【書評】『DXの思考法』(西山圭太)

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お薦めの本の紹介です。
西山圭太さんの『DXの思考法 日本経済復活への最強戦略』です。

西山圭太(にしやま・けいた)さんは、東京大学未来ビジョン研究センター客員教授です。

DXとはCX(カイシャをつくり変えること)である

最近、ニュースや新聞などで話題になっている「DX」
DXとは、デジタル・トランスフォーメーション(Degital Transformation)の略で、「生活のあらゆる面を、ITを使って改善する」という意味になります。

DXは世界的な流れであり、当然、その波は日本企業にも押し寄せています。

日本企業にとってのDXは、単なるITを使ったデジタル化、オートメーション化ではありません。
経営そのものを見直す必要に迫られており、その動きを「コーポレート・トランスフォーメーション(=CX)」と呼ばれています。

変革が迫られているのは、個々の企業だけではないです。

西山さんは、企業が活動する産業そのもの、消費者を含めて取引を行う市場そのものが、新しいかたちにトランスフォームしつつあると述べ、それを「インダストリアル・トランスフォーメーション(=IX)」と名付けています。

 IX時代の経営のロジック、デジタル化のロジックを、個人と組織の身体に刻み込む。それがDXの本質である。それによって、すぐには自分ではプレイしない人も含めて、社内のできるだけ多くの人がサッカーに慣れるようになる。では、IXそしてデジタル化を、専門的な知識を大量に詰め込むというやり方ではないやり方で、どう理解し、身体に刻み、どう実現につなげれば良いのか。
本書は、三つのアプローチをとる。
第一は、これまでのロジックと新しいロジックとを、対比し関係づける、ということである。これまでのロジックとは、ものづくりのロジック、タテ割りのロジック、カイシャのロジック、つまりこれまでの日本が個人としても組織としても慣れ親しんだロジックである。こうしたロジックは、日本を経済的な成功に導くうえで合理性があったし、今後も完全になくなるわけではない。では、なぜ以前はうまく作動していたロジックがうまく行かなくなったのか。これまでのロジックと新しいロジックは、どう違い、どのような距離感にあるのか。それを理解できてはじめて、「探索」と「深化」の両方をこなし、両方をうまく組み合わせるやり方――つまりは日本企業の勝ち筋――を見出すことができるはずである。逆に言えば、それを理解せずにデジタル化に取り組むと、体質が変わらないのに単に流行、バズワードを追うだけのことになりかねない。つまり、2つのロジックを対比するという作業は、本気でIX時代を戦い抜く上で必要なことなのである。
第二は、新しいロジックを、わかりやすく表現する、ということである。「決定的なことが起きる」、非連続的な変化が起きるということは、これまで我々が見たことのない、経験したことのない領域に突入するということである。これまでほとんどの人が見たこともないものを、文章だけで伝え、共感を得ることは難しい。何かの工夫が必要である。
わかりやすくするために、本書がまず試みるのは、図形的に「かたち」で表現する、ということである。アリババの最高戦略責任者だったミン・ゾンによれば、アリババ社内で戦略を議論する際には、エコシステムの基本的な戦略的ポジションを、点、線、面、という幾何学用語で説明するのだそうだ。本書でも、IX後の新しい産業のエコシステムを幾何学的に「レイヤー構造」(重箱が幾重にも重なるような層の構造。お菓子のミルフィーユのような構造だといってもよい。英語だと、スタックとも呼ばれる)と表現する。なぜそう呼ぶのか、そうした構造になぜなってしまうのか。それは、本書の主張の中核に関わることであり、以下で順次説明する。
いま一つは、具体例を使うということである。その際、もちろん具体的なビジネスの事例も使うが、同時に「食」に関係する事例を多用する。それは私が食道楽だからというだけではなく、食は誰もが日常的に経験する分かりやすい事例であると同時に、しかしよく考えると、素材から調理のテクニック、器具に至るまで、複雑な事柄を織り込んでできあがったバラエティー豊かなものだからである。ミルフィーユに喩えたのは、その手始めである。

『DXの思考法』 第1章 より 西山圭太:著 文藝春秋:刊

西山さんは、本書の目的をIX時代の地図のようなものを描くことだと述べています。

本書は、企業がデジタル化時代を目的地に向かって進んでいく「地図」とは何かを説明し、自らその「地図」を描き換える方法について解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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コード化できるか、できないか

