本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

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【書評】『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』(小池龍之介)

お薦めの本の紹介です。
小池龍之介さんの『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』です。

小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)さんは、僧侶です。
鎌倉にある月読寺の住職を務められてきましたが、2018年9月にお寺を引き払われ、現在は住所不定の路上生活者として瞑想生活をされています。

この世のすべての人は「やっかいな人」

私たちの身の回りには、色々なタイプの人間がいます。
当然、自分にとって好ましい人ばかりではありません。

ちょっとばかり迷惑な、できれば距離を置きたい人も、少なからず存在します。
いわゆる「やっかいな人」ですね。

ただ、小池さんは、残念ながらこの世のすべての人は、実は、やっかいな人なのだと指摘します。

 ぼんやりとした目で見ますと、「やっかいな人」と「良さそうな人」がいるように見えるかもしれません。が、それは気のせいで、「良さそうな人」も、実はけっこうやっかいなのです。
嘘か本当か、本書を読み通してみてください。

おそらく、すべての人が何らかの形で、ここに書かれた「やっかいな」性質を、潜在的には隠し持っていることが分かるでしょう。
ですから、この本の使い方は一つ目と手しては、そうした人々のやっかいさの本質を理解して、自らのお城に侵入してくるのを防衛することです。
が、二つ目としては、そもそもすべての人々がやっかいのなのですから、自分もまた誰かにとっての「やっかいな人」になってしまっていかねないことを自覚し、予防することです。
そうすれば、「自らの心」という名前のお城を、安全に保っておけるようになるでしょう。

どんなやっかいな人でも、あなたがその人をお城の中に侵入させてあげるからやっかいなことになるだけです。
相手をお城の中に侵入できないようにさえすれば、鉄壁の城塞(じょうさい)が無敵であるように、安全であれるということを、お伝えしてまいりましょう。
もちろん、自分でお城を荒らすなら、他人にやられる以上に荒れ果てるのですから、他人のこと以前に、自らの手によってお城が荒れないようにすることこそ、優先課題ではあるのですが!

『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 はじめに より 小池龍之介:著 マガジンハウス:刊

「やっかいな人」から城(自らの心)を守る。
自分自身が「やっかいな人」にならないようにする。

そのためには、どう対処すればいいか。

本書は、「やっかいな人」を分類分けし、お釈迦様の尊い教えをもとにそれぞれのタイプについて処方箋をまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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他人の考えを踏みつぶすメンタリティ

最初に挙げる「やっかいな人」のサンプルは、「押しつけがましい人」です。

小池さんは、押しつけがましい人は自己主張が強く、他人を自分と同じ意見にさせたがり、他人の意見を否定して自己主張することで、自分の独自性や有力さを感じたいというという欲求を持っていると指摘します。

 では、どうして彼らはこんなにも、他人の考えを踏みつぶしてまで強い自己主張をぶつけたがるのでしょうか?
私たちを憎んでいて、攻撃してやっつけたいと思っているのてしょうか?ーーいいえ、そのようなあからさまな悪意というわけでは、ないはずなのです。

そうではなくて、本人の自尊心が非常に脆弱(ぜいじゃく)なため、自分一人では、「自分は大丈夫」と安心できないのが原因です。
「自分には何かが足りない」という落ち着きのなさが、潜在的にいつも心を脅かしています。

それを、自らの向上に向け変えられれば良いのですけれどもねぇ。残念ながら、手っ取り早いのは、他人を否定して「自分のほうが上なんだぞ!」と暗示をかけるほうなのです。
もしくは、やたらと他人にアドバイス(たいていは見当外れな・・・・・)をしたがるというケースも見られますが、アドバイスを押しつけるのもまた、自分の立派さや上位さについて自己暗示をかけられるため、好まれがちなのだと思われます。

ですから、押しつけがましさは表面的な力強さに反して、精神の脆(もろ)さを隠しているのだと、透視するよう習慣づけてみましょう。「自分は、本当は、立派なんだぞ!」と言い張っている、自信のない子どものようなものなのです。
彼らにとっての悲劇の内幕を、分析してみましょう。
そうやって、無自覚的に偉そうな言動が癖になり、他人の言うこと為(な)すことに「それじゃダメ」「おかしいでしょ」などと否定したり、頭ごなしに考えを押しつけたりする都度、一瞬だけ、「私は、立派(なはず)!」という快楽を感じは、いたします。
けれども、基本は欠落感と自信のなさなのです。
つまり、欠落感と自信のなさという名前の広大な砂漠に、「私は立派だ!」という水滴を一粒、たらしたようなもの。

