【書評】『アシュタール パラレルワールド』(ミナミAアシュタール)
お薦めの本の紹介です。
ミナミAアシュタールさんの『アシュタール パラレルワールド∞の未来』です。
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ミナミAアシュタールは、宇宙人のさくや、アシュタール、地球人のミナミ、あつしとつくっているチームです。
「パラレルワールド」とは?
パラレルワールドは、並行世界と呼ばれていて、過去に違う選択をしたときにできる世界、並行して成り立っている世界
のことです。
パラレルワールドは、存在します。
ただ、物質世界として存在するのではなく、波動エネルギーとして存在
するものです。
アシュタールは、パラレルワールドという概念は、とても簡単
で、とてもシンプル
で、何か特別な出来事ではなく、あなたの生活に密着しているもの
だと述べています。
「密着と言われても、パラレルワールドは生活とは関係ないと思うのですが・・・」
「では・・・あなたは今朝何を召し上がりましたか?」
「突然ですね・・・今朝ですか・・・」
「パンにバターてすか? ハムは載せましたか?」
「バターは塗りましたけど、ハムは食べていません」
「ハムを堪たいとはおもいませんでしたか?」
「う〜ん、ハムはどうしようかと悩みましたが、今日はいらないかなと思って食べませんでした」
「それです。それがパラレルワールドなのです」
「どういうことですか?」
「あなたはハムに関して考えました、そして、食べようかどうか悩みました。
そして、食べないという選択をしました。それがパラレルワールド なのです。
あなたはあなたの思考でハムを食べなかった世界とハムを食べた世界を創ったのです。
二つの世界(パラレルワールド)を創造したのです。それが並行世界と言われるものなのです」「そんなことなのですか?」
「そんなことなのです。あなたがいつも生活の中でしていることなのです。とてもシンプルで特別な概念ではないのです」
「って言われても、何をどう考えていいか分かりません。もう少し深く教えていただけますか?」
「では、波動エネルギーのことが理解できなければ、パラレルワールドの仕組みや概念も理解しにくいと思いますので、最初に少しだけ波動エネルギーについてお話ししたいと思います。少しお付き合いくださいね」
「はい、お願いします」
「まず、お話ししたいのは、あなたが見ている物質世界は幻だということです。あなたが現実だと思っているのは幻であり、あなたが創り出したホログラムだということです」
「私が見ている現実がホログラムなのですか? ものすごくリアルなのですが、私にはこれがホログラムだとは到底思えないです」
「そうですね、そう思わなければそのホログラムの世界にいることができないのです。いつも言いますが、思考が先、現実は後・・・なのです。あなたが見ている世界が本当に存在すると思っているから、あなたはその現実の中で遊ぶことができるのです。リアルに感じることができるのです。それほどあなたは完璧なホログラムを創り出すことができているということです」「完璧なホログラムと言われても、ホログラムそのものがよく分からないので、何とお答えしていいのか分かりませんが・・・」
「あなたは身体ではないと前にもお伝えしました」
「はい、私は身体ではなく、私という意識だと教えていただきました」
「そうです、あなたは意識体なのです。意識体であるあなたが、あなたの思考を使ってあなたのホログラムを創っているのです。意識体というのは、私はここに居ると認識している意識なのです。究極を言いますと、あなたは自分が居ると認識しているだけなのです。自分が居ると認識しているから思考が起きてくるのです」「また、哲学的なお話しですね」
「存在は哲学なのです。宇宙は哲学なのです。哲学という学問を創ってしまうから訳が分からない、難しいと思ってしまうのです。私がここにいる・・・それだけなのです。私がここに居る、その“ここ”とは、場所ではないのです。あなたの意識が認識しているだけなのです。“ここ”は自分で創っているのです」「場所ではないところを創っている? ところというのは場所ではないのですか?」
「場所というのは、物質的な認識です。物質世界にいるあなたにとって場所、ところというとどうしてもどこかの空間、どこか物質的な感じで捉えてしまいますが、その認識を外していかなければ今からお話しするパラレルワールドは理解しにくくなります。
宇宙は時間も空間もありません。宇宙は意識エネルギーなのです。それには形はありません。物質的な形や存在はないのです。これもイメージするのは難しいと思いますか、ちょっとでいいので感じてみてください。何もないのです。でも、自分が居るという意識はあります。その意識が思考を持って自分の好きな世界を創り出しているのです。
言うなれば夢を見ているような感じですね」
「夢・・・ですか・・・」
「あなたも夢を見ますね?」
「はい、寝る夢は見ます」
「その夢と同じだと思っていただければ分かりやすいですか?」
「すみません、もっと分かりにくいのですが・・・もしかしてアシュタールは、今私が見ている現実も夢と同じだと言っているのですか?」
「そういう感じです。夢を見ているときは、リアルにその夢の中を生きていませんか? 本当に起きているときのように楽しかったり、怖かったりしますね。夢に出てくる登場人物にも実際に会っているように話をしたりします。どうですか?」
「はい。起きたときには、ほとんど忘れてしまいますが、印象的な夢だと結構リアルに覚えています」
「では、その夢はどこにありますか?」
「どこに? 場所ですか?」
「そうです、どこかにあなたが見た夢の場所がありますか?」
「え? 場所? 夢の? そんなものはありません。夢ですから・・・」
「それと同じなのです。あなたが現実だと思っていることも、特に過去の出来事だと思っていることも、夢と同じようにどこにも存在しないのです。物質としてどこにも格納されていません。では、どこにあるのでしょうか?」
「夢がどこにあるか? そんなことは考えたこともないので全く想像もできないです」
「でも、確かに夢は見ました。しかし、それが本当にあった世界かどうかは分かりませんとあなたは思っています。というより本当にあった世界ではなく、自分で創り出した世界だと思いますね。ということは、あなたは、夢は幻だと認識していますね」「そうですね、本当の世界だとは思いません。まぁ、そういう言い方だと幻の世界を自分で創り出したとも言えます」
「ですから、あなたの現実も、あなたが創り出した幻、ホログラムなのです。どこにも物質的な現実というものは存在しないのです。現実だと思っているのは、あなたが夢の中で現実だと思っていたのと同じなのです。だから、あなたの今見ているもの、現実はホログラムで、宇宙のどこにも存在しないのです。あなたの世界の中だけであなたの意識が創造しているのです。物質的に存在していると思っているのは、あなたの意識が物質として認識しているからです。物質があると想定しているから、物質があると認識するのです。物質はあなたが創り出した幻、ホログラムなのです」「ちょっと待ってください。私は物質に囲まれています。それを全部自分で創り出したということですか? でも、他の人も同じ物質を見ています。それはどう考えればいいのですか?」
「同じ物質を見ているということを、どうして確信できるのですか?」
「だって、ここに机があります。その机は他の人もあると認識しています。同じ色で同じ形だと言います。それはその机、物質があるからではないのですか?」「あなたが白と呼んでいる色は、他の人にも白だと見えるという確証はありますか?」
「ごめんなさい、アシュタール。何を言っているのかよく分かりません」
「あなたはあなたの目でしか見ることはできません。そうですね?」
「はい、そうですね」
「他の人の目を通して見ることはできないのです」
「はい。そうです」
「ならば、他の人があなたが思っている白色を白だと認識しているかどうか確かめる方法はないのです。
もしかしたら、他の人が白と認識している色は、あなたが見たら赤かもしれないのです。
ときに赤色だと教えられた色を、ずっと赤として認識するようになったのです。それがあなたの世界では赤色とされたのです。でも、他の人はあなたの目では赤色と認識されている色を白だと認識しているかもしれないのです。同じものを見ていても、認識している色が違う、色の呼び方が違うこともあるのです。
同じ机でも、赤色に見えている人もいるということです。あなたの目には赤色に見えている色を、白色だという人もいるのです。
最初にリンゴを見たときに、これは白色ですよと言われたら、その人にとってリンゴは白いと思います。そのリンゴの色を白という呼び方をするようになります。
そして、あなたにとって赤色を白色と呼び、あなたにとっての白色を赤色と呼んでいるのかもしれません。
あなたが赤と呼んでいる色を、他の人は白と呼んでいるかもしれないのです。ですから、すべてに共通している認識はないのです。共通していると思っているだけです。そして、共通していると思っているので、上手く話が合って、お互い同じものを見ていると思ってしまうのです」「はぁ、よく分かりませんが、アシュタールは、私が見ているものと他の人が見ているものは違うと言っているのですか?」
「そうです、全く同じものを見ることはできないのです。それぞれが違う世界を創造し、それぞれの目で見ているものですから。でも、そこに共有意識が働き、同じものを見ているように錯覚してしてしまうのです。共有意識でそれを創り出しているという表現の方が分かりやすいでしょうか」
」共有意識で創り出しているのであれば、共有した同じ物質ではないのですか?」
「同じ物質ではありません。同じような物ということです。ここに机という物質があるということにしましょう、と共有意識で決めます。でも、机があるということは共有しても、どういう形でどういう色かはそれぞれ違うのです。だから、違う現実を創造しているということです。
あなたが考えている現実というのはそういうことなのです。現実とは、とても不確実なものなのです。そして、現実はあなたが創り出した幻、ホログラムだということなのです。
夢と同じなのです。それぞれがバラバラの世界を創って楽しんでいるのです。
夢はあなたが創り出した幻の世界の中の幻なのです。だから、共有意識も働かず、誰とも共有できない世界なのです。バラバラに楽しむ世界なのです。同時に同じ夢を見ることはできないですね。できます、したことがあります・・・という方はまた違う話になります。
この話をすると迷子になりそうですが、そういうことがあると思う方に少しお話しさせていただくと、それはテレパシーを使ってお互いの夢の中で繋がったということです。
夢については前著でお話しさせていただきましたが、寝ると身体から意識体が出て、違う世界で色々な存在と出会い、その存在たちと話をするということですが、その夢の世界でも会いましょう、同じような体験をしましょうと思ってエネルギーで繋がったということです。テレパシーで話をしたということです。意識の世界あなたたちが思っているようなひとつだけの世界ではないのです。
考えると体験することができるのです。お互いが本気でそうしたいと思いエネルギーを繋げることができたら、夢の中でも会ったり、同じような場面の体験をすることもできるのです。とても面白い世界なのです。あなたたちが持っている知識では理解できないことが沢山あるのです。それはご理解いただければと思います。
夢を例に出したのは、夢は実際に見ていても、物質としてどこにも存在しないということをお伝えしたかっただけです。夢に関しては前著をお読みただければと思います。
夢と同じで、あなたが見ている現実も確固としたものではなく、幻、ホログラムなのです。
どうしてこんな話をするのかというと、これからお話しするパラレルワールドにも関係するからなのです。パラレルワールドというのは並行世界だと思われています。色々な世界が同時に物質的な感じで存在していると思ってしまうと理解できなくなってしまいますので、まずそこのところからお話ししました。
パラレルワールドという場所はありません。意識エネルギーがあるだけなのです。ですから、無限に存在することができるのです。宇宙は、意識エネルギーだと何度もお伝えしています。
宇宙は、絶対無限の存在の意識エネルギーなのです。とても巨大であり、とても微小でもあります。巨大とか微小というとまた物質的な感じになってしまいますが、循環しているという意味です。宇宙は、エネルギーの循環なのです。ですから、場所も空間も時間もありません。ただ存在しているだけなのです。
その循環の中で私たちも存在しています。あなたも私も絶対無限の存在の意識エネルギーなのです。その意識エネルギーが個性を持ち、それぞれ別の思考をすることでまた循環が起きてくるのです。ひとつの意識エネルギーだけでは循環することができないのです。循環しなければ変化も起きず、そのまま止まってしまいます。だから、循環を起こすためにも絶対無限の存在は、小さな絶対無限の存在を沢山創り出しているのです。
小さな絶対無限の存在が個性を持ち、それぞれの個性によって体験し、その個性である小さな絶対無限の存在がまた絶対無限の存在に融合し、そして、また新たな小さな絶対無限の存在から出てきて個性を持ち、その個性によって新しい体験をしていくのです。
小さな絶対無限の存在も同じ個性をずっと持ち続けることはできません。同じ個性をずっと持ち続けていると、同じ傾向の思考ばかりになってしまい単調になってしまうからです。単調になると循環が鈍ってしまいます。だから、単調になる前に、絶対無限の存在に戻り(融合し)また新しい個性を創り出すのです。こうしてずっと循環することができるのです。
あなたが物質の身体を脱いで絶対無限の存在に戻るのも循環するためなのです。ずっと同じ物質世界にいると単調になってしまい循環が鈍くなるからです。私は身体という物質は創造していませんが、私の個性が単調になってきたと思えば絶対無限の存在戻ります。絶対無限の存在に戻り、融合することでまた新しい循環が起きるのです」
「ならば、ひとつの個性が絶対無限の存在に戻り、その個性がいなくなってしまったら、その個性が創り出したパラレルワールドは消えてしまうのですか?」
「パラレルワールドは消えません。パラレルワールドは物ではありません。記憶なのです。
絶対無限の存在は意識エネルギーです。絶対無限の存在には個性はありません。すべての存在の個性が融合しているのです。そして、その個性の体験は、記憶として残ります。その記憶が絶対無限の存在なのです。アカシックレコードとも呼ばれています。アカシックレコードは、パラレルワールドだということになります」「アカシックレコードがパラレルワールド? どこにそれがあるのですか?」
「それが今までお話ししたことなのです。アカシックレコードもパラレルワールドもどこかにあるのではありません。記憶なのです。どんどん増え続ける記憶なのです。
あなたの過去の記憶もどこかにあるわけではありませんね。頭の中、脳に蓄積されているわけではないのです。絶対無限の存在の記憶として残っているのです。記憶の貯蔵庫はありません。エネルギーに共振しているのです。物質的な思考を持っているあなたが、イメージするのは難しいと思いますが、場所ではないので無限に増え続けるというものだと思っていただければと思います。記憶も循環の中にあるのです。宇宙は無限に広がっているという説もあるようですが、宇宙は広がりません。宇宙は物質ではないのです、循環なのです。ですから、広がっていくという考えは手放してください。循環しているのです。何もないのです。エネルギーの循環だけなのです。
また話が逸れましたが、ですから、パラレルワールドは消えることはありません」『アシュタール パラレルワールド 』 P〜P22 より ミナミ A アシュタール:著 破常識屋出版:刊
本書は、アシュタールが「パラレルワールド」をはじめとして、この宇宙の仕組みをわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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パラレルは「選択」である!
