【書評】『目覚めて生きていく』(奥平亜美衣)
お薦めの本の紹介です。
奥平亜美衣さんの『目覚めて生きていく』です。
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奥平亜美衣(おくだいら・あみい)さんは、作家です。引き寄せの法則に関する著書を多数書かれています。
「自分とはすべて、自分とは宇宙」
「生まれる前、私はどこにいたの?」
「死んだらどうなるの?」
「自分って何なの?」
奥平さんは、小さい頃からそんな疑問を抱いてきました。
「本当のことを知りたい」
奥平さんの、そんな思いが行き着いたところは、自分とはすべて、自分とは宇宙であり、この世界には本当は何もなく、人生は仮想現実ゲームだということ
でした。
「自分とはすべて、自分とは宇宙」
仏教などの宗教では「真理」として伝わってきたこと。
奥平さんは、最新の科学である「量子力学」の知見を使い、以下のように説明しています。
形あるもの、それはつまり私たちが物質と呼ぶもの、目に見えるもののことですが、私たち人間の身体も含め、目に見えているすべての物質とは一体何なのでしょうか?
物質は、分子や原子でできているということは、小中学校で習います。
原子の中には原子核があり、その周りを電子が回っていて、その他は空洞ですが、それは、東京ドーム(原子)の中心にパチンコ玉(原子核)が置かれているようなものであり、原子はほぼ空洞です。
さらに、原子核は陽子と中性子が強い力でくっついたものですが、陽子と中性子それぞれは、クォーク極めて小さい素粒子3つからなることがわかっています。陽子をサッカー場とすると、クォークはせいぜいアリの大きさなのです。
つまり、人間の身体も含め、すべての物質はほぼ空っぽ、実体は何もないということなのです。私たちの身体も、本来はスカスカです。(下の図1を参照)
このように物質を限りなく細かくしていくと、素粒子にたどり着きます。その素粒子は実は、粒子の性質を示すこともあれば、位置を確定できない波動の性質を示すこともあり、確固としたものではありません(下の図3を参照)。
それでも、私たちの目には、物質が存在するように見えるし、触れることができるように思います。
例えば、手でテーブルに触れると硬いと感じます。でも実際は、手とテーブルの間に反発する力が働いているからそう感じるのです。風が前から吹いてくれば、そこに何もなくても抵抗を感じるのと同じです。
宇宙には、素粒子を媒介として働く4つの力があるとされています(下の図4を参照)。本当は、目に見えない素粒子と力が存在しているのみなのです。それはただ、エネルギーが存在していると言っていいでしょう。物質という確固たるものは存在しませせん。
つまり、物質を追求していくと、物質は消失するのです。
結局のところ、実体は何もありません。
仏教の伝える色即是空とは、この世界の本質とはエネルギーであり、それは目に見えないものであり、実態のないものである、ということなのです。
この世界は空(くう)、すべては空なのです。それをお釈迦(しゃか)様※2は、科学の発達していない原子的な時代に自ら悟ったのです。
「あらゆるものには実体がない」という事実を悟るために、古来、仏教僧やインドのヨガ行者(ぎょうじゃ)※3など、厳しい修行をしてきた人もいます。それはほんの一部の人の間でしか共有されていないものでした。
しかし、現代において、それは科学によって解き明かされようとしていて、もう少し時代が経てば、当たり前のこととして誰でも知っているというような時代が来るのではないかと思っています。
はるか昔に、この世界には実体はないという悟りにたどり着いたお釈迦様には畏敬の念しかありませんが、現代では、悟りや目覚めとは高尚なことでも特別なことでもなく、ただ事実をありのままに受け入れることだと私は思っています。※2 釈迦 仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタ(紀元前563年〜紀元前483年、諸説あり)。35歳で悟りを得て80歳で没するまでの45年間、古代インド全域で教えを説いた。「シャーキャー族の聖者」という意味の釈迦牟尼(しゃかむに)を略して釈迦と呼ばれた。
※3 ヨガ行者 ヨガは古代インド発祥の宗教的行法。心身、感覚器官を鍛錬によって制御し、精神を統一し、心の働きを止滅させ、輪廻からの解脱に至ろうとするもので、現代の心身の健康法としてのヨガとは目的が違う。ヨガの修行に生涯を捧げた人がヨガ行者。何もない、それはつまり、真空である、ということですが、現代の物理学において、真空というのは本当に何もないのではなく、そこには無数の粒子が出没していて、それらはエネルギーである、ということがすでにわかっています(下の図5を参照)。
これらは、絶対に観測されることはなく、温度もないものですが、そこにはエネルギーが実在するということがすでに判明しているのです。
なかなか理解し難いことではありますが、無から有が生じているのです。
その無(真空)は、観測することのできない粒子(仮想粒子)で満たされており、その粒子からすべては生まれているのです。
そもそも、真空の中の粒子は、温度も質量も何もない無でしたが、宇宙創造のある時点で異変が生じ、質量を獲得するようになります。ヒッグス粒子(ヒッグス場)が粒子に質量を与えているということがわかったのです。
そして、物質を構成する原子や分子が誕生し、やがて生命が誕生したのです(下の図6を参照)。まさに、無から有が生じるのです。
つまり、空(無、真空)は、創造性そのものとも言えます。この世界には本当に何もない、ということを別の角度から考えてみましょう。
空(そら)を見上げると、晴れた日なら太陽、夜には月やたくさんの星たちが見えると思います。これら果てしなく遠くにあるものというのは、光が地球に届くまでにとても長い時間がかかるので、私たちの目に見えている太陽や月や星は過去の姿だと聞いたことはないでしょうか?
見えるということは、言い換えると「光か目に入る」ということです。自らが光を放つ恒星は、その星から出ている光が目に入って見えていますが、月などが自ら光を放たないものは、それに反射した光か見えているということです。
そして、例えば地球から光で8年かかるところにある恒星を見ているとすれば、それは、その星の8年前の光を見ているということです。
つまり、遠くに見える太陽や月や星たちが過去の姿であるということは、遠い、近いの差があれど、目に見えるものというのは、すべて過去ということです。
目に見えるということは、実はそれは、過去に存在するものということになります。私たちは常に、過去の映像を見ているだけなのです。
目の前のこの本やパソコン、テーブルやコップもほんの一瞬ではありますが、過去の姿です。
今を見ることは決してできないのです。
つまり、今には何もないのです。では、その過去を見ているものは何でしょうか?