これまで日本の製造業の競争力を支えきたのは「暗黙知」
すなわち、企業を超えて、あるいは工場現場を超えて共通化することが難しい知識やノウハウです。

 暗黙知である以上、それを身につけるには学校で教科書を勉強するというスタイルでは限界があり、企業を越えて持ち出すこともできない。あくまでも同じ釜の飯を食ってコミュニケーションを円滑にし、共有し、終身雇用を謳うなかで、はじめて競争力の源泉としての「あ・うんの呼吸」と暗黙知を育てることが可能であった。まさにそこにカイシャの意味があった。
この日本企業の強みの源泉が暗黙知である、ということに着目し、かつその後のデジタル化がもたらすインパクトをある意味で予見して分析したのが、故青木昌彦スタンフォード大学教授である。青木先生が分析を始めたころの問題関心は、まだ日本的経営が優勢の時代であり、当時の日本企業の優れたパフォーマンスを、単に文化的特性と言ったようなことではなく、どう科学的・経済学的に分析可能かということであった。文化的特性から始まる議論は、当時そうであったように、日本特殊論となり、やがて「日本たたき」「日本バッシング」になるからである。
青木先生の分析は、彼我の経営の差を超えて日本と米国という経済システムの比較分析(比較制度分析)に発展することになる。そのときの鍵となる概念が暗黙知と形式知であり、青木先生はコード化できる知かコード化できない知か、と呼んだ。当時は現在のような全面デジタル化の時代ではないから、コードかといっても「ソフトウェア」や「プログラム言語で書く」ということではない。現在でも「日本企業にはジョブ・ディスクリプションがない」といわれるが、むしろそちらの話、つまり職務や役割を客観的に言語で記述できるかどうか、ということにあった。
言うまでもなく、記述できなければ狭いコミュニティのなかでの共有になじみ、記述できるならば広い範囲での共有になじむ、ということになる。単純化すれば前者が当時の日本的な経済システムのありよう、後者が米国的な経済システムのありようだ、ということになる。
時代はそこから進んだ。デジタル化は汎用的なアプローチで解ける物事の範囲を次々に拡大している。人工知能の完成に近づく、とはそういうことである。そしてその時代の流れのなかで、かつては世界の中ではヨコ割りだった日本企業の経営が、いつしかタテ割りになったのである。逆に言えば、もともと日本がタテ割りだったわけではないし、文化的に運命づけられているわけでもない。
また、ここで誤解がないように言えば、課題を解くときの汎用的なアプローチが広がっている、ということと、課題自体が、あるいは我々の生きている世界自体が画一的になる、ということは全く別な、むしろ逆の話である。
チューリングがコンピュータの原理を思いついたことで、あるいはシャノンがスイッチングを使えば代数の問題が解けると気づいたことで、数学の問題自体が画一化されたわけではない。数学の問題であれ、画像であれ、多様性は多様性のままに残される。
多様な存在を汎用的なやり方で捉えることができる、そんなことがどうして可能になるのか。
その鍵となるのが、共通的な手法で解が出る範囲の水位が上がっている、というときの、「水位」を上げているものの正体であり、そのメカニズムである。それを「かたち」として図形的に表現すれば、層・レイヤーが積みあがる構造、菓子のミルフィーユのような構造である。

『DXの思考法』 第2章 より 西山圭太:著 文藝春秋:刊

「職人技」とか「名人芸」とか言われる、豊富な経験に基づいた勘や感覚の世界。
言葉や数式で表現できないからこそ、周りに対して優位性を保つことができました。

しかし、インターネットを通じてすべてがつながるようなデジタル化社会では、その閉鎖性が足かせになります。

企業や工場に眠っている「暗黙知」という隠された宝。
それらを誰にでも使える一般的な知識やノウハウに変えることができるか。

それが日本企業がDX時代を生き残っていくためのカギになりますね。

「レイヤー構造」とは?

