本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』(テラコアンテナ)

お薦めの本の紹介です。
テラコアンテナさんの『夢がかなう実践スピリチュアル 宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』です。

夢がかなう実践スピリチュアル 宇宙的“人生ゲーム”の歩き方 (大和出版)

テラコアンテナ(てらこあんてな)さんは、スピリチュアルカウンセラーです。

“ゲーム”の先には、素晴らしい未来が待っている!

私たち人間は、宇宙(創造主・神・愛・ワンネス・サムシンググレート・サムシングスピリットと呼ばれるもの)である1つの意識「自=おのれ」が目覚め、この偉大なる1つの意識から分裂したそれぞれの「個」である魂の存在です。

そんな私たちは、大いなるミッションである「自=おのれ」を知るために、この地球という星で、たくさんの体験や経験を自身の肉体やスピリチュアルを通して探求する、人生ゲームをスタートさせます。

 私たちは、魂を成長させる目的の1つである「おのれを知る」というミッションを遂行するために、時間の概念とともに朽ちていく制限がある「肉体」と、その制限ある肉体に入りきれずはみ出てしまった「大いなる魂」を駆使していきます。

肉体に入りきれず、はみ出している「大いなる魂」の部分・・・・・。
これは、層となって私たちの肉体を覆っています
その層はエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体など、それぞれに名前がついており、そこには意識や感情、精神や思考、過去世や因果関係などの情報が入っています。
意識や感情、精神や思考・・・・・つまり、その層やそれらを取り巻くオーラに「自分」の情報が入っているというわけです。
もっと壮大なことを言いますと、分裂した「自分=個」の情報だけでなく、偉大なる宇宙(自=おのれ)そのもの、すべての情報が詰まっているのです。
私は、こうした肉体からはみ出した魂の層やオーラを、恐れ多くも「袋」と呼んでいます。

イメージしてください。
「大いなる魂が肉体に入りきれず、肉体の外に、丸くはみ出した」
言い換えてみましょう。
大いなる魂の中に自分の肉体がある。
自分の肉体は大いなる魂である「袋」の中にある。

そして、「袋」には偉大なる宇宙(自=おのれ)の、すべての情報が詰まっており、そのすべての情報こそが・・・・・「袋」こそが・・・・・スピリチュアルと言われるところです。
(中略)
さて、私たちは、宇宙の「個」として地球に生まれ降り立ち、大いなるミッションである「自=おのれ」を知るための人生ゲームをスタートさせたわけですが、どのようにして「自=おのれ」を知っていくのでしょうか?
話を続けましょう。
実は、いとも簡単に「自=おのれ」を知る方法があります。
そして私たちは、もうすでにその方法で「自=おのれ」を知る人生ゲームの真っ只中を歩いています。
しかし、それを知らずにいるものですから、得体の知らないネガティブな感情に襲われ翻弄されながら、苦しい人生ゲームを展開している世界を生きています。

では、なぜ、宇宙人と言われる存在が、私たちの人間のスピリットにおいて、遺伝子操作をしなかったのか?
ここでいうスピリットとは「感情」を意味しますが、それは遺伝子操作するまでもなく、放っておいても、すぐにぶれるからだそうです。
感情は、自身のすべてを支配するといっても過言ではないほどに、私たちはとてつもなく影響を受けています。
そういったぶれぶれの感情に翻弄されている私たちは、大いなるミッションすら、ほら、すぐに、すでに、もう、忘れてしまっているでしょう。
しかし大いなるミッションである、「自=おのれ」を知ることは、決して自分1人ではクリアすることができません。

あなたは「人こそ人の鏡」と聞いたことはありませんか。
繰り返しになりますが、私たちは自分自身の肉体は鏡に映してみることができても、肉体からはみ出した袋の部分、つまり魂とそれに付随する自分の情報は見ることができません。
では、どうやって肉体に入りきれず、はみ出した「袋」の部分を見ることができるのか。
それを助けてくれるのが「キャラクター」という、私たちが「出会う人たち」の存在です。私たちがこの世界で出会う人たち、つまり「キャラクター」を、スピリチュアルではソウルメイトといいます。
ちなみにソウルメイトとは、いろいろな解釈があるとは思いますが、「自=1つの集合魂」から分裂して個々の自分になったときの「魂の成長を目的とする魂の仲間たち、あるいはグループ」だと私は理解しています。
私たちが、まだ「自=1つの集合魂」であるとき、地球で「魂を成長させるための学び、そして自分を知るための鏡となるための出会いや関わり」を、ソウルメイト同士で決めています。

ですから、「キャラクター」である「あの人」と、なぜ出会うのか、本当の理由を知ったとき、私たちはきっと、今まで出会った人たちや、これから出会う人たち、そして、その環境やすべてに、感謝の気持ちを持たずに入られなくなるでしょう。
そのことについては後でお話していきますね。

さて、私たちはソウルメイトと共に、魂を成長させ、輝くための、たくさんの「気づき」を得る人生ゲームとなるフィールドを設定します。
障害物も何もない、ただ単に色も景色もない真っ白なフィールドを歩いても、私たちはきっと刺激がなく面白くないと感じることでしょう。だって私たちは、広い宇宙の中で、わざわざ波動が重いと言われる地球を選び、制限のある時間の中で、狭い肉体を持って人生ゲームに挑むチャレンジャーなんですもの。

そんなチャレンジャーでユニークな私たちは、ソウルメイトと共に、山あり谷あり、大海原を真っ白なフィールドに配置するのですが、実はそこに、もう1つのある存在が深く関わっています。このある存在とは、すでに気がついた方もいらっしゃると思いますが、後にくわしく触れていきますのでここでは伏せておきますね。

続けましょう。私たちはこうして地球に降り立ち、人生ゲームのスタートを切ります。
そして山頂を制覇したときの達成感や谷を渡る恐怖や不安を感じるとき、または閃きや自分の知恵に辿り着いた喜びを感じるときも、あるいは大海原に放り出され、自身と闘う覚悟が必要な激しい状況の中でも、今までのさまざまな経験を通して手に入れた「気づき」を持って前進し歩んでいくのです。
それがひいては大きな成長へとつながり、自身の魂もキラキラと輝きはじめます。
しかし、その途中では、すぐにぶれる感情に翻弄され、心が闇に支配されることもあるかもしれません。
さきほど、「なぜ、キャラクターに出会うのか、本当の理由を知ったとき、私たちは、きっと、感謝の気持ちを持たずにはいられなくなる」と言いましたが、今、人間関係の苦しみの真っ只中であれば、自分をネガティブに落とし入れる「あの人」に・・・・・「あんな奴」に・・・・・「あんな悪魔に」・・・・・感謝の気持ちなんて・・・・・絶対にありえない!
そう思う方もいらっしゃるでしょう。

