【書評】『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』(情報文化研究所)
お薦めの本の紹介です。
情報文化研究所の『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』です。
情報文化研究所は、「情報文化論および関連書領域に関する研究の推進と交流」を目的に1996年に発足した情報文化研究会を基盤に2018年に設立されました。
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)さんは、國學院大學の教授で、論理学・科学哲学がご専門です。情報文化研究所の所長も務められています。
「認知バイアス」とは何か?
一般に、「バイアス(bias)」とは、織り目に対して斜めに切った布の切れ端のことで、そこから「かさ上げ・偏り・歪(ゆが)み」を指すようになった言葉
です。
「バイアスが掛かっている」という言い方は、「偏った見方をしている」というときに使います。
その中でも「認知バイアス(cognitive bias)」は、偏見や先入観、固執断定や歪んだデータ、一方的な思い込みや誤解などを幅広く指す言葉
として使用されています。
さて、2017年7月の東京都区議会議員選挙の際、品川駅西口前に立つテレビ局のレポーターが、「品川駅前に広がる品川区の選挙情勢」について語っていた。実は「品川駅」の所在地は「港区高輪(たかなわ)3丁目」であり、駅前に広がっているのは「品川区」ではなく「港区」なのである!
品川駅西口前には「品川プリンスホテル」があるが、その住所は「港区高輪4丁目」であり、ホテルの北側にある「品川税務署」の住所は「港区高輪3丁目」である。
要するに、「品川駅」「品川プリンスホテル」「品川税務署」といった名称から、それらは「品川区」に存在するに違いないと思いこんでいた人は、「認知バイアス」の罠(わな)にかかっていたことになる。
これらの思い込みは事実に反しており、論理的には「真(truth)」ではなく「偽(falsity)」である。「論理学」の世界では、このようなタイプの思い違いを「誤謬(ごびゅう)(fallacy)」と呼び、古代ギリシャ時代から、さまざまな種類に分類して、議論を健全なものにするために避けなければならないと諭してきた。
それにしても、私たち人間は、なぜ「誤謬」を犯してしまうのだろうか?
たとえば、「〇〇税務署」の所在地が「〇〇区」であることは、多くのケースで「真」であり、そのように推測すること自体は、必ずしも間違いでないことも多い。
問題は、この「帰納法(個別の事実に共通点を見つけ、一般的な結論を導き出す推論)」と呼ばれる論法には、ともすれば例外があることである。
なぜ人間が無意識に「帰納法」を用いて物事を認識し、情報を処理しているのかは、「認知科学」の研究対象である。
また、集団間におけるコミュニケーションや、人間と社会との相互関係は、「社会心理学」で研究されている。『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 監修者まえがき より 情報文化研究所:著 高橋昌一郎:監 フォレスト出版:刊
認知バイアスには、主に「論理学的アプローチ」「認知科学的アプローチ」「社会心理学的アプローチ」の3つの専門分野があります。
本書は、この3つの専門分野ごとに、特に重要な20項目を厳選して、それぞれについてわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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選択肢は本当に2つしかないのか?
白か黒か、正しいか間違っているか。
そんな二者択一を迫られるケースでは、私たちは認知バイアスの罠にはまりやすいです。
「あなたに最近いいことがないのは、運気が滞(とどこお)っているからです。この壺(つぼ)を買って部屋に飾れば、必ずいいことがありますよ。しかし、買わなければ、あなたは不幸になります」
平時にこんなことを言われても、買うという人はほぼいないだろう。しかし、藁(わら)にもすがるような状況のときに、壺を買えば「子供の不治の病が治る」「あなたを不幸にしている霊が消える」などと言葉巧みに迫られるとしたら・・・・・
このように精神的に追い詰められた状況に陥ったとしても、壺を「買う」「買わない」の2つの選択肢以外に目を向けるべきだということは、ぜひ思い出してほしい。
なぜなら、選択肢は2つしかないわけではなく、隠された選択肢がまだ存在しているからだ。それにもかかわらず、白か黒か、どちらかをはっきり決めるように選択を迫るような議論の手法には二分法の誤謬が隠されている。