過去を見ているものとは、何もない真空です。無であり空であるもの、それが、過去の映像を認識しているのです。
そして、見ているのはあなたです。
つまり、あなたとは空(無、真空)なのです。すべてを認識しているものです。
そして、それこそが生命なのです。この世界には、本当の本当に何もないのです。
無、空、真空などと呼ばれるものがこの世界の本質ですが、さらに最先端の物理学では、その本質はデータであり情報である※4とされています。そこで、私たちが、何らかのデータを再生するときのことを考えてみてください。
データという目に見えない形のないものがスクリーンに映し出されると、そこには何かがあるように見えますし、何らかのストーリーが展開しているかのように見えます。
しかし、その実体はデータです。※4 この世界の本質はデータであり情報である 物理学者ジョン・A・ホイーラーが提唱した理論。ホイーラーによると、どんな物理的現実も純粋な情報に還元できるという。ホイーラーは自伝の中で「最初はすべては粒子であると思い、次にすべては場であると思い、今はすべては情報であると思っている」と語っている。
私たちの見る映像は、通常はスクリーンに映し出された2次元のものですが、最近では、3次元であたかもそこに本当に物質があるかのように映し出される技術もあります。
身近にも、すでに体験できるところがあります。
ディズニーランドの『美女と野獣』のアトラクションでは、何もないところから野獣が現れて、それが王子に変身します。私たちの目には、そこに野獣や王子が本当にいるかのように映ります。
また、以前、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに、『鬼滅(きめつ)の刃(やいば)ライド』という期間限定のアトラクションがありました。そのアトラクションでは、ゴーグルをつけると、そこに別の世界(『鬼滅の刃』※5の世界)が広がっていて、そしてそのままシンクロしていて、まるで本当にその世界に入ってしまったかのような感覚になるという、全く新しいアトラクションでした。*5 『鬼滅の刃』 吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)による漫画作品で、アニメ化もされている。鬼に家族を襲われた少年が、妹が鬼にされてしまったことを知り、彼女を人間に戻すために鬼狩りの剣士となる姿を描いている。
そのときは娘と乗りましたが、そのゴーグルをつけた瞬間、まず隣にいる娘が消えました。隣の娘を触って確認しなければ不安になる程、本当に消えるのです。自分の身体も、乗っているジェットコースターも消えます。そして、前後左右どこを見渡しても、広がっているのは『鬼滅の刃』の世界。本当はそこに『鬼滅の刃』の世界があるわけではなく、そこにキャラクターたちがいるわけでもありませんが、そこにいるようにしか見えないし、そこで物語が展開しているようにしか見えないのです。5分ほどの間だと思いますが、その間、その世界に本当に入り込んでしまったのでした。
そしておもしろかったのが、私も、娘も、同じ仮想現実※6を共有していたということ。
地球にいる私たちは、このように、同じデータ、同じ映像を共有していると言えます。
そして、この世界が仮想現実ということは、普段の私たちの状態も、これと同じようなものだということです。肉体という装置、つまり、目というゴーグルと脳という変換器をつけているから、目の前の世界があるように見える。目から入ってきた光を網膜で電気信号に変え、その信号を脳に伝達して、イメージとして再生しているのです。そうした機能をもつ肉体に入り込んでいるから、毎日の体験、経験があるように感じるのです。
私たちには、物質はひとつの塊のように見えますが、実際は先ほどご紹介したように素粒子の組み合わせであり、素粒子が並んでいるだけなのです。
それは、テレビやパソコンの画面か、実際はひとつひとつの細かいピクセルでできているのに、私たちの目にはつながっているように見えるのと同じです。昨今では、3次元の仮想空間に入る体験のできるメタバース※7というものも生まれてきました。
私は、この世界はデジタルであり、この世界の本質である素粒子とは情報をもったデータであり、そして、私たちは、そのデータが立体的に映し出された仮想空間、つまり、メタバースの中にいるようなものだと思っています。※6 仮想現実 バーチャルリアリティー(略してVR)とも呼ばれている。コンピュータなどの電子技術で人工的な環境を作り上げ、人間の感覚器官に働きかけ、あたかもそこにいるかのような現実感を作り出す装置です。
※7 メタバース 「メタ(超)」と「ユニバース(宇宙)」を組み合わせた造語。インターネット上に構築された3次元の仮想空間サービス。ユーザーは自身の分身であるアバターとしてアクセスし、コミュニケーションやエンターテインメント、ショッピングなどを楽しめる。
『目覚めて生きていく』 第一章-一 より 奥平亜美衣:著 ナチュラルスピリット:刊
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それを理解し、体現することが「目覚め」であり「悟り」です。
本書は、私たちを目覚めへと導き「本当の自分」として幸せに生きるためのノウハウをわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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世界の本質は、データであり、情報
奥平さんは、この世界はデジタルであり、この世界の本質である素粒子とは情報をもったデータであり、そして、私たちは、そのデータが立体的に映し出された仮想空間、つまり、メタバースの中にいるようなもの
だと述べています。
この世界はデジタルであり、その本質はデータであり情報である、と考えたとき、
「すべてのものには実態はない」
「時間はない」
「過去も未来も今ここに、すべては同時に存在する」
「パラレルワールド※8の存在」など、素直に納得できると思います。
※8 パラレルワールド 観察者が存在する現実世界から、過去のある時点で分岐して、併存するとされる世界。並行世界、並行宇宙とも呼ばれる。
デジタルだったら、いくらでもデータは作り放題です。作り放題ですが、実体があるわけではありません。そして、何もないところからすべてが生まれるというのもその通りです。
データの状態では、時間はありません。例えば、1冊の本がそこにあったとして、そこに書かれているストーリーには最初から最後までのすべての時間、すべての出来事が同時に存在しています。つまり、時間はありません。
しかし、それを読み始めたり、語り始めたりすると、そこに時間が生まれます。そのように、データの状態では時間もないし、すべては同時に存在するのですが、再生を始めると、そこに時間が生まれるのです。そもそもすべてはデータですが、あなたの人生が始まると、時間が発生するということです。
つまり、過去はすべてに再生されたデータで、未来はまだ再生されていないデータです。
また、誰でもたまには正夢を見たり、本当に未来を予知できる能力を持っていたりする人がいますが、これは、データとしてすでに存在するので、それを何らかの方法で見たり感じとったりすることのできる場合がある、ということです。また、物質そのものは消失する(真空の状態に戻る)ことはあっても、情報はなくなることはありません。例えば、ある本を読んだとして、その本が燃えてしまったとしても、そこに書かれていた情報がなくなるわけではありません。
その情報は、誰かの記憶の中だったり、その情報が何かに使われていたりと、残ります。
物質の本当の姿は情報であり、情報は永遠に残るのです。量子物理学では、まだ仮説の段階ではありますが、ゼロ・ポイント・フィールド仮説※9と言って、ゼロ・ポイント・フィールドという場に宇宙のすべての情報が記録されているという説があります(下の図7を参照)。
※9 ゼロ・ポイント・フィールド仮説 物質は存在しないがエネルギーは存在する真空(量子真空)の中にゼロ・ポイント・フィールドと呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべて情報が記録されているという仮説。量子真空は、138億年前に宇宙を生み出した場であり、現在もこの宇宙に普遍的に存在する。情報は、ホログラフィー原理(光の波動性を利用して3次元の情報を記録・再生する技術)で記録されているので、減衰せず、アクセスも可能とされる。
このように、宇宙のすべての情報が記録されていると聞くと、アカシックレコード※10が思い浮かんだ人も多いかもしれません(下の図8を参照)。
※10 アカシックレコード アカシャ(虚空)は、インド哲学で物質の根源である地、水、火、風を生み出す母体となるもの。19世紀後半、神智学協会のブラヴァツキー夫人は、アカシャには、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報が蓄えられていると説いた。個人についても、前世を含めた過去から未来まで、すべての魂の情報が記録されているアカシックレコードがあり、無意識のうちにアクセスしていたり、呼吸法やタロットカードなどの方法で意識的にアクセスしたりすることもできるという。