DXの本質を理解するうえで重要な概念のひとつが「レイヤー構造」です。

西山さんは、このレイヤー構造を説明するために「エルブジ」というヨーロッパのレストランのシステムを紹介しています。

 エルブジのシステムの第一のポイントは、「いきなり具体的な料理そのものやメニューを考えない」ということにある。
エルブジのチームの作業は、様々な食材と調理のテクニックを蒐集(しゅうしゅう)し、テストすることから始まる。エルブジが営業していた時期は、ちょうど冷戦の終結を契機とするグローバル化の時期と重なる。それもあって、エルブジのチームは世界中から食材を集めた。次に入手した食材を「いじる」。例えば同じアスパラガスでも、切り方、切り口、によって全く食感が変化する。そうして食材にひと手間を加える作業を様々な食材についてひたすら繰り返していく。それを通じて、例えばアスパラガスならアスパラガスの本質的な味(エルブジでは遺伝子と呼ぶ)と、それを表現する様々な切り方、かたちなどを表現型として整理していく。
次に様々な調理方法、テクニックを試す。それは例えばスペイン料理では使うがフランス料理ではあまり使わないテクニックをあえてフランス料理の食材に当てはめることもあれば、かつては使われていたが今は忘れられた調理法を掘り起こす場合もある。最も有名なのは、新しいテクノロジーを使って生み出した調理法を試すというものであった。例えば、「フォーム」(泡)と言われているが、ムースよりも軽い食感を追求するなかで、サイフォンを使ってまさに泡のような素材を作るというテクニックが発明され、様々な食材に応用された。
ここまでくると、食材×テクニックという表のようなものができる。さらにそれらと組み合わせるソースもかけ合わせる。そうするとそれらから出来上がる料理の仮想候補リストのようなものが出来上がる。その「食材×テクニック×ソース=そこから出来る料理」という構成からなる大きな表のことを、エルブジではメンタルパレットと呼んだ。
ここまでの第一段階の作業を行うために、エルブジはレストランから100km以上遠く離れたバルセロナに別の拠点を持っていた。「ワークショップ」とか「イノベーションセンター」と呼ばれている。レストランが閉店している半年間は、主としてこちらで活動していたようだ。
(中略)
まず注目すべきは、全ての出発点として、ビジネスを大きく二つのレイヤーに分けた、ということである。一つは主としてバルセロナにあったワークショップで行われたレイヤー、いま一つはゲストをもてなすレストランのレイヤーである。そしてワークショップのレイヤーで採用されたアプローチが、前章で取り上げた「単純な仕掛けをつくると、目の前にないものも含めて何でもできてしまうかもしれない」という一般化・抽象化の思想である。つまり、世界中の食材×世界中の調理テクニックという掛け算をひたすら繰り返していけば、次第にありうる料理の全体に近づいていく、という考え方である。
彼らがメンタルパレット呼んでいたものは、いわばデータベースである。現にエルブジのチームは、食材を簡単に分類し、また取捨選択が容易になるように、新たな分類カテゴリーを作り、それぞれにアイコンを割り振ったらしい。いまで言えばデータサイエンティストの仕事を、彼らワークショップのスタッフはやっていたのである。さらに言えば、このデータベース自体もさらにいくつかのレイヤーに分かれている。それは、素材の本質的な味である遺伝子のレイヤー、そしてそれを表現型に落とし込む様々な切り方などのレイヤー、そしてそれらに施す調理テクニックのレイヤーである。
また、彼らが全体のレイヤーをバルセロナ側とレストラン側との二つに大きく分けていたことには、明確に意識していた理由があった。それは、具体的な料理、メニューのレベルになると流行り廃(すた)りがあるが、素材とテクニックのレイヤーは不変のはずだ、だからこちらの基盤をしっかり作る事の方が重要だという考え方である。バルセロナ側のレイヤーはいわばOSで不変であり、レストラン側で日々繰り出されるものはアプリケーションだと考えられていた。
第二にわかることは、レイヤー構造を持ち込むと彼らのいうところの脱構築が起こるということである。つまり、エルブジの取り組みは様々な既存のタテ割りの仕組み、つまり各国料理ごとの間の垣根、主菜を中心に前菜やデザートが従うというフランス料理ではお決まりのメニューの構成、あるいは主素材を活かすために付け合せとソースが補助する、という一皿ごとの構成を崩すことになったのである。つまりは、ヨコ割りのメカニズムとその哲学があって初めて、タテ割りの打破が可能であったことを示したと言って良い。
第三に、では一旦バラバラにしてみせた素材や調理法を、具体的に再統合してゲストが満足するように供する鍵は何かというと、それは顧客経験でありある種の世界観だということである。エルブジのスタッフはそれを音楽や絵画などからのインスピレーションに求め、全体を前述のように「第六感」と呼んだ。昨今デジタル・トランスフォーメーションにおいてUXが重要だとか、その時には提供側に世界観がないといけないという議論があるが、それを先取りしている。
本書は、デジタル化の本質やメカニズムを、図形的・視覚的に表現し、伝えられないか、ということを目的としている。そのことに立ち返れば、エルブジからわかるデジタル化のメカニズムの姿は、次のことである。つまり、一般化・抽象化をしようとすると、いくつかの「レイヤー」からなる重箱のような構造、もっと増えれば洋菓子のミルフィーユ(フランス語で「千の層」を意味している。)のような構造ができる、ということである。そしてそこから価値を生むという行為は、「層」を横切って、ある日のゲストに向けて引かれた「線」のようなものだ、ということである。(【図表3.1】)

