本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『「最高!」を生きる考え方』(並木良和)

お薦めの本の紹介です。
並木良和さんの『「最高!」を生きる考え方』です。

「最高!」を生きる考え方

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並木良和(なみき・よしかず)さんは、スピリチュアルカウンセラー、作家、ライフメンターです。
宇宙の叡智や高次の存在と協働しながら「本当の自分」に一致して生きるための「統合(LDLA)」を伝え、本来の人間が持っている能力や生き方、そして、目醒めた状態で人生を謳歌する「在り方」を、自らの体験を通して国内外を問わず世界に教示されています。

考え方を変えれば、人生は違って見える!

並木さんは、考え方を変えれば、人生は違って見えてくると述べています。

「所詮(しょせん)、人生は心一つの置きどころ。
人間の心で行う思い方、考え方が、
人生の一切を良くもし、悪くもする、
というのが人生支配の根本原則である。」
ーー中村天風『運命を拓く』(講談社文庫)

「心一つの置きどころ」というのは、
中村天風さんの言葉ですが、
僕にとっては、
ガイドたちから、よく聞く言葉でもあります。
「ガイド」は、
日本語では「守護霊」と訳されることが多いですが、
彼らは僕自身を意識したときから、
あるいは、それ以前から、僕と一緒に存在していて、
あらゆるメッセージを語りかけるのです。

「心一つの置きどころ」。

それは、人生のすべては、心の持ちようである、
ということです。

「つらい」も「うれしい」も、
「苦しい」も「楽しい」も、
じつは、視点の違いでしかない。

ある出来事を、どういう視点で捉(とら)えるか、
その捉え方で、同じ出来事でも、
つらくもなれば、喜びにも変わる、ということです。

つらいとか、苦しいとか、
そんな状態にあれば、そこから抜けたいと思う。
できれば、そういうことを、
この人生で体験したくないと思う。

でもーー
出来事自体は、いつも中立です。

じつは、悪いことが起きているのでも、
ひどいことか起きているのでも、
つらいことが起きているのでもないんです。

ただ、出来事が起きているだけーー

この出来事をどう捉えるのか?
もしくは、どう解釈するのか?

その視点が、「心一つの置きどころ」です。

つらいことも、ワクワクに変わってみたり、
喜びに変わってみたり、
ということがあるのです。

「自分の在(あ)り方」を変えていかない限りは、
「つらいこと」からも、「くるしいこと」からも、
抜け出すことはできない。

いま、この本をスタートするとき、
ガイドたちが「心一つの置きどころ」ということを、
とてもシンプルに伝えてくるのです。

自分の在り方、考え方が変われば、
あなた自身が、
あなたを取り巻(ま)く人たちが、
あなたの今も、
あなたの未来も、
変わっていきます。

さあ、このメッセージを一緒に受けとりましょう。

『「最高!」を生きる考え方』 はじめに より 並木良和:著 きずな出版:刊

本書は、並木さんがガイドたちから教わった、最高の人生を生きるための「心の置き方」をまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「あっぷあっぷ」から「UP! UP!」へ!

今の世の中を見渡してみると、大変なことばかりが起こっています。
新型コロナウィルス、戦争、食料問題、経済問題・・・・・・。

私たちは、一見ネガティブな出来事が次から次へと襲ってきて、自分が不幸な存在であると感じてしまいがちです。

 でも、本当は、そうじゃない。
すべては、「心一つの置きどころ」です。

「いまの、この状態を抜けていった先には、
どんな素晴らしい世界が待っているのだろう」

そういう捉え方もできるのです。
その人にとっては、いまの状況も、
「ワクワク」に変わるのです。

「え、これがまた、最高の未来につながっている」
「あ、これがまた、いい流れにつながっている」

そう思えたら、
いつだって、
すごくいいポジティブな状態で、
生きられるじゃないですか?
起きている事柄、事象、状況が、
どうであるかは関係ない。
自分が、どう捉えるか。
それよって、気持ちも変わる。
見える世界が、違ってくるのです。
起きていることは同じなのに、
それに、あっぷあっぷしてしまう人と、
そこから、UP! UP!していく人がいる。

あなたは、どっちにする?

