対人関係療法がご専門の精神科医です。

「毒親」の正体とは?


 子どもにとてつもない害を及ぼした親。
 最近、そんな親たちを「毒親」と呼ぶことが多くなりました。

 親が不適切な育児をしたのは、多くの場合、それなりの事情があるのは事実です。

 水島さんは、その「事情」は、今さら変えられないことが多いと指摘します。

 例えば、親が発達障害や不安定な愛着スタイル、うつ病、統合失調症、何らかの依存症などの精神科的問題を抱えており、親自身どれほど頑張っても、長期にわたって子どもを振り回すことで「毒親」になってしまう、というケースがとても多いのです。子どもを大切に思い、子どもが病んだことをきっかけに変わろうとしてもなかなか変われない人は、そんなケースがほとんどだと言えるでしょう。
 こうした精神医学的事情のほかに、親が圧倒的に余裕のない状態に置かれることで「毒親」になってしまう幾つかの家庭事情も考えられます。実際に一定レベル以下の経済状態では虐待が多いことが知られています。しかし、とても貧困とは言えないような環境での「毒親」が多いのも事実です。

 自分の親が「毒親」に分類されるところまではわかり、そのことによってどれほど振り回され傷ついてきたかが自覚できても、そこで理解を止めてしまえば、「なぜ自分の親は『毒親』なのだろう(だったのだろう)?」という疑問は残されたままになります。
 実はこれでは解決には遠いのです。「毒親」と縁を切ることで、これ以上の被害を防ごうとしても、ふとした瞬間に親の言動がありありと蘇り、悩まされることになるでしょう。親にすり込まれた「おまえはしょせんこんな人間だ(わがまま、能力も根性もない、優しくない、など)」は、案外一生つきまとうのです。もう何年も前に親は死んでいるのにという場合も少なくありません。
 また、自分が親と同じようになるのを怖れて、子どもを持つことに消極的になる場合もあるでしょう。人生で初めて出会う人であり、その後も重要な生育期にそばにいた親は、それほど大きな影響を及ぼすものなのです。
 そうした人には、どんな事情で、自分の親が「毒親」になったかを「知る」ことが大切なのです。診療の場で「毒親」を見てきた立場からすると、「毒親」を精神医学的に理解することは、驚くほどの効果を上げると言えます。
 今まで考えもしなかった親の「診断」を知ることによって、子どもは「自分は悪くなかった」という理解を確かなものにすると同時に、「厄介な親」との関わり方の指針を得ることもできるのです。これは場合によっては関係性の回復にもつながっていきます。

『「毒親」の正体』 はじめに より 水島広子:著 新潮社:刊

 本書は、「毒親」のパターンを精神医学的に分析し、自分の心の癒やし方や「毒親」への対処法などをわかりやすくまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「毒親」の形成に重要な「愛着スタイル」のタイプ


「毒親」とは何か。
 それを知るには、精神医学では常識となっている「愛着(アタッチメント)スタイル」を理解する必要があります。

 人の愛着スタイルとは、主に幼少期における「母親的役割」の人との関係性から形成される行動の様式です。「母親的」と言っても必ずしも母親を意味するのではなく、父子家庭においては父親がその役割を担いますし、他の養育者でもあり得ます。そうして子どもの心に形成される愛着スタイルは、大人になってからも、他の人との関係性の作り方に引き継がれていきます。
 愛着スタイルをわかりやすく分けると、次の三つに分類されます。

【安定型の愛着スタイル】
 自分が求めるときには「母親的役割」の人が、愛情を提供してくれる、という育ち方をした人。子どもはその安定的なつながりを「安全基地」として、冒険しながら自分の世界を広げていくことができる。もし外で何らかの失敗をしても「母親的役割」の人に温めてもらえるので、基本的には「性善説」の大人になり、情緒も安定する。困ったときには人に助けを求めることができ、助けが得られるという希望を持つことができる。