『DXの思考法』 第3章 より 西山圭太:著 文藝春秋:刊

図3 1 エルブジの仕組み DXの思考法 第3章


図3.1.エルブジの仕組み
(『DXの思考法』 第3章 より抜粋)


お客に見えている部分の層(メニュー)の下に、膨大な量の「食材×テクニック×ソース」の組み合わせのデータが収められている層(メンタルパレット)がある。

このエルブジのシステムが、デジタル化の本質を示しているということですね。

「ピラミッド構造」から「レイヤー構造」へ

ソフトウェアは、最初、タテ割りを作り出す構造、つまりピラミッド型の構造でした。

それがテクノロジーの進化に従って、レイヤー型の構造に変化してきました(下の図3.2を参照)。

図3 2 ピラミッドからレイヤーへ DXの思考法 第3章


図3.2.ピラミッドからレイヤーへ
(『DXの思考法』 第3章 より抜粋)

 なぜレイヤー構造になるのか。レイヤー構造になると何が可能になるのか。それは、簡単にいえば、電子機器としてのコンピュータのわかる言葉と人間のわかる言葉との間にあるギャップを埋めることである。そのギャップを埋めないと、人間が解いて欲しい課題をコンピュータが理解できず、役に立たないのである。
コンピュータの始まりはあらゆる計算が電気回路のスイッチングで表現できることだ、という話は以前に紹介した。このオンオフのスイッチングで表現すること、ゼロイチ表記であるビットに還元すること、これが機械としてのコンピュータが理解できる言葉である。これに対して、人間がコンピュータにやって欲しいことは、人間の使っている言葉で表現された課題のかたちをしている。例えば、「マップで渋谷駅から新宿御苑への経路と所要時間を知り、ナビゲートして欲しい」というようなことである。この間には大きなギャップがある。
コンピュータの草創期には、このギャップが手付かずのままの形であった。そうすると、人間がコンピュータの側に歩み寄るしかない。つまり、コンピュータが解きやすいような問題に限定し、コンピュータの言葉で一から課題を丁寧に説明するということである。弾道計算のような計算問題を、毎回毎回一からプログラムとして書き、それを一回一回コンピュータに読み込ませて計算させたことがそれにあたる。
しかしこれでは手間がかかりすぎるし役立つ範囲も限られる。そうこうするうちに、ハードウェアの進化が起こる。つまり一筆書きではない処理の仕方――並列して計算させる――ができるようになってきた。そこで登場するのがオペレーティングシステム(OS)である。よく知られたOSはマイクロソフトのウィンドウズである。OSは計算を行うハードウェア――前章で紹介したマイクロプロセッサがまさにそれにあたる――を並列して有効に使うための司令塔の役割を果たすとともに、その計算資源を使いたい具体的な「課題」に対応するアプリケーションソフトをその上に乗せて、計算資源と具体的な課題の処理とをつなぐ役割を果たす。かなり昔の事例でいうと、パソコンをワープロとして使って文書の作成もできるし、表計算もできる、ということである。
さらに、コンピュータがインターネットなどのネットワークにつながって、その先にあるサーバーなどと通信をしようとするようになると、その機能に特化してアプリケーション間で共有できる機能がくくり出されて、ミドルウェアができる。それによって、世界のウェブサイトにアクセスして必要なデータをダウンロードする、というようなことができるようになる。つまり、解ける課題が格段に増えたのである。こうしてレイヤーの増加と解ける課題の多様化、高度化とがセットで進んできたのが、デジタル化の歴史である。

同時に作られるのが、言語のレイヤー構造である。人間がコンピュータに話しかけようとしても、お互いの言葉の距離が離れすぎている。一回の通訳では会話を成り立たせるのが難しいので、何段階も通訳を重ねるしかない。そういうイメージである。
プロセッサに具体的な計算の手順を指示する時に使われるのが「機械言語」と呼ばれる言語である。まさにゼロイチの表記になる。しかしこれは人間には極めて読みにくい。それでゼロイチで表現されている操作を人間(といってもプログラムを書くエンジニアだが)がわかる記号に対応させる、ということが起こる。それがアセンブリー言語と呼ばれる。さらに、実課題つまりはアプリケーションを実行するプログラムを書くことに特化して使われる言語が作られ、それらは高級言語とか高水準言語と呼ばれる。そして高水準から低水準に変換することをコンパイルと言い、それを実行するものをコンパイラと言う。
高水準、低水準というが、それを使いこなすのに必要なスキルの高低を表しているわけではない。むしろ機械言語に近い方がある意味人間には難しいので、より高レベルにすら見えるかもしれない。そうではなくて、コンピュータを基礎に置き、人間が解きたい課題につなげる図を書いたときに、基礎に近いところ(つまり低い位置)にくることを低水準、逆に人間の実課題に近いところ(つまり高い位置)にくることを高水準と言っていだけである。要はここていうレイヤー構造の話をしている。

