本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『美しい人をつくる「所作」の基本』(枡野俊明)

 お薦めの本の紹介です。
 枡野俊明さんの『美しい人をつくる「所作」の基本』です。

 枡野俊明(ますの・しゅんめい)さんは、曹洞宗徳雄山健功寺の住職であり、庭園デザイナーとしても国内外から高い評価を受けられている禅僧です。

「所作」を整えれば、心も体も生き方も美しくなる

 枡野さんは、禅には、人が美しく生きるための、ものすごくたくさんの知恵が詰まっていると述べています。

 禅の修行とは、私たちの「所作のすべてを整えること」なのです。
 心を整えるために、まずみずからの所作を整えることから入るのが禅の修行です。立ち居振る舞いが整えば、自然と心も整う。心が穏やかであれば、言葉にやさしさや思いやりがにじみ出てくるものです。
 逆に立ち居振る舞いが乱れていると、心も乱れ、自然と言葉づかいも乱れてくる。これは自然な流れです。
(中略)

 所作が整えば、心も綺麗になるし、身のこなしも綺麗になる。そういう人は、他人の目に「美しい人」として映るようになります。何よりも、本人が清々しく生きることができ、心も強くなるのです。

 『美しい人をつくる「所作」の基本』 第一章 より  枡野俊明:著  幻冬舎:刊

 本書は、姿勢や言葉遣いなどの振る舞いを整え、「美しい人」になるための方法が詰め込まれた一冊です。
 その中から印象に残った部分をいくつかご紹介します。

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「所作」・「呼吸」・「心」は三位一体

 禅には、「座禅の三要素」とされる「調身、調息、調心」という言葉があります。

 調身は、「姿勢を整える」こと。
 調息は、「呼吸を整える」こと。
 調心は、「心を整える」こと。

 この三つがそろうと心やすらかな境地にいたることができるのですが、それほど「姿勢」と「呼吸」と「心」は深くかかわり合っています。
 つまり、姿勢(=所作によって成り立つ)が整うと呼吸が整ってくる、呼吸が整うと心が整ってくる。これらはそんな関係にあります。文字どおり、三位一体(さんみいったい)としておたがいに結びついているのです。
 逆にいえば、所作が整わなければ呼吸も整わないし、呼吸が整わなければ心も整うことはない、ということになります。この座禅の三要素は、そのまま美しい人になる必要条件だ、と私は思っています。
(中略)
 美しい人をちょっと気にして、注意深く観察すると、所作、呼吸、心が、まさしく三位一体だということが、明確になるのではないかと思います。所作は美しいけれど、呼吸は乱れているし、イライラしていて怒りっぽい、ということはないのです。

 『美しい人をつくる「所作」の基本』 第一章 より  枡野俊明:著  幻冬舎:刊

「姿勢」と「呼吸」と「心」は、三位一体。
「姿勢」を正して「呼吸」をゆっくりと行なえば、自然と「心」もゆっくりと落ち着いた状態になります。

 どうしても心が不安定で、イライラしてしまう。
 そんな人は、動作や呼吸をゆっくりと規則正しくすることを意識することから始めましょう。

姿勢を整えるために意識すべきポイントは?

 姿勢を正しく整えるために、最初に意識すべき体の部分があります。
 それは「頭」「尾てい骨」の位置です。

 頭のてっぺんから尾てい骨まで一直線になるようなイメージを持っていください。
 頭と尾てい骨が正しくその位置におさまると、背筋が伸びて自然に顎が引け、背骨がS字カーブを描くようになります。これが正しい姿勢。首が頭をきちんと支え、上半身の重みが両脚にバランスよくかかっていて、もっとも体に負担のかからない形です。見た目も清々しく、りりしい感じがしますね。また、胸も開きますから、呼吸がしやすくなります。姿勢が整うと、呼吸も整うのです。
(中略)
 一方、姿勢が崩れると、重い頭を首が支えきれなくなり、前に倒れて頭が落ちた状態になります(頭の重さは、成人で約五キログラムもあるとされます)。肩は後ろに下がって前かがみになる。これでは胸が圧迫され、内臓にも負担がかかってしまいます。呼吸がしづらくなり、内臓機能にも支障をきたしかねません。