あいにく、そんな水滴はすぐに蒸発してしまいます。
ですから即座にまた苛々(いらいら)してきますし、そして相変わらず、不寛容で非協調的な言動を繰り返してしまうでしょう。ーーそう、本人も、なぜこんなにもついつい偉そうにしてしまうのか、自分でもよく分からないままに、です。

『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 第1章 より 小池龍之介:著 マガジンハウス:刊

自分の意見を人に押しつけるのは、自尊心が低く、自信がないから。
自信のなさを見せたくないから、他人を従わせることで、自尊心を満たそうとしているのですね。

押しつけがましさは、精神の脆さであり、精神的な幼さの表れである。
それを知っているだけで、気分に余裕ができ、相手に対して優位に立てますね。

お城の外の人は放っておいて、「中のこと」を最優先に!

とはいっても、モンスターが直接、心のお城の中に攻め入ってくることはできません。
外からどんなに攻められようとも、心中に潜む「内敵」が城の中に火を放たなければ、お城はまったく平穏無事です。

小池さんは、内敵のことを、点検することこそが、このお城に火がついて陥落するのを防ぐための決定打となると指摘します。

 では、押しつけがましい人が攻めよせてきたときに、彼らに呼応して騒ぎ出し、みすみす彼らのことを何度も思い出して苦しめさせようとする内敵とは、何者でしょうか。

やたらと否定されダメ出しされるとき、「許さない!」「傷ついた!」と騒ぐ、お城の中にいる問題児たち。
この子たちは、「肯定されたい」「そうだね、とうなずいてほしい」と甘えており、「分かってほしい」と叫んでいるのです。叫んで、お城に火をつけて回っている。
ですからそんなときは、城の外にいる相手のことなど、放っておくのが適切です。それより早く、このお城の中の状況を、理解するのが優先事項なのです。

つまり、「ああ、実はこの人から肯定されたがっているのだな」「もっと丁重に扱ってほしいと、甘えているのだな」と理解して、お城の中で騒いでいる問題児を優しく、受け止めてあげましょう。
そうしましたら、その子たちも理解されたことで泣き止んで、大人しくなるはずですから。

意識がお城の外の他人を非難してばかりで「何故、自分は腹が立っていたのか」に無自覚であるうちは、心の内に霧がかかったようになり、モヤモヤとして、とらわれがちです。
ところが、「なーんだ、こんな理由で腹を立ててたんだ、私」と腑(ふ)に落ちると、霧が晴れてサッパリしがちなものでもあるのですよ。

そんな調子で、押しつけがましくアドバイスや命令めいた物言いをされて腹が立つとしても、このお城の内側で騒ぐ問題児に、いちはやく気づくことが大切です。

「あの人は、事情もよく分かっていないくせに、何を偉そうに言うのだろう!」と非難や不満に夢中になるほど、その人についての考えがお城の中を占領してゆくばかりか、苦しみが増殖しますからねぇ。

その代わりに、お城の中を点検します。
すると、相手が偉そうに、こちらを下に置くような扱いに不満を持つ、「私だって本当は、それなりの人物だぞ」という傲慢さが、見つかるはずです。
つまり、こちらの上に立とうとしている相手に対抗心がわいて、張り合うような気持ちになっているのです。

そして、まさにその対抗心のせいで、相手と同じ土俵に立たされてしまい、ダメージを受けているのが分かるでしょう。対抗心など解除してしまい、腹を立てるのを止めましょう。

腹を立てさえしなければ、相手のことを思い出すこともなくなりますし、思い出さなければ、この城からいなくなってくれるのです。

そのうえで、たとえ何を言われても腹を立てずに、「有難うございます。参考にさせて頂きます」とニッコリ笑って、スルーすれば良いのです。
同じ土俵に立たないことで、相手の優越感をケアしてあげつつ、この心の中には入りこまれないようにする、ということですね。

『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 第1章 より 小池龍之介:著 マガジンハウス:刊

自分の心の中にもある「押しつけがましさ」が、外からの攻撃に反応してしまうために、ネガティブな感情が湧き起こるということです。

まさに「本当の敵は、自分の心の中」にあり、ですね。

相手の言動にイライラしたとき、それに反応して相手に当たっても解決にはなりません。
そうではなく、自分の心の中で騒いでいる問題児を見つけて、受け止めてあげることが大切です。

他者は、自分自身の鏡。
それは、人間関係の真理であり、最も重要な役割だといえますね。

「略奪者さん」の餓えは尽きない!