「四面楚歌(しめんそか)」というのは、
どっちを向いても敵(てき)ばかりで、
孤立している状態。
動こうとしても、前はもちろん、
右も左も、そして後ろも、
敵が、高い壁のように立ちはだかって、
まさに八方ふさがり。

そんな気持ちになることもあるし、
実際に、自分を取り巻く状況や環境が、
「八方ふさがり」に追い込まれてしまう、
ということもあります。

でもねーー。
本当に八方ふさがりかというと、
そうではない。

「八方」とは、
東西南北の四方、
プラス北東、北西、南東、南西の
4つの方角のこと。
総じて「あらゆる角度」のこと。

困ったことになったときというのは、
それこそ、壁に囲(かこ)まれて、
そこからは逃げられない、と思う。

でも、あなたがそう思うだけで、
じつは、壁なんて存在しないんです。

目の前だけを見ると、
たしかに「壁」だけのように見えるかもしれませんが、
ちょっと上を向けばーー

ほら、空が見える!

上は、ふさがっていないことに気づくのです。

天まで届くほどの高い壁も、
しゃがんでいたから、そう思っていたけれど、
立ち上がったらーー

あれ、高くない?

そう、ラクラク乗り越えられる壁だった、
と気づくこともあります。

ときには、
本当に高い壁に囲まれてしまうこともあるかもしれませんが、
その壁は、じつは壁じゃなくてーー

扉!

あなたが、少しずつ押しさえすれば、
立ちはだかる壁から、
出入り自由の扉に変わります。

そう、いまの「困った世界」から、
あなたは簡単に出ることができるのです。

古い時代は、「壁」といえば、
「乗り越えていくもの」でした。
新しい時代の「壁」は、
「扉にして開けていくもの」です。

扉なら、開ければ前に、スコーンと抜けられるのに、
そこに気づかない視点。
ものの見方が狭いと、本当は「扉」なのに、
「壁」に見えてしまうわけです。

扉は、押したら開きます。
鍵もかかっていません。
あなたに開ける気さえあれば、
いつでも、開けることができるのです。

いまだに、開けるのではなく、
越えようとする人たちがいます。

なにかを達成しようとするとき、
なにか新しい世界に進もうとするとき、
「努力しなければならない」
「一生懸命に取り組まなければならない」
と教え込まれた観念が、「扉」を「壁」に見せるのですて。

でも、それでは、
「つらい世界」「苦しい自分」が続くばかり・・・・・・。

まだ続けますか?

『「最高!」を生きる考え方』 1 視点を変えよう より 並木良和:著 きずな出版:刊

「壁」だと思っていたものが、実は「扉」だった。

私たちは、世の中の常識や偏見を信じて、確かめもせずに、動かしようのない「壁」だと思い込んでしまいがちです。

壁だと思っているものを、押してみる。
そんなほんのちょっとの勇気、小さな行動が、思いがけない道を切り開くものです。

「自分以外のもの」になろうとしてはいけない!

この宇宙で、やってはいけないことはありません。
ただ、あえて「やってはいけないこと」を一つ挙げるとすると、並木さんは、自分以外のものになろうとすることだと述べています。

 誰もがみんな、パズルのピース。

この世界に生きるものすべて、

その一人ひとりが、
この世界というパズルのピース(一片)を担(にな)っています。
一つでも欠けたら、パズルは完成しません。
誰もが欠くべからざる、
大事な、大事な一部なんです。

自分以外のものなろうとするのは、
▲のピースが、「■になりたい」と願うようなもの。
もしも■になったとして、
「あなたの▲のスペースは誰が埋めるの?」
という話です。

この宇宙というパズルが完成するのに必要な、
欠くべからざるあなたのピースは▲なのに、
■になろうとしたら、
あなたの役割は果たせなくなります。
それで、どうやって、
パズルを完成させることができるのでしょうか。