特に、選択肢を狭め、相手を極限状態に追い込むことで、自分に都合の良い選択を引き出そうとする際に用いられる論法である。先の例では、どのように考えてしまっていたのだろうか。以下で、その点について見ていこう。
提示されている選択肢は、次の2つである。1つ目の組み合わせは、「壺を買えば不幸にならない(つまり、幸せになれる)」となる。続いて、2つめの組み合わせは、「壺を買わなければ不幸になる」である。
これらの組み合わせは、(下の図1を参照)のように与えられる。これら極端な2つの選択肢を突きつけられることによって、人は自分には限られた選択肢しかないのだと勘違いしてしまう。
では、このような状況に陥ったとき、なぜ人は間違った選択をしてしまうのだろうか。先にも述べたように、この二分法の誤謬は、相手が極限の状況に追い込まれている際に用いられることが多く、そして、そのような状況に追いこんだ上で、相手の弱みに付け込み、正常な判断を行いにくくさせるからだ(相手の恐怖心につけ込む方法は恐怖に訴える論法と呼ばれる)。
そこで、極限の状況下でも二分法の誤謬に惑わされないための以下に続く考え方をぜひ学んでいただきたい。ここでもう一度考えてほしいのが、先ほど提示した選択肢の数についてである。
①壺を買えば不幸にならない(つまり、幸せになれる)。
②壺を買わなければ不幸になる。では、本当にこの2つの組み合わせしかないのだろうか。じつは、まだここには、提示されていないさらに2つの選択肢「壺を買っても不幸になる」と「壺を買わなくても不幸にならない」が存在している(下の図2を参照)。
「白黒はっきりしろ!」「挑戦した人は皆ステップアップしているぞ!」などと選択を迫る人は、意識的・無意識的かはさておき、他の選択肢があるにもかかわらず、自分に都合のいい選択肢だけを提示し、答えを引き出そうとしている可能性があることを覚えておきたい。選択肢の数が本当はいくつあるのかが知りたいときには、計算式「2n」に当てはめて考察することで、自分が選択できる選択肢を網羅して検討することが可能となる。ここでの「n」は組み合わされる項目の数、「2」は組み合わせされる項目のそれぞれに対し「採用する(◯)」「採用しない(×)」の2つの選択肢の可能性があることを表す。この計算式を用いることで、より一般的に、自分が置かれている状況について、選択することのできる選択肢の数を計算することが可能となる(下の図3を参照)。
たとえば、「弁護士になる」と「お金に困る」からも、4つの選択肢をつくることができる。このとき、どのような選択肢が存在するかわかるだろうか?
もちろん、最終的にどの選択肢を選ぶかは本人の自由ではあるが、すべての選択肢の存在を知った上で選択を行うのと、限られた選択肢の中から、逼迫(ひっぱく)した状況で選択を行うのとでは、たとえは、結果は同じでも、その意味はまったく異なる。
自分の選択に後悔をしないために、以上のように自分の置かれている状況をきちんと整理することで、誤った判断をすることを防ぐことは可能となる。『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より 情報文化研究所:著 高橋昌一郎:監 フォレスト出版:刊
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より抜粋)
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より抜粋)
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より抜粋)
人間、追い詰められると視野が狭くなり、極端な選択をしてしまいがちです。
まさに二分法の誤謬の罠にはまってしまっている状況です。
「本当に他の選択肢はないのか?」
そんなときこそ冷静に「選択肢の数」を検討する必要がありますね。
ギャンブルがやめられないのはなぜか?
何度大負けしても「次は勝つだろう」と大金をつぎ込み続ける。
そんなギャンブル中毒の人たちが、共通して陥ってしまう思考回路があります。
それが「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれている認知バイアスです。
もちろん、このあと大当たりが来る保証などどこにもないが、投入したお金が大きければ大きいほど頭が熱くなり、冷静な判断ができななってしまうのだ。
こうしたパチンコをはじめとする、ギャンブルに興ずる人が陥りやすい誤った考え方をギャンブラーの誤謬と呼ぶ。ギャンブラーの誤謬の例としてよく用いられるのが、1913年にモナコのモンテカルロカジノで起きた出来事である。
このとき、ルーレットゲームで、26回連続でボールが黒に入ったのである。そのため、「次こそは」と赤にかけたギャンブラーは大金を失った。一般に、連続して同じ結果が出ていると、次は異なる結果になるのではないかという心理が働くことが多い。なぜこのように考えてしまうのだろうか。