 『美しい人をつくる「所作」の基本』 第二章 より  枡野俊明:著  幻冬舎:刊

 最近、パソコンなどを長時間使う仕事が増え、姿勢が崩れている人が多く見られます。
 姿勢が崩れると、肩や首のこり、ストレスやイライラの原因にもなります。

 正しい姿勢でいることは、慣れるまでは窮屈な感じがします。
 しかし、一番無理のない姿勢なので、長い目で見ると疲れにくいです。

 一度、自分の立ち姿、座り姿を見直したいですね。

「あるがまま」を受け入れ、それとひとつになること

「心」という捉えどころのない存在を整える。
 そのためには、まず、心としっかりつながっている、“形としての所作”を整えることです。

 その際のコツは、“あるがままを受け入れ、それとひとつになる”ことです。

 たとえば、食事の所作を整えたい――つまり、美しい食事をしたいとき、箸はどう使ったら見栄えがいいかしら?ごはんは一度にどのくらい口にするのが綺麗? お茶を飲むとき茶碗はどんなふうに持つとかっこいい?・・・・と考えるのではないでしょうか。
 しかし、禅ではこう教えます。「(逢茶:おうさ)喫茶(逢飯:おうはん)喫飯」。読み下せば、「(茶に逢うては)茶を喫し、(飯に逢うては)飯を喫す」となりますが、これは、お茶を飲むときは、ただ、お茶を飲むことになりきればいい、ごはんを食べるときは、ただ、食べることになりきればいい、ということです。
 お茶を飲むこと、ごはんを食べること、ただ、そのことだけに一所懸命になる。見栄えがどうとか、どうすれば綺麗とか、そんな余計なことに囚われず、ひたすら今自分がしていることに打ち込む。それがこの禅語の意味です。
「ひとつになる」ということもそういうことでしょう。それが整った所作です。
 一服のお茶を心ゆくまで楽しんでいる姿、一膳の食事を、ただ、それだけを心の底から味わっている姿。それにまさる美しい所作があると思いますか?
 一挙手一投足、すべての所作についてそれがいえます。
「ひとつになる」
 所作を整えようとするときの心がまえとして、これ以上に重要なことはありません。

 『美しい人をつくる「所作」の基本』 第三章 より  枡野俊明:著  幻冬舎:刊

 その時その時の自分のやるべきことに専心すること。
 その積み重ねが、「所作」を整えることにつながります。

「ひとつになる」

 何をするにも、頭の片隅に入れておきたいですね。

すべての始まりは「あいさつ」から

 人と人との触れ合いも対話も、「あいさつ」から始まります。
 自分から大きな声であいさつをすることは、社会人のマナーの基本です。

 枡野さんは、あいさつにおける美しい所作について以下のように述べています。

 あいさつは漢字で「挨拶」と書きますが、これはもともと禅語です。漢字の「挨」も「拶」も“押し合う”ということ。禅僧がおたがいに押し問答をするなかで、心のなかを押しはかり、相手の悟りの程度を知ろうとする、というのがその本来の意味なのです。このことからも、挨拶が心に働きかけるもだということがわかりますね。
 挨拶のポイントがもうひとつあります。それは「形」。気持ちのいいあいさつの言葉は、形が整うことで所作として完成されるのです。
「和顔」というのは、穏やかでやさしい表情のことですが、これがもっとも大事。和顔は言葉にいっそう力を与えます。
 対句となっているのが「愛語」で、「和顔愛語」の四字熟語として使われます。穏やかな表情になれば、言葉も自然に相手に対する親愛を感じさせるものになる。言葉はパワーを増すわけです。
 形でいえば、「語先後礼」という作法を覚えておくといいでしょう。つまり、相手をきちんと見てまず「おはようございます」の言葉を述べ、そのあとに丁寧に頭を下げるのです。言葉とお辞儀を同時におこなうより、言葉もはるかによく相手に伝わりますし、所作全体も綺麗。“ひと味違う”あいさつになります。

 『美しい人をつくる「所作」の基本』 第四章 より  枡野俊明:著  幻冬舎:刊

 あいさつは、すべての始まりです。
 美しいあいさつができなければ、美しい「所作」も身につきません。

 いつでも笑顔で、ハキハキとしたあいさつを心掛けたいですね。

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「禅」は、鎌倉時代に中国から伝わり、日本人の感性に合った形に独自の進化を遂げました。

 枡野さんがおっしゃるには、「禅」とは、余計なものを極限まで削ったシンプルさのなかに、本質を突く鋭さと深さ、広がりを持ったもの
 その感覚は、日本人に本来備わった美意識と根本的につながっています。

「禅」のエッセンスを取り入れた、美しい「所作」。
 私たちも、それらを身につけて、心も見た目も美しくなりたいですね。

 

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