【書評】『自分を変える「身口意」の法則』(種市勝覺)

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 お薦めの本の紹介です。
 種市勝覺さんの『自分を変える「身口意」の法則』です。

 種市勝覺(たねいち・しょうがく)さんは、密教カウンセラー・風水コンサルタントです。
 15年間の修業を重ね、空海密教阿闍梨となられました。

空海が教えてくれた「身口意」の秘密


 密教は、1200年以上前に、空海が唐から持ち帰り、流布したことで知られています。

 密教とは、仏教の中でも言葉では伝えられない秘密の教えのことで、その中で最も重要なもののひとつが、「身口意(しんくい)」の法則です。

「身口意」とは、

  • 「身」・・・・・やっていること(行動)
  • 「口」・・・・・言っていること(言葉・思考)
  • 「意」・・・・・思っていること(心・意識・フォーカス)

 のことです。

 種市さんは、身口意を一致させることができるだけで、心で望んだこと、頭で考えたことが自然と実現すると述べています。

 密教の中心的な修行に「三密(さんみつ)修行」というものがありますが、この三密というのがまさに身口意のことです。

 人間の選択や決断は、身口意でシンプルに分けることができます。ただし、密教以外の仏教では身口意を煩悩(ぼんのう)の源泉と考え、「三業(さんごう)」と呼び、ネガティブなものとして捉えていました。たとえば、

 身業・・・・・楽をしたい、異性と交わりたいといった身体的な快楽など
 口業・・・・・嘘をつく、悪口を言う、自慢話や噂話を吹聴するなど
 意業・・・・・ズルをしようとする心など

 しかし、密教では、これら煩悩の源泉を受け入れ、行を重ねることで、「三業」を「三密」(身密、口密、意密)に変え、仏の加護を得て仏になれると説いたのです。
 もっとわかりやすく言えば、身口意をひとつにすればあらゆる「こうなりたい」「これがほしい」といった願いは成就する、ということなのです。

 身口意を一致させるとなぜ、願いが成就するのか?
 それは、
 今の現実は、あなたが重ねてきた「身口意」の通りになっている
 からです。
 あなたの身口意は、実は多くが自分で意識的に選んだものではありません。自分で心に思い、言葉を話し、行動しているにもかかわらず、その身口意の選択はほとんどが無意識に動かされています。
 実は、無意識の習慣が、いまのあなたの現実をつくっているのです。
 この無意識の習慣になっている「現在の身口意」を捉え、「新しい身口意」を意識的につくっていくことで、あなた自身の心と思考・言葉、行動は変化していきます。
 これが新しい無意識の習慣になれば、それが新しい自分と現実をつくることになります。

『自分を変える「身口意」の法則』 はじめに より 種市勝覺:著 フォレスト出版:刊

 本書は、自分の無意識を捉え、新しい身口意のつくり方をわかりやすく解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「世界」と「世界観」は、どっちが広い?


 密教の教えでは、「自分自身に従え」と考えます。

とはいえ、「自分」がわからなければ、自分を生きることはできません。

「自分」を知ることは、私たちが思っている以上に難しいことです。

 種市さんは、みな、「自分の見ている世界観」を「世界そのもの」だと思い込んで生きていると指摘します。

 人は思い込みの中でしか生きられません。
 自分が思い描いている世界というのは、自己洗脳したものか、他者洗脳されたものか、その組み合わせでしかなく、みなつくられた世界にいるのです。
 でも、「世界そのものは別にある」ということを認知することで変わります。
 世界観の外側に別の無限の世界が広がっているという観念を持っていれば、もっと世界観を広げることができます。自分の世界観とはまったく別の形で、他者一人ひとりの世界観が存在しているのです。
 これを「世界への理解」とすると、この理解はゴールではなく、スタートです。
 世界を自分でくくり、他者は異なる形で世界をくくっていますが、同じ世界(空間)を生きています。
 そういった中で、主体的にハンドルを握っている人生がいいか、それともずっと誰かに「どっちに行ったらいいでしょうか」と聞いている人生がいいのか。
 もちろん選択は自由です。
 自分の人生を自ら切り開きたいと思うのであれば、自分のエゴや欲望と向き合い、それを成し遂げるための身口意を自身に落とし込んでいきましょう。

