本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『禅が教えるビジネス思考法』(枡野俊明)

 お薦めの本の紹介です。
 枡野俊明さんの『禅が教えるビジネス思考法』です。

 枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんは禅僧です。
 曹洞宗徳雄山健功寺の住職であり、庭園デザイナーとしても高い評価を受けられています。

禅は「実践重視」の教え

 禅とは、世の中の真理、大宇宙の真理、すなわち時代が変わろうと生活様式が変わろうと絶対に変わらないものを、身体で体得しようとする行為のこと。
 頭で考えるだけではなく、実践すること何より重視する教えです。

 禅の基本的な考え方は、自分の人生を前向きに捉え、一生懸命に生きること
 悪い日は悪い日なりに、良い日は良い日なりに、一日一日をしっかりと味わいながら生き抜くこと。
 それが、よりよい人生につながるということです。

「なにものにもとらわれない」
「今を生きる」

 枡野さんは、このような禅の思想で考えると、仕事も考え方もラクになると述べています。

 本書は、禅の考え方をどのように現代社会で実践していけばいいかを解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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アイデアを出すために、必要なこと。

 枡野さんは、人が無心でつくったものには、他には真似のできない個性や、みているものを気持ち良くさせる清々しさがあると指摘しています。

 なにものにもとらわれず、目の前のことに神経を集中すること。
 まさに禅の精神そのものですね。

 着眼点や閃(ひらめ)きは、そのような精神状態のとき、思いもよらぬところからやってきます。
 何気なく過ぎ去っている日常も、昨日と今日ではまったく違います。
 同じ日は一日もありません。

 自然をよく観察する。
 そうすると、そこには思いもよらぬところに感激があります。よく観察するとアイデアは身のまわりにゴロゴロと転がっているのです。
 重要なポイントは、固定観念を持たないこと。
 そこに思い込みがあると、見えているのに見えないということがあります。見えているのに気がつかない。だから自分の心を縛らないことが大事です。

 アイデアというのは、まず身体で感じたものではないでしょうか。それを、思考力や手法によって、次の展開に結びつけていく。
「ああ、きれいな花が咲いたなぁ。そういえば南から暖かい風が吹いたよね」と、まず身体と心で感じる。その風と花は、縁があって咲いているわけですから、次はそれをどう捉えたらいいかと考えられますよね。そして次は、北風が吹いたらどうだろうと、頭の中で描けるかどうかが大事です。
 花が咲いたのを見て「三月になったからな」と言ってしまっては、それでおしまいなのです。
 日常を興味深く観察することが大切ということです。そういう目を持ってふだん過ごしていると、それまでは何ということないものでも、「ああ、あれっていいんじゃない」、「僕だったらこうするのに」って、すぐ気がつけると思うのです。
「木には木心、石には石心、大地には大地の心」といいます。
 私が庭園の仕事をするとき、たとえばその場所が斜面地だったら、それを削って平らにすることは簡単です。でも、この特性をどう生かそうかと、まず考えてみる。そしてそこに自分が立ったとき、どういう気持ちになるかを考えてみる。
 斜面地だと、遠くの景色が美しく見えて、それがとても心地いいのかもしれない。その景色から自分がどういう感覚を得られたのか。どういう気持ちになれるかということをメモするのです。
 そうしたら、この心地よさや広がりの雄大さを、どういうふうに人に伝えようかと考えればいいのです。

【柔軟心 にゅうなんしん】
 執着や偏見をすべて捨て去った自由な心を、道元禅師は「身心脱落(しんしんだつらく)」といいました。良いとか悪いとか決めつけないで、心を柔軟に持つことが大切です。

 『禅が教えるビジネス思考法』 第1章 より  枡野俊明:著  日本経済新聞出版社:刊

 狭い部屋の中で、一人考えこんでも、なかなかいいアイデアは浮かんでこないものです。

 考えることをやめて、内側に向いている意識を外に向ける。
 そうすることで、アイデアの種を見つける可能性が増えるということですね。

 固定観念を持たない柔軟な心を持つこと。
「考える」より「感じる」こと。

 つねに意識したいですね。

なめられない人間になるには?