また、仏教でも、阿頼耶識(あらやしき)※11と呼ばれる、すべてを有し、すべてを保持し、全てがそこから生まれるという宇宙の根源とされる領域があります(下の図9を参照)。
古代から伝えられてきたこれらが、今、化学でも証明されようとしているのです。※11 阿頼耶識 仏教用語。「ひとり一宇宙」「あらゆる存在は心がつくり出した影像にすぎない」という唯識論に基づいて、心のあり様を説く。眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)の表層心のほかに、自我執着意識である末那識(まなしき)と、あらゆる存在を生み出す根本となる阿頼耶識(あらやしき)がある。この阿頼耶識に今世(こんぜ)のすべての経験を種のように蓄積し、それをもとに来世で個我を形成する。
そして、最新の物理学では、この宇宙のすべての物質は、その情報が宇宙の壁から投影されているものだという理論(ホログラフィー原理※12)もあります(下の図10を参照)。
これは、私たちがいる3次元空間は、宇宙の壁に記されたデータから映し出されているのではないか、ということが示唆されているのです。※12 ホログラフィー原理 物理学者のフアン・マルダセナは、重力のある3次元空間は、重力のない2次元空間と計算上、同等になることを予想した。それはつまり、私たちが現実と感じている3次元空間は、ホログラムから生まれる立体映像のように、2次元空間の情報から生じている幻なのかもしれないということだ。
本来は、データ、情報があるのみなのですが、私たちの身体がVRゴーグルのような機能を果たし、あたかもそれが現実に存在するかのように映し出されているーーそれが私たちが現実だと思っている世界の正体だと完全に証明されたわけではないものの、その可能性が高いと思っている科学者も多く、また私自身は、この世界は立体仮想映像世界、メタバースの中でほぼ間違いないと思っています。
そして、この世界がデータの映し出された仮想現実なら、その中の人間も仮想ということになります。あなたの本質は肉体ではなく、情報でありデータであるということです。
しかし、物質は消失しても、情報は残るということは、「あなた」という存在は永遠だということです。繰り返しになりますが、この世界の本質はデータの海なのです。目に見えるものは何もないけれど、すべての可能性を含んでいるもの、そして、すべての創造の源ーー本来はそれしかありません。
仏教で空と呼んでいるものは、このデータの海を指しています。
そして、このデータの海が、自分自身を知るために映し出しているのが、この宇宙、この仮想現実世界なのです。
そして、私たちが感じている現実、この仮想現実世界は、私たちの目からは1〜3次元しか見えませんが、物理学者の間では、計算上、10〜11次元まであるということがわかっています。物理学者が“万物の理論”として期待する理論が、10〜11次元を必要とするからです。そもそも、なぜ、素粒子はたくさんの種類があるのか。そしてなぜ、4つの力のうち重力だけは数式に組み込もうとすると破綻するのか。何かもっと統一的に説明できる答えがあるのではないかーーそして、物理学者がたどり着いたのは、実は素粒子は点ではなくひもで、そのひもの形や振動の仕方で、たくさんの種類の素粒子があるように見えているだけではないかというひも理論(超弦理論(ちょうげん)理論)※13でした。
※13 ひも理論(超弦理論) 万物は17種類の素粒子と4つの力からなるとされる理論は「標準理論」と呼ばれるが、1960年代から70年代中頃までに確立され、実験により確認されてきた。しかし、宇宙を支配する4つの力「電磁気力」「強い力」「弱い力」「重力」のうち、「重力」だけはうまく取り込めなかった。これに対して、ひも理論(超弦理論)は、1970年代初頭に提唱され、その後、発展した理論で、17種類の素粒子も、重力を生むとされる未発見の素粒子の重力子も、すべてひとつの「ひも」で説明できるとした。ただし、ひもの大きさは限りなく小さく、その存在を実験で確認できないので、期待は大きいものの仮説の域を出ない。
そのひもは、端のある状態(開いたひも)では、電磁気力を生む光子、弱い力を生むW粒子とZ粒子、強い力を生むグルーオンの性質があります。また、輪になった状態(閉じたひも)では、重力を生むとされる重力子の性質があります(下の図11を参照)。
つまり、ひも理論は、4つの力を統一的に扱えるので、宇宙を支配する統一理論になりうる可能性があるとして、盛んに研究されるようになったのです。そして、ひもの振る舞い方から、ひも理論には5つのタイプがあることがわかりました。でも、5種類もあるのはおかしい、ひもではなく膜として考えると、すべてのタイプを説明できるのではないかというM理論※14まで提唱されるようになりました。
ただし、ひも理論は、ひもが存在する超ミクロな内部空間としての6次元と、私たちが感じられる4次元時空の、計10次元が計算上、必要とされています。
M理論では、線としてのひもではなく、面としての膜なので、計算上、次元がひとつ増えて、11次元になるというわけです(下の図12を参照)。※14 M理論 1995年、物理学者エドワード・ウィッテンが提唱した理論。ひもは、1次元の線としてではなく、2次元の膜(ブレーン)として考えると、5種類のひも理論はひとつの理論の見え方の違いにすぎないことがわかるという。
ともあれ、“万物の理論”にもう少しで手が届きそうという段になって、超ミクロな内部空間としての6次元※15という、私たちには見ることも感じることもできない次元が、突如、現れるのです。
※15 超ミクロな内部空間としての6次元 ひも理論(超弦理論)によると、ひもは、私たちが感じられるという4次元の時空とは別のカラビ・ヤウ多様体という超ミクロな6次元空間にあると予想される(下の図13を参照)。そうした私たちには感じられない次元が計算上必要とられるが、物理学者は、小さすぎて見えなくなっているものして考えても差し支えないと言う。それは例えば、サーカスの綱渡りに使われるロープは、アリにとってはロープをぐるりと回る方向(2次元)もあるが、綱を渡る人にとってはロープは線(1次元)にしか見えないのと同じだからと説明される。
結局のところ、物質的に考えても、4次元以上はわかりません。なぜなら、最初にお伝えしたとおり、物質という確固としたものはないからです。
4次元以上は物質を超えた次元です。
2次元に存在する生物がもしいるとすれば、そこから3次元の存在は見ることはできません。それと同じで、4次元以上の世界を私たちは見ることはできません。
逆に、下の次元は自由に創造することができます。私たちが2次元のコミックや小説や映画を無限に創造できるのと同様に、4次元以上の存在は3次元の世界を無限に作ることができ、私たちのいる宇宙は、もしかするとそのひとつかもしれません。
上の次元は見ることも感じることもできないけれど、下の次元は創造し放題。
これがこの世界の仕組みです。仏教でも、この世界の次元構造について、十界(じっかい)と言う生命の状態を10段階に分けたものがあります(下の図14を参照)。
インドネシアにある仏教遺跡のボロブドゥール寺院※16も、この次元構造を現したものです(下の図15を参照)。
仏教の十界は、下に行けば行くほど苦しみの世界、上に行けば行くほど安楽の世界ですが、考えてみれば、苦しみも安楽も全部自分の中にあります。
このように考えることでも、すべては自分の中にあり、自分とはすべてなのだ、ということがわかると思います。
これらの次元は、そういう場所がどこか別にあるのではなく、今ここにすべて重なって存在しています。そして、それはすべてあなたの中にあるのです。
そして、低次元でも高次元でも、どの次元にいても、あなたはあなたであることに変わりはありませんが、低次元にいればいるほど、外の世界と自分は切り離された個であり力のない存在と感じ、中層次元にいれば、他の生命とのつながりの中で生かされている、すべては関係性で成り立っているということが理解できるようになり、さらに上の次元になればなるほど、自分自身こそが全てであり、その存在こそがこの宇宙の一切を創り出した存在であるということがわかるようになります。※16 ボロブドゥール寺院 ジャワ島中部にある大乗仏教の石造遺跡。750〜850年頃に建立されたが、1814年に発見されるまで千年もの間ジャングルに埋もれていた。1辺約120m、高さ約42mで、方形6層の下部と円形3層の上部から成り、頂上にストゥーパがある。各層に設けられた回廊をめぐり上るにしたがって仏教の教義が理解される仕組みになっている。
『目覚めて生きていく』 第一章-一 より 奥平亜美衣:著 ナチュラルスピリット:刊
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そして、私たちは、3次元とか4次元という、下から3番目とか4番目の次元に存在しています。
上の次元は、見ることも感じることもできません。
この見ることも感じることもできない5次元以上の空間を理解し、知覚できるようになくこと。
それが目覚めることであり、アセンション(次元上昇)すること。
私たち人類は、今、まさにこの段階にいるということですね。
「目覚め」とは何か?