【不安型(とらわれ型)の愛着スタイル】
 自分が求められたときに「母親的役割」の人が、温かく助けてくれることもあれば、冷たく突き放されることもある、という不安定な環境で育った人。これはもちろん、「母親的役割」の人の不安定さによる。子どもからすること、常に相手の顔色をうかがわなければならない、ということになるため、こうして育った子どもは、大人になってからも「相手に見捨てられるのではないか」というような不安を感情の基本に持つようになり、相手との関係維持のために不適切な言動をとることにつながる。

【回避型(愛着軽視型)の愛着スタイル】
「母親的役割」の人がいない、あるいはいてもあまり気にかけてくれず、情緒的やりとりがほとんどない環境で育った人。人と人との交流から得られるものを知らずに育っているため、助けを求めるという習慣がなく、大人になってからも、自らの不遇を人に相談するという発想が出てこない。

『「毒親」の正体』 第1章 より 水島広子:著 新潮社:刊

「不安型」と「回避型」は、不安定な愛着スタイルと言われています。

 水島さんは、「毒親」によって作られる愛着スタイルは、後の二者であることが多いものだと指摘します。

 本書では、「毒親」を子どもの不安定な愛着スタイルの基盤を作る親と定義しています。

「毒親」になりやすいタイプとは?


「毒親」を作る精神医学的事情は、いくつかのパターンにわけられます。

「毒親」で、最も数が多いのは、「発達障害」の人たちです。

 毒親になりやすい発達障害は、主に二つのタイプがあります。
「自閉症スペクトラム障害(ASD)」「注意欠如・多動性障害(ADHD)」です。

 水島さんは、「ASDタイプ」の毒親を、以下のように解説しています。

「毒親」になりやすい発達障害として診てきたケースは主に二つのタイプがありますので、ここでご説明しておきましょう。
 発達障害の代表格の一つが、自閉症スペクトラム障害(ASD)。今まで広汎性発達障害と呼ばれてきたもので、アスペルガー症候群なども含まれるものです。
 ASDの症状は多様で、どのような特質が強く出るかは人によって違います。もちろん診断基準はありますが、それをここに書いても、専門的過ぎてほとんど無意味なように思います。
 そこで、私が「ああ、この親はASDタイプだ」と思ったときに患者さんにどのように説明しているかを振り返りながら、お話してみます。
 典型的に「ASDタイプ」と思う親は、次のような人がいます。

  • いわゆる「空気が読めない」タイプ
  • 自分が不安や恐怖を感じることについて断定的に述べるタイプ
  • 他のこととのバランスを考えず、自分が考えたことを押しつけるタイプ
 他にも様々なタイプがありますが、ASDについて患者さんに説明するときは、次の二つの特徴をメインに説明しています。一つは「『心の理論』の欠如」です。初めて聞いたという方も多いでしょうが、「心の理論」とは、この状況では相手はこんなふうに思っているはずだ。とか、こんなふうに言ったら相手はこう思うだろう、というような、常識的な「読み」です。
 ASDの人には「心の理論」がもともとインストールされておらず、一度体験して「パターン認識」することで蓄積していくしかなく、応用は利かないのです。
 また二つめの特徴、「横のつながりの欠如」とはどういうことかと言うと、一つのテーマを突き詰めることについては(つまり、縦方向に考えを進めていくことについては)とても秀でているのですが、例えば「でもそんなことを言うと、お嬢さんの生き方を否定することになりますよね」と、異なる視点からのコメントをすると固まってしまう、という特徴です。固まった結果、とりあえず反撃する、という人も少なくありません。
 つまり、私たちが日常生活でいろいろと話し合うとき、「なるほど、そういう考え方もあるよね」と自然に受け止めているような類の会話が、ASDの人にとっては突然の「奇襲」に感じられ、「自分の領域を侵害された」という被害者意識が生じてしまうということなのです。何気ない一言が、かなりの変化球に感じられてしまうのです。
 ASDの人は基本的には真面目で親切です。ただ、「心の理論」がないので、特に対人関係という面では、その人生はまさに「藪の中」のようなものです。次に何が飛び出してくるかわからない、という感じなのです。時々、標識は見えます。それは自分の過去の実体験から学んだことです。例えば「人の悪口を言うのはよくない」とか、「自分が興味ある話をどんどんし続けると嫌がられる」といったことです。ただ、「心の理論」がないので、一つのことは理解しても、それを他のテーマに応用して対応することができません。
「人を傷つけるようなことを言ってはいけない」という総論は理解しても、「ずいぶん太ったんじゃない?」「本当はおばさんなのに若く見えるね」などという言葉が人を傷つけるという感覚がないので、そのまま口に出してしまいます。本人はあくまでも「だって事実だから」ということなのです。