アシュタールは「パラレルワールド」について、以下のように説明しています。
「どうしてもパラレルワールドのイメージがつかめないのですが・・・」
「パラレルワールドというか、あなたが今見ている現実の認識が少し違うようですね。
あなたは現実の中にいると思っているようですが、そうではないのです。
あなたは外からあなたの現実を見ているのです。あなたの本体は意識エネルギーです。
これは先ほどもお伝えしました。そのあなたという個性の意識エネルギーが、あなたの現実という幻を創造しているのです。その幻をあなたの本体が外から見ているのです。
3Dメガネをかけてゲームを楽しんでいるとイメージしていただくと分かりやすいかもしれません。3Dメガネで覗いている世界は、あなたが存在している世界ではありませんね。覗いているだけです。メガネを外したらその世界は、あなたには関係のない世界になります。そして、また別の3Dメガネをかければ、さっきとは違う世界を覗くことができるのです。でも、それもあなたの存在している世界ではありません。そういうことです。あなたの目の前には沢山の3Dメガネの世界があるのです。
そして、それぞれの3Dメガネの内容が分かるようになっているのです。それを見てあなたはどれを選ぶかを決めます。
でも3Dメガネをかけているときは、それを忘れてしまい、その世界しかないと思ってのめりこんでしまうのです。そうしないとその世界を楽しむことができないからです」「予告編とは?」
「このメガネをかけるとどういう体験ができるか少し分かるということです。あなたはその予告編を見てどれにするか決めるのです」「もう少し具体的に教えていただけますか?」
「例えば、リンゴジュースを飲んでいる予告編を見ますね。そうしたら、リンゴジュースを飲んでいる感じが分かります。そのときリンゴジュースを飲みたいと思えば、そのメガネをかけてリンゴジュースを実際に飲む(実際にと言ってもホログラムなのですが、メガネをかけているときは本当に飲んでいると思えるのです)経験をします。でも、そのときにリンゴジュースの気分じゃないと思えば、そのメガネはかけずに別のメガネにしようと思うのです。
そうすると、そのときにリンゴジュースを飲むという体験はしなくなります」「そのリンゴジュースを飲むというメガネはどうなるのですか?」
「そこは少しややこしい話になります。そのときあなたはリンゴジュースを飲まない選択をしましたが、リンゴジュースを飲むパラレルも存在するのです。これがパラレルワールドなのです」「リンゴジュースを飲んだパラレルワールドも存在するということは、リンゴジュースを飲んだ私もいる? その私は誰? それを私として認識することはできるのですか?」
「それはできません。でも、あなたが思考すればそこにパラレルワールドが出現します」
「それを選択しなくても?」
「はい、そうです。あなたがそのときそれを選択しなくても、あなたの選択しなかったパラレルワールドは出現するのです(これからはパラレルと呼ばせていただきますね)。
でもあなたはそのパラレルを選択しなかったので、あなたはジュースを飲むという経験はできません。でもジュースを飲む選択をしたあなたもそのパラレルの中には存在するのです。
でも、そのパラレルの中のあなたは、選択しなかったあなたではないのです。
ジュースを飲む体験をしたあなたを、選択しなかったあなたが感じることはできないのです」「え? ということは、私も二人になるということですか?」
「二人になるということではないのです。物質ではありませんので、二つに分かれて違う経験をするということではありません。これは先ほどからお話ししている絶対無限の存在の話になってきます。あなたは二人に分かれたのではなく、あなたの意識をどこに合わせるかを決めただけなのです」「どこに意識を合わせるか? というのはどういうことですか?」
「あなたの前には沢山のメガネがあると言いました。これはもちろん例えです。言い換えれば大きな画面の中に小さな無数の画面があるテレビを見ているとイメージしてみてください。見ているのはあなた自身です。あなたの意識です。ここまでは大丈夫でしょうか?」「はい、何とか・・・これは前著でも例えとして教えていただいていますので」
「あなたは沢山のあなたの思考で創り出した画面を見ています。そして、さっきの話のようにどれが面白そうかなと思って見ています。面白そうな画面を見つけたら、そこに波動エネルギーを合わせるのです。波動エネルギーを合わせる、共振する、フォーカスする・・・表現は色々ありますが、とにかく興味がある画面を見ようと思います。
そうするとあなたの意識は、その画面しか見られなくなるのです。その画面、その場面に入ったように思うのです。そこに居るかのように思うのです。それが、今あなたの見ている現実だということです。現実はそれしかないわけではないのです。その現実(画面)の外側には沢山の現実(画面)があるのです。
ただあなたはその画面が面白そうだと思って、そこにエネルギーを繋げただけなのです。「ということは、その画面の中の現実が気に入らなければ、一度フォーカスを外してまた違う場面に移行すると、別の画面の中の現実を体験することができるということですか?」
「理論的にはそうなります。あなたはどんな画面でも選ぶことができるのです。
ただ、まずパラレルの知識があまりにもありません。教えてもらっていないのです。だから、他のパラレルに移行する、その画面から出るという思考がないのです。そんなことも考えられないので、その画面の現実しかないとブツブツ言いながら、そこに居ることになってしまうのです」「ということは、私はずっとこの画面にしか居られないということですか?
何もできずにこの現実だけを体験し続けなければいけないということですか?」「これもまたややこしい話になりますが、画面の外に出なくてもパラレルを創ることはできます。今の画面の中の現実がイヤならば、その画面の中に気に入った現実を創造することができるのです」
「パラレルの中にパラレルを創るということですか?」
「そういう言い方もできますね。パラレルというのは場所ではありませんので、画面の中だろうと外だろうとパラレルは創り続けることができます。あなたが思考すればパラレルはできるのですから。どんなパラレルだろうが、それはあなたが創ったものです。
そして、今あなたはひとつのパラレルに居ると思っていますが、そうではなく、あなたの意識は外に居るのです。ただ、ちょっと勘違いしてそこに自分が居ると思い込んでいるだけなのです。外に居るとか中に居るとかいうことも勘違いだということです。どこにフォーカスしているかだけの話なのです。だから、絶対無限の存在、宇宙、波動エネルギーのことが理解できればパラレルのことも理解することができ、パラレルのことが理解できれば、自由自在に自分の好きなパラレルを創ることも、パラレルを移行することもできるようになります」
「自由に好きなパラレルを創ることができるというのはいいですね」「私は前著でもお伝えしましたが、あなたに楽しい体験をしていただきたいと思っているだけです。あなたは私、私はあなた・・・ですから。あなたが楽しい体験をしてくだされば、それに共振して、私も楽しい体験を一緒にすることができるのです」
「それはありがとうございます。でも、ちょっと聞いてもいいですか?
私の体験があなたの体験になるというのはどういうことですか?」「私たちはエネルギーで繋がっています。私たちだけということではありません。宇宙に存在するもの全てがエネルギーで繋がっています。繋がっているというよりも絶対無限の存在として同じ体験をしているのです。絶対無限の存在はアカシックレコードだと言いました。すべての体験が記憶されています。その記憶は小さな絶対無限の存在である私たちにも共有されるのです。ですから、あなたが創り出したパラレルは、私のパラレルでもあるのです。
ここで少し解説させていただきたいと思うのですが、あなたに楽しい体験をしていただきたいと言いましたが、楽しいというのはあなたが満足するという意味です。あなたたちが刷り込まれてしまった楽しいという概念ではありません。楽しいというのは気持ちがいいことだけではないのです」「どういうことですか? 楽しいというのは気持ちいい、気分がいいという意味ではないのですか?」
「楽しいという感覚は、人によって違ってきます。楽しいというのは、あなたたちがいう正義とは違います。善悪ではないのです。あなたが楽しくないと思う体験も楽しいと思う人がいるのです。だから、面白いのです」「私が楽しくないと思うことを楽しいと思う人がいるのですか?」
「例えば、あなたはバンジージャンプが好きですか? したいと思いますか?」
「私にはムリです。絶対にしたいと思いません。楽しくはないです」
「でも、バンジージャンプをすることが楽しいと思う人もいるのです。それは分かりますね?
人によって楽しいと思うことは違うのです。だから色とりどりのパラレルができるのです。単色ではない、面白いパラレルができ、宇宙に循環が起きるのです。宇宙、絶対無限の存在は判断しませんとお伝えしたのはそういうことです。良いパラレル、悪いパラレルなどないのです。
すべては素晴らしいパラレルなのです。パラレルは世界なのです。宇宙にいる存在すべてが創り出すそれぞれの世界なのです。パラレルは世界なのです。宇宙にいる存在すべてが創り出すそれぞれの世界なのです。人類だけが創っているわけではありません。
地球の上に存在するすべての存在が創っています。そして地球だけではなく宇宙に存在するすべての存在が無数に創り続けているのです。無限に創り続けているのです。それが絶対無限の存在の記憶として共有されるのです」「善悪もないということですか? どんなパラレルでもいいのですか?」
「そうです。そして、善悪という概念は、地球に住む人類だけの狭い概念に過ぎません。正義もそうです。正義などは見る角度によって全く違ってくるのです。楽しい体験というのは人によっても違います。戦うことが楽しい、満足すると思う存在もいるのです。戦うことは好きではないという存在もいるのです。自分は戦うのは好きではないけど、誰かが戦っているのを見るのは好きですという存在もいるのです」「自分では戦いたくないけれど、戦っているのを見るのは好き・・・って、なんだかなって思いますね。それってどうよ・・・・って思いますけど、それも宇宙的にはいいのですか?」
「いいのです。すべてはOKなのです。何をしても、何を考えてもいいのです。それが個性であって、面白い体験になるのです。すべての人が、あなたが考えているような良い人だと、単調になってしまい面白くなくなってしまいます。あなたは映画を観ますか?」
「はい、映画やドラマは好きです」
「それと同じです。まぁ、人によって少し好みは偏りますが、でも、いろんな映画を観たいと思いますね。全部同じような世界観だとつまらないと思いませんか? 平和な映画もいいですけど、たまには戦いものやハラハラ、ドキドキする映画も観たいと思いませんか?」
「そうですね、違う世界観の映画も観たいと思います」「パラレルもそのような感じです。絶対無限の存在も色々なパラレルを観たいのです。観たいというのも変な表現ですが、すべての存在には色々な面があるということです。人類だけに限って話をしても、人はみんなそれぞれ色々な面を持っています。一人の人に対しても、ある人から見ると意地悪な人だという印象を持っていても、他の人から見るとただシャイなだけで話をすると、優しくてステキという評価をするということですね。一人の人の中にも沢山の世界観があるのです。その人が色々なパラレルを創って楽しんでいるのです。自分で映画を創って、自分で楽しんでいる感じです」
「自作の映画で楽しんでいるということですか。そう考えると面白いですね」
「パラレルというのは簡単に言うとそう言うものなのです。シンプルなのです。そして、自分以外の人が創ったパラレルも観てみたいとも思います」「それはどういうことですか? 自分の世界は自分の世界でしかなく、他の人の目には見えないと言っていませんでしたか?」
「世界を共有することはできるのです」
「共有? さっきのお話の机のように? 机があるということだけを共有するということですか?」
「共有意識で創るパラレルもあるのです。共有意識で創るパラレルという表現よりも、それぞれのパラレルを繋げるという表現の方が分かりやすいかもしれませんね」
「パラレルを繋げるとは?」
「例えば、あなたがあなたの世界に居るとします。その世界を風船のようなものだとイメージしてください。あなたはその風船の中に居ます。その風船が今あなたの見ている世界(ホログラム)なのです。その世界はあなただけの世界です。誰も居ません。
外の人が創った風船も喪あります。その風船はその人だけの世界です。その二つの風船を繋ぐことができるのです。エネルギーラインを繋げることができるのです。エネルギーラインを繋げるということは共有のパラレルが出現するということです。それはお互いの共有意識が創り上げた世界です。
そこは二人の世界なのです。今は分かりやすいように二人だけの世界を例に出しますが、もっと沢山の人とエネルギーを繋げることもできます」「それも新しいパラレルになるのですか?」
「そうです。そうやって繋がっていくと無限にパラレルができるのです。風船の例だと分かりにくければ、パーソナルゲームをイメージしてください。人は一人ずつパーソナルゲームを持っています。誰とも繋げなければ、一人で自分だけの世界を創って遊びます。でも、そこに一緒に遊びましょうと誘われて、ゲーム機をラインで繋げると、その人があなたのゲームの中に入ってきます。その人のゲームの中にもあなたが入っていくのです。そうして二人で同じゲームを楽しむことができるのです」
「パラレルワールドって自分ひとりで創るものじゃないのですね」
「基本はあなた一人で創るのです。あなたが思考したことがパラレルになるのですから」「ん? またよく分からなくなってきました。自分だけでパラレルを創っているのに、他の人の世界も見る?」
「思考するには刺激が必要になります。何かの刺激がないと考えないですよね。ジュースを飲むか飲まないかと考えるには、ジュースがなければ考えられないのです。そうですね。何もないのにジュースを飲もうか、飲まないかは考えられません」
「そういえばそうですね」「パラレルは選択なのです。あなたは常に何かを選択しています。何を選択するかを考えているのです。何かを思考することで選択肢が出てきます。その中のどれを選ぶかで、あなたがフォーカスする世界が変わってくるのです。選ばなかったパラレルも存在しますが、今のあなたにはそのパラレルは見えないのです」
「さっきのジュースの話ですね。ジュースを飲まなかった私を、飲んだ私には認識できないっていう・・・」
「そうです。飲まなかったあなたは、飲まなかったあなたの作り出した画面(現実)にフォーカスしたのですかそのパラレルに共振したので、その場面から出ない限り、飲んだあなたのパラレルを経験することはできないのです」
「その場面とは、大きな画面の中の小さな画面を見ている意識体である私に戻らなければ、ということですか?」
「そうです。でも、それは今のあなたには難しいことだと思います」「もしそれができるようになれば、すぐさま飲んだ私の現実を体験することができるということですか?」
「そうです。今の画面を出て、出るというよりフォーカスを外して意識体に戻れば、あなたの前の沢山の画面を見ることができます。そして、飲んだあなたの現実を体験することができます。でも、そのときには、飲まなかったあなたを体験することはできません。飲まなかったあなたの現実を一緒に体験することはできないのです。違う画面ですので、同時に飲んだ現実と、飲まなかった現実を体験することはできないのです」「それは、画面が違うと前の画面で体験したことを忘れてしまうということですか?」
「忘れてしまうというよりも、そこにしかフォーカスできませんので、忘れてしまうということでもないのです。本当に別の世界になりますので、飲まなかった自分が居るということも認識できないという感じでしょうか」
「記憶がなくならない人はいないのですか? 飲んだ自分の体験を覚えていて、飲まない選択をしようとする自分に飲めばいいよって勧めるようなことはできないのですか?
漫画などで、パラレルワールドを移行できる特殊な能力を持った人がいて、パラレルワールドを移行しながら、自分の好きなようにそのパラレルワールドを変えていく・・・というようなものがありますが、それはできるのですか? 前のパラレルの記憶があればできそうな気がしますが・・・」
「それはムリですね。たとえパラレルを移行できる人がいたとしても、同じパラレルにはならないのです」
「どういうことですか?」
「例えば、あなたは飲まないと選択しようとしている自分に戻って、飲んだら美味しかったよと言いたいということですね。飲んだ方がいいよと言ってあげたいということですね?」
「はい、そうしたら、飲まないと選択した自分も飲んで幸せな気分になれるじゃないですか。その方がよりよいパラレルを創り続けることができるのではないかと・・・失敗というパラレルを創らずに済むのではないかと」「その発想には沢山お伝えしたいことがあります。まず、飲まなかった自分のパラレルに戻るというのは、過去の自分に戻るということですね? タイムワープをするということですね。それはムリです。
確かに画面の外の意識体のあなたならば、どの画面にもフォーカスすることは可能ですが、そうなるとまた画面を増やすだけのことになります。
意識体のあなたにとって過去という概念はありません。だから、飲まなかった自分の画面にフォーカスすることはできます。先ほどと同じことをお伝えしますが、そこにフォーカスした時点で、その現実しか見えなくなります。なので飲んだ自分の画面のことは忘れてしまい、飲んだ方がいいよと言うことはできないのです。そして、また別のパラレルを創るのです。
また飲まないという選択をするかもしれないし、そのジュースではなく別のジュースを飲むという選択をするかもしれないし、それも飲まないという選択をするかもしれない。
そうすると意識体のあなたの前の画面が増えるということです。選択のたびに画面が増えるわけですから、別の画面にフォーカスすると別のパラレルがまた増えていくのです。
そして、もうひとつ、もし万が一、フォーカスを変えて違う画面に入っても記憶を持ち続ける人がいるとしても、別のパラレルになります」『アシュタール パラレルワールド』 P22〜P39 より ミナミ A アシュタール:著 破常識屋出版:刊
私たちは、想像した数だけ、違った3Dメガネをかけて「予告編」を覗き見ることができます。
つまり、想像しただけパラレルを無限に創り出すことができるということ。
さらには自ら創り出した無数のパラレルから、一つだけ選び出して現実として経験する。
それも私たち自身、意識の力によってなされます。
望むパラレルを「創り出す」には?