奥平さんは、目覚めるには、私は不十分だ、だめだ、完璧ではない、幸せではない、悟ってないーーこれらの考えを取り除くこと
だと述べています。
目覚めるには、私は不十分だ、だめだ、完璧でない、幸せでない、悟ってないーーこれらの考えを取り除くことと書きましたが、目覚めとは何でしょうか?
私のお伝えする目覚めとは、この世界が仮想現実であり、すべては夢であり、幻想であり、目に見えるものは何も存在しないことがわかること。そして、すべてである自分、本当の自分を思い出すことです。
このことを思い出すきっかけとして、一瞥体験と言われるような圧倒的な体験をする人もいれば、徐々に思い出すきっかけとして、一瞥体験と言われるような圧倒的な体験をする人もいれば、徐々に思い出すという場合もあります。
そうした体験自体が目覚めではなく、そうした体験から、自分という存在の本質を理解すること、そして、目に見えている世界は仮想現実であり、本来は何もないということを理解すること、それが目覚めだと私は思っています。
なので、体験の有無は全く関係ありません。
そのうち、量子力学の本を読んだら目覚めた、という人も出てくるでしょう。結局のところ、目覚めとは、自分というものの認識が変わっていくこと、拡大していくことです。
また、「目覚め」といっても、ゼロか100ではなく、段階があります。
おおよそこのような感じです。①自分は個の人間であると思っている。
↓
②自分とは何だろうと疑問を持ち始める
↓
③自分とは肉体に閉じ込められた存在ではないと薄々感じ始める。
↓
④自分と目に見える世界の関係に気づき始めたり、他人は自分の心の反映だと思えるようになる。
↓
⑤自分とはすべてであり、すべてを生み出している創造性そのものだと気づく。同時に、この世は仮想現実だわかる。制限のある物質的な存在から、無制限の非物質である存在へと拡大する。そして、個体である物質としての自分は消失する。
自分とは、身体の中に閉じこもった、制限のあるひとりの人間である、という認識から、自分とは世界であり、宇宙であり、すべてだという認識になる。すべての可能性を内包した素粒子の海であり、それは宇宙そのものという認識になる。
そこへたどり着くことが、目覚めです。目覚めるためには、こうしなければいけない、ああしなければいけない、そのような情報がたくさんあるかと思いますが、私は、そのようなものは何もないと思っています。
特殊な修行をした人は、その修行をしたら目覚めるよ、と言うし、瞑想をして目覚めを体験した人は、瞑想したらわかるよ、と言うでしょう。
もちろんどれも間違いではないですが、その人はその方法で目覚めたというだけのことで、それが万人に通用するわけではなく、人にはそれぞれのタイミング、それぞれの方法があるので、自分は自分の人生を生き切るだけです。
結局のところ、あなたが、あなたから湧き出てくるものに従って生きていくだけでいいのです。
また、生命の目的は、確かに「目覚めること」であり、それはすべての人に共通するものですが、人生の目的はまた別です。人生の目的は、その人の今回の人生のデータに設定されていて、それぞれ違います。
その中に、目覚めに対する気づきが設定されている場合もあれば、そうでない場合もあります。設定されている場合は、それが人生のどこかで起こるでしょうし、今生(こんじょう)で設定されていなければ起こらないでしょう。
でも、それですべて完璧です。
よく、自分はいないから、悟る自分、目覚める自分というのもいない、という言われ方もしますが、それは人が引き起こしているのではないからです。そもそもそうなっているということです。
しかし、それが起きるときは、あなたにそれは起こります。
だから、目覚めよう、と無理に必死になる必要は全くなく(ただし、無理しているのではなく、自然とそれが起こっているなら別ですが)、ただただ、自分の人生を謳歌すればいいのです。
人生の目的や、この人生ゲームのルールや楽しみ方は第二部でお伝えして行きますが、コントロールを手放して、今を味わいながら、リラックスして人生を謳歌すること。それ以上のことは何もありません。
すでに空であるあなたが、空になることはできません。本当の自分を知ろうが知るまいが、あなたはすでに、それそのものなのです。つまり、目覚めることなど本当はできないのです。それは、すでに目覚めているからです。できるとしたら、目覚めていたことに気づくことです。
このことを受け入れて、目覚めなければいけない、悟らなければいけない、という思いや行動から解放され、あなたがあなた自身にただ従って、生きたいように生きるとき、それが、本当に目覚めている状態と言えます。ラクになりたいから目覚めたい、苦しいから目覚めたい、幸せになりたいから目覚めたいという人もいるかと思いますが、残念ながら、その願いはとても叶いにくいものとなります。
あなた=すべて、なので、あなたが今ラクでない、今苦しいと思っていれば、その通り、ラクでない、苦しいという世界を目の前に再生してしまうのです。
もし、目覚めたいのであれば、ただ、「本当のことを知りたい」という思いを持つといいでしょう。ただし、無理にそう思うのではなく、そうした思いが自然と湧き出るならばですが、そうした思いがあなたから湧き出るということは、それは、あなたのシナリオ上にそれがあるということです。
こう言っては身も蓋もないのですが、実は、「目覚めるためにできること」というのは何もないのです。目覚めは、誰かが起こすものではなく、起こることだからです。
空を体験したら、この世の苦しみから逃れられる、幸せになれる、と思う人も多いかもしれません。確かに、ゲームとわかって生きるのと、現実だと思ってそれに巻き込まれるのは違います。
しかし、空を体験したその後に幸せがある、と考えるとは、今ないものに幸せがあると考えるという意味において、大金を引き寄せたら幸せになる、と考えるのと同じです。
今ないものに幸せがあると考える限り、幸せを引き寄せることはありません。
今しかないし、あなたは今感じていることを引き寄せ続けるのですから。私たちは、脳でデータをキャッチして、それを視覚を通して映像として見ているので、結局のところ、目覚めるとか悟るというような体験は、いかに脳の機能をストップするかということになります。実際、左脳を損傷した女性が、自分の身体と世界との境界がわからなくなった経験をしたという事例※24もあります。
左脳を働かせてない状態を作ることができれば、ありのままの世界、データのままの世界を体験することができるのです(下の図16、図17を参照)。死に際して、脳の機能がストップすると、そのデータにダイレクトにつながるので、これまでの人生が走馬灯のように見えたりするのです。※24 ハーバード大学の脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士は、37歳の時、左脳の脳出血(脳卒中)で左脳の機能が4時間ストップした。すると、自分の身体がどこからどこまでか境界がわからなくなり、自分は宇宙と同じくらい大きなエネルギーの「球」だと感じた。そして、幸せに満ちた海を泳ぐクジラのように、魂が自由に飛び回っている心安らかな幸福感に包まれたという。