 エゴや欲望というのは「あなたの好奇心の向きを示す心のコンパス」です。
 多くの人は、自分のエゴや欲望を否定していますが、人間とは欲をエネルギーとして生きるものであり、欲望の否定は生命活動そのものの否定にもなります。
 食欲、性欲、集団欲、睡眠欲、安心を求める、意欲的に取り組むなど、人間は欲望という生命エネルギーしかないわけです。日々、大なり小なりの欲望を手がかりに、自らの関心や心ひかれることを行っているにすぎません。
 自分のやりたいことを試しもしないで、「周りから望まれている自分」を「自分」だと思い込み、そのセルフイメージをまとって生きてしまいがちですが、それでは
「お前は誰やねん」
「誰の人生を生きとんねん」

 という話になります(笑)。
 結局、自分がブラックボックスになっているのです。みな、自分のことがよくわからないし、見ていないのです。
 ですから、自分の関心事は何であれ「やってみること」。法に触れることは除きます(笑)。やることによって、自分が見えてきます。興味があるのなら、1回や2回ではなくて、とことん探求して、やってみる。そこから、ものになるかならないかを丁寧に時間をかけて判断していく。
「これは向いてないんだな」「これは向いているかもしれない」「私はこれが好きなんだな」ということがわかってくる。それではじめて、自分を発見していけるようになるのです。
 この自分を理解していくプロセスは、遠回りに感じることがあったとしても、実際には一切の無駄はないのです。

『自分を変える「身口意」の法則』 第1章 より 種市勝覺:著 フォレスト出版:刊

 エゴや欲望を否定しているうちは、「自分」を生きていません。
 つまり、他人や世間の世界観に従っているということですね。

 エゴや欲望は、「好奇心の向きを示す心のコンパス」。
 それらをすべて受け入れてこそ、「自分」が見えてきます。

頭の声より「心の声」を捉える


「〜したい」は、心(ハート)の声です。
 一方、「〜したほうがいい」「〜しなければいけない」というのは、頭の声です。

 種市さんは、「やりたいことが見つからない」という悩みも、ほとんどの場合、頭の声が心の声を邪魔しているにすぎないと述べています。

 頭・脳・思考はセキュリティシステムで、ブレーキなのです。
 自分の思いは、心(ハート)の声で「火」なのです。
 自分の考えは、頭の声で「水」なのです。
 何かを望む心、思いは「火」の力。でも、それを思考が「水」をぶっかけて消すわけです。
 心でやりたいと思っていても、頭が「でも、やっぱり自分にはできるはずがない」「難しいんじゃないか」と問いかけ、ブレーキをかけてきます。
 これこそ、身口意がバラバラになる原因のひとつです。

 しかし、本当にやりたいこと、したいことを見つけるのは、なかなか難しいものです。
「本当に自分はこれがやりたい」
「こうなりたい」
「痩せたい」
 実はここに落とし穴があります。
「◯◯したい」と思ったものが本当に心から「したいこと」かどうか、わからないことです。
 心(ハート)の声を聞いて出てきた「◯◯したい」と思ったものの多くが、実は「したほうがいい」になっていたりする。言葉の上では、自分が「〜したい」と思っていることのようで、実は頭の声のままだったりするのです。

 大事なのは「本当の心(ハート)の声」をしっかりと捉えることです。
 そのためには「本当はどうしたいのか」を自分に問いかけ続け、見つけるしかありません。
 たとえば、自分のしたいこと、やりたいことを書き出し、出てきたそのものに、重ねて問いかけてみるといいでしょう。
「これは実は『したほうがいい』ことではないだろうか?」と。
 心(ハート)の声を書き出し、もう一度チェックしてみることで、頭の声なのか心(ハート)の声なのかを捉えるのです。
 その中で心がワクワクしたり、体が心地よく熱くなったりすると、それは心(ハート)の声である可能性が高いものです。