ここでいう低水準から高水準に近づくことを、つまりより複雑で実社会で解きたい課題に近づくことを、実はコンピュータ科学でも「抽象化」とよぶ。そのとき抽象化が行っていることは、第2章で抽象化とよんだ作用と同じで、それを支えるより具体的な手順を省略して(隠して)、出来上がった高水準のものだけを端的に表現する、ということである。
ここでエルブジの例に戻ろう。「抽象化」とは、いちいち食材のレベルにまで戻らずに、実際にゲストが味わう料理名のレベルだけで議論することを意味している。食材を料理に変換するためにつくられたのがメンタルパレットである。エルブジの実例ではないが、料理の作業のなかで起こる抽象化のわかりやすい例で言えば、「カレー粉」みたいなものである。家庭で本格的にカレーを作ったことがある人ならば、こういうことを経験したはずである。つまり、市販のカレー粉ではなく、それを構成している元のもの、カルダモン、クミン、ターメリックといった香辛料を自分で買って好みの配分で作ってみる、ということ(そしておそらく、買ってみたものの、面倒なので結局なかなか使われずに、賞味期限が過ぎてもそれらが棚にあるということも)である。カレー粉とはつまりは抽象化であり、その具体的な構成についての情報を隠蔽(ここでの隠蔽という言葉は「道徳的に悪い」という意味はない。)し、作業を高速化することを実現している。
エルブジは、この我々が家庭でカレー粉を使うようなことを、どんな料理にも当てはまる一般的な仕組みにしたわけだ。これまたエルブジの実例ではないが、わかりやすいので引き続きカレー粉の例で説明すると、抽象化したカレー粉に相当するレイヤーと、具体的なままのカルダモン、クミンに相当するレイヤーを全ての料理について作ったのである。それにさらにカレー粉を使うカレールーに相当するレイヤー、そしてカレールーを使ったカレーうどんのレイヤーという具合に、レイヤーをどんどん積み重ねていく。そうすることで、最終的には世界にある手付かずの食材(例えば胡椒や塩、アスパラガス)と、我々人間が日常直接口にする世界の料理との間を埋めることができる。
あるいはこう言っても良い。あなたがカルダモン、クミン、米、塩のような手付かずの食材を与えられて、もし一回しかそれに手を加えてはいけないとすると、そんなに洒落たものはできないし、バリエーションも限られる。しかし、もし何回も手を加えても良いとなれば、その手数に従って作ることのできる料理の数がどんどん増えていき、あなたが今食べたいもの――それがどんなご馳走であっても――似必ず辿り着くはずである。レイヤーが増えることで、世界の手付かずの食材とあなたが今食べたいものとの距離を埋めることになる。デジタル化の場合、その同じメカニズムが、ゼロイチの処理というコンピュータの提供できる素材と、人間が解いて欲しい実課題との距離を埋めているのである。
レイヤー構造を作ることで可能になることがもう一つある。それもまたエルブジとデジタル化に共通だ。それは、エルブジの例でいえば、レイヤー構造を作ることを通じて、今あなたが頭に浮かぶ食べたい料理を作るだけではなく、あなたがこれまで見たこともない新しい料理を次々と作り出すことが出来るということだ。デジタル化でも同じだ。こうしたレイヤー構造ができることで、これまでにはなかったような新しいソリューションを次々と実現してしまうことになる。これもまた、単一の製品を作るためだけにあるピラミッド構造との決定的な差だ。レイヤー構造は、まさに日本企業が今やらなければいけないこと、日常的にサッカーをするための仕組みなのである。