あなたが▲ならば、
自分が▲であることに気づくことが、
まずは大事なことなんです。
そして、
「私は▲なんだ」と認めることが大切なんです。

パズルにはめれば、
ピタッと収まるべきところに治ります。
それが本来の姿であり、
完全であるため、
あなたは満たされることになります。

▲が■になろうとしても、
それは不可能なことなので、
苦しみが生まれます。
つらさが生まれます。

自分を知り、自分を認めること。
それができたとき、本当の幸せや、
豊かさを受けとることができるのです。

「あの人のようになりたい」
憧(あこが)れを抱(いだ)くのは、悪いことではありません。

その憧れをきっかけに、
自分の在り方を見直したり、
目標を立てたりすることができます。

自分は、その人の、どの部分に憧れるのか。
それを、どう自分に取り入れるのか。

エッセンスを受けとるという意識であれば、
「憧れ」を持つというのは、役に立ちます。

憧れの「その人」になるのではなく、
憧れる部分を、「私バージョン」に転換する。

その考え方になると、
楽しみながら、
自分をアップグレードしていくことが、
できるようになるんです。

「本来の自分」は無限の存在です。

一つに絞(しぼ)ろうとする必要はありません。

無限にある「自分の可能性」を探究していく。
それが、いま、
あなたが、この人生でしていくこと。

「自分」には、どんな側面があるのか。

それは、たとえば、
ダイヤモンドがカットされて輝くのと同じ。

自分を知っていくというのは、
ダイヤモンドのカット面を
増やしていくようなものです。

ダイヤモンドは、そのままでも希少な、
美しい光沢を持つ鉱物です。
それが研磨されると、さらに輝きを増す。

あなたも、研磨されて、
いまは苦しくても、その磨かれた先には、
「私、こんなに輝いてる」
「私って、こんなにキラキラしてたんだ」
という気づきが待っています。

前世にこだわる人がいます。
そのベースにあるのは、
いまの自分の境遇、
自分自身というものを、
まるごと受け入れていない
ということです。

現実から目を背(そむ)けて、
「前世」という、
「ファンタジー」に逃げてるんです。

僕は、あえて、
これを「ファンタジー」と表現しています。

たとえば、
自分の前世がなんであるとか、
出生星がどこであるとか、
そんなことにこだわるよりも、
そこに意識と時間とエネルギーを注ぐよりも、
いま、この瞬間に、この時間に、
意識とエネルギーを注いでください。

ここに100%、意識を注いでいないから、
「ファンタジーの世界のこと」が気になるのです。

自分の人生に、
100%、満足していないから、
他人のことを、ああだことだと言うのです。

そんな人生は、最悪です。

「最悪」というのは、
もったいない、ということです。

あなたは、
そんなことをしに来たんじゃないでしょう?
あなたの人生を生きるために、
ここに来たんでしょう?
だったら、自分の人生を生きなさい。
いまの人生を生きなさい。

それ以外のことは、全部、
ファンタジーに逃げるということです。

厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、
そこから抜けていかない限り、
地球を卒業するなんて、
できないですよ。

あなたは、自分で選んで、
ここに来たのです。

せっかく来たのに、
本当の自分を生きないで帰るつもり?

イタリアを旅行しようと思ったのに、
イタリアに着いた途端(とたん)に、
「ああ、なんかもう日本が恋しくなっちゃった」
なんて、もったいないと思いませんか。

まだ何も見てもいないし、食べてもいない。
せっかくだから、ここでしか楽しめないことを
楽しんでいくほうがいいと思いませんか?

『「最高!」を生きる考え方』 3 自分という存在 より 並木良和:著 きずな出版:刊

これまでの世の中は、人と同じこと、周りに合わせることが優先されました。
しかし、これからの時代は違います。

自分が自分らしく生き、個性を発揮する時代。
世の中のニーズに自分を合わせるのではなく、自分がやりたいことで世の中に貢献する時代です。

誰の中にも、自分でも気づいていない、眠れる才能が隠れている。
それも可能性は無限、数えきれないくらい、たくさんの才能があります。

外側に向いている目を、内側に向けてみる。
まずは、そんな意識の転換が必要になりますね。

「ここに来たこと」の意味とは?

「最高の人生を生きる」
「最高の一日を生きる」

並木さんは、そう意図し、設定したら、そこに向かう道の途中で起こるさまざまな出来事は、すべてその目標につながっていくと述べています。

 今日という日が終わろうとするとき、
あなたは、どんなふうに感じていますか?

「ああ、今日も一日、すごく楽しかった」
と気分が上がるのか?

「ああ、今日も一日、終わった」
とホッと胸を撫(な)で下ろすのか?