ルーレットを回したとき、赤の出る確率と黒の出る確率は、それぞれ1/2である。これまで黒が連続4回出ているとする。これに続いて、黒が引き続き5回連続で出る確率は図1の計算式で算出できる(下の図1を参照)。
つまり、3.125%しかない。このことから、次も黒が出る確率はかなり低いと考えられるので、「次は赤にかけよう!」とギャンブラーは考えてしまうのである。
確かに、このように考えれば、確率的にも、黒がこれ以上連続で出ることはなさそうに感じてしまうため、次は赤が出るに違いないと、思い込んでしまうのも無理はない。
このように、私たちはある一連の短い事柄に対しても、より長く続く一連の事柄と同様に(赤黒ルーレットゲームも長い目で見れば、赤と黒の出現は半数ずつになる)、赤と黒の出現の確率が半々になることを過度に期待してしまう。これは少数の法則と呼ばれている(Tversky and Kahneman, 1971)。
この期待が、人々をギャンブルに走らせてしまう要因の1つではないかと考えられる。前述のルーレットの事例でギャンブラーが気づくべきだったのは、「1回ごと」に赤と黒が出るそれぞれの確率である。落ち着いて考えれば、すぐにわかることであるが、ルーレットを回す1回ごとの赤と黒が出る確率は、いつも1/2である。これは、何回ルーレットを回しても変わることない。
確かに黒が連続して5回出る確率は、1/32であり、直感的には、次も続けて黒が出るとは思えない。しかし、この考え方には次の誤りが含まれている。
今、赤と黒が出る確率は常に1/2なので、次に赤が出る確率も当然 1/2となる。ここでは、次に何色が出るのかについての確率は、それまでに何色が出たかの結果からは、影響を受けないということが見落とされている。赤が出るか黒が出るかの確率は、1回ごとに予測する必要があるということを意識していなければならないのである。
この点についてよく理解していれば、ギャンブルに必要以上にはまってしまうことはなくなるであろうし、誰かのギャンブル好きをやめさせようとする際も、説得の一助になるかもしれない。
ただし、図2のように楽観的になりすぎるもよくない。何事もほどほどが大切であると考え行動するのが良いだろう。さて、このルーレットの事例から得られる教訓がもう1つある。それは過去は未来に影響を与えないということだ。
この考え方は、他の事柄にも適用可能である。
もちろん、人生において過去と未来はつながっており、断絶されることはない。しかし、いつまでも悪いことばかりが起き続けることは、そうそうない。したがって、「次にはいいことがあるかもしれない」「前向きに心を積極的に生きていれば必ず成功する」と前向きに考えることもまた、あながち単なる気休めではないだろう。『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より 情報文化研究所:著 高橋昌一郎:監 フォレスト出版:刊
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より抜粋)
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅰ部 より抜粋)
ルーレットおいて、同じ色がずっと連続して続くことは、確率的に考えにくいことです。
「次は、違う色が出るのではないか」
そう考えてしまっても、仕方がないかもしれません。
ただ、「連続して同じ色が続いている」という過去の結果と、「次にどちらの色が出るか」という未来の結果には何の相関関係もありません。
過去の結果に左右されず、一回一回最も勝つ確率の高い方に賭ける。
逆に言うと、それが徹底できる人たちが優れたギャンブラーだといえますね。
限界まで働き続けてしまう人々
近年、「ブラック企業」や過労死などが社会問題とされています。
なぜ、彼らは、そんな状態になるまで追い込まれても「辞める」という判断ができないのでしょうか。
著者は、認知的不協和という理論を理解すると、自分がそうした状態に陥らないよう、予防できるかもしれない
と指摘します。
まずは、ある有名な実験を紹介する(Festinger and Carlsmith, 1959)。
この実験に参加した男子大学生は、単調で退屈な作業を1人で1時間繰り返すことを要求された。さらに、次の実験に参加するために別室に待機している学生に対して「実験は大変おもしろかった」と話すよう実験者から依頼された。そのアルバイト代として提示された額は、「1ドル」もしくは「20ドル」と、学生によって異なっていた。
次の参加者として待機していた女子学生(実はサクラ)へ作業がおもしろかった旨を伝えた男子学生は、その後別室のインタビュアーの所へ連れて行かれ、「実験の今後の改善のため」として作業に関するおもしろさ等についての率直な回答を求められた。