もし、「絶対にありえない!」と思ったとしても、本書と出会ったことを、偶然ではないと気づいてほしいのです。
偶然には、すべての意味があることを・・・・・。
そして、その意味を知ると、次から次へとシンクロが押し寄せてくることを・・・・・。
「気づき」や「知る」ということは、私がこの地球に生まれてきた目的と、魂の成長と、仕掛けてきたゲームの答えでもあります。
その「気づき」や「知る」をクリアしたとき、私たちの心と魂が震えます。心とは、感情や意志などの精神的な動きのおおもとであり、感情の発端となる根っこですから「気づき」や「知る」というミッションをクリアしたとき、私たちの心と魂は喜び震えます。
それらは、ワクワクの鼓動となって私たちの身体中を駆け巡り、飛び跳ねるのです。
この心と魂の共振が多ければ多いほど、私たちは成長するようです。
ところが、どうやら、この世界に生まれ降り立つ私たちは、そんな簡単にクリアできるゲームは設定してきていないようですね。
そこが、この世界(ゲーム)の面白いところ・・・・・だそうです。

宇宙は、いつも、優しく言います。
「そこが、醍醐味なんだよ!」

『宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』 プロローグ より テラコアンテナ:著 大和出版:刊

目の前の出来事(ミッション)を解決(クリア)することで、次々と望む人生(ステージ)が現れてくる。

人生は、まさに“ゲーム”といえますね。
しかも、そのゲームの主人公はもちろん、シナリオやキャラクターを決めたのも「自分」です。

本書は、「宇宙的“人生ゲーム”」の仕組みやその攻略法をわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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“人生ゲーム”のすべてを計画した張本人とは?

私たちは、自分で創り出した“ゲーム”の中を生きています。
ここでいう自分とは「ハイヤーセルフ」のこと。

ハイヤーセルフとは、簡単にいうと、高次元の自分自身のことです。

 では、もっと簡単に私が解釈するに、ハイヤーセルフとは、この地球でミッションを持って繰り広げようとする「人生ゲーム」においての現場監督なる存在のようなもの。
これだったらいかがでしょう? 少しイメージできましたか?
私たちがこの世界に生まれてくる前に、生まれた後に出会う人たちや人生ゲームのフィールドにおいての山あり谷ありの経験や、自分を知ること、そして魂の成長のためのイベント(出来事)なるものをあらかじめセッティングをしてくることはすでにご説明しましたね。
そうです。
まさに、このすべてを計画した張本人がハイヤーセルフなのです。
ハイヤーセルフは人生ゲームのフィールド内におけるすべてを知っています。
あなたももしかすると、ハイヤーセルフの説明を、TVゲームなどでたとえられるのを聞いたことがあるかもしれません。
ハイヤーセルフは人生ゲームのフィールド内におけるすべてを知っていて、リモコンを握っている。私たちはその画面内で、いろいろなミッションをクリアし、次なるステージに挑むキャラクターのようなものです。

本当は、ハイヤーセルフが握るリモコンの操作でつながり、スムーズにミッションをクリアして次なるステージに、サクサク進んでいきたいところなのに・・・・・。
私たちは、ぶれぶれにぶれた感情に翻弄され、すでにつながっていることを忘れ、暴走している。

難しいですか?
それでは、さらにわかりやすいように注釈を入れてみますね。
ハイヤーセルフが握るリモコンの操作でつながり→(インスピレーションや気づきをハイヤーセルフや宇宙から受け取り)、
スムーズにミッションをクリアして次なるステージに、サクサク進んでいきたいところなのに・・・・・。
私たちは、ぶれぶれにぶれた感情に翻弄され→(ハイヤーセルフや宇宙からのインスピレーションや気づきを受け取ることができず)、
すでにつながっていることを忘れ→(ハイヤーセルフや宇宙からのインスピレーションや気づきを受け取ることさえ忘れてしまって)、
暴走している→(ネガティブな世界のルーティンに生きる)。
というような感じでしょうか・・・・・。
ではなぜ、私たちはぶれた感情に翻弄されたとき、ハイヤーセルフや宇宙からのインスピレーションや気づきを受け取ることができず、ネガティブな世界のルーティンに生きるのでしょうか?
私たちの世界を一瞬で変えるもの・・・・・。
それは何だと思いますか?
それは紛れもなく「感情」です。
この「感情」とやらは、かなり厄介で一瞬で向きを変え、見える世界が一変することも起こりえます。
まさに天国から地獄という言葉があるように、天国から奈落の底に突き落とされるのも、実は起こった現象や現実ではなく「感情」によって見ていた世界のチャンネルが変わるからです。

たとえば、友人たちとワイワイ楽しい時間を過ごしていたとき、ある友人の心ない一言で、その楽しかった時間と空間が、一瞬で苛立ちや悲しみの時間と空間に一変したとしましょう。まったく同じ空間で同じ時間を過ごしているにもかかわらず、感情によって思考が変わってしまいます。
心ない一言で心はざわつき、苛立ちや悲しみは相手への怒りとなり、それで思考は埋め尽くされてしまいます。
思考とは、簡単にいうと、結論や答えを導くために考えたり思いをめぐらせたりすることですよね。
しかしその思考が苛立ちや悲しみ、怒りといった感情で埋め尽くされたとき、心は闇に閉ざされてしまいます。
閉ざされた状態では、辛く苦しいトンネルを歩いていくことになります。
「なぜ、私がそんなこと言われなくてはならないの? なぜ、そんな態度をするの? なぜ、言うことを聞いてくれないの? なぜ、わかってくれないの? なぜ、そんな酷いことが平気でできるの? なぜ、そんな酷いことが平気で言えるの? なぜ? なぜ? なぜ・・・・・?」
こういった「なぜ?」はいつしか悲しみや怒りとなり、答えの出ない「なぜ?」によって、深い闇のトンネルから抜け出せなくなります。
そのうえ、そのトンネルは暗くて見えにくいものですから、不安や恐怖のネガティブの感情は加速し、要らぬ妄想の壁が立ちはだかり、妄想でつくりあげたモンスターが襲ってきます。
そのように目の前の現実に翻弄され、ハイヤーセルフのリモコンが効かなくなったとき(インスピレーションや気づきのヒントを送っているのに、闇に翻弄され気づいてもらえないとき)・・・・・。

それでもハイヤーセルフは、
「そうじゃない・・・・・もっと広い視野で見てごらん。
闘っているのは、その現実じゃないんだよ。その相手じゃないんだよ。
あなたが嘆き、悲しみ苦しんでいるのは、その現実でも、相手でもない。
感情と闘っているんだよ。気づいて・・・・・気づいて・・・・・」

と、人生ゲームのフィールド内を右往左往、あるいはうずくまり動くことさえできなくなっている自身にハイヤーセルフは一生懸命投げかけてくれます。
もちろん、そういった深い闇のトンネルを歩くことも人生ゲームの設計の想定内ですから、ハイヤーセルフのリモコンが効かなくなっても、気づきを得るために出会う人たちを、ちゃんと約束(設定)をしてきています。

