【書評】『NO LIMIT ノーリミット』(栗城史多)

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 お薦めの本の紹介です。
 栗城史多さんの『NO LIMIT ノーリミット』です。

 栗城史多(くりき・のぶかず)さんは、登山家、起業家です。
「冒険の共有」をテーマに、全国で講演活動をされるかたわら、年に1、2回ヒマラヤ地域で高所登山に挑戦されています。
 現在、過去3回挑戦して失敗に終わっている、世界最高峰のエベレストの単独無酸素登頂に向けて準備中です。

「限界」を超える


 栗城さんは、危険な8000m級の山々の単独登頂に挑み続ける理由を、以下のように述べています。

 なぜ、山に登るのか?
 そこに、山があるから。
 ・・・という、有名なやりとりもあるが、僕の場合は、ちょっと違う。

 生と死の狭間で「生きる」僕の姿を、同世代の若い人たちにリアルなメッセージとして伝えたいのだ。

 そして、皆さんが少しでも元気になったり、「こんな人でもできるんだったら、僕にも、何かできるかも」と思ってくれる人が、一人でも多く増えたら、それだけで、僕はすごくうれしい。
 僕はどちらかというと運動神経が鈍く、人見知りでもあるし、少し前までは「ニート」でもあった。
 山登りを始めたきっかけも、「山登り好きの彼女にふられたから」という実にちっぽけなものだ。

 そんな男が、酸素が地上の3分の1、気温はマイナス40度にもなる過酷な世界へどうやって挑んでいったのか。
 どうやって苦痛を乗り越え、やりたいことを実現していったのか。
 僕はただ目の前にある壁を、思い切って越え続けてきただけだ。
 登山家の目標は、山に登ることで、実際、僕は単独で山に登り続けた。
 でも、一人では、限界がある。
 誰かと共有し、感動を分かち合うのが、本当の冒険だと思っている。
 みんなが見たことがない景色と、世界中の人たちの心を結びたい。それが僕の夢。

 正直、生か死の世界だし、たまに怖いなと思う時もある。
 それでも、たとえ命をかけても叶えたい夢だ。

 本当は誰もが、どこでも生きたいところに行ける。
 やりたいことは、なんだってできる。
 そういうものなんだっていうことを、一人の男が泣いたり笑ったりする姿を通して、感じ取ってもらいたい。
 だから僕は山に登る。
 見えない山に登っている、たくさんの人たちのために。

 『NO LIMIT ノーリミット』 No1 より  栗城史多:著  サンクチュアリ出版:刊

 誰かと共有し、感動を分かち合うため。
 それを実践するかのように、ヒマラヤの8000mを超える山々を登頂する様子を、自ら持参したカメラでインターネットで動画配信するというチャレンジをしています。

 自分の力を試したい。
 自分の限界を超えたい。

 そのストイックな気持ちは、今までの登山家と同じ精神です。

 栗城さんは、自分の恐怖や壁を超えていくために、感動や苦難を周囲の人と共有するという方法をとります。
 いかにも、現代の若者らしい発想といえます。

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一歩を踏み出す


 栗城さんの登山人生は、周囲からの逆風への反発が出発点です。

 栗城さんが、本格的な登山を始めるきっかけ。
 それは、22歳の時に初めての海外旅行での北米最高峰のマッキンリーへの登頂でした。

 全員に「無理だ」と反対されれば、ためらったり、やめてしまう人も多いだろう。
 だが、それは本当に不可能なのだろうか。
 反対する人たちの言うことは、本当に正しいのだろうか。

 一歩を踏み出す勇気は、「今、やりたい」という自分の気持ちを信じることから生まれる。

 正しかった、間違っていた、は結果ではなく、自分自身で出す答えなのだから。
 僕がまだ最高でも富士山までしか登ったことがなかったころ、マッキンリーという北米最高峰の山に憧れを抱いた。

 一人で登ってみたいという気持ちを周囲に話したら、「不可能だ」「お前にできるはずはない」「死ぬぞ」と猛反対を受けた。
 誰も応援してくれなかった。
 もしあのとき反対を受け入れていたら、ずっとその先も、「反対されればやめる」自分のままだっただろう。
 ならば自分は、いったい何のために生きているのか。
 生きている心地がしなかった。
 僕は「生きる」という選択をしたかった。