私たちは、想像すれば好きなだけパラレルを創り出すことができます。
では、望むパラレルを意図的に創り出すには、具体的にどうすればいいのでしょうか。
「パラレルを変える方法、それが聞きたいです」
「ですから、とても簡単です。楽しいことを考えたいいのです。イヤなことばかりにフォーカスして、それが起きるのではないかといつも心配していたら、心配しているパラレルばかりを創り続けるのですから。それを反対にすればいいのです」
「理屈は分かります。でも、そう言われても具体的にどうしたらいいのか・・・」
「例えばですね、横にいつも爪でカチカチと机を叩いている人がいるとします。あなたはそのカチカチという音が気になって仕方がないとします。そのときにパラレルを変えるのです」
「どうやって?」
「その音からフォーカスを外すのです」
「フォーカスを外すって、どうするのですか?」
「別のことをしてください。あなたが夢中になれることにフォーカスを変えるのです。
そうするとその人の存在はあなたの世界から居なくなります」「すみません、よく分からないですが、例えば好きなことに夢中になっていたとしてもその人は消えないですよね。ずっと私の横の机に居ますけど・・・」
「あなたは言い方を変えれば、その人がたてるカチカチという音に夢中になっているのです。ずっとその音ばかりに気をとられている状態なのです。だから、イライラして、また、その音が気になるということが続きます。それは音に夢中になっているということです。その音しか聞こえない状態なのです。
でも、そこに大好きな人が来たとします。そして、あなたはその人と共通の趣味の話を始めます。そうなるとどうでしょうか? そのカチカチ音を気にならなくなります。気にならないというより聞こえなくなります。好きな人との会話に夢中になるとカチカチ音からフォーカスが外れるからです。そして、その人の存在も気にならなくなります。あなたの机の横に居ることさえも分からないくらいになります。
何かに熱中していると何も聞こえなくなるということは経験されたことがあると思います。
それと同じ感じですね」「そういえば学生の頃、よく音楽を聴きながら勉強をしていたのですが、好きな科目のときには音楽が聞こえなくなっていたという経験があります。好きじゃない科目のときは音楽ばかりに気がいってしまって、まるで頭に入らないということもありましたね」
「フォーカスなのです。どこにフォーカスするかでパラレルも変わります。これが波動エネルギーの共振なのです。他者との関係は波動エネルギーの共振によって起きます。他者とのパラレルとラインを繋ぐというのは、波動エネルギーと共振するということなのです」
「何か突然難しい話になってきましたが、爪のカチカチ音も波動エネルギーの共振だということですか?」
「そうなのです。何度も言いますが、あなたが今見ている現実、世界は、あなたがどこにフォーカスしているかということです。あなたがフォーカスしている、興味があることがあなたの目の前に現れるのです。あなたが興味を持って思考するから、あなたはそのパラレルを選び、体験するのです」「カチカチ音も私が興味を持っていると?」
「そうですね、あなたはその音に興味があるのです。ある意味好きなのです」
「いやいや、そんな耳障りな音、好きなはずないじゃないですか? イライラするだけです」
「好きというのは興味があるという意味です。好きな人に興味がありますね、それと同じように嫌いな人にも興味があるのです。嫌いだ、嫌いだと思っていることも興味があるからなのです。本当にどうでもいいと思っていたら気にも留めません。あなたの世界には居ないのと同じなのです」「そうなのですか、嫌いなのに、興味を持っているとはびっくりですね」
「嫌いだと思って、そして、その人がどこかに行けばいいのに・・・と思っていると、その人にフォーカスをして、その人があなたの世界にずっと居続けるのです。それは、その人の問題ではなく、あなたの問題なのです。あなたがその人にフォーカスしなければ、あなたの世界から消えるのです。実際に他の人の目から見て、その人がそこに居るとしても、あなたの世界には居ないのです」「不思議な話ですね。イヤなことからフォーカスを外せばいいというのは分かりました。
でも、一瞬その人が私の世界に居なくなっても、でもやっぱり物理的には私の世界に居るというとことがあります。ずっと居ない世界を創り続けるにはどうしたらいいのですか?」
「嫌いとか好きとかの感情を失くしてしまえばいいのです」
「どういうことですか?」「好きという気持ちも、嫌いという気持ちもフォーカスです。その人とラインを繋げるのです。
だから、無関心になるとラインが外れます。一瞬、目の前に現れても、何も感じなければその人はすぐにあなたの世界から居なくなります。お互いにフォーカスしなければ、ラインは繋がらないのです。だから、同じ場所に居ても、あなたには見えないということになるのです」
「見えないと言われても、見えますよね?」
「それはまだフォーカスしているからです。本当に無関心になれば見えなくなります。それは排除の感覚ではありませんので、そこは間違えないでくださいね」
「見えなくするというのは排除ではないのですか?」
「排除しようとすると、そこにフォーカスがいきますのであなたの現実に入ってきます」
そして、あなたがその人を排除しようとすると、その気持ち、エネルギーがその人に伝わってその人もあなたに良い感情を持ちません。その人もあなたが居なくなればいいのに、と思います。それはお互い様ですね。そのお互い様がラインを繋げることになるのです。お互い意識し合うという状況になりますので、ラインも太く強くなり、ますますあなたの現実に登場します。相手もそうです」「では、どうすれば? 無視すればいいのですか?」
「無視という気持ちも、排除になります。あなたが居るのは知っていますど、私はあなたが居ないと思います・・・ということですから、居ないと思いますというのは、居るのは知っているけど、ワザと相手が居ないと思い込もうとすることですから、思いっきりラインを繋げているのです」「無視もダメならば、どうすれば?」
「無関心です。フォーカスしないのです。それは相手に悪いことをしているのではありません。
無関心になることに罪悪感を覚えないでください。関心がないだけのことなのです。好きでもなければ、嫌いでもないということですふ。それもお互い様なのです。お互い無関心であれば、ラインを繋ぎませんのでお互いのパラレルも関係なくなります。見えなくなるのです。存在が分からなくなるのです。同じ教室で勉強しているクラスメイトでも、ほとんど知らないという人がいると思います。そういう感じですね。お互い興味がないということです」
「でも、私は興味がなくても、相手が私に興味を持って近づいてくるということもありますが、そういうときはどうすればいいのでしょうか?」
「それも、あなたが受け入れているということです」
「え? 好きでも嫌いでもないのですよ? 存在は知っているというくらいなのに、相手が一方的に寄ってくるのです」
「もし、好きだと言われたとしたら、あなたはどう感じますか?」
「それは嬉しいですけど、でも、私はその人に興味はないのです」
「でも、あなたは意識します。自分のことを好きだと言ってくれる人は意識しますね」
「それはラインを繋げたということになるのです。私の世界とあなたの世界を繋げましょうということです」
「なるほど、でもケンカ腰の人も来たりしませんか?」
「そのときも意識しますね、嫌われていると思うとイヤな気持ちになります。それも意識しているということなのです」
「じゃあ、結局どうしたらいいのですか?」
「まず、その人とラインを繋げているのは、自分だということを認識してください。自分がOKしなければ、その人がどんなにラインを繋げようとしても繋げることはできないです。
そして、意識して意識しないようにします」
「え? 意識して、意識しないって、どうやったらいいのですか?」
「あなたは無意識に思考することが多々あります。無意識に意識しているのです。自分では考えていないことも、あなたの心の底の方で考えていることがあります。無意識の領域と呼ばれるところです。無意識に考えていることもパラレルを創るのです。無意識に考えて、無意識のパラレルを創り、無意識にそれを選択しているということがあるのです」「と言われても、無意識に考えてしまっていることは、無意識ですから分からないですよね」
「ですから、無意識を意識に上げてくださいとお伝えしているのです」「無意識を意識に上げるとは?」
「無意識に考えていることを、意識して考えることができるようにするのです。それには、今のあなたの現実、世界を見ると分かると思います。どうしてこんな現実を創ってしまったのだろうと思うことは、ほとんど無意識の領域で考えたことなのです。そして、無意識にそのパラレルを選択したということなのです。
ならば、また同じような現実を創造しないようにするには、原因を知ることが大切なのです。
無意識の思考は変えようと思わなければ変えることはできません。
自動的にあなたが考えてしまう思考ですから。放っておくとそのままの自動運転が続いてしまいます。そして、同じような現実を創造し、選択するのです。
どうして私は同じようなことばかりしてしまうのでしょう? と思うことはありませんか?
イヤなのに、同じてことばかりしてしまうと思うときは、あなたの無意識が発動して自動運転状態になっているのです」「自動運転をしないためには、いつも意識して運転するということですか?」
「そうです。慣れていることは自動にしてしまいがちですが、イヤな現実を創造する選択は、自動にせずに、解除して意識した方が、好きなパラレルを創り、選択することができます」「それって癖のようなものですか?」
「そう表現してもよいと思います。癖も自動運転です。癖に気づくことができればやめることができます」「癖ねぇ〜・・・沢山ありますよね」
「ありますね。それを見つけていくことで、無意識が意識になっていきます。例えば、何度も繰り返してしまうこと、どうしてこんなことばかり自分に起こるのだろうと思うことってありませんか?」
「よく世間でいわれていることで私も不思議だなと思うことがあるのですが」
「どういうことでしょうか?」「いつも同じような異性ばかりに魅かれてしまうという現象です。何故だか好きになる人、好きになる人が、同じように暴力的になるとか・・・という話を聞きます。暴力までいかなくても辛く当たる人ばかりに会ってしまうという現象も、その自動運転と関係あるのですか?」
「はい、そうです。自動運転で、そのような人ばかりを選んでしまうのです。
無意識にそのような選択をするということです」
「どうして? 何が原因でそのような選択ばかりしてしまうのでしょうか?」
「その選択を繰り返す方は、おおむね、自己評価が低いのです。自分はダメな人間だと思っていると、自分をダメだと認識させてくれる人を選ぶようになります。
ここで、前にお伝えした共振という話になるのですが、パラレル同士をラインで繋ぐのは、お互いの合意があってのことだとお伝えしましたが、覚えていらっしゃいますか?」
「はい」
「自己評価の低い人は、自分を低く評価する人を求めるのです」「どういうことですか?」
「自分はダメな人、何もできない人だと思っていると、それを認識させてくれる人を無意識に求めるのです。ね、やっぱり私はダメな人でしょ・・・と思わせてくれる人を無意識に求めてしまうのです。だから、そうしてくれる人とラインを繋げるのです。一緒に共有の世界を創りましょうと誘ってしまうのです」「それってパラレルと関係があるのですか?」
「大いにあります。パラレルとは自分の選択した世界です。自分が思考し、創った世界なのです。
そして、誰とラインを繋げるかも自分で選択するのです。それを忘れないでください」
「はい、そうでした」
「そして、パラレルは予告編があるともお伝えしました」
「はい、それは覚えています」
「何かを選択するとき、少し予告編を見ることができるのです。この選択をすると、どうなるかイメージすることができます。自分はダメだと思っている人は、ダメだと思わせてくれる人を無意識に求めます。誰かと会ったときにそれが発動するのです。ちょっとした仕草や言葉でこの人は私の欲求を満たしてくれると分かると、その人を選ぶのです。自動運転で選んでしまうのです」「自分をダメだと思うために、わざわざ選ぶのですか?」
「そうです、面白い思考ですね。そして、自己評価が低い人にはもうひとつの面があります」
「もうひとつの面ですか?」
「先ほどの人は、自分がダメな人だと再認識させてくれる人を求めたのですが、次の人は自分がダメではない人だと思いたいのです。自分はダメな人だと思っているから、反対にダメではないと思わせてくれる人を求めるのです。ここで波動の共振が起きます。ダメだと思いたくない人と、ダメではないと思わせてくれる人、欲求が合致しますね。ダメだと思っている人に上から命令したり、服従させたりすることで、ダメな人ではなく自分は力のある素晴らしい人だと思えるのです。お互いの合意が成立し、ラインを繋ぎ、お互いの共有の世界で遊ぶことになるのです。無意識の自動運転に任せていると、その人別れても、また別の同じような傾向の人とラインを繋げることになってしまいます。また、同じようなことを繰り返し、どうして私にはこんなことばかり起きるのでしょうと思うのです」「そういうことですか・・・ならば、その繰り返しを避けるためには?」
「無意識の自動運転を解除して、意識的に選ぶしかありません。まず、自分がダメな人だという思考をやめるのです。自分がダメな人だと思わせてくれそうなパラレルではなく、気持ちがいいパラレルを選択していくのです。そのためには予告編をしっかり見ればいいのです。
いつもと同じような予告編であれば、違うものを選べばいいのです。自分はダメだと思っていない人は、予告編で少しでも自分をダメな人だと思わせるような人だと分かれば、そのパラレルは選択しません。その前に自分をダメだと思わせる人と共振はしないので、そのような予告編も見ないのです。自分の望まない3Dメガネは最初からかけないのです」
「結局、すべては自分の選択によるということですね」
「そうです。自分がどのような世界を楽しみたいかということに尽きるのです。暴力的な人魅力を感じるのはどうしてでしょうか? と自分に聞いてみるのです。どうしてもそのような人に魅かれるならば、その人を選択するのも自由なのです。イヤならば選択肢を見直せばいいのです」
「選択肢を見直す・・・」
「選択肢は自分で創っているのです。それがパラレルなのです。パラレルはあなたの意識が創った幻の世界なのです。ですから、どんな世界も創ることができるのです」
「何度も同じことを言わせてしまってすみません」
「大丈夫です。パラレルの概念は、あなたたちにはイメージしにくいことだと思いますので、できるだけ具体的にお話ししていきたいと思います」
「ありがとうございます」「あともうひとつ、イヤなパラレルを創らないやり方があります」
「イヤなことをイメージし尽くするのです」
「イヤなことを・・・イメージし尽くすのですか?」
「そうですね、例えば、先ほどの例でお話しすると分かりやすいと思いますので、先ほどの例を使いますね。暴力的な人ばかり、自分を支配しようとする人ばかりを選んでしまう方は、とことんその予告編を見ればいいのです。それが今までも沢山体験してきたパラレルだと分かります。そして、そのパラレルがどのようなものかも大体の察しがつきます。この次はこういうストーリーになっていくと分かります。そして、その次もこういうストーリーが繋がっていくと分かります。それをどんどんイメージしていく、徹底的に推察していくのです。
そうすると、小さなパラレルがどんどん、できていきます。そして、最初に選んだパラレルをイメージすると、その先の小さなパラレルも大体同じような世界だと分かります。
その小さなパラレルたちが織りなすストーリーの中から、どれを選ぶか決めましょうと思ったときに、そこにはないと思うことができるのです。その中のどれもイヤですと思えるのです。
だから、最初の選択はあり得ないと思うことができるのです。そして、今までの傾向とは違うパラレルを選ぼうと思えるのです。だから、イヤなパラレルを選択することがなくなり、それを体験することもなくなるのです。そうなると、もう支配的な人は選ばなくなります」
「とことん悪いことをイメージしていくのですか?」
「そうです。とことんイメージしていくことで、そのパラレルを選ばなくなります。
だから、それを体験しなくなるのです」「他にもそうなるような例はありませんか?」
「例えば、地震などの天災、事故、病気などもそうですね」「そんなことも避けることができるのですか?」
「そうです、そのような出来事もあなたが選択しているのです」「何だか、それは、よく分からないです。だって、天災などはみんなに起きますよね?」
「それが共振の話になるのです」
「共振と言っても、みんなに同時に一斉に起きることですので、それは共有意識でどうしようもないのでは?」
「そこはちょっと難しい話になります。では、地震についてお話ししたいと思います。
同じ地域でも、ひどく揺れて怖かったという人もいれば、そうでもなかったよという人もいます。私は全く感じなかったという人もいます。それは分かりますね?」
「はい、それは不思議だなと思っていました。同じ地域なのに大きな被害に遭った人と、ほとんど被害に遭わなかったという人がいるのはとても不思議です。でも、それは地盤とかにもよるし、物理的なことではないのですか?」
「物理的なことも思考で創っているのです」
「それは信じにくい話です、パラレルの話と結びつけるのはちょっと無理があるのではないですか?」「例えば、あなたが常に地震を怖れているとします。それは波動エネルギー的にどういう状態だと思いますか?」
「怖いと思っているわけですから、そこにフォーカスしているということになるんですよね」
「そうですね。フォーカスしていると、どうなりますか?」
「フォーカスしているところに自分の現実を創造する? ホログラムを創ってしまうということですよね」
「そうです。近々地震が起きるといわれて、それを怖がっていると、そこにフォーカスしてしまいますので、地震を体験するという現実を創造してしまうのです。あなたがどこにフォーカスしているかであなたの現実、ホログラムは違ってきます」
「ならば、パラレルという観点から見たら、地震は起きないと思っていたら、地震が起きないパラレルを選択できるということですか?」
「簡単にいうとそういうことです」
「ならば、みんな地震や他の天災などにフォーカスしなくなれば、天災などは絶対に起きなくなるのですか?」
「そこにはまた別の要因も入ってきますので、絶対にそうだとは言えないのですが・・・ほとんどそうです」「ほとんどそうですとは? 何だか歯切れが悪いですね。どういうことですか?」