つまり、苛立ちや悲しみ、怒りの泥沼から引きずり上げてくれる人、優しく心を癒やしてくれる人、気持ちをちゃんとわかってくれる人等々、さまざまなアプローチで闇のトンネルから抜け出すのを助けるための役割さえ各々のハイヤーセルフ同士で決めているのです。
役割・・・・・そう、ここでスルーしてはならないことは、先ほど、たとえで「友人たちとワイワイ楽しい時間を過ごしていたとき、心ない一言を発した友人」が出てきましたよね。
その友人さえ、約束通り、ちゃんと役割をはたしてくれていることを忘れてはいけません。そこに良い人、悪い人などのジャッジはなく、自分の魂の成長のための配役・・・・・ただ、「配役」というわけです。

すべての出来事は予定通り!
だから、かりにそういった状況になったとしても、魂同士の約束通り、「自分」と「それぞれの自分」のための配役だととらえることができれば、ネガティブな感情に捉われることも少なくなるでしょう。
そしていかなるトラップもくぐり抜け、大いなるミッションをクリアできたとき、リモコンを手放し両手を広げたハイヤーセルフは私たちを抱きしめ、私たちは溢れんばかりの愛を感じるはずです。
言ってみれば、私たちはハイヤーセルフと、いつもどんなときも「共に在る」ことを感じながら歩いていくことができるのです。

あなたが苦しいとき・・・・・。

頑なに握っているものは何ですか・・・・・。
握った拳を開いてごらん・・・・・
ほら、そこには何もないでしょう・・・・・。
握っていると思っているものはあなたがつくった幻想だよ。
気づいて・・・・・気づいて・・・・・。

あなたが辛くて悲しいときも・・・・・
あなたが孤独を感じて寂しいときも・・・・・
あなたが不安に怯えているときも・・・・・

どんなときも、どんなときも・・・・・

大丈夫! 私も一緒だから

『宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』 第1章 より テラコアンテナ:著 大和出版:刊

ゲームの設計者であるハイヤーセルフの指示通りに動けば、困ったことに巻き込まれず、望み通りの人生を生きることができます。
それを妨げているのが「ネガティブな感情」です。

現実は、それ自体に意味はなく、ニュートラル(中立)です。
無色透明な現実に色をつけるのが「感情」だということ。

ぶれぶれにぶれる「感情」をいかに落ちつかせるか。
それが、人生ゲーム攻略の第一歩ですね。

「感情」と「思考」が「現実」をつくる!

テラコアンテナさんは、私たちが見る世界は、感情・思考が先で、その感情・思考を持って後に現実をつくると述べています。

感情・思考が現実をつくる。
それは「病み」も例外ではありません。

 病みは本当の自分自身を、本当の心を気づかせてくれます。病みは、心と身体の間で何かに苦しんでいる自分に注意を向けさせようとします。
先ほどもお伝えした、自分の感情や思考が現実をつくりだすというように、私たちが引き寄せる現象や現実、状況や出来事、体験や経験は、すべて私たちが思い描いたこと、望んだこと、考えていることが映し出されている。
ですから健康状態も例外ではなくこうして大きく決定されていきます。本当に自分が求めることを妥協したとき、身体が求めることを妥協したとき、私たちは健康が損なわれ、病気になります。発した感情のエネルギーの針が弧を描き、自分に刺さり病みをつくると言いましたが、実は、自分の感情を押し殺したときも病みをつくります。自分の感情を押し殺したとき、失望、絶望、不満、悲しみ、不服などの感情が同時に生まれるでしょう。そして、それはやがて怒りへと変化していきます。
では、どうやって病みと向き合い、解消していけばいいのでしょうか。

病みを持ったとき、まず今の自分の胸の内を多く占めていること何であるのか、自分自身を見つめる必要があります。

・何かに妥協していることないか。
・何かに感情を押し殺していることはないか。
・何かに我慢していることはないか。
・何かに許せないこと持ってはいないか。
・何かの罪悪感に苛まれていないか。
・何かにすごく悲しんでいないか。
・何かにすごく恐れを持っていないか。恐れは不安や心配を呼びます。
・何かにすごく悔しい思いを持っていないか(悔しい思いは、ときには恨みへと繋がることもあります)。

このように挙げるとキリがないくらい、まだまだネガティブな感情はいろいろと出てくるでしょう。
またネガティブな感情を発するときの要因として、先ほどからもお話しているように、私たちは自分の世界、同じ時間の中の自分でつくったルールで物事を見たり測ったりしていることがあります。人はそれぞれ同じ空間の中でも、違う世界を生きていることはお話しましたね。それぞれの世界で、それそれの感情と思考で生きています。何度もお伝えしますが、自分の世界と相手のルールは同じとは限らないのに、私たちは他人に自分のルールを採用させようとするがために、辛く苦しいということを思い出してください。

いかがでしょう。
自分自身の世界でつくった「ああするべき」「こうするべき」「ああであるべき」「こうであるべき」そんな狭いルールの中では、感情を押し殺し、妥協や我慢、許せないことや、罪悪感に苛まれる世界に生きていると思いませんか。

・本当に感情を押し殺さなくてはならなかったのか・・・・・
・本当に妥協しなくてはならなかったのか・・・・・
・本当に我慢しなくてはならなかったのか・・・・・
罪悪感を持つ自分を許すも許さないも、実はすべて自分の中にあります。

すべての選択の決定権は自分にあるのです。
(中略)
では、ここでは病みが何を教えてくれているのか、病みをどのように解消していくのかをお話していきましょう。

(1)
まず今の自分の胸の内を多く占めていることは何であるのか、自分自身を見つめます。
自身が持っているネガティブなエネルギーは何であるのか。
それは怒り? 悲しみ? 不安? 罪悪感? もちろん複数あるでしょう。

持っている感情と順番に向き合っていきます。
いつ、どこで、なぜ、その感情を持ったのか・・・・・。
どんな感情でもジャッジせずに本当の自分と向き合う。
書き出すとわかりやすいと思います。

(2)
妥協や犠牲、我慢や怒りは、すべて自分自身がつくっていることに気づく。
自分自身に問いかけてみてください。

①あなたの胸の内を多く占めている妥協や犠牲、我慢や怒りは、

命を削ってまで、妥協しなければならないことですか?
命を削ってまで、犠牲にならなければならないことですか?
命を削ってまで、我慢しなければならないことですか?
命を削ってまで、怒らなければならないことですか?

②怒りや不安、心配はまだ来ぬ未来を妄想していることに気づく。
自分自身に問いかけてみてください。
まだ来るかどうかわからない未来の妄想に、

命を削ってまで、恐れなくてはならないことですか?
命を削ってまで、不安を持たなくてはならないことですか?
命を削ってまで、心配しなくてはならないことですか?