この違いが、わかりますか?

一日を戦々恐々(せんせんきょうきょう)と過ごして、
「やっと終わった」
「なんとか終わった」
と思って毎日をやりすごす生き方。

そうして、1週間が過ぎ、

1か月が過ぎ、1年が過ぎていく。
気づいたら、そんな生き方を、
もう10年も、20年も続けている。

あなたは、そんな生き方をし続けたいですか?
あなたは、そんな未来を迎え入れたいですか?

あなたは、そんな生き方をするために、
ここに来たわけではないでしょう?

やっつけ仕事みたいに
一日を終えていくような生き方は、
ダメということはないですが、
もったいないと思いませんか?

じつは、これが、
この本で僕がいちばん、
あなたに伝えたいことなんです。

生身(生身)の人間ですから、
いろいろなことがありますよね。
それこそ、
やっつけ仕事をなんとかこなしたかのような、
そんな一日もあるでしょう。
それを否定する必要は、まったくありません。

でも、だからこそ、それに流されてしまうのではなく、
「最高の一日にしよう」という意図の設定が
大事なんですよ。

ただし、「最高の人生を生きよう」
というのを強迫観念にはしない。

ポジティブでなければならない、とか、
ネガティブはダメだ、とか、
そういうことではないのです。

「自分は傷つきやすい」
そう自分で思い込んでいる人がいます。

「私は繊細な人間です」と、
自分を定義づけてしまっている人です。

この「繊細」というのが、
曲者(くせもの)になることがあります。

「曲者」というのは、
気を許すことができない
要注意人物。
遠くにやっておくほうが身のためです。

「繊細だから」という理由をつけて、
「何に対しても傷つきやすい自分」を、
受け入れ態勢万全にしてしまうのです。

「ああ、私は繊細だから、こう感じちゃうんだな」
「・・・・・・繊細だから、こう受けとってしまうのも仕方がない」
「・・・・・・繊細だから、こう思うんだよね」

ここを変えていかない限りは、
何も変わりません。
繊細な感性が素晴らしい作品を生み出すこともありますし、
普通には感じられないものを感じたりすることかできます。
なので、それは悪いことでも、
間違っているのでもありません。
ただ、繊細であることによって、
苦しんでいるのなら、
それを「繊細だから」という理由であきらめるのではなく、
まずは考え方や捉え方を変えてみようと、
自分に向き合ってみませんか?

「魂」というのは、
1ミリたりとも傷つかないものです。
なぜならば、
魂は、完全なものだから。

スピリチュアルを生き方に変えている人は、
そのことがわかっています。

だから、「繊細で傷つきやすい」というのは、
厳(きび)しい言い方かもしれませんが、
「本質を理解していない」
とも言えるのです。
「繊細」という言葉が、
曲者だということがわかるでしょう。

「スピリチュアルな生き方をする」というのは、
「本質を生きる」ということです。

「繊細な自分」でいる限り、
本当の意味でスピリチュアルに生きることはできません。

「スピリチュアル」を学び、
そうありたいと願うなら、
または、それを伝えていきたいと思うなら、
自分自身が、スピリチュアルを体現することです。
つまり、生き方そのものにすることが大切なのです。

誰かと競争したり、対立したり・・・・・、
調和と統合から矛盾(むじゅん)する世界で生きているうちは、
スピリチュアルな生き方からは、ほど遠いと言えるでしょう。
「ごっこ遊び」と言われてもしかたありません。

古い時代と新しい時代。
既存(きぞん)の概念(がいねん)が壊(こわ)されないと、
新しいものは生み出されない。

それは、どんな世界、業界も例外ではありません。
古い時代は、戦う世界でした。
ある人が何かを言った、
それは間違っていると否定してみたり、
誰かが突出してくると、その足を引っ張ってみたり、
そんな不調和な、争いだらけの世界があったわけです。

新しい時代は、調和と統合に向います。
そのため、その流れに逆行する生き方や在り方は、
淘汰(とうた)されざるを得ません。

「相手が間違っている」と思うのは、
自分の見ているものと、
相手の見ているものが違うのだ、
ということを認識せず、
「自分が正しい」と思い込んでいるからです。

ではなぜ、自分と相手とでは、
見ているものが違うのでしょうか?