瞑想をしていると、そのような状態になった、というような話を聞いたことがある人も多いと思いますが、瞑想により、左脳の機能をシャットダウンすることができると、自分という境界がなくなり、自分とは宇宙になるわけです。
いかに、この左脳の機能をオフにするか、ということなので、必ずしも瞑想でなくても、そのような状態に持っていければ何でもいいのです。
そのうち、左脳の機能をオフにする機械みたいなものもできるかもしれません。
左脳を完全にストップさせることは簡単ではありませんが、しかし、左脳がそれほど働いていない状態というのは誰しも経験があると思います。ぼーっとしていたり、何かに感動していたり、何かに没頭して周りを忘れていたりする状態です。
自然の美しい景色を見て、うぁーっという状態になっていれば、それは、そうした体験をしているのと同じことです。
悟りというとすごく大袈裟(おおげさ)ですが、結局、悟りというのは、本来、何も起きていないあるがままの状態、ありのままをただ受け入れることです。
何か、ものすごい状態を期待したり、すごい人になれたり、そんなことを想像するかもしれませんが、そうではないのです。
起こっていることに惑わされなくなるので、今より多く幸せを感じることができるということはあるかもしれません。
また、直感が鋭くなったり、いろいろなことがわかったり、これでいいんだという安心感が増したり、そうしたことは強くなっていきます。『目覚めて生きていく』 第一章-三 より 奥平亜美衣:著 ナチュラルスピリット:刊
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私たちに、そう信じ込ませているのは、自我意識(エゴ)です。
そして、自我意識は左脳の機能が作り出しているということ。
目覚めるには、働きすぎている左脳の機能を弱め、逆に、右脳の働きを強めることが重要です。
瞑想やヨガなどは、そのための手段として、とても有効だということですね。
「人生ゲーム」の仕組みとは?
私たちが「現実」だと信じているこの世界。
それは何もない空間に映し出された仮想現実
だということ。
では、私たちはなぜ、わざわざそのヴァーチャルな世界に生まれてきたのか。
奥平さんは、その理由を「人生ゲームを楽しむ」ためだとし、以下のように解説しています。
私たちの人生って選べるの? と聞かれたとしたら、あなたの両親も生まれた場所も、あなたの持っている能力も、あなたの好きなことや、やりたいと湧き上がってくることも決まっている、そのように、ゲームの設定も、ゲームのシナリオも決まっていると答えざるを得ませんが、そのゲームを実際にどうプレイするかは(ゲームのプログラムされている範囲では)自由なのです。
ですので、自由意志はないとか、全部決まっているという言葉に惑わされず、あなたはあなたの人生を生きる。人生ゲームを楽しむということをおすすめしますし、私自身もそうしています。
この人生ゲームは、何度でも繰り返されます。そして、その最後には、自分とは何か、つまり、自分とはすべてである、というところにたどり着くと思いますが、たどり着いても、やはり個としてのゲームが永遠に展開されますので、あなたという存在に終わりはありません。
あなたは、大いなる自由意志そのものが、あなた自身を知り尽くし、遊び尽くすゲームをしている永遠の存在なのです。あなたの本質はデータ(情報)であり、どの国のどんな時代にどんな環境で生まれ、どんな主要なライフイベントを経験するか、何をするため人生なのかーーいわゆる人生の宿命や運命と呼ばれるようなものは、このデータの内容により決まっています。
そして、それをすべて忘れた状態でこのゲームがスタートします。
しかし、一旦ゲームが始まれば、ゲームの中にそれらを思い出すヒントは満載です。
例えば、テレビで見て気になったこと、誰かから聞いて忘れられないこと、ふと興味を持ったもの、そして、あなたの内側から湧き上がってくる「こうしたい」という思い。
そうしたものを追求していけば、あなたのそもそものデータに従って、このゲームが展開されていくようになっています。
このように、このゲームでやりたいこと、やるべきことについてのシナリオは決まっていますが、それは、先ほどもお伝えしたように、1分1秒すべての出来事が細かく決まっていてそれしかないのではなく、この世界は、可能性が重なり合っている世界で、未来は無数に存在します。
無数の可能性の中から、どれが目の前の仮想現実に映し出されるのか、それはあなたが出している周波数によって決まってきます。
また、シナリオは決まっているけど、そのシナリオ通りに生きるか、それて生きるかも自由です。
ただし、シナリオからそれればそれるほど、人生はハードモードになりますし、最悪、途中でゲームオーバーになってしまいます。ゲームオーバーというのは、一旦、このゲームを終了してやり直すということ。つまり、人間でいうところの寿命が予定より早くなってしまうということです。この人生ゲームですが、大枠でもいいので、シナリオを知っていると、とても進めやすくなります。
個としてのあなたは、パズルの1ピースのようなものですが、その図柄や置かれる場所、役割ーーこれらが個人としてのあなたのデータ、今回の人生のシナリオです。
あなたが、あなたのパズルに描かれている絵柄を自分自身で知ると、どこに置かれているかもわかるし、何をすればいいかもわかります。そして、周囲のパズルにピタッとハマって調和も生まれます。
そして、自分の絵柄(役柄)を達成する出会いもチャンスも何もかも、自動的に引き寄せていきます。さらに個人としての自分の生まれてきた意味がわかったり、個人としての人生が満たされ、幸せに生きていくことができます。
シナリオ通り、設定通りに生きるということは、宇宙における自分の立ち位置を知るということ。あなたが立ち位置にちゃんと立てば、宇宙の流れが後押ししてくれるから、あとは流れに乗ればいいだけという状態になります。
自分がそもそも持っているものや、自分から湧き上がってくるものに従えば、このような状態になります。
逆に、シナリオから大きく外れてくると、シナリオのほうに戻そうとする力が働くので、困難なことが起こりやすくなってきます。
ですので、シナリオは可能な限りわかっておいたほうが、ゲームはいい具合に進みます。では、どのように知ればいいかと言うと、あなたがこの人生でやりたいこと、経験したいこと、それがシナリオなので、あなたがあなた自身のやりたいことに真剣に向き合えばいいのです。
つまり、シナリオを知るには、ひとえに、
・自分は何がしたいのか?