もう一度言いますが、
まだ来るかどうかわからない未来の妄想にですよ。

繰り返しになりますが、私たちは、大概のことは自分で狭いルールをつくり、自分の狭いルールに従って、選択し決定しています。
しかし宇宙にはジャッジはありませんし、何々でなければならないなんて法則もありません。私たち人間は、この地球に「肉体を持って自由意志で選択し、体験する」のも目的の1つと言いましたが、体験するには肉体が必要です。
その肉体を、命を削ってまで犠牲にする必要はないと思いませんか。

(3)
胸の内の多く占めている妥協や犠牲、我慢や怒り、恐れや不安、心配を手放す。

イメージしてみてください。
水面下に氷があるとしましょう。その氷を水面下にずっと放っておくとそのままですが、水面上の光に当てると、次第に溶けていくでしょう。
私たちの奥深いところで潜んでいるネガティブな感情も気づいてあげること、同調することによって解放されていきます。
この苦しい感情は他人に同調してもらうことで、一時的にラクになることはあるでしょう。ですが気づき、手放し解放するといった作業は自分にしかできません。
自分自身の声を聞くことで、本当の自分をわかってあげることで、私たちは病みからのメッセージを受け取ることができます。
感情にはいろいろな経緯があると思いますが、「あのとき、本当に腹が立ったよね! わかるよ、わかる!」「あのときは悔しかったよね! わかるよ!」「大変なことになるんじゃないかって心配だよね。でも、それってどうなるか、未来は予測不可能だから、その時々で考えようよ」と自分自身で感情を抜き出し、対話してみるのもいいと思います。自分自身が自分をわかってあげることが一番安心するのです。

(4)
「心がピンチだよ!」とSOSの信号出してくれた病み、本当は何に苦しんでいるのかを気づかせてくれた病み、自分の感情の癖で犠牲となってくれた臓器や器官、細胞に・・・・・そして自分を成長させるために出会った人たち、起こった現象・現実に・・・・・。
もう、わかりますよね! 感謝です。感謝しかないでしょう。
臓器や器官、細胞たちはそれぞれの命を削って、私たちに教えてくれます。
そんな病みや病気に、そして私たち成長のために一肌脱いで悪役を演じてくれた偉大なる魂たちソウルメイトが演じるキャラクターたちに最終的に感謝の気持ちが湧けば、私たちは魂を成長させ、次なるステージへ、1つ螺旋階段を上がることができます。
病みは、何を教えてくれているのでしょう。
そう問いかけたことを覚えていますか?
もう、おわかりでしょう。
病みは「感謝の心を忘れているよ!」と教えてくれています。

病みは「感謝の心を忘れているよ!」と教えてくれているとお話しましたが、この感謝の心を思い出すとと共に、私たちは気づかなければならないことがあります。
それは、自分の本当の声をちゃんと聞いていなかったということです。
無意識に心の奥底に沈んでしまったいつかの・・・・・幼かった頃のあの声です。
私は以前、一度だけ「無意識に心の奥底に沈んでしまったあの声」、ロウアーセルフとの対話を体験したことがあります。

ある年末、私は自営である会社の決算やお正月の準備、著書の編集や出版で猛烈な忙しさの中にいました。お正月の親戚の集まりでお節料理を振る舞い、やっと一段落と思いきや、心も身体も地面に吸収されていくような感覚・・・・・心と身体の重さで、もう頭を上げることさえできなくなっていました。私ははじめて過労で倒れたのでした。布団の中では、ただただ涙が溢れ、無意識にも深く深く沈んでいく心と身体・・・・・私は、過労死した人たちの魂の感情と私の感情がつながるという体験をしたのです。
「誰もわかってくれない・・・・・悲しい・・・・・辛い・・・・・寂しい・・・・・」
心の奥底で誰かが叫んでいます。
「どういうこと・・・・・?
私・・・・・今そんなこと思っているの?
誰もわかってくれないなんて思ったことある?」
自分の意識の中にはない叫びに驚きました。
「誰かが叫んでいるの? 私? いやいや、そんなこと、思ったり考えたりしたことないよね?」
そんなことを誰かと言い合っているうちに・・・・・気づいたのです。
この叫びは、私自身でした。私が私自身のことをわかっていなかったことに気づきました。
それからというもの悲しみの叫びが止まらず、涙にくれる日々となりました。
過労死というものが、こんなに辛くて生きる気力を失っていくこと、浮上することができなくて苦しくて苦しくて、寂しくて寂しくて一生を終えていったことを垣間見せられました。
私は、今まで知らず知らずのうちに、愛されるために、認めてもらうために、受け入れてもらうために、頑張りすぎていたことを・・・・・。
頑張らないと愛されないし認めてもらえない。そんな囚われの世界に生きていたことを・・・・・何十年もの長い間、自分の本当の心の叫びを聞こうともせず、心と身体を酷使し続けていたのです。
すべての気力と意識を失いつつある私は問いかけました。

「私って、寿命って決めてきているの?」
決めてきてないよ! このまま死ぬことだってできるよ!
なんと! 私の中のその声は明るく答えました。
私はびっくりして、「ダメダメダメダメ!」
ダメだ! このままじゃ。何かポジティブなこと考えなきゃ・・・・・。

「私って韓流好きでしょ! 時間あるし、ゆっくり韓流見ようよ!」
韓流なんて好きじゃないし見たくない!
え? だんだん感情が感じられなくなっている?

「私って雑貨好きでしょ。好きな雑貨のこと考えよう!」
雑貨なんて好きでも何でもないし、興味ないよ!
やばい。心が空っぽになっていく・・・・・

「そうだ! 私、服好きでしょ! 何か新しい服買おうよ!」
服なんかどうでもいいし〜ほしくない!
やばいやばい・・・・・。このままじゃ奈落の底まで沈んでしまう・・・・・。
「またみんなで美味しいもの食べにいこう! どこに行くか探そう!」
このままずっと何も食べなくてもいいし〜みんななんかいらない!