『DXの思考法』 第3章 より 西山圭太:著 文藝春秋:刊

コンピュータの能力が上がり、できることが増えてアプリケーションソフトが高度化する。
それに従って、コンピュータの使用する言語がより複雑になっていく。

その繰り返しが、ソフトウェアのレイヤー構造化を推し進めていきました。

もちろん、クラウド技術の進化、ディープラーニングやビッグデータの普及なども、その流れを勢いづけた要因ですね。

アリババは「ウェディングケーキ」のかたちをしている

では、ビジネスの世界で、レイヤー構造化はどのように進んでいるのでしょうか。

西山さんは、それを説明するために例に挙げているのが、中国のIT企業「アリババ」です。

 なぜアリババからはじめるのか。その理由は二つある。
第一は、アリババのビジネスがカバーしている範囲が広いということにある。ミン・ゾンによれば、アリババが直接間接にカバーするビジネスの範囲は、アマゾン、イーベイ、ペイパル、グーグル、フェデックスさらには卸売会社や製造業をもカバーするものだという。従って、アリババが取り組んできたことを見ることで、現時点のデジタル化の全体像に近づくことができる。
第二は、アリババ自体が社内でビジネスを議論するときに「点、線、面」という図形的な表現を使うからである。そうした彼らの発想そのものが、本書で展開しているデジタル化時代の歩き方の発想と似ている。ただし、具体的な説明の仕方はミン・ゾンやアリババとは少し異なるアプローチをとり、前章で説明したレイヤー構造を道具立てとして使う。
ミン・ゾンはアリババが担っているメカニズムは二つだという。一つがネットワークコーディネーションであり、いま一つはデータインテリジェンスである。それを中国的に「陰と陽」と表現している。ネットワークコーディネーションが陽、データインテリジェンスが陰である。ネットワークコーディネーションは、アリババが創業以来関わってきた、オンライン小売市場のタオバオに関係するプレイヤーの間のコーディネーションを指している。関係するプレイヤーは、売り手としての出店者、買い手である消費者、卸売、メーカー、決済事業、ソーシャルメディア、広告、そして出店者をサポートするサービスプロバイダーなどである。その間をデータでつないで最適になるよう調整することをネットワークコーディネーション、と言っている。
市場が急成長するにつれて、コーディネーションの対象となる件数、頻度は膨大になる。「独身の日」と呼ばれる超大型セールの集中日は特に顕著である。2017年のピーク時には毎秒32万5000件の取引を処理したという。その膨大なトラフィックを無駄なく処理し、広告やレコメンデーションなどで最適な組み合わせを実現するには、大量のデータとアルゴリズムを使った裏側の仕掛け(なので「陰」になる)が必要になる。それをデータインテリジェンスと呼んでいる。

しかし、アリババのやっていることをデジタル化時代の白地図の下敷きとして使うとしたら、次のように表現する方がより適切であるように思う。つまり、アリババはデータインテリジェンスを使った超スマートなネットワークコーディネーションの機能を、レイヤー構造のかたちをしたインフラで提供しているということだ。そして彼らが提供しているものが、デジタル化の現在地から見たレイヤー構造の具体的な内容であり、かたちだ、ということになる。
ミン・ゾンは、アリババの市場全体のインフラに膨大な投資をして公共財のように提供してきたということを強調する。それは、例えばクラウドへの投資である。アリババは十分な計算資源が確保できるよう、クラウドシステムを内製化している。そしてそこに市場参加者が共通して使う計算資源を割り振って、検索し、デジタル広告を打ち、レコメンドするためのエンジンを搭載している。この膨大なデータ処理を効率的に実行するために、計算資源の配分を制御するソフトウェア群がある。それをミン・ゾンはテクニカル・スタックと呼んでいる。層構造だということである。
そのテクニカル・スタックにサポートされながら、具体的なデータ処理が次々と行われる。例えば、市場参加者のデータをもとに、誰に何を推薦し、どの広告をいつ打ち、どのルートで何を調達し、どの物流業者を使うか、といったようなことを自動的に判断するためのデータ処理である。さらに、市場参加者の決済能力の信頼度を評価し、潜んでいる可能性のあるスパムや詐欺を発見するセキュリティ面での対応も、データを使って自動的に行う。それがデータインテリジェンスである。このデータインテリジェンスの実行にあたっては機械学習が使われる。機械学習とは、コンピュータを使ってデータからパターンを見出す手法一般を指す。その最先端の手法が、前章で紹介したディープラーニングである。そして、ミン・ゾンは、データインテリジェンスを支えるのは、強力な機械学習のプログラムであって、複数のアルゴリズムを層状に重ねて協調させたものだという。ここに現れるのもまたレイヤー構造である。
ここで一旦、まとめよう。アリババがやっていることは、世界的に見ても類のない巨大な規模に成長したオンライン小売市場のタオバオに、インフラを提供することである。そのインフラはレイヤー構造をしており、かつ、その全体を上下二層に分けることができる。下半分がクラウドをベースにした膨大な計算能力を支える物理的なインフラであり、その上に乗るのがデータ解析のためのアルゴリズムのセットである。そしてそのいずれもがレイヤー構造になっている。2段重ねのウェディングケーキのようなものだ。
アリババが2段重ねのケーキになっているのは、デジタル化の歴史を反映している、とも言える。単純化すれば、まずムーアの法則があり、計算処理能力が急速に増加した。それに見合うのがケーキの1層目である。次にインターネットが発達し、世界中のデータが入力され、いわゆるビッグデータの時代が到来する。それを分析して価値につなげるのが、ケーキの2層目だということになる。
あえて言えば、アリババとは会社組織のことではなく、この2層のケーキのようなレイヤー構造体のことを指している、と言っても良いのではないか。(【図表4.1】)