・自分は何に興味があるのか?
・自分の人生、何に時間を使いたいのか?
・自分はどんなことに楽しみや喜びを感じるのか?
・自分は何が好きなのか?
・何が欲しいのか?
・自分がやりがいを感じることは何か?
・自分の興味あることやワクワクすることは何か?
・やらずにはいられないことは何か?
こうしたことに徹底的に向き合い、それに従って行動していくことです。
こっちのほうが楽だから、得だから、安泰だから、いい人に見られるから、羨ましがられるから、ではなくて、ただ「何がしたいのか?」それを知ることです。
また、生まれてきた環境、家族などの人間関係、持って生まれた性格、性質、能力、興味、やりたいこと、人生で、見聞きするすべてのことなど、それらはすべてメッセージであり、ヒントであり、サインです。
そうしたものをたどれば、ちゃんと道を進んでいけるようになっています。
設定やシナリオがわからない、というお声もたくさん頂くのですが、どんな人でも、必要なものは全部持っているし、人生に現れます。
とにかく、人生にヒントはたくさん散りばめられていますし、それぞれの心の中にコンパスがあって、いつも行く方向を指し示してくれています。魔法のランプで、何でも叶えてあげるよと言われたら、どうしますか?
金持ちになってラクしたいとかそういうことではなく、この人生の長い時間をどう使えば、あなたはいちばん満たされますか?
その答えをもしすでに持っていたら、何も特別なことをしなくても、流れに乗っていけば、ちゃんと人生はそれが叶う方向へ動いていくでしょう。
何でも叶えてあげるよ、の答え。その答えを持っているということが、このゲームを攻略する第一歩です。
難しく考えすぎないで、日々、できる限り前向きに、楽しく、そしてやりたいことは何かに向き合い、そして、できる限りそのやりたいことを実行に移す。
この壮大なゲームの中で私たちができること、それは、日々、一歩一歩自分なりに、自分の道を探して、それを進んでいくことしかないと思います。先ほど、無数の可能性の中から、どれが目の前に映し出されるのか、それはあなたが出している周波数によって決まるとお伝えしましたが、それが引き寄せの法則と言われるのもです。いい波動を出していたら、自分にとってベストな現実が再生され、悪い波動を出していたら、ベストとは思えないような現実が再生されます。
ただ単純に、いい波動だといいことが起こり、悪い波動だと悪いことが起こるとは言えないところもありますが、しかし、いい波動だと何が起こっても大丈夫だと思えるし、悪い波動だと何が起こっても不安になるということなのです。
では、何がどうなったらいい波動なのかというと、まずは、自分が、喜び、安らぎ、平穏、幸せというような状態にあること。そして、そのような状態で自分の人生を前向きに全うする意志を持っていること。
何が起こっても大丈夫な世界に行きたければ、まずは自分が、何が起こっても大丈夫という状態を作るわけです。目に映っている世界が先ではなくて、常に自分が先です。
第一部では、この世界の本質は空であること、自分とはすべてであることをお伝えしましたが、そのことがわかって初めて引き寄せの法則が理解でき、現実に活用できると言っていいでしょう。
あなたがすべてだから、あなたの選択が現実に反映するのです。
あなたが、自分とはすべてだということが本当にわかれば、引き寄せの法則も素直に受け入れられるはずです。
そして、あなたの出している周波数が変われば、実際に人生は変わったように目には映りますが、人生が変わるというよりは、そもそも存在した無数に重なり合う現実から、あなたがあなたの波動で選んでいるということです。
私自身、人生のある時点でこれまでの人生と大きく変わっていくという経験をしましたが、それは変わったというよりは、そもそも予定されていたもので、それを多少なりとも察知して選択した、ということだと今は思っています。引き寄せ、というと、どうしても、設定した未来をそのまま現実化する、というようなことを思い浮かべる人も多いと思います。もちろん、そのようなことも起こり得ます。
しかし、私の経験上、この先、自分にどんな思いが湧いてくるかもわからないし、どんな出会いがあるかもわからないし、自分の頭で考えて設定できる範囲以上のことが起こるから、未来を設定することには意味がないと思っています。
引き寄せは、未来には働きません。
本当の引き寄せは、「今の自分」に働きます。
ですので大事なのは、
・今、どうしたいのか
・今、自分は何を感じているのか
です。
今の自分が感じる通りに、今の自分が本当にやりたいことの通りに、現実は反映していきます。
意識が未来ばかりに向いていると、うまく引き寄せできないので、今の自分に意識を向けていきましょう。未来も自分というデータの中にすでに存在するので、知ろうと思えばわかることもあります。
しかし、未来に叶えたい願いを設定してそちらに意識を集中すると、どうしても、その願いが叶ったら幸せ、となりがちです。そうすると、今、幸せを感じることが疎かになって、幸せを引き寄せられなくなるのです。
その意味でも、未来に願いが叶うという設定は、弊害が大きいと思います。
願いを叶えて幸せになるのではなく、今、幸せになる。
これが、引き寄せの基本中の基本です。私の興味はいつも、未来に願いを叶えることではなくて、今、幸せか、今、楽しいか、そして、今、やりたいことにあります。
そうしていたら、自然とやりたいことや願いは叶っていきます。
未来はわかりません。わかるのは、今、自分がどうしたいか、今、自分がピンと来ているか、それだけです。
そして未来はわからなくても、今の思い、それがちゃんと道を示してくれます。『目覚めて生きていく』 第二章-一 より 奥平亜美衣:著 ナチュラルスピリット:刊
ゲームですから、設定やシナリオは、ある程度あらかじめ決まっています。
ただ、私たちは、用意されている無数の「人生のシナリオ」から、自由に経験する人生を選択できるということ。
実際にどんなシナリオを引き寄せるのかは、私たちが発している波動次第です。
つまり、ゲームを始める前に決めてきた「最高のシナリオ」に近い人生を送ることができるということです。
私たちは、ゲームのキャラクターではなく、プレイヤーである。
それを理解することが、目覚めへの第一歩です。
「人生ゲーム」の攻略法とは?