一体、私に何が起こっているのだろう・・・・・。
少しでも気を抜くと意識が共に深く沈んでいく自分と、沈まないように必死で引っ張り上げる自分との闘いが2週間も続きました。
何を言っても否定され、まるで小さな子を一生懸命なだめているような・・・・・。
「この経験だって、いつかは私のお仕事(カウンセリングセッション)の役に立つはずだよね」
「セッションなんかしたくないし、役に立つことなんて絶対にない!」
何? 何? 何? 全部否定されている? これって、私、本当にやばくない?
そのような対話う長らくしているうちに気づきました。
全部否定していたのはロウアーセルフ(低次のもう1人の自分)の私自身だったということに。
私が私自身の思いや声を否定し、無視し続けていたのでしょう。あまりにも長い間、私自身に否定され続けられた子どもの私(インナーチャイルド)は、「誰もわかってくれない。悲しい・・・・・辛い・・・・・寂しい・・・・・」と叫び続けていました。
誰もわかってくれない・・・・・そう! 私自身の思いを私自身がわかっていませんでした。ただ私(子どもの頃の私)の思いを私(大人になった私)に気づいてほしかった・・・・・だけ。そして、このインナーチャイルドの叫びによって、頑張らなければならないという囚われの世界をつくっていたのは自分だったことに気付づかされたのです。気づきは気づきを呼びシナプスのようにつながり広がっていきます。
そして、さらに気づきました。
好きなことがある、大切な人がいる、楽しいことがある、ほしいものがある、それか生きる燃料となることを・・・・・。
よく、「すべての我欲を捨てて、すべての思考さえもなくして無になりなさい」なんて聞くことがあるかと思いますが、意識ある限り思考を止めることはできないし、この世は感情と思考で現実がつくられる世界。
物欲上等! ワガママ上等! もう一度言います。
物欲上等! ワガママ上等! だって、それさえ生きる燃料となりますから。ただし執着には要注意ですが(笑)。

私はロウアーセルフとの対話によって、その後、人生において大きく舵を切る体験と学びを得ました。

私たちは、肉体に魂が宿った瞬間からすでにカウントダウンははじまっています。
宇宙は言います。
残された時間は、あなたが思っているほどないんだよ」と。
それなのに、私たちは今この瞬間、もうすでにやり残していることがたくさんあります。欲張りな私たちは、すでにやり残していることがあっても、まだまだやりたいことがたくさんあるでしょう。ですから限りのある迫られた時間を生きる私たちは、もう悠長に迷ってなんかいられませんよね。

迷ったときは、しっかり「自分の声」を「自分の耳」で聞きます。

「嫌なの?」それとも、「不安なの?」
もし心の声が「嫌!」と言ったなら、どんな小さな声でも聞き逃さないでくださいね。それは紛れもなく、「NO!」サインです。
自分の本心から1ミリでもズレた選択は時間が経つにつれ距離ができ、さらにはその距離は本心とかけ離れてしまいます。それは、私たちにはストレスとなって、身体や心、家族との関係性やその他、自分が過ごす環境においても不具合が生じていきます。

もし、「不安」と聞こえたなら、それは、自分を守るエゴの声。
新しい世界、未知への世界へのチャレンジ!
新しい自分と出会えるチャンスであり、「GO!」サインです。
宇宙はいつだってシンプルです。
まだ来ぬ未来に思考で答えを出すのではなく、心の声を自分の耳で聞くだけ・・・・・ただ、それだけです。
私たちが目を向け、耳を傾ける場所は、私たちの内側にある輝く真理です。
自分自身の思い、自分自身の声、それを自分自身が偽りなく聞く・・・・・。
ただ、それだけです。そこに他者の目や声など挟む必要はなく、自分の目と自分の心の声だけでいいのです。自分の声に、自身での否定や自身でつくった制限、あきらめなんかで戦う必要はありません。ただただ、思いを聞く・・・・・。
そう! まずは、自身の「思いの声」を聞くことからはじめてみませんか。
自分が「自分らしさ」を認めることができたとき、はじめて相手の「らしさ」も認めて受け入れることができます。自分が「自分らしさ」を許すことができたとき、はじめて相手の「らしさ」も許して受け入れることができるでしょう。
とてもシンプルでしょう。
答えは意外とシンプルなのに、私たちはいろいろ複雑に考えてしまう傾向があるようですね。

『宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』 第2章 より テラコアンテナ:著 大和出版:刊

病みは、自分でつくりだしたもの。
それと同時に、手放すべきネガティブな感情を教えてくれる大切なヒントでもあります。

思いがけないトラブルや嫌な出来事や人間関係・・・・・。
病みに限らず、すべてのネガティブな現実は、自分自身の心の中のネガティブなエネルギーの現れです。

これまで心の奥底に封じ込めてきた「本当の自分」からのメッセージ。
それらにしっかり耳を傾けることから、すべてが始まります。

引き寄せのカギを握る「渦の法則」とは?

宇宙的“人生ゲーム”攻略のための大きなカギ。
それが「渦の法則」です。

テラコアンテナさんは、宇宙は、「未来はね、あなたが思った瞬間に、思い描いた瞬間に、もうすでに実現しているんだよ。もうすでに願いは叶っているんだよ」と言っていると述べています。

未来では現実として存在しているにもかかわらず、なかなか実現しない。
その理由は、思い描いて実現するまでにはタイムラグがあるからです。

「未来はね、あなたが思った瞬間に、思い描いた瞬間に、もうすでに実現しているんだよ。もうすでに願いは叶っているんだよ」
宇宙が言ったこと覚えていますか?
私たちが思ったこと、思い描いたことは、どんなに大きくても小さくても、未来では実現しています。どれも引き寄せる力としては変わらないのです。
変わるのはタイムラグの長さ、ただそれだけです。

「じゃあ、どうすれば早く引き寄せることができるの?」

そう問いかけると、宇宙はこう言いました。
「強く純粋に! 強く純粋に!」と二回繰り返しました。

「あなたはすでに経験しているでしょう」
そうです! もう経験していました。
まず、一心不乱に「宮崎の餃子が食べたい! 餃子餃子餃子餃子餃子」
これは紛れもなく、強く純粋な思いです。強く純粋以外の何者でもなく、強く純粋な思いでしかないと思いませんか?
宇宙曰く、強く純粋にとは、これくらいクリアに思うということだそうです。
「これ、このものが食べたい!」と思うときには理由がありません。
「ただ食べたい!」それだけだと思いませんか?
真夏に運動をしてめちゃくちゃ喉が渇いたとき、とにかくとにかく何か飲みたい!
このように理由なんかないくらいに、心が「そのものを思う。」そのことだけを思う」まさに、その感覚が強く純粋なのだそうです。
〜してください、〜になりますようにと「願う」ではなく「思う」ことが重要だということです。
私たちは、このタイムラグの長さが長ければ長いほど、「強く純粋に」という思いをキープすることが難しいようですね。なかなか望むことが実現しないので、思い通りにいかない苛立ちや焦りが出ては、ネガティブな感情と思考が不安や恐れにつながり、ネガティブな感情と思考をもっと大きなものに育ててしまいます。
せっかく思い描いた望む現実、しかも未来ではその現実を手にしているのに、タイムラグの間に出会う山あり谷ありの現実(思い通りにいかない・スムーズにいかない現実)に、ネガティブな感情と思考に翻弄され、くたくたになったそのとき・・・・・そう、そこに、生存本能である、あの過去のデータ「エゴ」が登場します。
すると、あの強く純粋だった「思いのベクトル→自分が思い描いた現実、あるいは望んだ現実」が瞬く間に、小さく弱々しいベクトルと化してしまいます。
「思いのベクトル」は強く純粋であればあるほど、その叶っている現実に辿り着くために、ありとあらゆる偶然を引き寄せます。
私たちは偶然と言っていますが、本当に偶然なのでしょうか?
実は、偶然にはすべて意味があります。すべてつながっています。1つの偶然の意味に気づくと、次の偶然が見つけやすくなります。次の偶然をグイッと引き寄せるのです。1つの偶然に気づくと、もはや次々に起こる偶然は必然だと気づくでしょう。
「思いのベクトル→自分が思い描いた現実、あるいは望んだ現実」は弱くなればなるほど、厚い「エゴ」の壁に守られて、偶然を受け入れることができなくなり、変化を嫌う「エゴ」は過去のデータを参照し続け、「思いのベクトル」はなかなか前に進むことができません。
悲しいことに私たちは、タイムラグの間に「強く純粋に」というクリアな気持ちが薄れ、現実を手にすることをあきらめる方向に、多々ベクトルを向けてしまうようです。