実は実験者が一番注目していたデータは、最後に回答してもらった「実験のおもしろさの度合い」であった。参加した学生が-5(非常に退屈だった)から+5(非常におもしろかった)の11段階で回答した結果が右図だ(下の図1を参照)。
事前にアルバイトを頼まれ、その報酬として20ドルを提示された条件では、アルバイトを実施しなかった比較のための条件との差が見られなかった。一方でアルバイト代として1ドルを提示された条件では、「アルバイトなし条件」および「20ドル条件」よりもおもしろさの評定値が統計的に高かった。上記の結果は、多くの読者にとって意外なものだったかもしれない。
たくさんのお金をもらったほうが、その実験に対してより好意的になりそうにも思えるが、実際にはたった1ドルを得た学生のほうが、より作業をおもしろく感じたと報告しているのだ。
実はこの結果は認知的不協和理論から予測されていた。男子学生は、〈作業に対して「つまらない」というもともとの自分の意見〉と、〈女子学生へ向けて言わされた「おもしろかった」という感想〉との2つを抱えることになる。このように矛盾する意見を同時に持ついう奇妙さは、なんとなく居心地の悪い状態を引き起こす(この状態を不協和と呼ぶ)。
しかし、他者に「おもしろかった」と伝える役に対して20ドルの報酬を提示された場合は、不協和は低減される。なぜなら、20ドルものお金は、上記の奇妙な状態にたちまち「納得のいく理由づけ」を与えてくれるからだ。「自分は、本当はつまらないと思うのだけれど、大金を貰ったから、その対価として“おもしろかった”と伝えるのだ」というように。
一方、たった1ドルの報酬は「作業はおもしろかった」と他者に伝えた自分の行動の説明にはなり得ず、不協和状態は解消されない。その結果、その不協和状態を低減するために、作業に対するもともとの自分の意見が「おもしろかった」という自分の声明に引きずられる形でより大きく変容したのである。「自分はおもしろいと思ったから、人にも“おもしろかった”と伝えたのだ」というように。冒頭で挙げた「ブラック企業」の例に戻ってみよう。
もちろん人によっていろいろ事情があるだろうが、つらい状況で働き続ける自分に対し「やりがいがあるから」等の理由づけを行っている可能性も一度考えてみてほしい。労働の待遇が過酷であるほど、より「仕事がおもしろい」という意見へ変容しやすいことは、実験で見たとおりである(下の図2を参照)。
こうした中で知らず知らずのうちに疲労が蓄積し、取り返しがつかなくなる前に、不満や気になることはその都度、(つまり、意見が変容しないうちに)口に出したり日記に記録する、ということを試してみてほしい。最後に、別の立場からの結果の解釈を紹介したい。
我々は、自分の感情でさえ勘違いしてしまうことがある。こうした見方をさらに発展させたのが、自己知覚理論である(Bem, 1967)。これによれば、人は他者の状態(例:怒っている)を知るためには観察可能な手がかり(例:乱暴な動作)から推測するしかないが、実は自分の状態を知る際にも同様に、自分の行動や周りの反応等から判断することが多い。
この立場に立つと、最後のインタビューで「作業がおもしろかった」と答えた学生が1ドル条件の場合に多かったのは、単にその直前の「報酬がたった1ドルであるにもかかわらず、次の参加者へ向けて作業をおもしろかったと話す自分」という観察可能な手がかりから、「自分は作業をおもしろいと感じていたのだろう」と推測したからだ、という解釈になる。
すなわち、「不協和状態」とそれを低減するための意見変容という過程を想定しなくとも結果の説明ができる。
こちらの立場に立ったとしても、やはり日常における自分の不満を口に出したり紙に書いてみる(すなわち、自分にとって観測可能な行動として表出しておく)のは有効だと思われる。『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅱ部 より 情報文化研究所:著 高橋昌一郎:監 フォレスト出版:刊
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅱ部 より抜粋)
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅱ部 より抜粋)
私たちは、自分の中に矛盾する意見を有するとき、居心地の悪さを感じます。
それが「認知的不調和」です。
つらい状況にあるにもかかわらず、そこから抜け出せない。
そんな人は、認知的不調和の罠にはまってしまっているのかもしれません。
無意識に感じている「居心地の悪さ」に気づき、隠されている矛盾する意見に気づく。
それが認知的不調和の罠から抜け出すための最初の一歩です。
会えば会うほど好きになる?