 皆が反対していたくらいだから、たぶん自分の考えは間違っていたんだろう。
 たしかにアラスカの山は、とんでもないところだった。
 氷河におおわれ、大きなクレバスが開き、日本では考えられほどの強風が吹き荒れていた。
 16日間の登山は、つねに死と隣り合わせだった。
 でもどうにか山の頂上に立つことができて、足下にある巨大な氷河、山々を眺めた瞬間、

「不可能」は自分自身が作っていた幻想だと気がついた。

 その瞬間、心は世界とつながる。
 そして無限の可能性を感じはじめることができる。
 踏み出した瞬間は、とても孤独かもしれない。
 だが「その一歩」があるからこそ、本当の自分と出会うことができる。

 『NO LIMIT ノーリミット』 No2 より  栗城史多:著  サンクチュアリ出版:刊

 みんなの反対を押し切って挑戦し、登頂に成功したことで、自分の心にあった壁が崩れたと述べています。

 栗城さんは、その後、次々と単独で世界の高峰に登り続け、自分の限界に挑戦し続けます。 

当たり前ではなく有り難う


 8000m級の山々への登山は、それこそ命懸けのチャレンジです。
 これまでに、何人もの熟練した登山家たちが、命を落としています。

「死」が身近に感じられる、非日常的な過酷な状況。
 その中で、登山家たちは、どのようなことを感じるのでしょうか。

 高い山をめざすほど、死というものは近くなる。
 でも死んだように生きるよりはよっぽどいい。
 すべての人には死がある。
 そのことを受け止めて生きるということが大切だと山から教わった。
 長い短いとか濃い薄いではなく、その一瞬一瞬を、いかに生き抜くか。
 
 生きるということは決して当たり前のことではなくとても大変なことだ。
 だからこそ生きていることの素晴らしさを伝え合い、当たり前のことに感謝したい。
 当たり前のことがここでは当たり前じゃない。
 食べる。寝る。大好きな人と会うこともできないこの世界に来たとき、自分がいかに生かされ、生きているかを思い知らされる。
 だからこそ1日1日を大切に生きたいと思う。
 山を登ることは特別でも、すごいことでも何でもない。
 でも命の限りを気づかせてくれたこの山は、すべてをかけて登っただけの価値があり、太陽の光や、自然のすべてが僕を生かしてくれていることに感謝したい。
 山は登るものではなく、見上げるものだ。
 山に来るたび、いつもそう感じさせられる。

 ポジティブになるには、なんにも考えないことだ。
 素直が一番。どんなに能力があっても偉くても、素直な人間には勝てない。
 ふだんの生活を素直に「しあわせだな!」と感じられれば、しめたもの。

 『NO LIMIT ノーリミット』 No21 より  栗城史多:著  サンクチュアリ出版:刊

「死」というものが、身近に感じられる。
 栗城さんは、だからこそ、生きるということの大変さ、ありがたさを感じると述べています。

「自分はいかに生かされ、生きているかを思い知らされる」

 それは、生と死が隣り合わせの世界に身を置く人の実感でしょう。

「当たり前」を「当たり前」としない。
 幸せを素直に感じる。

「人生」という登山の極意に通じます。

As for Everest エベレストとは?


 栗城さんは、エベレスト単独登頂に対する想いを、以下のように伝えています。

 僕の夢はエベレスト登山を通して、世界中の人たちとつながることだ。
 この大きな夢のために、今まで長い時間と労力をかけてきた。
 誰もいない世界の最高峰へ。
 空気はありえないほど薄く、そして太陽の近さを感じる。
 ここが終わりであり、そしてはじまりである。
 登山家だけではなく、大きな山に登っている人は大勢いる。
 だが何をめざしていようとも、ここが限界、ここが最終地点と決めつけた瞬間に、すべてが終わるだろう。
 終わりは、はじまりだ。
 もっと大きな山に向かおう。
 道のない道を歩き続けることで、未来は切りひらかれていく。
 
 さあ、終わりなき頂上へ。

 『NO LIMIT ノーリミット』 No27 より  栗城史多:著  サンクチュアリ出版:刊

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 栗城さんにとって、エベレスト単独登頂は、最終目標ではありません。

「終わりは、はじまり」

 いつまでも、更に高い頂に向かって突き進んでいくことでしょう。
 人間の能力に限界がないのならば、登るべき「頂上」もまた無限の高さまで存在します。

 エベレスト単独登頂、無事に成功するといいですね。
 栗城さんの挑戦が、今後も多くの人の勇気と力になることを願っています。

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