『「毒親」の正体』 第2章 より 水島広子:著 新潮社:刊

 水島さんは、彼ら(彼女ら)としては、むしろ一生懸命の育児をする中で、結果として「毒親」となってしまうと述べています。

「心の理論」がないので、相手の気持ちが読めない。
 だから、傷口に塩を塗るようなことを、平気で言ってしまう親になりやすいのですね。

 ASDやADHDは、比較的最近の概念ですし、自覚するのも難しいです。
 そういう意味では、“隠れ「毒親」”と呼べるような人は、想像以上に多そうです。

「蒸し返す」の本当の意味


「毒親」を持った子どもは、「親のために」ではなく「自分のために」、癒しが必要です。

「癒し」の最初のステップは、『「自分は悪くなかった」と認める』ことです。

 水島さんは、このステップは不可欠で、最も重要だと指摘します。

「自分は子どもとして不適切な環境で育った。そして、それは自分のせいではない」ということを認めるのは、「自分自身の癒し」にとって絶対的に必要な認識なのです。
 この妨げになるのは、「何でも親のせいにするのか」「親のことを悪く言うものではない」「今さら昔のことを蒸し返しても」というような反論でしょう。
 これらの反論が力を持ってしまうのは、子ども自身が、そんな感覚をもともと(少なくとも、どこかしらで)抱いているからなのです。これには先述したように「子供はかくも優しく親を思う」と言うほかない子どもの本質も関わっているでしょう。だから、「悪かったのは自分ではない」と割り切ることができずにきているのです。
(中略)
 儒教的精神なのか、「親は敬うべき」という観念が、日本にも充満しています。これは、児童虐待が事件として広く知られるようになってからは絶対的な観念ではないということが知られつつありますが、未だに、親を悪く言う人は決して好意を持って見られない、というのは事実だと思います。

 親は自分をこの世に生み出してくれた存在(生み出された人生がどれほど辛いものであっても)。
 親は基本的に子供を育ててくれる存在(その育て方が虐待的であっても)。

 こうした観念が強いため、例えば「不安定な愛着スタイルを与えたけれども、大学まで出した親」がいた場合、「大学まで出したのに」言いたくなる人がいるのです。ですがそれは、あまりにも表層的でしょう。こうした「常識」が、「毒親」を持つ人をどれほど縛り、苦しめているでしょうか。
「毒親」を持つ人の中には、その実態を他人に話してみようとした、という体験を持つ人もいます。しかしその多くが、「親のことを悪く言うものではない」という姿勢によって、話を途中で遮られているようです。
 実は、本来は専門家集団であるべき、医療機関やカウンセリングの場でも同じことが起きているのです。「毒親」について医師やカウンセラーに訴えたところ、「今さら昔のことを蒸し返しても」「それよりは、今後のことを考えよう」と、決して意地悪ではなく、治療者たちが考えた「最善のこと」を言われるというのです。
 それはどれほど、「毒親」被害にあった子どもたちを絶望と混乱に陥らせるでしょう。「毒親」について訴えられる状態になった子どもは、すでに親がしたことと自分の生きづらさの因果関係を理解しています。それなのに、「今さら」と言われることがどれほど「誰も助けてくれない」という感覚を生むでしょうか。それも、専門性を頼ってすがった先で。
 実際は、昔のことを蒸し返すのはとても大切なことです。過去にどんな対人関係を持っていたかが、その人が他人を見るときの「フィルター」を作るからです。
 ですから、治療の中で、過去の親子関係を聴くことは、「親のせいで・・・・・」というような人格攻撃のためでは決してなく、親のどのような言動が子どもの愛着スタイルにつながったか、親が子どもにどのようなトラウマ体験を与えたか、ということを知るためのことなのです。あるいは、親のどのような言動が、子どもを混乱させ、人間や人生をプラスに受け止めることができなくなったか、ということを知るためです。自分が受けた被害と、現在の自分の「症状」の相関を知ることは、子供の人生に計り知れないプラスをもたらします。