それは、どの角度から見ているかで、
あるいは、どの次元に焦点を当てているかで、
当然、見え方は変わるからです。

たとえば、同じお皿を見ていても、
上から見ている人、
横から見ている人、
下から見ている人とでは、
そのお皿の見え方は、違います。
見えているものの説明だけを聞けば、
「まさか同じものとは思わなかった」
ということもあるわけです。

お皿を上から見た人は、
「それは丸くて、絵が描かれている」
と言うかもしれません。
お皿を横から見た人は、
「それは薄くて、縁には金が塗られている」
と言うかもしれません。
お皿を下から見た人は、
「それは丸くて、文字や番号が付けられている」
と言うかもしれません。

見ているものは同じでも、
見えているものは、全然ちがう。
違うからと言って、
「見えてない」「間違っている」とは言えません。

そして「本質」は、いつも、何も変わらない。
事実は一つ、真実は人の数だけあるのです。

それがわかっていれば、
否定する必要もなければ、
対立することあり得ない。

そう思いませんか?

『「最高!」を生きる考え方』 5 魂の本質を知る より 並木良和:著 きずな出版:刊

現実は、ただ「起きたこと」であり、それ自体に意味はありませせん。
それにいいとか悪いとか意味付けするのは、私たちの意識です。

「最高の一日を生きる」と意図し、設定する。
そうすることで、これまでと同じ日常でも「最高の一日」として認識されるわけですね。

事実は一つ、真実は人の数だけある。
どんな人生を過ごすかは、まさに自分次第だということですね。

人生には「段階」がある!

人生が大きく変わるとき、次のステージに進むときには、一見すると、まるで神から見放されたような状態を、体験する人も少なくありません。

それは、逆に言うと、人生の段階が変わるために、その体験を必要としているといえます。

並木さんは、その一つひとつを、学びという体験として受け入れることができる人が、何段階もステージアップしていける人だと述べています。

「ステージアップしなくてもいい」
「いまが幸せで、自分を変えたいとは思わない」
と考える人もいるでしょう。

「変わること」を選択する人がいる一方で、
「変わらないこと」を選択する人もいる。
それは、たしかに有りですが、
「変わらない」というのは、
残念ながら、不可能なのです。

なぜならば、
宇宙というのは、つねに揺(ゆら)いでいるからです。

「揺らぎ」というのが、宇宙に存在し、
それはつねに変化を促(うなが)しています。
けっして止(と)まってしまわないように、
一つのかたちで止(とど)まってしまわないように、
宇宙は、つねに揺らいでいるのです。

ふだんは小さな揺らぎでも、
「このまま止まっていよう」と変化を拒(こば)んでいると、
ある日ドーンと、大きく揺らぐことがあります。
大きな揺らぎがあるときには、
「そこに止まりつづけるのは、違うんだよ。
より発展していくため、
そろそろ、そこから動き出そう」
という宇宙からのメッセージがやってきているのです。

「え、順調だったのに、
なんで、こんなに不安定なことになっちゃったの?」

突然の変化に、戸惑(とまど)うかもしれません。
「悪いことか起きている」と、
心配になったり、
怖くなったりすることもあるかもしれません。

でも、だいじょうぶ。
「変化」は「後退」ではないんです。
「落下」していくわけでもありません。

ネガティブな状況においこまれて
「手立てがない」「手助けもない」と落ち込んで、
穴に陥(おちい)ったような気持ちになることもあるでしょう。

でも、「変化」というのは、ただ、そこでグルグルしながら、
見える景色を変えているのではなく、
螺旋(らせん)階段を上るように、
少しずつかもしれませんが、上へ上へと、
上昇していく動きなので、
確実に、それまでとは違いが生まれることになります。

変化の最中には、
上がって言っているとは実感しにくいかもしれません。
だから、つらいし、苦しい。
でも、そうして変化を受け入れていくことで、
ある日、
「あ、こっちのほうが断然いいね」
と思えるようになる。

それが「変化すること」なんです。

大きな変化の最中には、
「この先はどうなるかわからない」
という恐怖や不安を感じるので、
それは、さながら
「恐怖と不安に満ちあふれた人生物語」を
体験することになるでしょう。