「人生ゲーム」の仕組みがわかりました。
では、私たちはゲームのキャラクターである「自分」を、どう操縦すればいいのでしょうか。
奥平さんは、世界は自分の反映、自分自身であり、自分次第でいかようにもなる。これがこの仮想現実人生ゲームのルールであり、自分をコントロールすることが仮想現実人生ゲームの唯一の操縦方法
だと述べています。
目に映る現実は、あなたを映す鏡として機能する仮想現実なので、あなたの思いに正直です。そして、あなたの願いは常に叶っているのです。
例えば、こんなご質問を頂いたことがあります。
〈ゆったりとした日々を過ごしたい、と思っているのに、現実は時間に追われています。全然願いが叶わないのですが、どうしたらいいでしょうか?〉
これは、一見、思い通りになっていなじゃないか、願いが叶っていないじゃないかと思うかも知れませんが、これもちゃんと想いが叶っている、自分の本心がその通りに現実に映し出されているのです。
どうしてこのような現実を映してしまっているのかというと、このご質問を下さった方は、頑張り屋さんなできる女性、もしくは、できる女に憧れがある、できる女がいいことだと思っている、いうような感じなのではないかと思います。
私も過去、会社員時代、なぜか人より忙しくなる、人よりかなり多く仕事を抱えるハメになるということが繰り返されていて、後になって、それが何故なのかわかったという経験があります。私は、そのときは、仕事ができる自分でいなければいけない、仕事ができる人だと見られたい、そのような思いがあったのです。
私の場合、小さい頃から、勉強ができて当たり前というような環境で、私もそれに応えて育ってきたので(今思うと、決して勉強は好きではなかったのですが)、その名残で、仕事もできる人でいなくてはいけない、という思いが当たり前になっていたのです。
仕事ができる自分でいたい、この願いを叶えるため、たくさんの仕事をスピーディにこなさなくてはいけない環境を自分で映し出しているのです。そうしたら、できる自分、いろんなことをスピーディにこなす自分、が叶いますから。
このように、ちゃんと自分の願いが叶っていたのです。
ではここから、どうすればゆったりな毎日に変えられるのかというと、この頑張り屋さんな自分像を手放し、頑張っていなくても全然いい自分、ゆったり過ごしていても全然いい自分を認めていけば、現実は変わってきます。
まずは、頑張っていなくても大丈夫なんだ、自分は自分でいれば大丈夫なんだと思えるようになることが大事です。頑張り屋さんだったんだ、私、と気づく。頑張らないと愛されない、頑張らないと周りから認められないと思っていたことに気づく。ほとんどの人は気づかないで、ずっと望まないことを引き寄せ続けるので、気づくのがまず最初です。気づいたら、もう80%は終了です。気づかないと永遠に変えられません。
そして、気づいたら、その都度、そんなことないかも? 普通に自分らしくしているだけでいいのかも? と考えてみましょう。そう意識を向け始めると、頑張っていなくても大丈夫な環境や出来事を引き寄せ始めます。
一見、なんでこんな現実を引き寄せているかわからない。自分はこんなこと望んでない、ということも多いと思いますが、深く自分の心を見ていくと、必ず自分の深層の願いが叶っています。
現実は正直です。現実は鏡なので、うそをつきません。自分で自分のことがわからなくても、現実を見れば一目瞭然です。
そして、現実を変えていくには、まず、自分のどの思考がこの現実を映しているのかに気づく。気づいたら、それを変えていく。そうしたら確実に現実は変わります。また、このようなご質問をいただいたこともあります。
〈私は注目してほしい、愛情を向けてほしいという想いが強くあるとわかったのですが、望む形で叶いません。どうしたらいいでしょうか?〉この願いは叶わない願いなのですが、なぜだかわかりますでしょうか?
それは、この願いは、あなたが鏡の前に立ったとして、鏡に向かって一生懸命、変われ、変われとオーダーしているようなものだからです。
映画を見に行ったと考えてみてください。おもしろかったなと思える映画もあれば、そうでない映画もあるでしょう。そして、自分の見た映画がおもしろくなかったからと言って、その映画のストーリーや人物を変えようとは思わないはずです。
もし、見ている映画、見た映画が望まないものだったとしたら、映画のほうを帰るのではなくて、自分が見る映画を変えようと思うはずです。
自分の選択や行動のほうを変えますよね。
現実もそれと同じです。
目に映っているものはすべて、自分というものを映し出した映像です。
この自分というのは、第一部でご説明した通り、今回の人生の中で出会う人、起こることなど、すべての可能性を含んだデータです。そして、そのデータの中から、今のあなたの波動に合ったものにチャンネルが合って、それが映し出されてくるのです。もし今、周りを見て、注目されていないのが嫌だな、愛されていないのが嫌だなと思ったら、つまり、自分が見ている映像が望まないものだったら、周りを変えようとするのではなく、自分のほうを変えて行かなくてはいけません。
注目されたいとか愛されたいという思いを持ったらいけないわけではないのですが、これは、願いの持ち方が間違っているのです。
鏡の中に先に、変われ、変われと命じても、それは変わりません。
だから、この願いをいくら強く抱いても叶いません。
願いが叶わない理由にはいくつかありますが、鏡の中を変えようとしているというのは、そのうちのひとつです。
願うとしたら、
「注目される自分になる」
「愛される自分になる」
と願いましょう。
このように変えただけで、意識がグッと自分のほうへ向いてくるのを感じ取れると思います。
今は、自分は注目されていない、愛されていないと思っていると思いますが、その思いが現実に反映されているので、自分は注目されるに値する人物だ、自分は愛される人物だ、そのように思えるようにしていく必要があります。
第二部では、人生ゲームの進め方を説明していますが、ここに書かれているようにゲームを進めていけば、自分が本来の自分を生きていて、人生がワクワク充実し、自然と、自分が自分に注目しているでしょうし、自分のことが好きになっているでしょう。
自分の願いが、鏡を変えようとしているのか? 自分を変えようとしているのか? まず、そのチェックは必要です。
願いというのは、
・自分のやりたいこと
・自分の欲しいもの
・自分のなりたいもの
などです。
そうした願いはちゃんと叶います。
しかし、鏡の中を変えようとする願いは叶わないのです。もし、望まない現実が目の前に広がっていたとして、あなたのできることは、その状況の中でできるだけ気分よくいるにはどうすればいいか考えることです。
例えば、夏のものすごく暑い日に、暑くて死にそうなら、その中でできるだけ快適に過ごせる方法を考えますよね。
それが、クーラーの効いた家にできるだけいる、でもいいし、出かけなくてはいけないなら、できるだけ日に当たらない方法を考えるとか、水を細かく補給するとか、素敵な冷たいドリンクを作ってみるとか、お気に入りのアイスを食べるとか、涼しい場所に旅行に行くとか、方法は何でもいいのですが、自分なりに快適に過ごす方法を考えて、実行すると思います。
これが気候や天気だったら、誰でも自然と、気候や天気のほうではなくて自分のほうを変える、自分で工夫すると思います。
しかし、それが気候や天気ではなくて、職場の労働条件が悪いとか、嫌な人が嫌なことを言ってくるとか、家庭内に問題があるとか、そのような場合、多くの人は、その望まない現実を創っていると思われる状況や他人のほうを変えようと頑張ってしまいます。