私たちが思った瞬間、もう「未来では叶っている現実」が同時に存在するといいましたが、「渦」とはどのような関係があるのかをお話していきましょう。
まず、私たちが未来を思い想像します。たとえば、「私はパティシエになる!」と心強く思ったとしましょう。
その時点で、「今の私」から「未来のパティシエになった私」に一気に「思いのベクトル」が向き、渦のようなトンネルが一瞬でつながります。
実は、もう、この時点で「未来では叶っている現実」を手にしています。
この「渦のトンネル」こそが、時間の概念がある私たちの世界でいうタイムラグです。
そして時間軸に沿って現実を生きている私たちは、そのタイムラグである「渦のトンネル」の中を歩いていきます。
私たちの感情と思考が、少し先の未来(現実)をつくっていくと同時に思ったこと・思い描いたことも一瞬で、叶っている未来(現実)とつながります。
そして時間軸に沿って現実を生きている私たちは、そのタイムラグである「渦のトンネル」の中を歩いていきます。
「渦のトンネル」の中を通過している間、「未来では叶っている現実」に向かって、宇宙が用意してくれた偶然と共に、いろいろな現象、現実を体験しながら歩いていきます。
その「渦のトンネル」の通過中、宇宙はいろいろな奇想天外(偶然)を用意してくれています。
なぜなら「思いのベクトル」が強ければ強いほど、純粋であれば純粋であるほど、その「未来では叶っている現実」に早く到達させようとするため、宇宙はありとあらゆる方法を用意してくれるからです。
でも、それは私たちにとって、都合の良いものばかりではありません。ときには辛く、苦しいと思うかもしれません。それでも「渦」は最短距離を選びます。
なぜなら、「渦」は忠実に「思いのベクトル→自分が思い描いた現実、あるいは望んだ現実」に従いつながってくれるからです。
ですが、ここで注意を払わなければならないことがあります。
気がつきましたか?
渦は忠実に思いのベクトル従うと言いましたが、ここに私たちは意識しなければならないことがあります。
私たちは、何に気づき、何に意識しなければならないのでしょうか。

「渦」は忠実に「思いのベクトル→自分が思い描いた現実、あるいは望んだ現実」に従いつながる。

これを聞いて、「よし! 願いは現実になるんだ!」

そう思いましたか?
「私たちは注意を払わなければならない」と言いましたが、それは、人類が唯一、宇宙存在によって遺伝子操作がなされなかったという「スピリット(感情)」が、「思いのベクトル」の現実化を遠い道のりにすることもあるからです。

宇宙存在がスピリットにおいて遺伝子操作をしなかったのは、人間の感情は放っておいても、すぐにぶれるからだと前にお話しましたね。
そうですね。私たちはすぐに感情に左右され、苦しい人生ゲームを実践展開中・・・・・実践展開中・・・・・と感情に翻弄されている世界を生きていること。
「感情」は私たち自身のすべてを支配すると言っても過言ではないほど、実はとてつもなく私たちは影響を受けていましたよね。

たとえば、他人を嫌ったり、羨んだり、妬んだり・・・・・。
そのような重くネガティブな感情が私たちの心を支配していると、宇宙の渦は「嫌う」や「羨む」「妬む」を拾います。
渦は忠実なので「人を嫌う」という現実が同時に未来でも現実になっているため、タイムラグである「渦のトンネル」を通過している間、私たちは人を嫌いになるべく「嫌う」や「羨む」「妬む」の現象・現実に出くわし続けます

結果、「人を嫌うというあなたの思い、ちゃんと叶いましたよ」となるわけです。
第2章の「感情と病気の関係」のところでも少し触れていますが、この「渦のトンネル」は感情・思考と病気についても同様に言えます。
それはどういうことなのか、ここでは、怒りが溜まりやすいといわれている肝臓を例にとってお話していきましょう。
怒りのエネルギーは肝臓だけでなく胃や腸、胆嚢・卵巣など、他にもたくさん受け取る臓器や器官はありますが、ここでわかりやすく肝臓に絞って進めていきたいと思います。

まず、怒りの感情を持ったとします。
前にお話しましたが、前にお話しましたが、感情のエネルギーは幾千本ものエネルギーの針となり弧を描いて自分の肝臓に刺さります。

ここまでイメージできましたか?
次は少し難しくなるので、しっかりついてきてくださいね。
もしイメージができなければ何度も読み返してみてください。
ここからは宇宙から教わった「渦の法則」と絡めて説明していきますね。

自分が思い描いた瞬間に「未来ではもうすでに叶っている現実がある」とお話しましたが、その未来ですでに叶っている現実へは、思い描いた瞬間、「渦のトンネル」でつながりタイムラグ(時間と行動)を持って、いろいろな偶然に出会いながら体験し現実を手にします。

では、この「渦の法則」は病気とどういう関係があるのでしょうか。
怒りの感情のエネルギーの針が弧を描き、肝臓に刺さるということは、肝臓に負担がかかり最終的には肝臓を病むことになります。
ここでは「感情と病み」をセットと考えてみましょう。
そこで思いのベクトルについて補足しておくことがあります。
思いのベクトルは、自分で認識しているものと、厄介なことに感情や思考が渦巻き、自分でも気づかない深いところに意図されているものとがあります。
この深いところに隠れている意図も自分では気づかず描いている思いのベクトルとなります。
ですから何かに対して許せない、許すことができないという思いのベクトルである怒りの感情のエネルギーを発した瞬間に、「未来では肝臓へ負担がかかっている、もしくは病んでいるという現実」が渦のトンネルでつながってしまいます。
そして、「肝臓を病んでいる現実」に向かうため、タイムラグである渦のトンネルを通過しているとき、肝臓に負担をかけるべくアルコールの摂取量が多くなったり、身体を酷使して仕事をし、ストレスにより自律神経が乱れたり。夜ふかしで故意的に寝不足になったり、自分の意識外での行動を伴い、「肝臓を病んでいる」という現実に向かうわけです。