「そこには地球の共有意識も入ってきますので、絶対に地震は起きないとは言えません。
地球のエネルギーは循環しています。循環するということは変化するということです。変化しなければ循環が起きないのです。ここまでは大丈夫ですか?」
「はい、ということは地球の循環のために地震は起きるということですか?」
「そうです、それは物質的な循環という意味で必要になりますので、地球と共振しているあなたにとっても必要な地震なのです。でも、そこに大きな怖れを抱いていなければ、最低限の揺れで済みます。大きな被害が出ることはそんなにないのです」
「というと、大きな被害が出ている地震はどういうことですか?」
「あなたたちは今、怖れすぎているということです」「怖れすぎている?」
「あなたたちはテレビなどで、近々大きな地震が起きますと言われることがあります。台風もそうですね。台風などは、近年稀にみる大型台風です、などという言葉で随分脅かされています」「確かに、最近は大げさな修飾語がついて報道されています。でも、それが何か関係あるのですか?」
「それらの言葉は、あなたたちに地震や台風などの天災にフォーカスさせる言葉になります。
それも巨大なとか、ものすごい脅威だとか、恐ろしい言葉を羅列されるとイヤでも怖れとともにフォーカスせざるを得なくなります。フォーカスしたところに現実ができるのですから、それを体験することになります。自分でその恐ろしいパラレルを選択したことになるのです。
そして、怖れ方によって現実も変わってくるのです。ものすごく怖がって常に地震が起きるのではないかとビクビクしている人は、大きな地震を体験する現実を創造します。怖がっているけど、それほどまでフォーカスしていない人は、揺れは感じたけど、そこまでではなかったと思います。そして、地震が起きたときは起きたときでなんとかなると思い、地震にフォーカスせずに別のことにフォーカスしている人は、地震が起きたことさえ気がつかないという現実になるのです。そのときは気にしていなかったと思っていても、潜在的に自動運転で天災などを怖がっている人はそれを選んで体験することもあります」「でも、何のために? そんな大げさな報道をするのですか?」
「それに関しては社会のシステムの問題となりますので、前著をお読みいただければ思います。あなたたちは怖がられせることで利益を得る人たちがいるということだけ、ここではお伝えしておきます。ですので、地球自身が起こすものよりも、どんどん天災が大きくなってきているのです」
「地震などの天災が大きくなるようにされているのですか?」
「そうです。そして、そこにまた共振も使われているのです」
「共振も使われている、とは?」
「大きく報道することで、地震に対して恐れを持つ人が増えます。怖れを持った人たちが、自分たちの世界を繋ぐことで、繋ぎ合った人たちの現実は共有されます。だから、大きく地震を感じる人たちの世界ができるのです。
そして、あまり感じない人たちの共有の世界もできます。感じなかったという人たちの共有の世界もできるのです。その人たちの世界は別々に存在するのです。存在するといっても場所ではありませんが。だから、大きな被害を受けた人や恐怖を持った人たちと、そうでもない人たちと、感じなかった、地震などなかったという人たちがいるのです」
「面白いっていうのはどうかと思いますが、そういう視点で見てみると面白いですね」
「これが波動エネルギーであり、パラレルなのです」「何を選ぶかは、どこにフォーカスするか・・・ということですね」
「そうですね、どこにフォーカスするかであなたの現実、ホログラムは違ってくるのです。
これがパラレルなのです」「でも、前の暴力的な人を選ぶパートナーの話では、とことん悪いことをイメージすれば、それは選ばなくなるという話でしたが、じゃあ、地震についてもとことん悪いようにイメージしていけば、それを選ばなくなるということですか? そして、しっかりと準備しておけば大丈夫ということですか?」
「そうなのですが・・・同じ準備をするにしても、視点が変わればパラレルも変わってきます」
「どういうことですか?」
「とことん悪いイメージをしておけば、そうなったときにどうするかを考えることができます。
ただ怖がって地震にフォーカスするのとは違うのは分かりますね?」
「はい、次に起きることが分かるとそれを選ぶことはやめようと思えるからですね」
「そうです、とことん自分が思う悪い状況をイメージすれば、それはもう選びませんと思えるので、その現実、パラレルは選択しないのです。だから、そういうときは準備もしなくなります。だから、もっとそのような現実は体験しないのです。
でも、準備をした方が安心するということもあります。しっかりと準備をしたから、これはもう地震が起きても大丈夫と思い、他のところにフォーカスすることができます。そうなると地震にフォーカスがあまりいかないので、地震を体験することも少なくなります。ただ、怖れから準備をして、準備をしてもまだ安心できないと思って怖がっていると、地震が起きるというパラレルを創り、それにフォーカスし続けることになってしまい、地震を体験することになります」「自分でパラレルを創り、自分でどのパラレルを選ぶかということですが、では他に創ってしまったパラレルはどうなるのですか?」
「それは前にもお伝えしましたが、あなたが思考で創ったパラレルはそのまま存在します。
今のあなたが地震を体験しない方のパラレルを選んでも、別のパラレルを選んだあなたも存在するのです。厳密には存在するのではなく、意識するあなたの前に画面は存在します」
「そこが不思議で仕方がないのです。では、そのパラレルはどうなっていくのですか?」
「その話はもう少しパラレルのことが理解できるようになってからお話ししたいと思いますので、お待ちください」「分かりました。では、事故も同じように考えればいいと?」
「そうです。例えば、車を運転していて、車道を走っている自転車に気がつくとします。危ないな、こちらに寄ってこないで欲しいなとその自転車のことばかり気を付けていると、知らず知らずに自転車に寄っていってしまっているという話を聞いたことはありませんか?」
「それ、教習所で聞きました」
「危ない、離れようと思いながら反対に寄っていってしまうということもあるのです。
フォーカスしすぎるとそちらに動いていくのです。事故もそうですね。事故を起こしたくないとあまりにも心配しすぎると、反対に事故を起こすパラレルにフォーカスしてしまうのです。
とても単純な言い方をすると、あなたは事故を起こさないパラレルと、事故を起こすパラレルを創ります。そして、事故を心配する気持ちが大きくなると、事故を起こしてしまうパラレルの方があなたにとって大きな存在になり、そればかり見えてしまうということになります。だから、そちらを選択してしまうのです」
「何か信じられない話ですね、自分で事故を起こすようにしてしまうって。
だって、誰だって事故を起こしたくないわけでしょ? それなのにわざわざ事故を起こす方を選ぶなんて・・・そんなこと考えられないです」
「それが波動エネルギーなのです。波動エネルギーはとてもシンプルなのです。頭ではそんなことは考えていないって思っていても、心配しすぎるとそちらのフォーカスが強くなってしまいそちらのパラレルに引っ張られるのです」「パラレルに引っ張られる?」
「どう表現すればいいでしょうか? パラレルは物質ではありませんが、ちょっとイメージしやすいようにお話しすれば、二つの風船があるとします。どちらも同じ大きさなのですが、ひとつだけにフォーカスすると、そちらの風船が近づいてくるという感じです。近づいてきた風船の方が大きく見えますね。存在感が増します。その風船の方か手に取りやすくなります。
だから、ついついその風船の方を手に取ってしまうという感じでしょうか」
「何も判断せずに、予告編も見ずに、ただ目の前に大きく現れた方を手に取ってしまうということになるのです」
「でも、突発的な事故、巻き込まれ事故みたいなこともありますよね。そういう場合は予告もなくそれを選んでしまうということですか?」
「それも共有意識で選んでいるのです」「共有意識ですか? その事故に巻き込まれた人たちが皆、事故に遭う方のパラレルを選んでいると?」
「例えばですが、電車に乗っていて事故に遭うという場合も同じなのです。同じパラレルを選ぶという選択をしているのです。同じパラレルで繋がるという共振をしたのです」「さっきも言いましたが、誰も事故になんて遭いたくありません。自分で事故を起こすパラレルならばまだしも、電車に乗っているだけです。その電車が事故を起こすなんて誰も心配していません。それなのに、どうして共有のパラレルができるのでしょう?」
「これは個々人によって違うので、すべての人を例に出すわけにはいかないことをご理解くださいね。そして、典型的な思考に上がってきていない思考があることもご説明しました。
無意識の領域で選択しているという話です。それは大丈夫でしょうか?」
「はい、だから、無意識の領域の思考を表面に上げてくださいというお話しでした」
「これからお話しするのは、あなたたちにとっては、とてもセンシティブな話になります。
あなたたちは事故に遭う、怪我をする、死ぬということにとてもナーバスです。それはとても悪いことだと思っています。だから、そんな悪いことが起こるなんて耐えられないと思ってしまうのです。でも、それも自分で選んだパラレルなのです」「何度も言いますが、悪いことが起きるパラレルなど選ぶ人はいないのです。だって、皆幸せでいたいのですから」
「それは物質社会の、特にあなたたちの社会だけの考えなのです。パラレルは沢山あります。
そして、絶対無限の存在自体がパラレルの集合体なのです。アカシックレコードとも表現します。そして、同じようなパラレルだけでは成立しないのです。絶対無限の存在は、沢山の経験をしたいのです。色々なパラレルを観たいのです。あなたが映画を観るような感じです」「映画を観るような感じ? 絶対無限の存在においてパラレルは映画なのですか?」
「そうイメージしていただければ理解しやすいかと思います。あなたのも映画を観ますね?」
「はい、映画は大好きです」「映画を観るとき、まあ、人それぞれの興味がありますので、個人だと似たようなジャンルの映画ばかりになるとは思いますが、それでも違うジャンルの映画も見たくなるときがあると思います。いつも同じような映画ばかりだと飽きてしまうのです。たまには全く違うジャンルの映画も観たいと思います。それと同じだと思ってください。
絶対無限の存在には個性はありません。でも、意識はあるのです。その意識が色々な経験をしたいと思って沢山の個性を創り出して、色々な体験をしているのです。あなたも、私も、隣の人も、すべて絶対無限の存在なのです。個性を持った絶対無限の存在なのです。だから、偏らずに色々な体験ができるのです。ひとつのジャンルだけではなく沢山のジャンルの映画を観ることができるのです。楽しいストーリーもあれば、悲しいストーリーもあります。ハッピーエンドで終わるストーリーもあれば、最後まで悲しいストーリーもあります。怖いストーリーもあります。同じジャンルの中でもみんな違うのです」「何だか訳が分からなくなってきました、私は事故の話、事故に遭いたいなんて思う人はいないですよね? という話をしていたのですが・・・」
「私がお伝えしたいのは、パラレルというのはもっと広い概念だということです。物質世界の、それもあなたの社会だけの価値観、考え方だけでは理解しえないものだということです。
先ほどもお伝えしましたが、あなたたちは死についてとても怖がります、悪いことが起きたと思います。でも、絶対無限の存在の意識を持ってすれば、死は怖いものではないのです。怪我もそうです。病気もそうです。すべては映画の中で進められているストーリーの一コマなのです。ひとつのパラレルなだけです。パラレルは幻、思考エネルギーが創り出したホログラムなのです。あなたはそのホログラムに入り込んでしまっているので、広い視点で考えることがでなくなってしまっているのです。目の前のホログラムだけで判断しているのです」「どういうことですか? 死は怖くないことを知っているから、経験として事故も自分で選んでいると?」
「死だけではありません。すべての出来事は映画の中のストーリーと同じだとお伝えしています。ずっと何も起きず、ただずっと同じ出来事ばかりの映画は楽しいですか?」
「それは、つまらないです」
「何かハプニングなどが起きるから集中して楽しめるのです。それと同じだと思ってください。もう少し広い視点で考えてみてください」「ならば、事故に遭うというのも、そんな軽い出来事として考えてくださいということですか?
でも、本当に事故に遭った人はそうは思えないですよね」
「それは、そういう思考になってしまっているからです。例えば、暴力的なパートナーの話のときにもお伝えしましたが、自分でどうしてそのパラレルを選んだかを考えることができれば、次に選ぶパラレルも意識的に自分の本当に望むパラレルを選ぶことができるのです。自分に悪いことが起きた、それは人のせいだと思っていたら、ずっと自分で好きなパラレルを選ぶことができなくなります」「では、事故に遭う、巻き込まれるというのも、暴力的なパートナーを選ぶのと同じだということですか? 不慮の事故であってもですか?」
「そうなのです。例えば、学校に行きたくなくて、どうしても行きたくなくて、何とか行かなくて済む方法はないかと考えていたとします。会社でもいいです。そういうときに無意識に事故に巻き込まれるというパラレルを選択することがあります。フッと、頭のどこかで電車が止まればいいのに、とか、事故が起きていけなくなるような状況になればいいのに、とか、無意識に考えていることかあります。無意識に考えてもパラレルはできます。そして、本当に行きたくない、いかなくていい方法はないかなと思っていると、さっきの風船の話のようにそのパラレルに魅かれることになるのです。そして同じようなことを考えている人たちとエネルギーを繋げてしまい、共振し、共有のパラレルを体験することになります。
地震の話のように、事故に遭うパラレルと共振する人たちと、事故に遭わないパラレルと共振する人たちがいるということです。表面的に楽しそうに学校に通っているように見えても、本心はどうなのかは他人には分かりません。本人にも無意識に考えているときは分からないのです。もし、自分が学校なり会社に行くのがイヤでイヤで仕方がないということを意識することができれば、そのような事故に遭うパラレルを回避することができるのです。事故に遭わなくても、あなたたちの社会で悪い出来事と言われることを起こさなくても、学校に行かないというパラレルを創り、そちらを選択することができるからです」
「そういうことなのですね。自分で気がつかないところで考えていることがあるとは怖いです」
「だから、常に自分が何を考えているのかを意識してくださいとお伝えしているのです。自分がどのようなパラレルを創っているのかを考えてください。自分でどのような映画のストーリーを創っているのか分かれば、どのストーリーの映画を観たいのかを選択することができます」
「考えたことが全部パラレルになるって思うと、なんか考えるのが怖くなりますね」
「でも、考えることをやめることはできませんね。考えている意識があなたなのですから。
考えることをやめてしまったらあなたの意識もなくなってしまいます」「意識がなくなるというのは、どういうことですか?」
「意識があなたなのです。意識は絶対無限の存在そのものなのです。絶対無限の存在は循環です。
思考エネルギーの循環なのです。絶対無限の存在は自分が居るという意識です。
その意識を沢山に分けて個性を創っているのです。その個性があなたであり、私なのです。
個性は思考なのです。色々なことを考える存在が個性なのです。だから、宇宙に同じ思考をする存在はいません。個性の数だけ思考があるのです。その思考で沢山のパラレルを創っているのです。あなたという個性だけでも膨大なパラレルを創っています。あなたの個性は無限のパラレルを創って、そして、その中から選択して(フォーカスして)現実と呼ぶホログラムの中で遊んでいるのです」「何か壮大な話ですね」
「でも、日常の話なのです。生活と密着している話なのです」
「そこがなんか不思議ですね。壮大な宇宙の話なのかと思えば、日常生活の話でもある。
面白いです」
「あなたは宇宙なのです。あなたの思考エネルギーが宇宙を創造しているのですから」
「でも、こんなに小さな世界でチマチマ生きているのも私ですよね」
「それも考え方ひとつですね。自分の世界が壮大なものだと思えば楽しい世界になりますし、チマチマしたつまらない世界だと思えばつまらないと認識する世界になります」
「そりゃそうですけど、なんか上手くいかないことばかりで、本当にそんな世界を創っているの? って、思っちゃいますよ」
「ならば、つまる?世界を創っちゃえばいいのではないですか? 簡単な話です」
「つまる世界って(笑)そう簡単におっしゃいますが、そんなに簡単にはいかないですよ」「どこが上手くいかないのですか? 何が原因なのでしょうか?」
「将来のことは分からないですよね。自分がどのような思考でパラレルを創っているか分からないし、たとえ分かったとしても、次のその次のパラレルは予想できませんし、ならば将来はどうなるの? って、感じですよ」「本当につまらなくなる思考ばかりですね」
「え? どういうことですか?」
「つまらない世界を創る思考がお上手だと言っているのです」
「褒められているのかな?」
「褒めています。あなたは上手に自分がつまらない世界になる思考をして、上手につまらない世界になるパラレルばかりを創り、その中で上手につまらない世界を選択しているということです。それは素晴らしい世界です。あなたは自分で望んでいる世界を上手に生き続けているのですから」
「何か嫌味にしか聞こえないのですが・・・」
「嫌味ではありません。あなたは自分の世界を上手に創っているのです。ただ、それが自分の気持ちのいい世界ではないということです」
「気持ちのいい世界じゃなきゃ、上手に創っているとは言えないじゃないですか」
「でも、あなたは気持ちのいい世界を望んでいるのではなく、何かすっきりしないつまらない世界を望んでいるのです」
「冗談じゃないですよ。つまらない世界なんて望んでいません。楽しい世界を望んでいます」
「ならばどうしてつまらない世界にするのですか?」
「つまらない世界にしているのではなく、つまらない世界になってしまっているのです」
「あなたの世界をつまらない世界にしているのは誰ですか? 誰のせいでそういうつまらない世界に生きざるを得なくなっているのですか?」
「誰のせい?」
「自分で望んでいないのであれば、誰かのせいでそのようなことになっているのですよね?