しかし、状況や他人を変えようとするのは、暑い中、気候や天気を変えようと頑張るのと同じです。そう考えると無駄な努力だと気づくのではないかと思います。
なぜか、職場環境や他人などでしたら、変えられるかもしれないと思ってしまう人が多いのですが、それらも気候や天気と同じなのです。
目の前に映る現実は過去の映像なので、変えられないのです。「変えられないとしたら、じゃあ、自分はどうするか?」できることは、それだけなのです。
ですので、望まない現実に遭遇したときに、やることはただひとつ。その中で、自分がより気分よくいられるにはどうしたらいいかを自分で考えて実行することです。
その方法は、何でもいいのです。
あなたの考え方が変われば、目に映る現実は変わっていきます。実際のところ、あなたは「すべて」なので、あなたの望むことはどんなことでも、それと対になるその望みが叶った状況も、あなたの中にデータとして存在します。
個人としてのあなたに湧き起こってくる望みは、全体としてのあなたから湧き起こってくるものです。
あなたに望みが湧き起こるということは、それは、あなたの設定の中に最初からあるということです。そして、それが叶うというデータも、そもそもあります。それがあるから、望みとして湧き上がってくるのです。
ですので、自分というデータをよく知って、自然に湧き上がってくることに従っていけば、望みが叶うのは当たり前、ということになります。
つまり、どんな望みであっても、あなたが本当に望むなら、すべて叶います。
究極のところ、すべてはあなただからです。
そこでやはり大事なのは、本当に望んでいることをまず知って、それを叶えるということ。
この世の中には、ゴールを設定して波動を書き換えるような機械や術なども存在し、その機械で結果を設定したら、本当にそうなることがあります。私のこの業界にいると、そういうものをいろいろ見聞きします。そのようなことも、決して不可能ではありません。
しかし、こんな話を聞いたことがあります。この機械でゴールを設定してその通りになったけれど、その人はものすごく忙しくなって子どもとの時間もなくなり、やりたくないこともやらなくてはいけなくなったりして、決して豊かとも幸せとも言える状態にはならなかったと。
この世界は仮想現実であって、波動空間、情報空間なので、その波動や情報を書き換えたら願いが叶う、ということは起こり得ます。
しかし、このようなことで安易に願いを叶えたとしても、もし、それが自分自身のシナリオとずれていたら、引き戻されます。
自分の本当の望み以外のことを現実化させたとしても、幸せとは無関係で、大変になるだけなのです。いいことは何もありません。
どんな願いでも叶いますが、しかしとにかく、自分の本当の望み、本当の幸せ、そこにじっくりと向き合うことが何よりも大事です。
何のためにこのゲームをしているのかというと、基本的には、あなたがあなた自身の願いを叶えるためです。
なぜなら、あなたは「望み」が人間という形を纏って転生したものだからです。
このゲームの目的は、あくまであなたのやりたいことや願いを叶えたり、設定した課題をクリアするということであって、金持ちになることが目的でも、社会的に認められることが目的でも、いいパートナーを得ることが目的でもありません(たまに、例えばお金そのものが課題であったり、自分の課題を達成するうえでそれらが必要になる、また結果そうなるということはありますが)。
収入、パートナー、社会的地位、健康など、これらは生きていくうえではもちろん大事なことですが、これらを叶えたら幸せかというのは別問題です。
お金、いい仕事、パートナーなど、これらが全部揃っていても、やりたいことをやってなかったら幸せではないし、このゲームはクリアできません。これまで引き寄せの法則をお伝えしてきた中で、自分の願いは本当に全部叶えながら10年が過ぎていきましたが、とにかく、本当の願いだったら、特別なことは何もしなくてもその方向へ流れが来るし、いずれ叶うということを身をもって何度も経験しました。
あなたが、あなた自身の望みを知り、それを本気で叶えたいと思うのであれば、絶対に叶うのです。
そもそも、そういう設定に人生はなっているのだから。
そもそも、人生はそれを経験するゲームなのですから。
あなたの設定、シナリオを思い出す、そこがいちばん重要です。
いわゆる引き寄せ的なもの、アファメーションとかイメージングとか、願いを叶える機械や技のようなもの、その他いろいろ、そのようなテクニック的なものは基本的に必要ないと私は思います。
そういうことが間違っているというわけではありません。
例えば、長財布を持っていればお金を引き寄せるというテクニックがあったとしましょう。それは、長財布を持っていたら金運が上がると信じている人にとっては有効ですが、万人がそうなるわけではありません。
こうすれば叶うよというテクニックはいろいろありますが、もしその中で、自分自身が「それおもしろそう、やってみたい」と思うものがあったら、やってみるのはいいと思います。
しかし、そのメソッドが願いを叶えてくれるのではなく、あなたが、自分のやりたいことを自分で選んでやった、それが、あなたにとっていいことをもたらすのです。
だから、長財布でも、長くない財布でも何でもかまいませんので、あなたが好きな財布、使いたい財布を使えばいいのです。結局のところ、願いを叶えるためには、まず、本当の願いを知って、その方向へ向かって自分自身が一歩踏み出すことです。あなたに湧き上がってくる願いは、叶うから湧き上がってきているということを信じてみましょう。
『目覚めて生きていく』 第二章-二 より 奥平亜美衣:著 ナチュラルスピリット:刊
「人生ゲーム」のシナリオを書いたのは自分、最終的なゴールを設定したのも自分。
つまり、私たちが本当に望むシナリオを生きることができれば、最高に幸せな人生を生きられるということです。
私たちが本来思い描いてきたシナリオの上を歩んでいるかどうか。
その指針となるのが、湧き上がってくる「願い」であり「感情」です。
生きづらさを感じたり、先行きに不安を感じたり悲観的になったりする。
それは「本来のシナリオからずれている」という宇宙(ゲームのシステム)からの警告です。
「ゲームを解く鍵は、自分の心の中にある」
自分の心の叫びに耳を傾けること。
やはり、それが「人生ゲーム」攻略の秘訣だということですね。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
奥平さんは、目覚めている、ということは、目覚めていても目覚めていなくてもどっちでもいいし、どっちでも大丈夫ということがわかる
ということだとおっしゃっています。
私たちは誰もが、ゲームのプレイヤーとしては「目覚めた存在」だということ。
傷つくことはないし、存在が消滅する可能性もない、完全無欠で永遠の存在。
それが本来の私たちです。
ゲームでは、キャラクターが死んでゲームオーバーになっても、リセットすれば何度でもやり直すことができます。
私たちが生きているこの世界も、まさにそれと同じだということですね。
キャラクター目線で生きるか、プレイヤー目線で生きるか。
眠って生きることと目覚める生きることの差は、それだけでしかありません。
確かなことは「いつかは必ず目覚める」こと。
そして「目覚めてからも、人生は永遠に続く」こと。
私たちも、“そのとき”が来るまで、人生ゲームを心ゆくまで楽しみたいですね。
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