【書評】『目醒めへの近未来マップ 2025→2028』(並木良和)
お薦めの本の紹介です。
並木良和さんの『目醒めへの近未来マップ 2025→2028』です。
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並木良和(なみき・よしかず)さんは、スピリチュアルカウンセラー、作家、ライフメンターです。
宇宙の叡智や高次の存在と協働しながら「本当の自分」に一致して生きるための「統合(LDLA)」を伝え、本来の人間が持っている能力や生き方、そして、目醒めた状態で人生を謳歌する「在り方」を、自らの体験を通して国内外を問わず世界に教示されています。
今は「2万6000年に一度」の大変動期!
「眠っている」とは、どのような状態を指すのでしょうか。
並木さんは、条件、特定の現実によって、自分の幸不幸が決まると思っているなら、それが眠っている状態
だと指摘します。
今、世界は大激動の時代を迎えていることは、世の中をつぶさに観察すれば、あるいはSNSを始めとした情報源に触れれば、よくわかることと思います。
実際この地球は、大きな変容の時を迎えていて、誰もが変化を余儀なくされています。言い方を換えると、意識や価値観を変えていくことを求められているのです。最初に皆さんに質問をさせていただいたのは、まさに、このことであり、今までのように、外の現実によって一喜一憂する在り方を続けることで、自己の本質から外れていくと、たちまち、世界の動乱の中に巻き込まれていくことになります。
僕たちの本質は、傷つくことのない、絶対的な安心・安全という感覚に包まれていて、至福感に満たされた意識そのものなので、この意識につながることで、何が起きても、動じることなく、リラックスしながら人生を楽しむことができるようになるのです。
この意識こそが、今求められている目醒めの意識であり、また、自分の魂から望むものを、望み通りに生み出す意識なんですね!僕たちは、約2万6000年に一度の、大変動期を生きていて、それは眠りから目を醒まし、神のような意識で生きることをスタートする、宇宙中のフェスティバルのまさに真っ只中にいるわけです。
だからこそ、世の中には「世界は滅亡する」「日本は終わる」「人類滅亡」などの、センセーショナルな話題が溢れかえっているんですね!
大きな変化のタイミングのときには、いつの時代も、こうした予言が世間を騒がせますが、今直面している変化は、人類が本来の意識に目を醒まし、宇宙に向けてオープンになり、これまでの価値観や在り方を根底から覆すほどのパラダイムシフト(大激変)を起こすことで、地球に新たな文明を創る礎(いしずえ)となるような、かつてないほどの規模のものなのです。
2020年の春分から本格的に始まった、世界と人類の変化は、宇宙にまで影響していて、来年2025年から、さらなる変化を目の当たりにしていくことになります。
一見、ネガティブに見える、これらの変化は、真に調和された素晴らしい世の中、誰もが幸せで豊かな人生を謳歌できる世界へとシフトするプロセスであり、決して滅亡や、ネカティブな世界への変貌を意味しているわけではないことを知ってください。本書では、今僕たちに何が起きていて、これからどこへ向かって行こうとしているのか?をお伝えし、これから必要となる情報や知恵を提供することで、来たる素晴らしい大変化に向けてワクワクしながら準備を進めていただけるよう、その方法をレクチャーしています。
『2025→2028 目醒めへの近未来マップ』 はじめに より 並木良和:著 ビオ・マガジン:刊
本書は、並木さんが今僕たちに何が起きていて、これからどこへ向かって行こうとしているのか?をお伝えし、これから必要となる情報や知恵を提供することで、来たる素晴らしい大変化に向けてワクワクしながら準備を進めていただけるよう、その方法をレクチャー
した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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今は「眠り」から「目醒め」へと向かう特殊な分岐点
「今までやってきたことがうまくいかなくなった」
「これまでならクリアできていたことができなくなった」
今、多くの人がそんな「行き詰まり」を感じています。
並木さんは、この「行き詰まり」がなぜ起きているのかと言えば、「そのままでは、これから先、発展性はありませんよ」という、簡単に言えば、宇宙からのメッセージ
なのだと述べています。
では、行き詰まりを感じたら、どうしたらいいのでしょうか。
それは、今までの在り方をいったんリセットする。そして、新しい生き方にシフトしていくこと
です。
並木さんは、今までの在り方を変えていくときは、どうしても今までのものを手放していく必要
があると指摘します。
いったん重い腰をグッと上げるときに、「よし!」「えいやっ!」という覚悟が必要なのですが、それさえできれば、あとは速いのです。
時代の流れというのがあって、僕たちは今、手放すことを促すエネルギーをバンバン受けています。
「もう手放していきなさい」