その誰とは誰なのでしょうか?」
「え? 政治家のせい? 家族のせい? 会社の社長が給料を上げてくれないから? パートナーが優しくないから?・・・なんてことはないですよね?」
「最初にお話しした波動の話、パラレルの基本の話を思い出してください。あなたの思考がパラレルを創っているのです。あなたが思考することでパラレルができるのです。そのパラレルの中からあなたが興味を持ってフォーカスすることであなたが体験するパラレルが決まるのです」
「ですよね。そう考えると、すべて自分が思考して、選択した結果だということですよねぇ」
「ですから、上手に自分の望む世界を創っていらっしゃいますねとお伝えしたのです。
ここを忘れないでください。自分で自分の世界を創っているのです。。それを人のせいや何かのせいにしないでください。自分以外の存在のせいで自分の世界はつまらなくなっていると思ってしまうと、この先自分で自分の望む世界を創ることができなくなります。
あなたは気持ちのいい世界を望んでいるのですね?」
「はい、私は気持ちのいい世界を創りたいと思っています」
「ならば、簡単ですよね。気持ちのいいことを考え、気持ちのいいパラレルを沢山創り、その中から一番気持ちがいいと思うパラレルを選択すればいいだけなのですから」「そうは言っても、楽しいことばかり考えているわけにはいかないですよ」
「どうしてですか?」
「だって社会はそんなに甘くないですからね」
「甘くないと思っているから、甘くない世界を創っているのではないですか?」
「いや、そう言われても、実際、甘くないですから・・・」「では、先ほどの事故の話に戻りますが、学校に行きたくないと思いながらイヤイヤながら学校に行こうとしている人の思考は、どのようなものでしょうか?」
「どのような・・・と言われても、行かなければいけないから頑張っていこうとしているということですよね」「そうですね。行かなければいけないと思っているから頑張って行こうとしている。でも行きたくない、行かなくていい状況になればいいのに、ここで事故に遭えば行かなくてよくなるよね、事故起きないかなぁ〜っていう思考ですね。この思考が表面的なものかどうかは関係ないのです。無意識にでも、この思考があればパラレルはできます。そして、その思考に共振すれば事故に巻き込まれるというパラレルを選択するのです」
「それは先ほど伺いましたが・・・」
「ならば、他の思考はできないですか?」
「他の思考?」
「例えば、学校に行きたくないと思ったら、行かないパラレルを選択すればいいのでは?
行かないという思考もしたはずです、だから、そのパラレルも創っているのです」
「行かないと決める? ずる休みをするということですか?」
「ずる休みかどうかは分かりませんが、というより、学校を休みたいと思うのはずるいことですか?」
「世間では何の理由もなく学校や仕事を休むことをずる休みって言います」
「何がずるいのでしょうか?」
「学校に正当な理由なく行かない、休むというのはよくないことですから。怠けていることになります、だから、ずる休みということです」
「その思考です。その思考が事故に巻き込まれるパラレルを選んだのです」
「え? どの思考ですか?」
「行きたくないのに行かなければいけないという思考です。正当な理由がなければ休んではいけないという思考です」
「でも、それは常識ですよね。学校、仕事は理由がなければ 休むのはずるいこと、怠けていることになります」
「行きたくないのに行くのが常識でいいことなのですか?」
「世間ではそうです」
「世間・・・今のやり取りでお伝えしたいことは山ほどありますが、本質がブレてしまいますので話をパラレルの方に戻しますね。
行きたくない、休みたいと思っているのに、何も理由がない。ただ行きたくないという気持ちでは理由にならないと思っているから事故に巻き込まれるというパラレルを選んだのです。
事故に巻き込まれたら、それは誰もが認めてくれる理由になります。堂々と学校を休めるということです」
「そういうこと・・・ですか」「学校に行きたくないと思ったときに、素直に学校に行かないというパラレルを選択していれば、そのような事故に巻き込まれるという楽しくないパラレルを体験する必要はなかったのではないでしょうか」
「そう言われると、そうかもしれません」
「社会は甘くないと思っているから、甘くないパラレルばかりを創り、その中でまだマシかなと思うようパラレルを選択しているのです。だから、つまらない、つまらないと嘆きながら生きていくことになってしまうのです。気持ちのいいパラレルをあなたが自分で選択しないということになってしまうのです」「そうなると、どういう思考をすればいいのか分からなくなります」
「簡単じゃないですか? 行きたくないと思っているのですから、行かないと素直に思えば行かないパラレルができますから、それを選択すればいいのです。行かないパラレルは素直に望んでいるパラレルですから、楽しい気持ちのいいパラレルを体験することができます」
「でも、そんな選択ばかりしていたら、世間では落ちこぼれてしまいます。やっぱり世間も大事ですよね」「先ほどの話に戻りましょうか? そこからお話しした方がいいかもしれませんね」
「先ほどの話とは?」
「ずる休みの話からです。世間という話からです。あなたは楽しいパラレルを選びたいと思っていますね」
「はい」
「あなたにとって楽しいパラレルとは、どういうものですか?」
「楽しい・・・好きなことをしていられるということでしょうか?」
「好きなこととは?」
「例えば・・・私は野球が好きなので、バッティングセンターに行ったり、誰かとキャッチボールをしたり、夜は野球の試合を観たりしたいですね。それから・・・」
「ちょっと待ってください。ひとつずつ整理していきましょう。
まず、野球のことですが、あなたは野球をしたいのですね?」
「はい。好きなときに、気が向いたときに野球ができれば嬉しいですね。バッティングセンターもいいですが、やっぱり試合にも出たいと思います。それができる生活を考えるとワクワクします」
「ならば、野球をすればいいじゃないですか? 簡単なことだと思いますが?」
「いや、そう簡単ではないですよね」
「どうしてですか?」
「まず時間ですよ。仕事をしていたらそんなに自由に時間をつくれないですよね。それに一緒にやってくれる人たちも仕事をしているから、時間を合わせるのは難しいですし・・・野球を仕事にするなんてもっと無理ですし・・・」
「その思考だと、できないパラレルしか創ることができないですよね? 仕事があるからできない、一緒にやってくれる人も仕事をしているから自分がやりたいと思うときに時間が合わない。あとは・・・」
「もう年齢も年齢なので、野球をした後は筋肉痛にでもなったら仕事に差し支えるし、怪我をしたら困るし、家族もいるから、自分ばっかり好きな野球番組を観ることはできないし・・・」「ご自分の言葉を思い返してください。言葉は思考です。思考したから言葉になります。そうですね? 考えてもいないことは言葉にはなりません。あなたは今どういう言葉を口に出しましたか?」
「仕事があるから時間が取れない、一緒にやってくれる人がいない、年齢的に厳しい、自分だけが好きな番組を観ることができない・・・って、そうですよね、できない理由ばかりを並べていますよね。でも、それが実際の生活じゃないですか?」
「実際の生活はあなたが創っているのではないですか? 今までそれをお話ししてきたのですが」「そうですけど、理論的にはそうだと思いますけど、でも、実際そんな生活は余程のことがない限り無理ですよね、生きていかなくちゃいけないんだから。そんな話は理想論にしか思えないです」
「では、あなたはできるように考えましたか?」
「できるように? できるように・・・って? だって、実際問題できないじゃないですか?」
「誰ができないって決めたのですか?」
「いや、それは私かもしれませんけど、でも、現実をしっかりと見てみたら、それはできないって判断しますよね? 誰でも、この社会で生きている人はみんな」
「この社会・・・ですか? でも、あなたが言っているこの社会の中でも、好きなことをしながらも楽しく豊かに生きている人はいます。それはどうお考えですか?」「確かにいらっしゃいますけど、そういう方たちは特殊な環境や才能を持った方だからできるのでは?」
「その方たちは特殊な環境にいて、素晴らしい才能を持っているわけではありません。
その方たちは考え方がそうなっているだけです」
「考え方がそうなっている? どうなっているのですか?」
「好きなことができるパラレルを創り、そのパラレルだけを選んでいるということです」
「好きなことができるパラレルを創ると簡単に言いますが、好きなことができるパラレルは余程のことがない限りできないですよね」「では、先ほどの質問に戻りたいと思います」
「先ほどの質問って?」
「あなたはできるように考えましたか? ということです。できない理由は沢山聞きました。
でも、どうやったらできるようになるかというお話はひとつも出てきませんでした。
そうですね?」「でも、できないものはできないから仕方がないじゃないですか?」
「考える前からできないと諦めているということですか? それはできないパラレルしか創れませんね?」「でも、できるとは思えないですよ。だって仕事があるから、仕事をしなければお金を稼ぐことかできなくて生活することもできないですよね。生活できないのに野球をしている場合ではないですよね?」
「仕事は絶対にしなければいけないのですか?」
「そりゃそうですよ、仕事をしなければ生活はできないです」
「あなたにとって、仕事とはどういうことですか?」
「仕事は・・・仕事ですよ。会社とかに勤めて、給料をもらうことです」
「それしか仕事はないのですか?」
「会社に勤めなくても、仕事はしなければいけないですよね。独立するという考えもあるけど、そうなると会社に勤めているよりもっと働かなくてはいけなくなり、それこそ野球なんかしている暇はなくなります」
「とことん・・・ですね」
「何が、ですか?」
「とことん固い考えですね」
「固い? 私の考えが、ですか?」
「もっと柔軟に考えればいいのではないですか? 例えば、あなたは野球がしたいと、野球が好きなときにできる生活がしたいと思っている。そうですね?」
「はい、そうです」
「では、できない、ではなく、そういう生活をするにどうしたらいいでしょうか? と考えてください。考える前に、また、あれもできない、これもできないと言い出してしまいます。
あなたの現実は、あなたが創り出した幻です。あなたが創っているのです。誰かが創ってあなたに無理にその現実を体験しなさいと押し付けたものではありません。そこはご理解いただけていますか?」
「はい、大丈夫だと思います」
「ならば、簡単ではないですか? それは現実的に無理です、実際にはできませんと考える前に、どうやったらそういうパラレルを創ることができるかを考えればいいのでは?
考えるとパラレルができます。これは波動エネルギーの基本です。パラレルがいくつもできたら、その中からあなたが一番いいと思うパラレルを選べばいいのです。あなたの世界なのです。
それなのに、他の人の世界を覗いて、その人たちの世界と繋げて、その人たちの世界を見習い、その人たちと同じような世界を創らなければいけない思い込んでいるのです。自分の世界を大切にするのではなく、共振して創っている世界だけを大切にしようとしているのです。
自分の世界を中から見るのではなく、外から見てああだ、こうだ、と言っているのです」「ならば、具体的にどう考えたらいいのですか?」
「沢山のアイディアがありますね。会社を辞めるというパラレルも創れます。会社を辞めれば自由な時間ができます」
「いやいや、会社を辞めたら生活ができなくなりますよね」
「それも思い込みですね。それも常識です」
「常識というか、実際問題そうなりますよ」
「でも、会社に勤めない人たちも沢山いますよ?」
「確かにそうですが、それはさっきの話に戻ります。何が予め持っている人だからできるのです。特殊な能力や環境がないと無理ですよ」
「どうしてここにきてもまだできないことばかり考えるのですか? もっと気軽に考えてはいかがですか?」
「気軽に、って言われても、そう言われたら真剣に考えてしまいますよね。だって生活がかかっているのですから・・・」「あなたは真剣に考えているのではなく、深刻に考えてしまっているのです。だから、面白くない考えばかりにいってしまうのです。楽しんで考えてみてください。今の生活とは違うところで遊んでみてください。例えば、野球が好きなら自分でバッティングセンターを造ってみたらどうですか? それも仕事になりますよ。お金も入ってきますから生活もできますね?」
「いや、いや、そんなことは無理でよね、バッティングセンターを造るには最初に大きな資金がいりますし、土地もそんなにありませんし、そして、バッティングセンターじゃそんなに儲かりません。趣味的なものです」
「でも、実際にバッティングセンターはありますが・・・」
「それは、もうすでに大きな土地を所有していたか、お金があったかです」
「何故そこは言い切れるのですか?」
「そうとしか考えられないからです」「最初にバッティングセンターを作ろうと思った人はどうでしょうか? その前にバッティングマシーンを考えた人はどうでしょうか?」
「どうでしょうか? と言われても、何を問われているのか分からないのですが・・・」「バッティングマシーンを考えた人は、きっと自分がそれを欲しかったのではないでしょうか?
軽くこんなのがあったらいいなって思ったのではないでしょうか?」
「そうかもしれませんね。でも、それが今の話と何か関係あるのですか?」
「まず、自分が野球を好きで、いつでも一人でバッティングの練習ができないかな? と考えたのではないでしょうか? 野球が好きじゃないとそういう考えは出てきませんね。野球が好きでバッティングの練習がしたいけど、投げてくれる相手がいない、じゃあどうしようかと考えたのではないでしょうか? そして、どうすればいいかを考えた。だから、バッティングマシーンができた。そうですね?」
「そうでしょうね。でも、その人には技術があったのではないすか?」
「技術は後から調べれば得ることができます。もしかしたら誰か機械に詳しい人に教えてもらったのかもしれません。でも、できた。それは事実です」「何が言いたいのですか?」
「私が言いたいのは、その人はできないとは考えなかったということです。“できるパラレル”を創り続けたということです」
「“できるパラレル”?」
「そうです、できない理由は考えず、どうやったらできるか、だけを考え続けたのです。考えることがパラレル、現実、ホログラムになります、それは何度も何度もお伝えしています。
ですから、できると思う方向の思考を続けていると、できる方向のパラレルばかりを創りますので、その中で選ぶパラレルもできる方向のものとなります。だから、できるという現実、ホログラムを体験するのです」「確かに、バッティングマシーンはそうかもしれません。けど、じゃあ、実際にバッティングセンターはどうですか? 何もない人は造れませんよね?」
「バッティングマシーンを造った人は、野球が好きな人ですよね?」
「そうですね、それはそうだと思います」
「そういう人はどういう人とお友達になるでしょうか?」
「お友達?」
「野球が好きな人は野球が好きな人と話し合いますね? そして、自然に野球好きな人たちが集まります。野球好きのお友達が沢山できます。その中でそのバッティングマシーンの話が出たらどうでしょうか? 自分も欲しいと思う人が出てきませんか?」
「出てくると思います」
「もしかしたら、仲間内ではなく他にも欲しいという人がいるかもしれないと思う人も出てきます。そして、その機械を他の人に売りましょうとアイディアを出してくる人もいるでしょう。
野球好きな集まりはひとつ、二つではありません。沢山あります。
そして、それぞれいくつもの集まりに顔を出してる人もいます。その人が宣伝すれば、その機械は皆に知られます。そして、自分は機械を買えないけど使いたいという人も出てきます。
そしたら、その機械を一か所に置いて皆が使える場所を造ればいいというアイディアも出てきます。それがバッティングセンターという形になるのです。
そこからは、どうやって収益を得るかという話になっていき、仕事として成立していくのです。
一人で何もかもやらなければいけないと思っていると、それは無理だと思うかもしれませんが、共有のパラレルを創ればできることもあるのです。皆がそれぞれの世界を創りながら、その世界を繋ぎ合えば共有のパラレルで遊べるのです」「それが、“できるパラレル”だということですね」
「そうです。あなたが言う“この社会”の中でも自由に豊かに暮らしている人がいます。
その人たちは特殊な環境や才能があるのではなく、考え方が違うだけですとお伝えしたのはそういうことです。たとえ特殊な環境や才能があっても、できないと言い続けている人は、自分が望むパラレル創れないのです。反対に特殊と言われる環境も才能もなくても、できるパラレルを創り続けている人はできるのです。
そして、できるパラレルを創り続け、豊かで自由な生活をしている人たちは、お互いのラインを繋げます。同じような考え方をしているので気が合います、友達になっています。
そして、お互いできるパラレルを創りますので、共有のパラレルもできるパラレルになっていきます。だから、できないパラレルを創り、選んでいる人は、共有のパラレルでは遊べないということになります。考え方が違うと難しくなります。それは良い悪いではなく、単純に考え方が違うというだけです。同じゲームで遊んでいても、志向が違うと仲間にはなりませんね。
上手な人たちは上手な人と遊んでいる方が楽しいですし、そんなにゲームの技術がない人は上手な人たちの中に入っても楽しくはありません。ゲームに対して同じような志向、技術を持っている人たちで遊ぶのです」「お金持ちは、お金持ちで集まると言われますが、そういうことですね。お金持ちだけじゃなく、何でもそうですよね。気が合うって、考え方が合うっていうことですよね」
「ならば、あなたがそうなりたいと思っている人がいるならば、その人の考え方を参考にさせてもらえばいいのではないでしょうか? その人の考え方、パラレルの選び方を参考にさせてもらって、あなたもそうすればいいのです。そうすれば、あなたの望んでいるパラレルを創ることができます」『アシュタール パラレルワールド』 P66〜P119 より ミナミ A アシュタール:著 破常識屋出版:刊
私たちの意識や思考、感情がパラレルを創る。
つまり、心地よい思考や感情から生まれたパラレルは、自分が心地よいと感じるパラレルが生み出されます。
逆に、心地悪い思考や感情からは、心地悪いと感じるパラレルが生まれるわけです。
とてもシンプルといえば、シンプルですね。
パラレルを移行するには?