次の「やっかいな人」のサンプルは、「略奪者さん」です。
略奪者さんは、文字通り取る人、奪う人であり、自分が人に何かをしてあげたり助けてあげたりはせずに、してもらうこと、好意や愛情をもらうことばかりを望んでいるような種類の人のことを指します。

小池さんは、彼らは「してもらえて当たり前」のような思いこみが染みついているため、自分の思い通りの待遇が受けられなかったり、思うように好意を与えてもらえなかったりしますと、腹を立てる傾向にあると指摘します。

 このような「略奪者さん」の特徴としては、「欲しい、欲しい」と望まんばかりで人に対して純粋な愛情を与える心が欠けているのですが、なぜ愛情を与えたり労力を無償で与えたりできないかと申しますと、心が餓えているからです。

根本的には、「見捨てられるのではないか」「他の人はどうせ裏切るのではないか」といったような不信感が無意識レベルにあるため、素直に他者に対して心を開くことができないでいるのです。
けれども、そうした弱さは裏に隠してしまいがちですから、表面的には、他者に対して飽くことなく「こうしてくれ」「ああしてくれ」と要求を突きつけ続ける、やっかいな人として振る舞うことになるでしょう。素朴な言い方をしますと、わがままな人、ですね。
ただし、単にわがままなだけではありません。
見捨てられるのではないか、という恐怖と自信のなさが背景に隠れているため、他者がせっかくしてくれていることに対して、「ちゃんと本当に思いやりや誠実さがこもっているのかどうか」を、細かくチェックしていたりします。

精神レベルでは「これは気持ちがこもっていない」と不愉快になったりもします。
外形的レベルでは、人がせっかくしてくれたことに対して、感謝するよりも、粗探しをして不満を述べたりもします。
たとえば、パートナーに掃除をしてもらったとして「有り難う」とハッピーになるかわりに、「どうしてあそこにゴミが落ちたままなの?」と先に文句を言うような感じです。
もしくは、プレゼントをしてもらっても、喜ぶかわりに「本当はこういう三角のものより六角形のもののほうが好きなんだよね」と思ったり、(言わないほうがいいのに)言ったりしてしまう感じですね。

要するに、自分の希望に叶わないものすべてに対して文句を言う具合の心になっているのです。
それは人の好意を評価する基準が細かくて神経質だということなのですが、いったい何のために、細かくて神経質なのでしょう。

それは、そうやってうるさく注文をつけることによって、他人に、自分の好みや、何が嫌いなのかをちゃんと分かってもらい、これらからはその通りにしてもらいたいと望んでいるからです。

ところが実際は、要求が細かすぎるうえに、人の時間や労力を当然のように自分だけのためにたっぷり割いてもらおうと望むために、やがて相手は、疲れてきて逃げ出したくなる傾向があります。

職場の上司ないし同僚で、自分は手伝わずに手伝ってもらおうとばかりするうえに、手伝いかたに対して「手伝ってくれるのは嬉(うれ)しいんですけど、そこの書類はもっときちんと揃(そろ)えておいてほしいんですよね」とか、毎回、チクリと余計な一言を言ってしまう人がいたとします。

ふつうは、だんだん、その人は嫌われるでしょうし、喜んでは手伝ってもらえないことになるでしょう。
本人としては、「もっと自分の好みと基準を知ってもらって、もっと大切にしてほしい」と思ってやっているのに、かわいそうに・・・・・逆効果なんでしょうねぇ。

『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 第4章 より 小池龍之介:著 マガジンハウス:刊

他者への不信感から、「失うこと」への不安を生じ、過剰に相手に求めるようになる。
略奪者さんの、そんな心理状況を理解していれば、必要以上にダメージを受けることはありませんね。

あの人は、自分のことも他人のことも信じることができない、可哀想な人なんだ。
そう考えれば、相手を上から見下ろすことができますし、憐れみの感情も湧くかもしれません。

要求はすべて満たさない。そしてたまに付き合う

「略奪者さん」のやっかいなところは、悪意のない、身近な人間がそうである場合が多いということです。

そんな身近にいる「略奪者さん」から、いかにして心の「お城」を守ればいいのでしょうか。

 対策は、意外とシンプルだと思います。一つには、親切や愛情や行為に餓えた略奪者タイプだな、と分かったら、知り合ったばかりの段階で、極力、相手の要求もすべて満たさないようにしておくことです。

相手がたとえ、外見が好みでお近づきになりたくても、能力が高くて憧れを感じても、その人が「略奪者さん」ならば、その人に気に入られようとしてあれこれと相手の望みを満たそうとしないでください。
かといって、無愛想にして逃げ出してくださいと申しているのではありませんよ。
3回に1回か4回に1回くらいは、たまに、親切に精一杯、望みに付き合って差し上げることです。