でも私たちは言います。
「お酒を飲みすぎたから、肝臓に負担がかかったのよ」と。
お酒をたくさん飲んだから肝臓が悪くなったとか、食べ過ぎたから胃が痛くなった、枕が合わなかったから首が痛くなったとか言い出したらキリがないくらい理由はたくさん挙げられます。そのうえでほとんどは「何々したからそうなった」のではなく、先に感情を発しているから、その臓器や器官が病むべく行動や偶然に出くわしたということになります。

では、もう一度イメージしてください。

「思考や感情・思ったこと・思い描いた現実・望んだ現実」→「同時」に未来ではその現実が存在する。ただし、その思い描いた現実は、自分が認識しているポジティブなものばかりではなく、自分では知らずのうちに潜在意識に深く隠れている意図(思惑やもくろみ)を、ネガティブに描いていることもあります。
ですから思い描いたものは、良いも悪いも関係なく「同時」に未来ではその現実が存在することになります。
この「同時」こそ、渦のトンネルのことなのですが、私たちは肉体という制限がある重いものを持っているため、瞬時に未来への移動ができません。
その「感情や思考・思ったこと、思い描いた現実・望んだ現実」が叶っている現実にはタイムラグ(時間や行動)を持って辿り着きます。
いかがでしょう。
「渦の法則」についてご理解いただけましたか? 少しでも頭の片隅に置いていただき意識を持っていると、いつか体感するときが来るでしょう。そのとき、腑に落ちることができるのではないかと思います。

『宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』 第3章 より テラコアンテナ:著 大和出版:刊

「願いが叶っていない現実(今)」と「願いが叶っている現実(未来)」。
それらは並行して同時に存在しています。

その2つの現実をつなぐのが「渦のトンネル」で、それを通過している間が「タイムラグ」となります。

「渦のトンネル」を通過している間、強く純粋な「思いのベクトル」を持ち続ければ、必ず「願いが叶っている現実」にたどり着けます。

それを妨げるのが、「感情」であり「思考」です。
ネガティブな感情や思考が「思いのベクトル」の方向を変えて、望まない現実につながってしまいます。

大事なのは「今、この瞬間」に感じていることや思っていること。
「渦の法則」を上手に利用して、思い通りの人生を手に入れたいですね。

「人こそ人の鏡」の理由とは?

私たちは、「袋」の中の自分の情報をほとんど知りません。
それらは、「目」という2つの穴を通して、外の世界に映し出されます。

テラコアンテナさんは、その映し出されたすべては、実は自分自身だと指摘します。

 あなたは今、どんな人と出会い、どんな声が聞こえていますか?

見える人の行動や、聞こえてくる声によって映し出されています。
その時々の私たちの波動が、出会う現象、現実を決めます。
いくら元気に楽しく装っていても、心をネガティブな思いで占めているならば、その波動と同じ波動の現象、現実を見せられます。
外で見せられる波動と、「袋」の中の持っている波動とが響き合います。
自分の発する波動によって袋の中の同じ波動と共鳴するものを見せられるということは、見せられる現象や出会う人によって今の自分の状態を知ることができるということになりますね。

たとえば、もしパートナーにもっと思いやりを持ってほしいと感じているならば、あなた自身はどうでしょうか?
思いやりを持ってパートナーに接することができていますか?

優しくしてもらえないことばかりにフォーカスして、悲しみや寂しさが挙句の果てに恨み辛みとなり、怒りとなった行動に出ていませんか?
もし、思いやりがないという現象を見せられるなら、自分も同じことを相手に見せています。「夫婦は鏡である」ともよく聞くでしょう。
「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、直すか直さないかはさておき、「人の振り」と「我が振り」が同じであることに気づき認めることができれば、それほどネガティブに感情に持っていかれなくなります。自分も持っているのに相手が持っているからと責めることはできないでしょう。自分が持っていないのに相手が持っていないからと責めることもできないでしょう。
これは夫婦においてだけではなく、すべてに当てはまるといえます。

ついつい自分のルールにおいて、人を直そうとしたり正そうとしたりすることもあるでしょう。悪いことだとジャッジしていることになります。ただただ、「自分はこれが正しいけど、そうじゃない人もいるんだな!」「みんないろいろルールが違うのね!」「もしかしたら、自分にもそんなところがあるかも」と認めるだけで、ジャッジしなくても自ずと感情はどこにも引っ張られなくなります。

ソウルメイトと言われる魂のグループで家族になる魂同士は、とくに関わりが深いと言われていますが、やはりいろいろな気づきを容赦なく見せ合います。

たとえば、自分に強いコンプレックスを持つほど、我が子に同じコンプレックスがあろうものなら、その部分をただす傾向にあることが多いようです。
自分が他人よりテキパキできないということにコンプレックスを持っているなら、ぐずぐずしている我が子を見るとイラッとして口うるさくなってしまうことも・・・・・子どもを通して、自分の心が痛むコンプレックスを見せられることもよくあります。もし、自分自身のコンプレックスを良し悪しのジャッジをするのではなく理解し認めることができているなら、同じコンプレックスを見せられたとき、優しくなれます。
コンプレックスと思っているものは、実は私たちが生まれてくるとき、あえて自分で持ってきた個性の種(その傷を持って自分の個性がつくられる)でもあります。
もし妬まれるという現実に出くわしたとしましょう。
自分に向けられているものが「妬む」という感情かどうかは、自身が「妬む」という感情を経験したことがなければわかりません。
自分が経験したことがあるからその感情がどのようなものかわかるのです。
もし相手に対して「意地悪」と感じたとしましょう。
もちろん、自分自身が「意地悪」を発したことがなければ、自分に向けられた「意地悪」はわかりません。

相手に見るもの、見せられるものはすべて自分の袋の中のもの。
相手に見るもの、見せられるものは自分がすでに体験しているのです。

それなのに私たちは、自分が体験し知っていることを忘れ、相手に見せられることばかりにフォーカスし、感情が揺れ動きます。相手から見せられるものを、「きっと、自分も同じことを誰かにしたことがあるんだな〜。感じさせたことがあるんだな〜」と気づき認めることができれば、自分の本質を知ることができます。
この気づきを認めるということは、人生ゲームである「自分を知る」というミッションを1つクリアすることになります。頭ではわかっていても、理論上納得していても、認めて受け入れることが苦しいこともあるでしょう。いきなり心の変化は難しくても、少しでも頭の隅っこにでもあるということは、いつでも成長の分岐点にいるのです。自分自身の変化を受け入れ成長するという決意で、覚悟で、私たちはいつでもミッションをクリアして前進することができます。