私たちは、自分が望むパラレルを創り出し、選択することができます。
それは、自分自身に起こる現実を自由自在に創造することができるということ。
現実を変えるには、パラレルを移行すればいい。
ただ、頭ではわかっていても、実際に行うのは難しいですね。
「パラレルを移行するには? 具体的にはどうすればいいのですか?」
「パラレルはいつもできています。ひとつのパラレルの中にずっと居なければいけないことはありません。自分でパラレルを創れるのですから、このパラレルはちょっと違うと思えば、自分で別のパラレルを創ってそちらにフォーカスして移行すればいいのです。
例えば、お店に入ったとします。そのときのお店の店員さんが何か感じが悪かった。
なんかイヤだなと思ったとします。そのとき、あなたはいくつものパラレルを創るのです。感じが悪くてイヤだから、何も買わずに店を出ようと思うパラレルと、あなた感じが悪いですねと直接文句を言うパラレル、そして、店長さんを呼んでくださいと店長に文句を言うパラレル、そして、ちょっとだけのことだからと我慢するパラレル、さらには、どうにか気持ちよく買い物ができる方法はないかと考えるパラレル・・・もっとあると思います。あなたは瞬時にいくつものパラレルを創っているのです。そして、瞬時にどのパラレルを選択するかを決めています。でも、選択するときに、何となくその延長線上にあるパラレルを選んでしまう傾向にあります」「延長線上で選んでしまうとは?」
「それは個性にもよりますし、常に無意識にどういう考えをしているかによって違いますが、それぞれ自分の思考の傾向というのがあるです。その思考の傾向に合った選択をしがちだということです」
「思考の傾向とは?」
「例えば、争いごとが嫌いで、とにかく表面的な平和でもいいから波風を立てない方がいいと思う人は、自動運転的に平和になるであろうと思われるパラレルを選択します。それが本当にそうなるかどうかは分からないけど、このパラレルを選ぶと次のパラレルはこうなりますという予告編を見てそれを選ぶのです。そのパラレルを選ぶと表面的には平和な体験はできます。だから、何も起きません。買い物もできますし、イヤな思いもしなくて済むのです、表面上は」
「表面上は、と何度も言っていますが、それはどういうことですか?」
「この話は延長線上のパラレルを選択する話とちょっと逸れてしまいますが、そのパラレルを選択すると次のパラレルにも影響してしまうということになります」「どういうことでしょうか?」
「例えば、そのお店では表面上の平和を保ったとします。でも、心の中ではイライラします。平和は平和でいいのですが、自分の感情が収まらないということになります。そうなるとお店を出てからも気分はよくありません。気分がよくないと、気分がいいときには何も思わないことにもイラっとすることがあります。それは体験されたことがあると思います」「そうですね、気分が悪いときって、人に当たりたくなったりしますよね。それは八つ当たりだよって、自分でも分かっているのに、何か近くの人にツンケンした態度をとってしまったり・・・」
「そうですね、それもパラレルの移行なのです」
「そんなことがパラレルの移行になるのですか?」「移行というと何だか別のパラレルに行くような感じになってしまいますので、この場合は次のパラレルを創るという表現にしたいと思います。
お店で表面的な平和を選択した後、次にどういうパラレルを創り、そのパラレルを体験するかということです。ここでも、沢山の選択肢が出てきますが、そこまで今お話しすると混乱してしまうと思いますので、お店で創ったパラレルの話に戻りたいと思います。今は我慢して表面的な平和を選択した場合の話です。次に店員さんに向かって文句を言ったパラレルはどうなるでしょうか?」「店員さんの態度にもよりますね。もし、店員が素直に謝ってくれて態度を変えてくれたとしたら、それはOKだと思います。けど、その店員がまだ、もしくはもっと感じが悪くなったら、もっと気分は悪くなりますね」
「そうですね、表面的に我慢したのは違うけど、お店を出てからもムカつくという気持ちは残ります。そして、誰かに当たってしまうかもしれません。当られた方は意味が分かりませんので、その人もまた気分が悪くなるという連鎖が起きるかもしれません。
そして、店長さんを呼んで文句を言った場合はどうでしょうか?」「それもまた同じで、謝ってくれたらまだ気持ちは収まりますが、もし店長さんまでもが感じ悪かったらもっと腹が立ちますね」
「そうですね、もし謝ってくれたとしても、その後店員さんが怒られるのではないか、というちょっとした罪悪感を抱くかもしれないし、あそこまで怒るほどのこともなかったかなと思ったりするかもしれません。店長さんがまた感じ悪かったら、店員さん×店長さんで、イライラはもっと大きくなり、二倍以上のイライラで八つ当たりするかもしれませんね」
「そうですね、でも、結局、どの選択にしてもあまり良いパラレルにはならないですよね。
それって、その感じ悪い店員さんと自分がパラレル同士でラインを繋いでしまって、共有のパラレルで体験したということですかね?
「そうですね、お互いのパラレルを繋ぎ合ったから共有のパラレルで遊んだのです。
それらは自動運転的な思考で、いつもの延長線上のパラレルということになります。
自分の思考の傾向で創っていたのです」
「じゃあ、別の、延長線上ではないパラレルは、創れるのですか? 創れるならどうやって作れますか?」
「それが移行するということになります。延長線上のパラレルは自動運転ですので、移行というよりそのままを進む感じですね。でも、全く別のパラレルを創るには意識的に思考する必要があります」
「意識的に思考するということは、無意識を意識するということですか?」
「そうですね。自分はこういう思考をしがちで、その傾向で思考した次のパラレルの予告編を見るとあまり気持ちがいいものではないと思うことができたら、そうならないようなパラレルを創ることができるのです。延長線上にあるパラレルから別の線のパラレルに移行することができるのです」「どうやってですか?」
「今までの思考でのパラレルは、あまり気持ちがすっきりするものではありません。
だから、気持ちがすっきりして楽しくなるようなパラレルを創りますと決めます。
そして、それにはどうしたらいいかを考えてください」
「どうしたらいいのでしょうか?」
「色々なやり方かありますが、例えば、ムスッとしている店員さんに笑いかけてみたらどうでしょうか?」「え? 感じの悪い店員さんにこちらから笑いかけるのですか?」
「そうです、笑いかけると言っても媚びてくださいと言っているのではありませんよ。
そうではなく、こんにちはという気持ちで笑いかけてみてください。その方も自分が感じ悪いと思わせていると思っていないかもしれませんし、いつも笑いかけてもお客さんは知らん顔しているから、もう笑顔で接客するのがイヤになってしまっているのかもしれません。
だから、お客さんが笑顔で接してくれることでその店員さんも気持ちよくなって、笑顔を見せてくれるかもしれません。そうなるとお互い気持ちよくなりますね。そして、気持ちよく買い物ができて、お店を出てから誰にも八つ当たりしなくて済みます。そのパラレルは先ほどのパラレルと大きく違う方向に続いていきます」「パラレルの方向が変わるということですか?」
「そうです。自動運転のときの方向と違う方向にパラレルができ、そちらに移行することができるのです。それが移行するということです。これはどちらが好きな方向かというだけのことです。今までの延長線上の方が好き、気持ちがいいなと思うならばその方向にパラレルを創ればいいと思います。そして、方向を変えて別のパラレルを創りたいと思えば、そうすればいいのです。ただ、パラレルは意図すれば自由にどのような方向にも移行することができるということをお話したかったのです」
「他にも移行の仕方ってありますか? もう少し例を教えていただければ日常でも使えるようになれるかも・・・」
「パラレルを移行するにはちょっとコツがいります。そのコツさえつかめれば自動運転を解除することができるようになります。自分でいつでも好きな方向へパラレルを移行することができます。パラレルは木の枝のような感じですから、どの枝を選ぶかによって体験も変わってくるのです。でも、あなたという意識の幹はずっと変わりません」「意識の幹とは・・・・パラレルの画面の外の私の意識ということですか?」
「そうです、どんなにパラレルの枝を創り続けていても、いろんな方向に移行し続けていってもあなたの幹は変わりません。幹は変わらないのですが、方向が違うパラレルができてくると面白いことになります」
「面白いとは?」
「まるで違うあなたが存在するかのようになっていくのです」
「どういうことでしょうか?」
「例えば、パートナーとケンカをしたとします。そのときに延長線上のパラレルを創り、そのパラレルをずっと続けていくとしたらどうなりますか?」
「延長線上のパラレルということは、ケンカを続けるというパラレルですか?」
「はい、ケンカをすることがその二人の自動運転になっている可能性があります。何か意見が違う時はケンカをすることがその二人の自動運転になっている可能性があります。何か意見が違うときはケンカをするという日常です。いつもケンカはしたくないと思っているのに、何故かケンカばかりになってしまうと思いながらもケンカの日々が続くのです」「では、パラレルの方向を変えるにはどうしたらいいのですか?」
「まず、ケンカになる理由を考えてください」
「ケンカになる理由ですか。色々あると思いますし、その時々でその理由も違ってきますから、ここでは何とも言えないです」
「ケンカの理由は、表面上のことではありません。どうしてケンカという状況になるかということを考えてください」「えっと、どういうことでしょうか? 例えば、脱いだ靴下を洗濯カゴに入れずに、その辺に放っておくとか・・・お金の使い方が違うとか・・・子どもの教育方針が違うとか・・・」
「それは表面上の理由です。まず、どうしてケンカになるかという根本的なことを考えてください」
「すみません、アシュタールが言っていることがよく分からないのですが」
「ケンカというのは自分の方が正しいと主張し合っている状態なのです。自分の意見を相手に認めさせ、自分の意見に従わせようとしているのです」
「自分が正しい、自分の意見に従うべきだ・・・ということからケンカが始まります。
それが分かればケンカをしないパラレルを選ぶことができます」「でも、どちちらも自分が正しいと思っているのですから、それはどう考えればいいのですか?
それが分かればケンカをしないパラレルを選ぶことができます」「でも、どちらも自分が正しいと思っているのですから、それはどう考えればいいのですか?
自分が折れるということでパラレルを移行するとか?」
「それでは表面的な平和になります。自分が意見を引っ込め、相手の意見に従うことで、そのときは平和になったように思うかもしれませんが、自分の心の中には不満が溜まっていきます。
そして、二人の関係もおかしくなっていきます」「二人の関係もおかしくなるとは?」
「二人の間で、今度はどちらが我慢するかというパワーゲームが始まります。それもまたケンカになっていきます。
そして、パワーゲームに勝った方がいつも従わせるというバランスの崩れた関係になります。
力や言葉の使い方が強い方が相手を従わせるという関係になります。従わせる方はそれでいいと思いますし、従わざるを得ない方は常に不満が残り、相手に対してイヤな気持ちが募ります。
それでは良い関係とは言えないですね。そして、それがまた自動運転的になってしまったら、ずっと従わせる人と従う人のパラレルが続きます。それはケンカをしているパラレルと同じ方向のパラレルになります。どちらもあまり楽しくないパラレルが続くのです」「ならば、別の方向に移行するにはどう考えたらいいのでしょうか?」
「ケンカにならないようにするためには、どうしたらいいかを考えてください」
「そうです、でも、自分の意見が正しいという考えを持っていたら話し合いの途中でも、またケンカになってしまいます。だから、二人で話してください。あなたの意見を尊重しますとお互い話し合うのです。
そして、それからお互いの意見をすり合わせていくのです」「はい、お互い違う意見なのですから、お互いが自分は正しいと主張すればケンカになります。でもお互い違う意見であるということを認識して話をすると、お互いの意見の合致点が見えてきます。ここは違うけど、ここは同じですね・・・というところが分かってきます。
ならばどうしたらお互いが納得できる方法が見つかりますか? という話し合いになります」「例えば、具体的にどんなことですか?」
「そうですね、例えば、簡単にお話しすると、ラーメンが食べたい人とカレーが食べたい人がいて、どちらにするかでケンカになったとします。これは本当に簡単な例ですが、分かりやすいと思いますのでこの例でお話ししますね」
「まあ、そういうケンカもないことはないですので・・・」
「自分はラーメンがどうしても食べたい、相手はカレーがどうしても食べたいということです。
自分の食べたい物はどうしても食べたいと思ってケンカをしています。では、お互い納得できるにはどうすればいいと思いますか?」
「じゃあ、別々に自分が食べたいものを食べればいいのでは?」
「でも、違うものを作るのは大変です。どちらが作るかでまたケンカになりませんか?」
「それじゃあ、お互い好きなものを自分で作る・・・というのは?」
「そうですね、それもお互いが承知したならば解決策になりますね。でも、どちらか料理ができないとなると?」
「じゃあ、別々のレストランに食べに行く?」
「でも、二人で一緒にご飯を食べたいと思ったら? 別々に食べるのはイヤだと一人が言ったら?」
「んじゃ、ラーメンもカレーもあるレストランに行く?」
「そうですね、それも解決法のひとつですね。他には解決方法はありませんか?」「他に・・・ですか? それ以外は思いつかないかな・・・」
「もっと面白いことはできませんか?」
「面白いこと? どんな?」
「お互い食べたい物を一緒にしてみるとか・・・」
「一緒にする? どういうことですか?」
「あ〜そういうことですか・・・カレーラーメンねぇ〜。そういう発想はなかったですね」「お互いの意見を合わせるということもできます。お互いの意見の違いを利用して、新しい物ができるということもあります。
例えば、カレーラーメンもいいけど、その上に目玉焼きを乗せてみましょうか? ハンバーグを乗せてみても美味しくなる? と、どんどん面白いアイディアが湧いてきます。ラーメンだけ食べるパラレルもありますが、こうして最初は考えもしなかったハンバーグ乗せカレーラーメンを食べるパラレルも創ることができます。
これがお互いのパラレルを繋ぎ合わせて創った共有のパラレルなのです。これが共振する楽しさなのです。こうして、意見をすり合わせていくと、思いもしなかったアイディアが出てきます。この方法を使うことができれば、ケンカをするよりも楽しくなるのではないでしょうか?」
「そりゃ、その方が楽しいですね、考えただけでもワクワクします」
「こうしてパラレルの移行をすることができるのです。全く違う方向のパラレルを創ってそちらを選択すれば別の面白い経験ができます」
「意図すればパラレルはいくらでも創れるという意味が分かりました」
「柔らかく考えてください。そして、どんどん次をイメージしていってください。予告編をしっかり見てください」
「いつもアシュタールは、次を見てくださいと言いますが、それはどういうことですか?」
「次のをイメージするのです。このパラレルを選んだら次はどうなるでしょうか? と考えてください」「例えば?」
「例えば、ケンカをするとします。ケンカになるときは感情的になっているときです。感情にまかせて言葉を出したくなります。本気で思ってもいないことを口に出したくなります。相手をとことんやりこめ、自分の方が強いと思わせようとしたりします。そういうことはありませんか?」
「あります、後からしまったと思うこともあります」
「それも自動運転になります。プライドが傷つくのが怖いので、先に相手が一番嫌がる言葉を投げかけて自分を守ろうとします。そのときにちょっと次を考えることができればパラレルも移行できるのです」「でも、とても感情的になっていますので、それは難しくないですか? 冷静になれないからケンカになるのですから・・・」
「自動運転から切り替えるために、まず冷静になることに集中してください。そのために、常に自分がその人とどうしたいのかを意識しておいてください」
「その人とどうしたいのか? を意識するってどういうことですか?」「まず、感情的に自分が優位に立ちたいと思い、その人が傷つく言葉を出したとして・・・
そのパラレルを選んだ次はどうなるか? と考えるのです。どうなると思いますか?」
「傷つく言葉を言われた方は、傷つきますね、その人に対して腹が立ちます。そして、自分もその人を傷つける言葉を探し、投げつけます」
「その応酬によって、二人はどうなるでしょうか?」
「きっと別れるくらいの勢いになっていくでしょうね」
「そのパラレルを選んだあとの、次のその次のパラレルを予想してくださいというのは、そういうことです。次のパラレルの予告編はすぐに見ることができますが、次の次、その次のパラレルの予告編はよく考えないと見られないのです。しっかりと意識していないと見ることができないのです。自分がその人と別れてもいいと常々思っているのならばいいと思います。別れるパラレルを自分で意識して選択したのですから。でも、そう思っていないのに、そういうパラレルを選択してしまうのはどうですか?」