『自分を変える「身口意」の法則』 第2章 より 種市勝覺:著 フォレスト出版:刊

 種市さんは、本当の心の声の「〜したい」の場合、意識は「今」にあるはずだと述べています。

 過去への後悔や未来への不安から出てきた「〜したい」は、頭の声である可能性が高いです。
 大事なのは、「今」自分は何がしたいか、です。

 心の声にしっかり耳を傾けたいですね。

「意味依存」をやめて「意味自立」へ


 種市さんが、「意味依存」「意味自立」と呼ぶものがあります。

 意味依存とは、起きたことの意味を人に依存すること。
 意味自立とは、起きたことの意味を人に頼らず、自分で決めること。

 たとえば、仏壇から何か物がポロッと落ちました。
「これって、何か意味があるんですかね、先生?」
 と何でも人に聞いてしまう。これか意味依存です。普通に考えれば意味のないことでも、意味をつければ「ある」になります。
 そこで「いや、これはね、あなたのご先祖様の魂が・・・・・」とか相手に言われると、すっと信じてしまう。これが意味依存の怖さです。
 意図的に依存をさせて人を支配することは、密教的にはとても愚かなことだと考えます。でも、現実には、意味支配と意味依存の関係で生きている人も多いのです。

「正解を人から教わろうとする」
 そういったことも広義の意味依存になります。
 相手は、相談すれば当然答えますが、その答えを信じ、そのまま正解と鵜呑(うの)みにして受け入れる。
 こういった状態になると、答えは何でもよくなります。何であっても受け入れる状態になってしまうと、人は簡単に洗脳されてしまうのです。
 つまり、出来事の意味を相手が自由自在につくれてしまい、仮に相手が依存させる氣がなかったとしても、相手の世界観があなたの世界観になってしまうのです。
「これを実行しなければ、絶対に成功できない」
「こんなこともできないようなら、何をやってもうまくいかないよ」

 と言われて信じて、本当にそう思い込んでしまったりします。
 まるでカルト宗教みたいなもので、本人たちも思考停止状態になってしまう。
 どれだけ的確な答えであったとしても、それは正確ではなく、単なるひとつの意見にすぎません。
 こんな質問も来ることがあります。
「壊れるはずのないものが3回続けて壊れました。先生、どんな意味があるのでしょうか?」
 僕は「ぐーたま(偶然・たまたま)では?」で終わらせます。これは相手に意味依存をさせないためです。もし本格的に相談に乗る場合
には「どうして意味を尋ねたいと思ったの?」と、問題をほどいていきます。

 自分を世界の中心として生きなければ、幸せになんてなれない。にもかかわらず、他人や大衆意識に身を委ね、誰かの世界観で生きているのです。これでは、自分の人生なのに、自分の人生を生きていないといえます。
 ですから大事なのは、意味自立。自分で意味を決めることです。意味があるか、ないかも含めて、人に依存しない意識を持つことなのです。

『自分を変える「身口意」の法則』 第3章 より 種市勝覺:著 フォレスト出版:刊

 自分中心に生きるとは、自分の価値観に従って生きる、ということ。
 自分以外の誰かの世界観で生きているうちは、それは不可能ですね。

 どんな尊い教えでも、鵜呑みにしない。
「意味依存」をやめ、「意味自立」で生きる。

 それが本当の意味での幸せにつながります。

「なりたい自分」の身口意で生きる


 種市さんは、自らが神仏と一体化し、その知恵や力、仏の身口意となって物事を解決しようとするのが密教のスタンスだと述べています。

 たとえば、ある問題解決をするのに必要な力が「慈悲や優しさ」であれば観音菩薩。
「不動心や燃えるハート」であれば不動明王。
「笑顔や分かち合い」であれば大黒天。
 このように様々な神仏と一体化します。