ときには、
「仕事がなくなった」
「家がなくなった」
「もう無理」
「一巻(いっかん)の終わり」
というようなことを体験するかもしれません。

あまりの苦しさに、ふさぎこんで、
なかには自死する道を選ぶ人もいるかもしれません。

でも忘れないで。

この変化は、
ずっと、あなたが望んでいた未来に
つながっていくための流れが
起きているからこその変化なのです。

つまり、望むステージが大きければ大きいほど、
その舞台に立つために必要な
才能や資質を養うための「課題」も難しくなるので、
ときにつらく、苦しいと感じることもあるわけです。

だから、苦しいときほど、
「その先の輝くステージ」に意識を向けながら、
進んでいきましょう。
それを途中下車してしまうのは、
待っていたはずの未来を失うことなのです。

「いま、まさに上(のぼ)り調子!」
「これまでの努力が、ようやく報(むく)われた」
そんなふうに感じているときは、
素直に、その喜びを享受(きょうじゅ)してください。
ワクワクや心地よさを楽しんでください。

「自分が、調子に乗っているようで怖い」
という人がいましたが、
そんな恐れは、手放してしまいましょう。
少なくとも、そんなふうに思っている時点で、
「調子に乗って」などいないことかわかります。

「調子に乗る」というのは、
他人の迷惑も考えず、
自分勝手なことをして得意がることです。

たしかに、自分の思い通りに事が進んだり、
お金や成功を手に入れたりすると、
まわりからチヤホヤされたりするようになって、
「調子に乗る」こともあるかもしれません。
人間ですから、そんなこともあるわけです。

そうした状態をエネルギー的に視ると、
グラウンディングが甘くなっていると言えます。

「グラウンディング」とは、
自分と地球のつながり(接地)のこと。
また、そのバランスをとるという意味でも使われます。

「地に足が着く」とか、
その反対に「浮き足立つ」という言葉がありますが、
グラウンディングが甘くなる、
というのは、まさに、この「浮き足立つ」状態。

ワクワクすると、
気持ちは浮き足立ちやすくなります。
「いいとき」というのは、ワクワクしますよね。
そうすると、エネルギー的にはフワフワしやすくなります。

それが思いもかけない不祥事や
スキャンダルを招(まね)いて、
それこそ、足をすくわれるようなことが起こるのです。

足をすくわれるようなことを経験すると、
「バチが当たったんだ」と考えるかもしれませんが、
そうではありません。
「罰」を受けているのではなく、
「注意」を促されているのです。

「ほらほら、グラウンディングが甘くなってるよ」
「足元が、おろそかになっちゃってるよ」
というメッセージ。

だからこそ、
「いままで、ありがたいと感謝していたことを、
いつのまにか、あたりまえと思うようになっていたんだな」
ということに気づくことが大切です。
それに気づけたら、
そこから再スタートはすることができるのですから。

そして、その感謝の気持ちを、きちんと伝えていくこと。
「ありがとう」と言い始めると、
ポジティブなエネルギーが循環し始めるのです。

『「最高!」を生きる考え方』 6 変化を受け入れる より 並木良和:著 きずな出版:刊

地球自体が五次元という、これまでとまったく異なる次元に移行しています。
そこで暮らすことになる私たちにも、これまで経験しなかったような変化が起こるのは、ある意味当たり前です。

落とし穴のような突然の変化は、起きて当然。
そんな心構えで、日々過ごすことが大切ですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

並木さんは、人生における「つらい」「苦しい」という感覚は、自分が何を信じているかに応じて変化する、反応にすぎない、とおっしゃっています。

並木さんが提唱する「統合ワーク」で手放すのは、不安や恐怖を受け入れることへの「抵抗」です。

不安や恐怖を排除しようとしても、どこまでもついてきます。
それらを受け入れることでしか、根本的に解消することはできないということです。

ネガティブな感情や思考を手放して、手放して、その先にたどり着くのが「本当の自分」です。

「本当の自分」は、私たちが何のために、この地球にやってきたのか、人生の目的をすべて知っています。

「本当の自分」に導かれる「最高の生き方」。
皆さんも、ぜひ、本書を手にとって、そのエッセンスに触れてみてください。

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