「それは悲しいです。そんなパラレルはイヤです」
「ならば、選択しないようにするしかないのです。そのために、いつもその人と自分はどうしたいのかと考えていてください。自分はその人とずっと一緒にいたい、その人のことが好きですと意識して考えていると、それが自動運転になります。その人が大切で、大好きで、ずっと一緒にいたいということが自動運転になっていると、たとえケンカをしてもその人が傷つく言葉を出したりしなくなります。だって、ずっと一緒にいたい大好きな人と別れるようなパラレルを創りませんし、もし創ってしまったとしても選択はしません。まず、すり合わせの話し合いができますので、ケンカにも至らないでしょうし、反対に面白い共有のパラレルを創ることができるのです」
「それって全く違うパラレルですね」
「あなたの意識は木の幹ですと少し前にお話ししました。覚えていらっしゃいますか?」
「はい、パラレルは枝、枝は沢山できても幹はひとつということですね?」
「あなたの意識が幹、外で見ているあなたです。そして、あなたの意識が沢山のパラレルを創り出します。それが枝であり、方向性で、その枝からまた別の枝が伸びていくのです。枝はあちこちに伸びていきます。イメージしていただけましたか?」
「はい、何となくですが、パラレルのイメージはできました」「枝はそれぞれ違う方向に伸びています。どの枝、どの方向で考えるかであなたの現実、ホログラムの体験は変わります。ケンカをして言ってはいけない言葉を投げかけてしまって、お別れをしてしまうというパラレルと、ケンカをすることなく話し合ってずっと一緒にいるパラレルとでは、まるで違う現実を体験することになります。どちらが良い悪いではなく、どの体験をしたいかということです。別れてしまう体験と別れることなく仲良く一緒にいる体験のどちらの体験をあなたがしたいかということです。それだけなのです。あなたがしたいと思う体験をするために、あなたが常に考えていることが大切になってくるのです。そして、その別の方向のパラレルはできていても、あなたはそれを今の自分のこととして体験することできないのです。でも、幹のあなたには、あなたに関する全部のパラレルが見えています。そして、絶対無限の存在には、宇宙のすべてのパラレルがあるということです」
「そこがよく分からないのですが、私の意識には私が創ったすべてのパラレルが見えているということですが、じゃあ、幹の意識(外側から見ている私の意識)に合わせることができれば、別の枝のパラレルも体験することができるのですか?」
「幹の意識に合わせることができるならば可能ですが、今のパラレルに集中しているあなたにはまだ無理なのです。もし、できたとして、違う方向のパラレルに移行したとしても、あなたは混乱するだけです。その間の過程がまるで分かりませんので、何をどうしていいか分からなくて混乱するだけです。
例えば、ケンカをして別れたはずのパートナーと突然仲良く暮らしているパラレルに入ってしまったら、何がどうなったか分からず対応することができません。そして、そのパラレルと下のパラレルでのあなたの思考が全く違いますので、仲の良いパラレルで、また同じ日にケンカをしてしまい、そこのパラレルでも別れるという選択をしてしまうかもしれません」
「そうなると、違うパラレルに移行しても、また元のパラレルに戻ってしまうということですか?」
「元のパラレルに戻ることはできません。
前にも言いましたが、元のパラレルに戻ったとしても、それは純粋な元のパラレルではないのです。時間という概念の中では枝は伸び続けるだけです。元の枝には戻れないのです」「枝が曲がって元の枝にくっつくとかは?」
「それはできません。枝がくっつく、時間が元に戻るということはないのです。もし、時間が元に戻ってその場面にいったとしても、それは別の時間軸になります。同じ時間の中にいるのではありません。似たような別の時間になりますので、その時間からの流れをそのまま続けることはできないのです」「違う枝になってしまうということですか?」
「そうです。新しい枝が曲がっていって元の枝にくっついたとしても、そこからまた別の枝になっていくのです。そのままくっついて前の枝と同化することはありません」
「では、選択は一回限りということですか?」
「はい、一回だけです。後から考え直すということもできますが、それは元の枝ではなく、別の似たような枝を創るということです。全く同じ枝に戻ることはありません」
「じゃあ、元に戻りたいと思うならばどうしたら?」
「新しく創り直せばいいのです」
「新しく創り直すっていっても・・・」
「例えば、パートナーと別れるという枝になったとします。でも、後からその選択を後悔して、またそのパートナーとやり直したいと思ったとします」
「はい、よくあることです。後からしまったと思うことはよくあります」
「そういうときは新しく枝を伸ばしていくのです。そのパートナーと復縁するという枝です。もちろん、そのパートナーと共有のパラレルを創ることができればの話ですが・・・」「では、パートナーに復縁したいと話をしてみるということですね?」
「そうです、そして、話し合って、もし、どちらもOKしたならば、元に戻るという気持ちはなくしてください。元に戻るという気持ちでいると、前の枝をなぞろうとしてしまいます」
「前の枝をなぞる?」
「前はこうだった、という気持ちになります。前はこうしていたのだから、前のようにやりましょうと思って、前の二人の関係、やり方に固執してしまうと、今から新しい枝を創れなくなります。もう前の枝のことはきれいさっぱり忘れて、新しく枝を伸ばしていくという考えにしてください。前のパートナーではなく、新しいパートナーとして考えることができれば、前とは違うパラレルになります、が・・・」
「が?」「ここでも前と同じような自動運転をしてしまうとパラレルを創り出し、選択することになってしまいます。また言ってはいけないことを言ってしまい、またお別れするというパラレルを創ってしまうことにもなりかねません」
「そりゃそうですよね、同じことを何度も繰り返すというのは、結局自動運転が変わっていないからということですよね。同じような考えだと同じようなパラレルを創り続ける・・・」
「はい、パラレルはあなたの考えで創っていますので、あなたが意識している、していないにかかわらず、あなたの考えで変わってくるということです」
「はぁ〜、考え方が変わらないとパラレルは移行できないということですね」
「それがパラレルの基本です」『アシュタール パラレルワールド』 P 127〜P150 より ミナミ A アシュタール:著 破常識屋出版:刊
木に例えると、私たちの意識は「幹」でパラレルは「枝」です。
私たちの現実は、枝が伸びていくように、一方向へ進んでいきます。
パラレルを移行するとは、それまでとは違う枝を新しく創ること。
同じ枝を創ることはできませんが、新しい枝なら、私たちが想像し得るどんな枝でも創ることができます。
私たちの意識=幹は、それだけ大きな力があるということですね。
「最終的なパラレル」を決めること
私たちが、人生を幸せに生きる秘訣。
それは、死ぬ間際にいる世界線、すなわち「最終的なパラレル」を決めることです。
アシュタールは、そのパラレルが決まれば、そこに行くまでのパラレルの方向も決ま
り、あなたの中の核ができ
ると指摘します。
「核ができるって・・・どういうことですか?」
「常にそのことを考えていればいいのです。その最終的なパラレルに今のパラレルを繋げるにはどうしたらいいか・・・その視点で考えるようにすればいいのです」「具体的にはどうすればいいのでしょうか?」
「簡単です。あなたはいつも考え、その中から選択しています。ですから、選択するときに、このパラレルを選んだらどの方向に進むかを考えればいいのです。あなたは楽しかったぁ〜と言って死にたいと思っています。そうですね?」
「はい、そうです」
「それには楽しいパラレルを選び続ければいいのです。楽しいと思っている絵が続くとパラパラ漫画もずっと楽しい絵が続きます。そして、最終的に楽しかったパラパラ漫画が終わるということになります」
「理論的には分かります。そうですよね。でも、人生楽しいことばかりじゃないですよね。
楽しいことを選ぼうと思っても、楽しい選択肢がない場合はどうしますか?」
「それも、ずっとお話ししていることですが、楽しむと思う思考ができないから、楽しいと思う選択肢を創ることができないのです」「楽しいと思う選択肢を創ることができないというと?」
「基本あなたは我慢しなければいけない、そうしないと生活できないと思い込んでいます。
だから、ついつい自動運転で我慢する方向ばかり考えてしまうのです。我慢は楽しくないですね?」
「楽しくないですね・・・余程の人じゃない限り楽しいとは思わないでしょうね」「では、あなたたちが陥りがちな例をお話ししますね。あなたたちは小さな頃から“将来のために”という思考を刷り込まれています。将来のために我慢しなさいという思考です。子どもの頃から勉強しなさいと言われます。『どうして?』と聞くと、将来のため、将来きちんと生きていけるようになるためと教えられます。
将来、未来というものの創り方を教えてもらうのではなく、未来のために今我慢することを教えられます。これは波動エネルギー的にまるで反対の考え方です。自分が未来を創るのでなく、誰かが自分の未来を決めてくれるという考えですね。
だから、小さな頃から今したいことを我慢して勉強して、有名な学校に入学して、有名な会社に就職して、そして、その会社の中で出世することが良い人生だと教えられます。この考えだと常に我慢が伴います。今したいことは後回しにして、何が起きるか分かりもしない未来のために頑張る。ずっと“きっとよくなると考えられる未来”のために、我慢し続けることになります。これが勝ち組、成功者の生き方ですと教えられ、それを目指して生きるのです。
そうなるとどうなるでしょうか?」
「死ぬときですか?」
「はい、最終的なパラレルは、どうなると思いますか?」
「我慢することに快感を覚えるという人以外は、もっと楽しく生きたかったって思うでしょうね」
「そうですね、最終的にあれもしたかった、これもしたかったと思って死ぬことになります。
自由に好きなだけ旅行したかったと思う人もいるでしょうし、会社員ではなく自分で独立して仕事をしたかったと思う人もいるでしょうし、料理家になりたかった人もいるでしょう。
人それぞれやりたいと思うことがあるのです。それぞれユニークな生き方があるのです。
でも、それを我慢しなくては、普通の生活をすることができません、生きていくことができませんと教えられ、それを目指すようになっていきます。一色の世界に染まりなさいと言われるのです。あなたがおっしゃっていたように、我慢することが大好きでたまらないと思う人は別ですが。でも、我慢することに快感を覚えるのも、“未来のニンジン”をぶら下げる教育の成果なのです。
我慢すると先生や大人から褒められます。賢いね、すごいね、偉いね、と褒められます。そうなると、我慢することが好きなのではなく、我慢している、我慢できている自分が偉い、賢いなどと思ってしまうのです。
我慢できる人が偉い人だと思っていると、我慢できない人を見るとダメだなと優越感を覚え、快感になるのです。そうなると一種の快楽ホルモンになり、我慢することに酔ってしまうことなります。
これは余談になりますが、究極まで肉体を使うと(私から見ると肉体をいじめていると思いますが)快楽ホルモンが出て気持ちよくなるのです。ランナーズハイとか、ゾーン(超集中状態)などといわれている状態がそうです。でも、精神的な我慢に快楽を覚えるのは生きているときです。まだまだ未来があると思っているときです。もっと我慢すればもっと良い未来がくると思っているときです。これで人生が終わると思ったときには、自分は何を我慢してきたのでしょうと思うのです。たとえ社会的にとても成功したとしても、ここで終わるならばもっと自由にしたいことがあったと思う人が多いのです。最終的にそういうパラレルになる人が多いのです」
「その説明は分かりやすいですね。ずっと我慢している人生を送っている人って多いと思います。でも、我慢しないとダメってこともありますよね? 実際には・・・」
「それもあると思います。今のあなたは我慢する方向で考える傾向が強いですので。あと陥りやすいこととして、人に合わせなければいけない、人と同じ行動をしなければいけないと思うことです。
例えば空気を読みなさいと言われますね。それは我慢しなさいと言っているのと同じです。
レストランに会社の人たちと行ったとします。そこで、上司がパスタを選んだとします。部下たちはどうするでしょうか?」
「上司の性格にもよりますが、多分、じゃあ、私もパスタにしますという流れができると思います」
「誰にも強制されていないのに、何となく人と合わせていた方が安心、上司に合わせていた方がいいと思ってしまって、自分が本当に食べたいのかどうかも自分に聞くことなく、パスタを注文することがあると思います。もし、皆がパスタを注文したのに、あなたがグラタンを注文したらどうですか?」
「特に文句も何も言われないと思いますが、でも雰囲気的に何だか落ち着かない気がする・・・かな?」
「そうですね、特に日本の人たちはそういう傾向にあります。右へ倣えということですね。
それも我慢です。あのときパスタじゃなくてホットケーキが食べたかったな・・・なんて後から考えても、もうそのときは戻ってこないのです。我慢に慣れていると皆と同じものを食べるのが当たり前だと思って、後からホットケーキにしておけばよかったなんてことも考えないかもしれませんが。でも、確実に我慢しているのです。そのときに気がつかなくても、我慢するというパラレルを創っているのです。そして、そのパラレルが続いていくのです。そして最終的に好きなことをしておけばよかったというパラレルに向かっていくのです」
「パスタくらいでそんなことにはならないでしょう? それはいくら何でも言いすぎでは?」
「パスタくらい・・・ではないのです。その考え方が我慢のパラレルを創ってしまうのです」
「そうなんですか? パスタくらい、そんなに大層に考えなくても・・・」「では、パスタの先の次のパラレルを予想してみましょうか? できるだけ、どのようなパラレルが続くか考えてみてください」
「パスタの次のパラレルですか? え? 皆でパスタを食べて、話をして、会社に戻ってまた仕事をする?」
「表面上はそうですね。ここでは、あなたのパラレルに関して考えましょう。
では、あなたはどうしてパスタを選ぶことにしたのですか? 他にも色々メニューはあったと思いますが・・・」
「別に他にどうしても食べたい物があったわけじゃないし、皆で同じものを注文した方が早くくるし、なら、それでいいかなと思って・・・ということかな?」
「何も考えていない・・・ということですね?」
「え? いえ、考えた上でパスタにしたんですけど」「それは表面上考えただけですね。周りに合わせることで平和を保てると思ったのですね?」
「そうとも言えますが・・・でも、それで周りと上手くいくならいいじゃないですか?」「あなたの本当の気持ちはどうなりますか?」
「本当の気持ち? 何度も言いますが、たかがパスタじゃないですか? 何を食べるかなんて、そこでそんなにムキになって考えなくてもいいんじゃないですか? 私もとりあえずパスタが食べたいなと思ったのですから・・・」
「パスタが食べたいととりあえず思った・・・ということは、自分の気持ちを考えていなかったということですね。自分をある意味ないがしろにして皆に合わせたということですね」
「そうかもしれませんが、どうしてそんなことにムキになっているのですか?」
「ムキになっているのではありません。これはとても大切なことなのでしっかりと確認したいだけなのです」
「パスタを食べることがそんなに問題なのですか?」「あなたは我慢することに慣れているとお伝えしました。自分の本当の気持ちを隠して人に合わせることに慣れすぎているのです。そうなると、常に人の意見に合わせて無意識に我慢し、従うことになります。それは先ほどの人生の話と同じことになります。人がこういう人生がいいよと勧める人生を歩んでいくことになります。
本当は自由に好きなところに旅行する生活がしたいと思っているのに、有名で大きな良い会社に入って、良い役職に就くために生きるということになります。そして、最終的に自由に旅行する人生を歩みたかったと言いながら死ぬパラレルになります。パスタのように小さなことから、どんどんそういうパラレルを創り、そのパラレルを選択していくことになるのです。
ですから、常に自分はどうしたいのかを自分に聞く習慣を持って欲しいと思っています。
「なるほど、そう言われればそうかもしれませんね」「では、次に別の角度から考えてみてください。どうして上司がパスタにすると言うと、皆それに倣うのでしょうか?」
「え? どうしてかな? その方が上司の覚えがめでたい? 良い部下だと思ってもらえる? 違うものを頼むと何だかその上司に反抗的だと見られたら困るから? 色々考えるのが面倒くさいから?」
「素晴らしいお答えですね」
「嫌味ですか?」「そうではありません。ただ、あなたが本当に自分のことを大切にしていないことが分かりました。自分のことを自分のこととして考えていないことも分りました」
「どういうことですか? 自分のことを考えているから、ここはパスタの方がいいと思ったんですけど・・・」