相手に過大な執着を生じさせないように、たまに望みどおりにしますよ、くらいの距離感にしておくのが、無難です。

裏を返せば、4回のうち3回くらいは、きっぱりと「できません」とか「ダメです」と伝えておいたほうが、相手も「ああ、この人には、しがみつけないのだな」と分かり、「もっと、もっと!!」と興奮しなくてすみますので、相手のためでもあると申せそうです。

そうやって、ちゃんとお相手をするのはたまにしておくかわりに、お相手をするときは、けっこう「覚悟を決めて」、精一杯取り組んでみることです。

手伝って差し上げても文句を言われる可能性もありますし、長話に付き合って差し上げてもちっとも感謝されない可能性もありますが、それでも仕方ない、とあらかじめ腹をくくっておくことですね。
いわば、純粋な奉仕として取り組もうと決めておくといいと思います。

そうでないと、「せっかくしてあげたのに、この人は一方的に奪われて気分悪いなぁ〜」といった気分がドンヨリと立ちこめてくることになるでしょう。
そのようなドンヨリ気分は、のちほど「略奪者さん」による怒りの念波のサイコアタックが来る以前に、まずドンヨリ気分のサイコアタックで、自分のお城の本丸を自爆させるようなものです。

ですから、このような自爆を避けるためにも、「略奪者さん」のために時間と労力を使うとき、事前のうちから、「純粋に与えよう。感謝も求めないし、精一杯、相手のためにしてあげよう」と、よくよく言い聞かせておきましょう。

本来は、こうやってただ純粋に何かを差し出すことを「布施」と呼ぶのでありまして、布施の精神で物事をおこなうように努めますと、気分が清々(すがすが)しいうえに、副作用としてはお城の中にドンヨリした気分が立ちこめないので、お城が守られることになるのです。

ここで純粋に、とか、精一杯、とか申していますのは、「略奪者さん」たちは表面上はたとえどれだけ強面(こわもて)だったり強引だったりしたとしても、根本的にはひどく傷ついていて好意に餓えているため、半端な親切さでは、すぐ不満を感じさせてしまうからです。
私心のない心で接してあげられるほど、いくらかは琴線に触れることができるのです。

そして繰り返しますと、それはあくまでも「たまに」に留めておいて、依存させないようにすることが大切です。
相手に頼られるのは気分がいいかもしれませんが、頼られるとやがて略奪が本格化し始め、たいていはお城が荒れ始めてから今度は腹が立ってきて、互いに戦争を始めるハメになるでしょう。

『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 第4章 より 小池龍之介:著 マガジンハウス:刊

小池さんは、よくよく自分のキャパシティを自覚しながら、無理のない範囲で「布施」の修行という心づもりで向かい合って、お城を守ってほしいと強調します。

求められたからといって、すべてに応えようとしてはいけない。
4回に1回くらいは相手をしてあげて、そのときは、純粋な奉仕として取り組む。

身近で親しい人ほど、その線引きは難しいです。
ただ、それは自分のためでもあり、相手のためでもあります。
良い人間関係を維持するためには、必要なことですね。

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世の中には、私たちに精神的な害を与える「やっかいな人」たちが大勢います。
彼らの中には、一見、それと判別できない「いい人」そうな人たちもいます。

そんな様々な姿かたちに化けているモンスターたちから身を守るのは、並大抵のことではありません。

小池さんは、ローマ皇帝・マルクス・アウレ‐リウスの言葉を引用し、以下のように指摘されています。

我々の指導理性が難攻不落になるのは
どういうときかというと、
これが自分自身に集中し、
自己の欲せぬことはおこなわずに満足している場合である。
(中略)
それゆえに、激情から解放されている精神というものは、
ひとつの城砦である。
一たびそこへ避難すれば
以後絶対に犯されることのないところで、
人間にこれ以上安全堅固な場所はないのである。

外敵に「お城」の中を引っかき回されないようにすることは、もちろん大切なことです。
しかし、それ以上に大事なのは、小池さんも強調されているように、「お城」の中からいらないものを排除し、いつも整理整頓しておくことです。

外から火を投げ入れられても、中に燃えるものがなければ、炎上はしません。
まさに難攻不落といえますね。

無意識に潜むネガティブな思考や感情をあぶり出し、心を浄化していく。
そのノウハウを語るのに、お釈迦様の教えを実践されている小池さんは、まさに適任といえます。

生きにくい世の中を、自分らしく健やかに生きていきたい。
本書は、そう願うすべての人にとって“人生の羅針盤”となる珠玉の一冊です。

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