認めるということは受け入れるということ。
それは同時に手放すということになります。

「受け入れると手放すでは、まったく逆ではないか?」と思われますよね。
言葉こそ違いますが、受容(受け入れる)と解放(手放す)とは、心にとって同じ働きをします。「受容=解放」することで、私たち心を軽くし、成長の螺旋階段を一段上がることができます。

自分のネガティブな感情や部分は、「自分にそんな感情や部分があるのか」ということを気づいて認めることで、心が、身体の細胞が、緩み(ゆるみ)ほぐれていきます。心と身体にとって「ゆるむ」ということは「ゆるす(許す)」と同じ働きをします。

ネガティブな部分が自分の中にたくさんあると、それを見たくない、感じたくない、認めたくない自分は、人前で元気に明るく振舞がちです。
それは自分の意識とは別に、知らず知らずのうちにネガティブであることは悪いことと、ジャッジしているからでしょう。
そんなときは自分の持っているネガティブな感情や部分を人に見せたくないため、明るくパワフルに振る舞うことで、自分の強い部分を表に出し、ネガティブである部分から逃避します。
辛かったり悲しかったり苦しかったりと、いったん、感情をしっかり味わったなら、もう1人の自分で俯瞰して見てあげます。
先ほども申し上げたように、「こんなネガティブな自分がいるんだな」「こんなことで自分は傷つくんだな」「こんな言葉を聞くとイラッとするのか」と1つひとつ自分の持っているものに気づいてあげます。
この作業こそ、「気づいて認める」そして「自分を知る」というミッションを1つクリアすることになります。

ところが、この1つひとつを取り出すことは自分にとって、とても痛くて認めたくありません。
傷は見たくないし痛さも感じたくないので、見なかったこと、感じなかったこと、そして挙句の果てには、なかったことにしてしまうこともあります。

宇宙には一切無駄がないと繰り返し言ってきましたが、私たち「人生」の、「魂」の、勉強において、現象や現実で受けた傷や感じた痛みによって本質の自分を1つずつ知ることができます。
それなのに私たちは「自分を知る」というミッション遂行中であるにもかかわらず、「痛い!」「苦しい!」「悲しい!」「辛い!」「腹が立つ!」と感情ばかりに振り回されます。

現象や現実で受けた傷は、感じた痛みと向き合い認めることによって、自分自身を認めることになります。
「こんな自分(傷)もあってよし! これも(この傷も含めて)自分!」とその自分の持っている個性、本質(良いも悪いもポジティブもネガティブも自分のすべて)を認めること、理解することで自分を許すことができるようになります。
自分が持っているどんなことやどんなものも、許すことができたら、どんな自分も認めることができたら、わざわざ他人に偽りを見せなくてもいいと思いませんか。
もちろん私たちは弱いところを見せることは恥ずかしいと思ったり、隠したいと思うでしょう。
私たちは体裁や世間体が常に付きまとっていますから、それはそれで悪いことではありません。
ただ、その「弱い自分」がいるんだと気づけばいいだけです。
この「弱い自分」を気づき感じてあげないと、「気づいて! 気づいて! こんな弱い私がいるんだよ! 気づいてもらえないなら・・・・・気づくようにもっと仲間をよんでこよう!」と仲間を呼んできます。
その仲間とは、同じ感情・気持ちを味わうべく現象や現実。

もう少しわかりやすく説明しますね。
「ねえねえ、こんなことで傷つく私。こんなことを怖がっている私。こんなことで悲しんでいる私。こんなことに悔しい思いをしている私。こんなことに自信がない私に・・・・・気づいて! もっと私の気持ちに気づいて!」と肩をトントンと叩かれるとします。
もし、その肩を叩かれたことに気がつかなければ、もう少しきつくトントンと叩かれますよね。
それでも気づかなけれは・・・・・トントンがドンドンになってドンドンと叩かれても気がつかなければ、最後には大きなゲンコツを喰らうことになってしまいます。流石にゲンコツまで行くと、気づかずにはいられませんよね(笑)。
このトントンやドンドン、ゲンコツというのが私たちの気づきを得るために見せられる現象や現実のことです。

現象や現実は、自分が見なかったこと、なかったことにしてしまっている感情や気持ちを「思い出すまで」「気づくまで」「感じるまで」「認める(許す)まで」・・・・・トントン → ドンドン → 大きなゲンコツというふうに、現象や現実によって味わう痛みは大きくなりながら、幾度となく繰り返し、私たちに見せ続けます。
私たちは気づいて感じることより、どうやってバレないですむのか・・・・・バレたら人にどう見られるのか。どう思われるのか、かっこ悪い自分を見せたくないため、人の目に重きを置く傾向があります。
人の目に重きを置くことより、自分自身に重きを置くことができれば、本当の自分がどんなに喜ぶでしょう。
自分自身に重きを置くことは、本質の自分に近づくことができるのです。
自分のネガティブな感情や部分に気づいて認めるだけ。それは心と身体を緩ませ、人や自分をゆるすことにつながります。そして自分をラクにする近道でもあります。

『宇宙的“人生ゲーム”の歩き方』 第5章 より テラコアンテナ:著 大和出版:刊

外の世界に映し出されている現象や現実。
それらは、私たち自身の内面が反映されたもの。

つまり、潜在意識にある思考や感情が放つ波動と共鳴するものだけを認識するということです。

それは、人間関係においても例外ではありません。
他人に感じたネガティブな部分は、自分の中にもあるということ。

それを無視したり拒否したりしている限り、同じような人間関係が繰り返されます。
唯一の解決策は、自分の中に眠る同じネガティブな感情を認めて受け入れること。

この世界に隠された仕掛けを見抜き、利用すること。
それが宇宙的“人生ゲーム”をクリアするカギとなります。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

私たちが地球に生まれてきた目的は何でしょうか。

テラコアンテナさんは、それは、私たちの魂、ユニークな個性を最高に輝かせること!だとおっしゃっています。

私たち誰もが、とびっきりのミッション(使命)を携えて、この地球に生まれてきました。
それにすぐに気づいてゴールに向かっている人もいれば、なかなか気づかずにウロウロしている人もいます。

人生には、共通の目的がない以上、それを探し出すことも含めて「ゲーム」だということです。

この世界は困難だらけ、敵だらけ。
それも、このゲームを楽しむための仕掛けであり、自分自身が設定したもの。
敵もいない、何の試練も困難も、山も谷もないゲームはつまらないですね。

そして、困難の中にこそ、敵の中にこそ、私たちが目指すべき“宝”が隠されている。
それも、このゲームの巧妙な仕掛けであり、醍醐味です。

これまでの単調で味気ない日常が、スリルと感動、ドキドキとワクワクに満ちたアドベンチャーへ。

皆さんも、本書を片手に、宇宙的“人生ゲーム”に踏み出しましょう。

夢がかなう実践スピリチュアル 宇宙的“人生ゲーム”の歩き方 (大和出版)


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