 密教ではこの考え方を「入我我入(にゅうががにゅう)」といいます。行者が本尊(仏)の中に入り、本尊が行者の中に入り、一体になるという考え方です。
 観音様はあくまで観音様。像は立ったままで、現実には何も手を出せません。
 その観音様に一方的に助けを求めるのが顕教型。
 一方、密教の場合は、観音様に自分自身が「なろう」と試みます。歩く観音として慈悲を説こうとする姿勢が密教なのです。生きたまま自分が仏となる。まさに即身成仏です。
 不動明王像も、あくまで像であり、動かない。だから、立ち上がってこの身を助けてくれるわけではありません。
 そこで「不動明王様、お願いします」とすがるばかりではなく、自分が「我、不動なり。不動、我なり」と言って、自分と不動の境界線をなくそうとする。そして、自分が歩く不動明王として生ける状態で、不動心を体得し、それを分かち合うという考え方をするのです。
 もし、不動ならばこの場面で何をし、何を語り、何を思うのか、がまさに不動の身口意を感じとることになります。不動ならば何をするのかというのは、不動明王の「印」に隠されています。不動ならば何を語るかというのは、

「ノウマクサンマンダ バザラダンカン」

 この不動明王のマントラに隠されています。そして、不動ならば何を思うのかというのは、不動明王のお姿に隠されているわけです。
 歩く不動明王として物事を行うとしたら、いろいろなシーンでしぐさや立ち振る舞い(身)が変わります。
 言葉でいえば、言葉遣い(口)。そして、心遣い(意)が変わってくる。身口意の身は行い・振る舞いであり、口は言葉遣いであり、意は心遣いであるということです。
 ですから、1つひとつの多様なご本尊を巡ってマントラを唱えるというのは、「助けてプリーズ」という意味ばかりではなく、我、もし仏子(仏の子)ならば、こういう知恵と力を授かりますように」と扉を開けることなのです。

 密教ではこの身この体に、2つの両界曼荼羅(金剛曼荼羅(こんごうまんだら)と胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら))がすべて備わっているという前提があり、修行を深めていくこと(印を結び、マントラを唱え、心に仏を描くこと)で、その扉を開けていきます。
 これはあなたも同じなのです。
 どんな人にも毘沙門天の「勇氣」があり、不動明王の「不動心」があり、観音の「慈悲」があり、弁財天や大黒天の「財福円満」の力があるのです。
 それらを、身口意という「パスワード」を使って、自分から引っ張り出して回路を開いていくのです。

『自分を変える「身口意」の法則』 第4章 より 種市勝覺:著 フォレスト出版:刊

 人は、「思い込み」の中でしか生きらない。
 言い換えれば、思い込み通りの人生を歩む、ということです。

 ですから、自分で意味や思い込みを決め、つなげ、思い通りにしていくことが、人生を変える秘訣です。

 神仏の力を借りて、セルフイメージを一新すること。
 それが人生を劇的に変える近道といえますね。

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 種市さんは、自分の無意識こそが願いを叶えてくれる神仏であり、習慣を味方にすることは、内なる神仏を味方にすることになるとおっしゃっています。

 自分の身口意を一致させ、無意識をいい方向に導いていく。
 そうすると、人生は勝手に変わっていきます。

 そのために大事なことは、「未知の領域を味わい楽しむこと」です。

 人は、未知のこと、やったことがないことに対しては、不安を抱くものです。

 怖がって、前に進むことを諦めるか。
 それとも、ドキドキワクワクして、楽しみながら冒険するか。

 未知の体験は、自分の可能性を広げることと同じです。

 まだ見ぬ、「なりたい自分」に近づく。
 そのためのヒントがちりばめられた、必読の一冊です。

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