「先ほどから言っていますか、あなたがあなたの意思ではっきりとパスタにすると決めたならばいいのです。あなたの好きなパラレルを創って、そのパラレルを選択したのならばいいのです。でも、あなたは自分の好きなパラレルではなく、人の意見によってパラレルを選択しました。きっと瞬時に色々なメニューを考えたと思います。パスタもあったでしょうが、サンドイッチも、ハンバーガーも、カレーも、ホットケーキもあったと思います。それぞれのパラレルを創ったと思います。でも、その中からあなたが選んだのは、自分が食べたいと思ったものではなく、上司や他の人たちと同じものを食べた方がいいという理由で、そのパラレルを選択しました。それは自分を大切にしていないということではないですか? 自分のパラレルを真剣に大切に選んでいないということなりませんか?」「自分を大切にするという考えがなかった・・・です。人と合わせ、問題なく生きることが大切にすることだと思っていたような気がします。でも、そこで私だけサンドイッチにすると話を乱すことになり、後々仕事がし辛くなってしまいませんか?」
「そこです」
「どこですか?」
「その考え方が次のパラレルも我慢になるのです」
「例えば?」
「今の状況でお話しすると、その上司はそれでいいと思ってしまいます」
「どれでいいと思うのですか?」
「上司である自分の意見に皆が従うと思ってしまうということです。きっとその上司も、自分の上司にそのようにしてきたのでしょう。だから、部下は上司に従うものだと思い込んでいると、それが当たり前だと思います。
そして、自分の意見に従わせようとします。無意識にでも圧力をかけるようになります。そうなると部下たちは我慢するようになります。あなたも我慢をしなければいけない状況が増えてきます。我慢のパラレルの次には、また我慢のパラレルが続くのです。パラレルを移行しない限り、我慢のパラレルは続いていきます。我慢をすると我慢の回路が開くのです」「じゃあ、どうすればいいのですか? 面と向かって上司に意見するなんてできません」
「それこそ、それほどのことではないと思いますが・・・私はサンドイッチにしますと伝えればいいだけのことです。それはダメだとは、はっきり言わないと思います」
「はっきり言わなくても、心の中では思っているのではないですか?」
「それはあなたには関係のないことですね。面と向かって対立して言うわけではありませんので上司も何も言えないです。そして、もしあなたがスッと自分の意見を言うことができるようになれば、他の人も自分の意見をスッと言えるようになります。そうなると、流れが変わってきます」
「流れが変わる?」「いつも上司に従っている状況が当たり前になってしまうと、自分の気持ちを尊重できなくなります。イヤでも上司の言うことを聞かなければいけなくなってしまいます。周りも同じようになっていくとどうなるでしょうか?」
「何も言えなくなりますね」
「そうですね。もし、残業を頼まれたらどうしますか?」
「仕方なく引き受けるでしょうね、きっと」
「そのとき、仕事の後に大切な人と食事の約束があったとしても?」
「残業を断ることで睨まれたくないですし、その仕事が終わらなければ他の人にも迷惑をかけるかもしれないし、後々のことを考えるとやらざるを得ないでしょうね」「また、後々のこと・・・ですか。まぁ、それはいいとして・・・そのとき大切な人との時間を我慢して残業を引き受けるとどうなるでしょうか?」
「上司には感謝されますね。仕事は、やりやすくなります」
「え? どういうことでしょうか?」「もし、そのときに上司があなたは大切な人との時間を我慢してまで残業を受け入れたことを知ったら、上司はどう思うでしょうか?」
「そんなに大切な用事をやめてまで残業をしてくれたと、もっと感謝してくれるのではありませんか?」
「そのときはそうかもしれません。でも、次にどうなると思いますか?」「次・・・ですか? 次もまた頼まれることになる・・・とか、ですか?」
「そうです。あなたは自分のために何でもしてくれると思われてしまいます。だから、困ったらあなたに頼もうと思います。そして、また、あなたは残業を頼まれる、残業だけでなく、他にも色々頼まれることになります。上司の頼みごとを受けるたびにあなたは、何かしら我慢しなければいけなくなるのです。もしかしたら、上司は会社から部下を残業させないように言われているかもしれません。そうなると、あなたはサービス残業を求められるかもしれないのです」
「え? それはイヤです。なら、断ります」
「断れますか?」
「何とか断ります」
「上司に盾つく部下だと思われて嫌われてしまうかもしれませんよ。今までの我慢が無駄になってしまうかもしれませんよ?」
「そんなことはないと思います。上司も分かってくれる思います」
「自分の頼みは何でも聞いてくれると思っていた、それが当たり前だと思っていた部下が、突然断ったということになったらどう思うでしょうか? 気持ちよく理解してくれると思いますか?」「・・・今までの苦労が水の泡になってしまうのは、辛いですね」
「そうなるとまた、サービス残業でも受け入れることになりませんか?」
「仕方ないですね・・・」
「次はサービス残業では済まないかもしれません。もっと難しい、耐えられないような案件を頼まれるかもしれません。そうなっても、もう断ることはできなくなりませんか?
ここまで我慢したのだから、もうちょっと我慢すれば、上司に認められ昇進し、良い未来がくるかもしれないと思ってずっと“未来のニンジン”をぶら下げられて我慢していくことになりませんか?」「上司には逆らえなくなる? 逆らったら左遷か、クビになってしまうかも・・・それは勿体ないって思うかもしれません」
「そうして我慢は続いていくのです。ちょっとだけ、ちょっとだけだから、と我慢をしていたら、我慢はどんとん大きくなっていくのです。我慢のパラレルを選択し続けると、最後まで我慢しなければいけないパラレルになってしまうのですと、私はお伝えしたいのです」
「では、どうすれば?」
「最初から人に合わせて自分の気持ちを我慢させないことです」
「最初から・・・というと・・・パスタからですか?」
「この話においては、そうですね。上司と同じものを頼むことで場が収まるという考えをやめて、自分が本当に食べたいと思う物を注文することで我慢のパラレルから、我慢しなくていいパラレルに移行できるのです。それが本当に自分を大切にする選択なのです」
「じゃあ、もし、そのときサンドイッチを食べたいと思って、それを頼んだら? その後はどうなりますか?」
「どうなると思いますか?」
「上司に睨まれ、同僚たちも空気が読めない奴だと思うかもしれませんね。仕事がしにくくなりませんか?」
「そこなのです。その考えがそのパラレルを創り、選択していくのです」
「じゃあ、どう考えればいいのですか?」
「自分が好きな物を注文するのは当たり前だと思いませんか?」
「それは、当たり前だと思います。ただ、それができない状況もあるのですよ。実際には」「それはあなたの考え方次第なのです。今から少し波動エネルギーの話をしたいと思います。
あなたは思考することで現実を創造しています。それはお話ししましたね?」
「はい。それがパラレルだと・・・」
「思考したことがエネルギーとして放出されます。それが共有のパラレルになります」
「思考したことがエネルギーになるとは?」
「あなたはエネルギーを感じますね」
「エネルギーを感じると言われても、よく分りませんが・・・」
「さっきから言っていることです。場の雰囲気とか、空気を読むということはエネルギーを感じているということです。場の雰囲気、空気を読んで行動しなさいという言葉は、皆エネルギーを感じているということです。ここまでは大丈夫でしょうか?」
「はい、空気を読むということはそういうことだったのですね」
「皆がパスタを注文するのは、上司がそういうエネルギーを出しているからです」
「パスタを食べろよ・・・的な?」
「そうではなく、上司の自分に合わせる、従うのが当たり前だ・・・というエネルギーです。
これは上司の思考です。上司はそれが当たり前だと思っていますので、言葉に出さなくてもそういう雰囲気になります。それに共振して、周りの人もパスタにしようと無意識に思うのです。
雰囲気にのまれてしまうという感じでしょうか。もし、違う上司だったらどうですか?」「違う上司だったら、と言うと・・・」
「部下は上司に従うものだと思い込んでいない上司ならば、どうでしょうか?」
「自由に好きな物を注文できるということですか? そう言えば、他の知り合いの会社では好きな物を注文するって言ってたような。そのときはいいなって思った記憶があります」
「それがエネルギーなのです。雰囲気、空気で変わってくるのです」
「でも、それは上司のエネルギーに左右されるのであって、自分ではどうにもならないですよね?」「では、あなたのエネルギーが変わったらどうなるかをお話ししたいと思います」
「私のエネルギーが変わったら、何か変わるのですか?」
「あなたが、上司と違うものを頼むことはいけない、嫌われたりして不利になると思いながらも、でも、我慢しないぞと肩肘張った感じで、私はサンドイッチにしますと言うと、あなたのエネルギーはどう言う感じになると思いますか? どういう雰囲気になると思いますか?」
「何かギクシャクした雰囲気になるのではないかと思います。変な空気が流れるというか」
「そうですね、では、あなたは自分が好きな物を注文するのが当たり前だと思っていて、何も考えることなくサンドイッチを素直に注文したらどうでしょうか?」
「ちょっと皆、ん? って、なるかもしれませんが。何も言わないでしょうね」
「あまりにスッと、普通に注文されると、何も感じないのです。ここは感覚の話になりますので説明が難しいですが、本人の中に何もなければ、他の人も何も感じないのです。
あ、サンドイッチね・・・という感じになります」
「何となく分かるような気がします」
「あなたが意識してしまうと、上司や周りにもそれが伝わります。だから、何となくギクシャクした雰囲気になってしまうのです。でも、あなたが今まで話したような面倒なことを何も考えずに、ただサンドイッチが食べたいと思って注文すると、エネルギーがスッとしていますので、他の人に何もひっからないのです。そして、何ごともなく皆受け入れます。そして、そのエネルギーが共振すると、周りの人もそうなってきます」「皆もそうなるということは、自分の好きな物を注文するということですか?」
「そうです。それまでは上司の顔色を窺って忖度してパスタにしなければと思ったら、自分もそうしたいと思うのです。そして、そういう雰囲気ができると、上司もそうなります。自分に従うのが当たり前だという考えが変わっていきます。場の雰囲気が変わると考えも変わっていくのです。
それは、あなたが創り出した場の雰囲気、エネルギーの共振になります。無理して変えようと思わなくても、あなたの考えが変わると自然に変わっていくのです。それが共振なのです。
反対にあなたの考えが変わっていないのに無理に変えようとするとギクシャクして共振は起きません。だから、あなたの考えが大切になってくるのです。自然に自分が好きな物を選んで食べることは当たり前のことだと思っていたら、自然にそれが行動になって、周りにも共振していくのです。だから、上司の考えによってあなたの現実が変わるのではなく、あなたが自分の現実を変えることができるのです。そして、パスタで我慢することがなくなると、残業もイヤなら受けなくてもよくなります。上司のあなたへの印象が変わるからです」「私の印象が変わるというと?」
「上司は、あなたのことを・・・自分の意見をしっかりと持っている人だと思います。
そういう人には強制したり、圧力をかけたりしたりできなくなります。そして、ちゃんとあなたの意見を聞いてくれるようになります。尊重してくれるようなるのです」「気を悪くするのではなくて?」
「はい、そう思ってしまうように教育されているのです。従わない人は嫌われると思わされているのです。上司もそうやって教育されてきたので、従う部下が良い部下で、従わない部下はダメだと思っている節があります。でも、実際はそうではないのです」
「違うのですか?」
「あなたが上司ならばどうでしょうか? 何も考えずに、何でもあなたの指示をハイハイと聞く部下と、しっかりと自分の意見を言う部下とどちらを信頼しますか? しっかりと意見を言うというのは反抗することではありませんよ。自分の意見を持っているという意味です」「私だったら、後者の方が信頼できると思いますけど、でも、そんな物分かりのいい上司ばかりじゃないですよね。従う部下ばかりを重宝する上司も多いです」
「では、もう少し考えてみてください。従う部下ばかりを重宝する上司はどうでしょうか?
それは部下を大切にしている人ですか?」
「大切に・・・ですか? 大切にしていますかと言われると、大切にはしていないかな?」
「そういう上司のもとでパラレルを創り続けるとどうなるでしょうか?」
「そうです、そして、最終的にどのパラレルになりますか?」
「もっと好きなことをしておけばよかった・・・というパラレルですか?」
「そうです。そして、何も言わず我慢して上司に従っていても、”良い未来”がくるかどうかは分りません。部下を大切にしない上司は、部下の未来について何も考えていません。
ちょっとでも気に食わなければその部下を切り捨てます。そのような共有のパラレルを創ることになるのです。そのような共有のパラレルを選ぶかどうかは、今のあなたの考えひとつだということです」
「なるほどね」「余程、部下は何があっても上司に従うものだという凝り固まった考えを持っている上司でなければ、自分の意見をしっかり持っている部下を信頼すると思います。上司と部下という会社での立場はありますが、人同士として信頼できる関係になります。そうなると、お互い我慢することもなくなります。
前にも言ったように、お互いの意見が違うときには、落としどころを話し合って見つけることができるからです。納得し合える仕事ができるようになりますので、とても快適な仕事環境になります。自分の好きな物ではなく、上司や周りに合わせてパスタを選ぶパラレルと、自分の好きな物を注文するのは当たり前だと思ってサンドイッチを選ぶパラレルとでは、全く違う方向の枝になるのです。ちょっとしたことで未来のパラレルは大きく変わっていくということなのです」「アシュタールが、パスタだけのことではないと、言ったことがよく分りました。小さな選択が最終的に随分違うパラレルになっていくということですね」
「そうなのです。だから、一瞬一瞬の選択を真剣に考えていただきたいのです。今選択するパラレルの次には、どういうパラレルができていくのかをイメージしながら選択していただきたいのです。それには、最終的なパラレルを常に意識してください」「何を思いながら死ぬか・・・ですね」
「そうです、そこがとても大切なことなのです。そんな先のことは考えても分りません・・・ではなく、そこをしっかり決めておかなければ今の選択もできないということです。
ここまでパラレルワールドについて色々お話させていただきましたが、私が一番お伝えしたいことは、パラレルは特殊な世界の話ではなく、難しい学術的なことでもなく、SF映画の中の話でもなく、あなたの生活に密着したものだということです。そこをお分りいただけましたでしょうか?」「はい、大丈夫だと思います」
「そして、最終的なパラレルの話も理解していただけましたでしょうか?」
「はい、最終的にどう死ぬかということですね? 笑って死ぬか、後悔しながら死ぬかということですね?」
「極端な話、そうです。死ぬときのパラレルを決めることで、今どういうパラレルを創り、どのパラレルを選択すればいいかが分ります。もう一度確認させてください」
「はい、何でしょうか?」
「あなたの最終的なパラレルは楽しかったと言って死ねるパラレルですね?」
「はい」『アシュタール パラレルワールド』 P214〜P238 より ミナミ A アシュタール:著 破常識屋出版:刊
最終的なパラレルを決めることは、例えるなら、カーナビの目的地を入力すること。
目的地を設定したら、あとは、ナビからの指示に従って進むだけです。
パラレルを移行するときに従うべきは、心の声、つまり「感情」です。
好きなことや心地よいこともして、嫌いなことや心地悪いことをやめる。
日常のどんな些細なことでも、自分の素直な感情に従って決定する。
その積み重ねが、次々と望むパラレルを引き寄せ、ゴールである「最終的なパラレル」へと導いてくれます。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
今、私たちの共振している世界は,大きく二つの世界に分かれつつあります。
その二つの流れは,正反対の流れ
であり、木の幹が大きく二つに分かれて
います。
アシュタールは、この二つのエネルギーの流れは交わ
ず、まるで違う世界
となるとおっしゃっています。
これまで世界線を引き継いだ古いパラレルを生きるか。
それとも、それとは全く異なる、これまでになかった価値観に従う新しいパラレルを生きるか。
私たちは、意識している、していないに関わらず、どちらの世界に属するかの選択を迫られています。
どちらがいいとか悪いでありませんが、どちらを選ぶかは完全に自己責任です。
自分の内なる声に耳を傾け、後悔のない決断をしたいですね。
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