『「毒親」の正体』 第3章 より 水島広子:著 新潮社:刊

「毒親」から受けた傷を癒すには、問題の根本をしっかり把握することが何より大切です。

「毒親」になったのには、それなりの事情があったと理解する。
 問題の根本は相手(毒親)にあるのだから、自分を責める必要はない。

 その認識の切り替えが、ポイントになります。

 また、「毒親」の被害を拡大しているのは、世の中の偏見です。
 日本の社会全体で、取り組んでいくべき課題といえます。

「安定型」の人と接する


 水島さんは、幼少期の関係性から形作られてきた「愛着スタイル」が、その後、大人になっても維持されると述べています。

 不安定な愛着スタイルによって苦しんでいる人たちは、どのように自分自身を癒せばいいのか。

 水島さんは、その一つの方法として『「安定型」の人と接する』ことを挙げています。

 はっきり言いますが、無神経な治療者と接するくらいなら、「安定型」の愛着スタイルを持った一般の人と接することの方がずっとプラスになります。
「毒親」問題を乗り越えた人の中には、「安定型」のパートナーを得たことが契機になった、という人が少なくありません。気分のむらなく一貫性のある人。距離を急に近づけたり遠ざかったりしない人。何を言っても受け入れてくれる人。そんな人と一緒にいると、「不安型」「回避型」の人は癒やされていきます。
 もちろんどんな人も完璧ではありませんから、気分のむらくらいはあるでしょう。仕事でとんでもない事態に見舞われて「荒れる」日もあると思います。でもそれを、そばにいる「あなたのせい」と言わずに、「今日は機嫌が悪くてごめんね」と自分の問題として伝えてくれる人が「安定型」です。
 できること、できないことを明確にしてくれる人。前はできたのに今回はできない、というような不規則性がない人。もしも今回できない場合には、その理由を誠実に説明してくれる人。そんな人が近くにいると、自らの愛着スタイルが不安定でも、「健康な人間関係」について学んでいくことができますし、そんなふうにすると人に安心感を与えられるのだな、と気づいてきます。
「人間ってよいものだな」「自分はそんな人に関わってもらえるくらい、価値があるんだな」という癒しにつながっていきます。

『「毒親」の正体』 第5章 より 水島広子:著 新潮社:刊

 やはり、普段接する人が、どういうタイプの人なのかは、大事なことなのですね。

 一度身についてしまった思考回路は、なかなか変えることはできません。
 自分では、「それが当たり前だ」と思い込んでいますから、当然ですね。

「不安型」や「回避型」の人が、「安定型」の人と接すると、最初は違和感があるかもしれません。
 でも、それを続けていくことで、徐々に「安定型」の愛着スタイルが身についていくということでしょう。

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「毒親」問題は、親と子の関係という完全に閉じた環境の中で起こる問題です。

 どれくらいの数の人が、この問題に苦しめられているのか、その全体像は見えません。
 また、「毒親」の子どもは「毒親」になりやすいという、世代をまたいだ問題もあります。

 日本社会に巣食う、根深い「毒親」問題。
 これを解決するためには、「毒親」や「毒親」の被害を受けた子どもだけでは、どうにもなりません。
 社会全体が、この問題を認識し、偏見や思い込みを変えていく必要があります。

 問題解決は、まず「知る」ことから。

 本書は、「毒親」問題を考えるとっかかりとして、最適な一冊といえます。

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