気になる人がいて、その人に好意を持ってもらいたい。
そんなときに使える心理学的技法が「単純接触効果」です。
幼い頃を思い出してもらいたい。
小学校から帰ってきて、夕食までのひと時にテレビアニメを見て過ごした経験は、多くの人に共通するのではないかと推測する。その番組の放送期間に主題歌が変わるというのはよくあることだが、初めて変更後の曲を聴いた際に「前の曲のほうが好きだったのに」と感じることはなかっただろうか。
しかし、放送が回を重ねるうちに新しい主題歌も好きになっていく。これは単純接触効果によるものである。単純接触効果とは、初めて接したときは好きとも嫌いとも思わなかったような刺激に繰り返し触れることで、好意が少しずつ増していく現象のことを言う(Zajonc, 1968)。これは音楽だけでなく、文字や物、人などさまざまな刺激に対して生じると言われている。
ではなぜ、繰り返し接するだけで人は好意を持つようになるのだろうか。
この理由は誤帰属という現象によって説明できる。誤帰属とは、出来事の原因を本来のものではない別のもののせいであると誤認することである。
人が新しいものに接する際には、それに対する今まで知らなかった情報をあれこれ取り込むため、認知的に大きな負荷がかかる。
たとえば、とある人に初めて会ったときには、名前や外見的な特徴・職業・役職・住んでいる地域など実に多くのことを一度に覚えなければならない。しかし、2回目に会ったときには顔と名前は覚えていたとなれば、その分覚えなければならない事柄が減る。3回目に会ったときには職業も役職も覚えていたとなると、さらに負担が減るのである。
このように、相手のことをより楽に知覚することができるという認知的な処理の心地よさを、その相手に対する好意と勘違いしてしまうというのが誤帰属であり、単純接触効果が生じる原因の1つと考えられている。人に好意を感じさせること(対人魅力)における単純接触効果について検討した実験がある(Moreland and Beach, 1992)。
事前に身体的な魅力が同じくらいであると評価された女性4名に協力を依頼し、とある講義に受講生として出席してもらった。その際、女性4名のそれぞれの出席回数を1回から15回までの間で変えておく。学期の終わりに4人の写真を講義に出席している学生たち(男性24名、女性20名、計44名)に見せて、それぞれの魅力について評価させたところ、出席回数の多い女性ほど魅力的とされた。
この実験により、単純接触効果は、話したことがあるような知り合いだけでなく、言葉を交わすなど直接的な関わりがない人が相手でも生じることが明らかとなった(下の図1を参照)。
これは音楽や文字などの刺激に対しても同様で、人が積極的に接したものだけでなく、意識せずに接していたものにも生じるのである。単純接触効果が生活の中で利用されることが多いのは、セールスの場面である。用件があるわけではなくても客先に顔を出す、ポストに名刺を入れておくといったセールスパーソンの行動は、まさにこの効果によって自分に対する客からの好意を高めることを目的としているのである。
コンビニや量販店が自社のテーマソングを繰り返し流すのも、選挙の際に候補者の名前を連呼するのも、単純接触効果による好意のアップを狙っているのだ。
以上のことから単純に考えれば、自分に好意を持ってもらいたいときは相手に頻繁に接触するが正解となる。
ただし、この方法には1つの注意点がある。冒頭に、単純接触効果は「好きとも嫌いとも思わなかったような刺激に繰り返し触れることで生じる」と書いた。
最初の印象が良いときは、なんとも思っていない相手よりも緩やかではあるが単純接触効果が生じること、また、第一印象が悪いときは、接触する回数や頻度を増やすことは好意を高めるためには逆効果であることが明らかにされている(Perlman and Oskamp, 1971)。
つまり、誰かと頻繁に接触することで相手の好意を高めたいときには、前提としてその人に嫌われていないことが重要なのである。『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅲ部 より 情報文化研究所:著 高橋昌一郎:監 フォレスト出版:刊
(『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』 第Ⅲ部 より抜粋)
化粧品メーカーが、テレビで大量に自社製品のCMを流す。
選挙カーでウグイス嬢が、候補者の名前をひたすら連呼する。
それらは、すべて「単純接触効果」を狙っているのですね。
方法は単純ですが、効果はきわめて絶大。
私たちも、ぜひ活用したいですし、その罠に陥らないよう気をつける必要がありますね。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「自分は、この世界をありのままに認知している」
多くの人たちは、そう考えていますが、それは間違いです。
私たちは、一人ひとりが自分が都合のいいように世界を認識しています。
人間の数だけ世界があると言っても過言ではありません。
誰もが、自分だけの“色眼鏡”をかけて世界を見ている。
その色眼鏡のことを「認知バイアス」と呼んでいます。
色眼鏡が、人それぞれ、その人固有のものである以上、まったく同じ世界を見ることはできないし、まったく同じ認識をすることもできません。
ただ、その色眼鏡越しの世界が、どんなふうに見えるのか、その傾向は知ることができます。
認知バイアスを知っていれば、自分がその罠にはまる危険性も減ります。
相手の意図をより正しく理解でき、欺かれることもなくなります。
まさに「己を知りて敵を知らば、百戦危うからず」です。
私たちが偏見や思い込みの迷路から抜け出すために役立つナビゲーターとなる一冊。
ぜひ、皆さんもお手にとってみてはいかがでしょうか。
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