 人のことを軽く見て、なめた態度で接することは、未熟さを自ら示しているといえます。
 もちろん、そのような態度を示す人とは関わらないことが一番です。
 しかし、職場では、そういうわけにはいかないこともありますね。
 枡野さんは、そのようなときの対処法について以下のように述べています。

 相手に敬意を払わず、人を見下して優位に立とうとする人は、人を見るとき、何かつけ込む隙(すき)はないか、見下すきっかけはないかと、いつも探している。
 この手の人から身を守るには、相手が「こいつにはかなわないな」と思うような強みを一つ持つことが大事です。
 これに関しては誰にも負けないというものを持っていると、相手は迂闊(うかつ)に踏み込めなくなるものです。

 さらに言うと、肝を据(す)えた人間になることです。
 どっしりと、何が来ようが大丈夫、かまわない、という人と話していると、安心感が心に残ります。
 一方、こちらの投げかけにいちいち過敏に反応する人は、どこか頼りない印象を与えます。こういう人は責任ある仕事は任せてもらえないなど、大事な場面で損をすることもあります。

 肝の据わった人間になるには、自らの為(な)すことを一つひとつていねいに、納得するように行うことが必要です。
 極端に言えば、一つひとつの所作に命をかける。
 すると物ごとの本質が見えてきて、自分の生き方について揺るぎない自信をもてるようになります。
 自信がつけば必然的に肝が据わってきて、人がどのような態度で接してきても一喜一憂せず、おおらかな心で受け止められるようになる。
 この境地まで達すれば、なめられるより、むしろ一目置いて尊重されるでしょう。
 ただし評価されたいという気持ちでいると、そこにつけ込まれる隙(すき)が生まれます。評価を気にせず、為すべきことを真剣に行う。それだけでいいのです。

【常行一直心 つねにいちじきしんをぎょうず】
「直心(じきしん)」とは正しい心、真っすぐな心をいいます。煩悩(ぼんのう)や執着、分別(ぶんべつ)にとらわれない心、即(すなわ)ち、清らかな心で何ごとに対しても全身全霊(ぜんしんぜんれい)で打ち込んでいくことが大切です。

 『禅が教えるビジネス思考法』 第2章 より  枡野俊明:著  日本経済新聞出版社:刊

「強い犬ほど吠えない」といいます。
 周囲の視線が気になり過ぎる人は、自分に自信がないから、つまらないことにいちいち反応します。

「評価を気にせず、為すべきことを真剣に行う」

 面倒な人を遠ざけ、雑音を封じるには、最も効果的な方法ですね。

部下の面倒をみる余裕がない。

 魚は水が合わないと育ちません。
 海に住む魚は、淡水では育たないし、淡水の魚を海に放しても育ちませんね。
 逆にいうと、魚は水が合えば、どんどん成長していくということです。

 人間の成長も同じです。
 人は皆、違った才能や能力を持っています。別の言い方をすれば、海水魚は海水、淡水魚は淡水というように、人それぞれに得手(えて)、不得手がある。
 それを無視して苦手な仕事まで教えようとするから、非常に効率が悪く、期待していたよりも成果が出ないのです。
 部下に力を発揮してもらいたければ、部下の適性を見抜いて、得意な仕事を割り振ることが大切です。そうすると、とくに手取り足取り指導しなくても、こちらが想像していた以上の成果を残してくれる。
 どう教えるかより、何にチャレンジさせるか。
 そのほうが人の成長に大きな影響を与えるのです。

 チームで仕事をする場合は、全員に得意なものばかりやらせるわけにはいかないでしょう。当然、さまざまな制約が出てきます。
 しかし、こういうときも、メインには適性のある人を据えて、不得手な人はサブについてもらうといった発想が大事です。
 そうすることで、教え合う関係が成立します。得意な人は教えることによって、改めて自分の仕事のツボを再確認でき、またサブの人は、相手の仕事ぶりを見て、大きな気づきやヒントを得られるでしょう。こうやってお互いが成長できます。
 また、教えるときには、すべてを教えようとしてはいけません。たとえ本人が悩み苦しんでいたとしても、最後は自分の頭で考えさせる。これが大切です。
 人から聞いた答えは、その場が終わると同時に忘れやすいものですが、自分で悩み苦しんで出した答えは、後に財産となって残ります。そうしてこそ成長といるのです。