『DXの思考法』 第4章 より 西山圭太:著 文藝春秋:刊

図4 1 アリババ=ウェディングケーキ DXの思考法 第4章


図4.1.アリババ=ウェディングケーキ
(『DXの思考法』 第4章 より抜粋)

私たちの多くは、アリババについて、実際に目にするネットワークコーディネーターの認識しかないかもしれません。

しかし、それは表の顔で全体の一部、氷山の一角でしかありません。

裏の顔、つまり、膨大な情報を処理するデータインテリジェンスこそ、アリババの心臓部であり価値そのものだということですね。

「ネットフリックス」のDXを分析する

アマゾンやアップルなど、世界的な巨大IT企業も、DXを推し進めることで、急激な成長を遂げました。
西山さんが、その中でも特徴的な企業として挙げているのが「ネットフリックス(Netflix)」です。

ネットフリックスは、オンラインでのDVDレンタル事業からはじめてオンラインストリーミングサービスに転身し、今では契約者数が世界全体で2億人近くに達する米国のIT企業です。

西山さんは、ネットフリックスが、短期間で世界的な成功した理由を以下のように説明しています。

 ネットフリックスが目指したことは何か。始まりは、ストリーミングサービスを競合の誰よりも早く広くグローバルに展開しよう、ということであった。そのためには、自力で全てやっていたのでは間に合わないので、他力本願に舵をきった。その一つがクラウドサービスの徹底的な活用である。元々はネットフリックスも自前のデータセンターを持っていたが、2008年にクラウドサービスへの全面移行を決め、数年がかりで実現した。同時に、ネットフリックスなど使える既存の外部ツールを徹底的に使い倒した。
同時に、ネットフリックスが自前の開発にこだわったポイントがある。まさにUXを質的な要素に分解し、それをソフトウェアを使って最適化しようとしたのである。
まず、あらゆる種類のデバイスで最適な経験ができるように、それぞれの特性に合わせてフォーマットする。コンテンツはテレビ用の大画面で見るものだという固定観念を捨てたのである。一時は自前のデバイスを開発提供するという案もあったようだが、それをとりやめ、あらゆる種類のデバイス毎に最も適合的な視聴経験ができるように工夫することに賭けた。また、世界中に現在では2億人近くの契約者がいるわけだが、その視聴者がいついかなる時にどのコンテンツを選択しても、プレイボタンを押してからデバイス上でストリーミングが始まるまでの時間を徹底的に短縮した。つまりネットワーク機能の最適化である。また、視聴可能な作品の数が膨大になればなるほど、個別の顧客に対して、どの作品をどのサムネイル(画像を縮小して掲示用に使うもの)を使って優先的に表示するのかが大きな差別化要因になる。従って、データを解析してその見せ方の最適化を実現した。

そうした機能を実現するためのツールは、既存のアプリケーションにはない。そこで、それらのツールは徹底的に自社開発した。かつ、そのアプリケーションの開発に当たって、開発アプローチそのものを刷新した。それがまさに疎結合につながるアプローチだった。それまでのアプリケーションはモノリシックと言われ、一から十までを一つのまとまったソフトウェアとしてプログラムされていた。もちろんそれにはメリットもある。一筆書きなので、全体を俯瞰しやすく、初めて作るにはその方が作りやすい。しかし、このやり方では、部分部分を可能なところから常に改良し、かつ、改良版を即テストしてグローバルに展開することが出来ない。ネットフリックスが最もこだわったグローバルな契約者の視聴体験の継続的な最適化が実現できないことになる。
そうしてできたソフトウェア開発のアプローチがマイクロサービスである。そうした考え方はネットフリックス以前にもあったようだし、マイクロサービスという名前も彼らが命名したものではないらしい。しかし、ネットフリックはマイクロサービスのパイオニアとして知られるに至る。
マイクロサービスとは何か。それがまさに疎結合を実現しているテクノロジーである。
つまり、マイクロサービスは、アプリケーションの大きな塊を小さな塊に分けた上で、それらの間、それらとデータベースとの間、さらには社外のアプリケーションとの間の連携を、自動化したわけだ。
その結果、個々の狭い範囲の機能を担うマイクロサービスの開発、改良、実装、展開を、他とは独立して行うことが可能となり、かつそれは全体として常に統合されて一つのサービスになり、視聴経験を最適化する。
クラウドを使い倒し、実現したい視聴体験を要素分解した上で、レディメイドのものでは足りない場合については、マイクロサービスで開発する。そのコンテクストがあればこそ、ネットフリックスのチームは、別々に活動していても、一つの方向を目指すことが可能になった。システムのアーキテクチャが組織風土を規定しているのだ。まさに逆コンウェイの法則である。ネットフリックスの特異とも言える自由な組織風土を支えているのは、そうした彼らのDXのアプローチにあった。かつ、そのことは以下のように一般化することができる。