 上司や先輩は、部下や後輩の適性を見極めて、挑戦する機会を与える。そして、できるだけ自分で考えさせること、それにつきるのではないでしょうか。

【形直影端 かたちなおければかげただし】
 姿勢が正しく美しければ、その影も自然と端正になるという意味。指導に当たる人間の後姿が、魅力的であれば、その姿を見て人は自然とついてくるものです。

 『禅が教えるビジネス思考法』 第3章 より  枡野俊明:著  日本経済新聞出版社:刊

 自分の苦手なことばかりやっていると、ますますやる気がなくなり成果も出せなくなります。
 逆に得意なことをやれば、やる気もどんどん湧いてきて、より多くのことを吸収できます。

 自分に合った水を見つけ、そこを自らの活躍の場とすること。
 自分がより成長するためには、欠かせないことですね。

昔の失敗が気になる。

 私たちは、過去のことにとらわれがちです。
 おかしてしまった失敗を気にしていつまでもくよくよしたり、過去の出来事がトラウマになって、前に進めなかったり、過去から離れられない人も多いです。

 枡野さんは、過去は過去。悔やんだところで過去は何も変わらないのだから、放っておけばいいのだと述べています。

 禅には「前後際断(ぜんごさいだん)」という言葉があります。これは過去は過去、現在は現在、そして未来は未来というように、それぞれはバラバラに存在していて、連続したものではないという考え方です。
 過去の出来事を引きずってしまうのは、過去が現在に影響すると考えているからです。
 しかし、本当は過去は過去で完結しています。
 過去の出来事は、いまさら隠したり取り繕うこともできないし、もしできたとしても現在に何の関係もない。もう終わったことだと断ち切って、いま為すべきことに集中するしかないのです。

 これは未来に対しても同じです。
 将来のことを考えて、不安になっている人もいるかもしれませんが、現在は現在、未来は未来です。
 必要以上に不安になって、それにとらわれるのは、過去を引きずる人と何も変わりません。

 禅宗の二祖である太祖(たいそ)慧可(えか)が、初祖である菩提達磨に(ぼだいだるま)に、「いくら書物を読んでも、心が不安で仕方がない。不安を取り除いて落ち着かせてください」と願いました。すると達磨大師は次のように応えたそうです。

「すぐに取り除いてあげよう。だから、その不安をここに出してくれ」
 慧可はそれを聞いて、自分の心の中を探りました。
「心の中を探ってみましたが、不安が見つかりません」
「ならば、もう不安は取り除かれたのだな」
 こうして達磨は弟子に、不安というものは実体がなく、人間が心の中で生み出した妄想であることを伝えたのです。

 すでに取り返しのつかない過去のことや、まだ起きてもいない未来のことに縛られて、現在をおろそかにしてはいけません。
 後悔や不安から自由になって、いまを一生懸命に生きる。
 私たちにできるはそれだけであることを肝に銘じたいところです。

【前後際断 ぜんごさいだん】
 禅では、一瞬一瞬が絶対的存在であり、前も後も断絶していると考えます。昨日は昨日、今日は今日、明日は明日であり、それらはまったく連続していない。だからいまのこの一瞬を、一息に生きるのです。

 『禅が教えるビジネス思考法』 第4章 より  枡野俊明:著  日本経済新聞出版社:刊

 不安というものは、実体のないものです。
 不安の元をたどっていくと、すでに起こってしまった過去の出来事かまだ起こっていない未来の出来事が原因であることがわかります。
 心が不安なのは、過去や未来に心が囚われてしまっている証拠だということですね。

「いまを一生懸命生きる」

 結局、それが後悔や不安から自由になるための唯一の方法です。

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 現代社会は、IT(情報技術)が発達して便利になった反面、ものごとが複雑化してさまざまなストレスを抱え込むようになりました。
 仕事の量は増える一方で、より短い時間で、正確なアウトプットを求められます。

 誰もが先の見えない未来に不安におびえて、ストレスを抱えながら日々暮らしている。
 そんな時代だからこそ、「禅」の精神はますますその存在価値を増していきます。

「なにものにもとらわれない」
「今を生きる」

 どんな状況でも心を健やかに保ち、自分を守るための智慧。
 日本に古くから伝わる貴重な財産です。私たちも、ぜひ活用したいですね。

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