英語を外国語として勉強した人なら、こういう経験をした人もいるはずだ。すなわち、突然英語を喋っている自分に気づく、という経験だ。英語のような語学は、少しずつ勉強し、単語を覚えてみても、その分だけ着実に話せるようにはならない。なぜならば、中学一年生で習う単語の範囲でかつ現在形だけを駆使して話す場面など、日常のどこにもないからだ(語学教室などで無理やり演出すれば別である)。では、英文学を極めなければ英語は話せないのか。勿論そんなことはない。その間のどこかに日常的な英語なら話せるために十分になる水準があって、それを身に着けた瞬間にあなたは話せるようになっている自分に気づくのである。同じようになことはスポーツや楽器、あるいはプログラミングの上達でもあるだろう。
そしてその転換点の後には何が起こるか。一旦話せるようになると、当たり前だが、よく話すようになる。そして、誰かとの会話自体を通じて、新しい、多彩な表現とスマートな受け答えを、学んでいく。そして、どんどん上達し、そのうちに「◯◯さん、英語お上手ですね」と言われるまでになる。英語の勉強を始めたころの全く成果が出ない自分には想像もできなかったような事態だ。
ネットフリックスが実現したことは、デジタル化の現在位置が、この「突然英語で話すことができる」段階に至ったことを意味する。本書でこれまで使ってきた表現で言えば、レイヤーが積み重なって、十份な水位に達した、ということであり、ゼロイチの物理的計算基盤とビッグデータを加えたものが人間の実課題とつながった、ということだ。
ネットフリックスの例では、(オリジナルコンテンツへの進出以前について言えば)コンテンツと顧客が視聴する経験を結びつけるのがビジネスの全体だ。DVDを郵送するサービスをやっていた時点では、コンテンツと視聴経験の間にあるプロセスのなかで、ソフトウェアでコントロールされていたのはごく一部だ。また、その時点では、ネットフリックスは顧客の視聴経験そのものを直接改善することはできなかった。
ところが、クラウドサービスなどを通じてレイヤーが十分積み重なると、コンテンツの大量保存も、レコメンドを含めたメニュー表示の最適化も、全世界へのネットワーク配信も、ソフトウェアで制御できるようになった。さらに、あらゆる種類のデバイスで最適な経験ができるようにフォーマットすることで、顧客の視聴経験を、ソフトウェアで制御できるようになった。その上で、マイクロサービスを使って機能を改善すれば、機能の一部ずつであってもできたものから、全世界で一挙にアップデートすることができる。入口のコンテンツと出口の顧客の経験の質との間を、ソフトウェアで隙間なく埋めたような感じになる(【図表5.1】)。それが突然英語を喋っていること気づく私に当たる事態だ。

『DXの思考法』 第5章 より 西山圭太:著 文藝春秋:刊

図5 1 ビジネス全体をソフトウェアがカバーする ネットフリックスの場合 DXの思考法 第5章


図5.1.ビジネス全体をソフトウェアがカバーする:ネットフリックスの場合
(『DXの思考法』 第5章 より抜粋)

いつでも、どこでもコンテンツを視聴できるようにする。

視聴者の利便性を最優先で考えてDXを推し進めたこと。
それが、ネットフリックスが短期間でそれまでの産業構造をひっくり返らせ、世界的な企業に押し上げた最大の要因でしょう。

膨大な全体のデータベースから必要な部分だけを取り出し、コンテンツから視聴者までを効率的につなぐサービス。
マイクロサービスの考え方は、これからDXを進める多くの日本企業にも参考になるアイデアですね。

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今、怒涛の勢いで世界を飲み込みつつある「DX」という大きな流れ。
その変化は、まだ始まったばかりといえます。

これから私たちの働き方や会社の組織のあり方だけでなく、生活のすべてに影響を与えるでしょう。

DXの本質とは何か。
それを理解しておくことは、これからの時代を生き抜くうえで必須です。

リモートワークの普及やオンライン市場の広がり。
それらはDX革命の前ぶれにすぎません。

これからの激動の時代に、どう生き、どう働くべきか。
本書は、すべて人にとって、大きな助けとなる一冊といえます。
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