「終わりにしていきなさい」
「執着を手放して、先に進んでいきなさい」
という宇宙からのメッセージとともに、それを後押しするエネルギーが降りてきているので、
「よし、じゃあこの流れに乗ってみよう」
「この流れに一致してみよう」
と決めさえすれば、ちゃんとそのエネルギーを追い風にして、軽やかに進めるはずです。
なのに、最初の「よし!」「えいやっ!」というところでつまずきます。
なぜなら、みんな変化することを恐れるからです。
変化したくないのです。
なるべくだったら、「今まで通り」をやりたいわけです。
でも、それは通用しません。
「今まで通り」をやっていてもいいけれど、それでは、これから先は、ますます行き詰まってしまうでしょう。
だから、「どちらを選びますか?」という、そういうタイミングを今、僕たちは迎えているのです。僕たちは今、時間という概念がある世界に住んでいます。
1日は24時間で、春、夏、秋、冬の四季というサイクルがある。
そういうサイクルのある時間を、僕たちはこの地球で過ごしているわけです。
そうしたサイクルの中でも、この地球には、独特のサイクルがあります。
それは、地球の歳差(さいさ)運動と連動しています。
歳差運動とは、地球の回転軸の傾きが、コマの首振り運動のように円を描きながら振れる現象のことです(24〜25ページに図解あり)(下の図1を参照)。
地球の歳差運動のサイクルは、2万5800年。おおよそ2万6000年を1つのサイクルとして転々としていくというのが、この地球なのです。
この2万6000年のサイクルは、「目醒め」と「眠り」の状態を、1万3000年ごとに行き来しているのですが、僕たちは今、ちょうど「眠り」から「目醒め」に変わるタイミングを迎えているのです。「眠り」とは、現実によって一喜一憂する在り方であり、幸せや豊かさの所在は「外」にあります。一方、「目醒め」とは、自分が人生の主人公であり、自分の現実は自分が創っていると、能動的に生きる在り方です。
この「目醒め」という流れに、乗っていくのも自由、「まだ乗らないで、眠り続けたい」と眠り続けることも自由です。
ここで、もし、あなたが目を醒ましていくのだったら、新しい生き方にシフトすることが必要になります。
「いえ、そういうの要りません」と言うのだったら、もちろん今まで通りを行うことも可能です。ただその場合、行き詰まりとものすごい摩擦を、これからも感じ続けながら生きていくことになります。
さあ、あなたはどちらを選択しますか?僕たちの魂は、それだけ大きな意識であり、長い歴史を持っています。
それは、目に見えない世界ですが、それくらい大きな視野、視点を持って、自分の人生を振り返り、これから向かう先を明確に決めていく。
そういう時期を迎えているのです。
こうした話は、人によっては、まったく受け入れられないかもしれません。SFの話とか、トンデモ話として受け取られるかもしれません。それでも、とても大事な分岐点だからこそ、僕は何年も前から同じことをお伝えしているのです。それを知ったうえで、「ううん、私は眠りを選ぶ」ということであれば、それは自由意志で選んだこと。
「えっ、私は知らなかった・・・・・。なんで言ってくれなかったの!」ということにならないように、「こういった周期がありますよ。今は選択の時です。だから、あなたが自分の意志によって、どちらを選ぶか決めてくださいね」ということを伝えしてきたのです。そして、それを決めるタイミングは、2021年12月22日の冬至(とうじ)までのことでした。
その日を境に、それぞれが決めた道を、ただ進んでいくだけになるのです。
本書を手にしてくださっている皆さんの中には、初めてこうした情報を知った人もいるでしょう。ということは、もう手遅れなのかというと、そうではありません。
2021年の冬至を過ぎても、この情報に触れたということは、あなたは無意識レベルで目醒めの方向を選んだということだからです。この情報に出合うということは、あなた自身が決めているので、安心して進んでください。
本当に眠り続けると決めた人は、こういった情報に触れることはありません。もし、聞いたり見たりしても、頭をかすめていくだけです。
この世界は、これから2つに分かれていきます。
なので、どちらを選んだかによって、これから体験する現実が、まったく変わってくることになります。
「そんなバカな。世界が分かれるなんて、ありえないでしょ?」と思われる人もいるかもしれませんが、そんなありえないことが起きているのです。
だから、どちらの世界に進みたいかを決めてください。必要なのは、覚悟と勇気です。
あなたしだいです。
だって、眠りたくて眠ったのだから、寝ていたいのだったら、寝ていたらいい。
ただ、新たなサイクルを迎えていますよ、というお話です。
この話をするとき、僕は列車にたとえたりします。
「目醒めの列車」と「眠りの列車」の2つがあって、あなたは今、駅のプラットフォームでどちらかに乗り込まなければいけない時を迎えているとします。
まだ眠り続けたかったら「眠りの列車」に乗り続けていればいいですし、「あ、そろそろ目を醒まそう」と思ったら、隣でリンリン鳴ってる、そろそろ発車しますよという「目醒めの列車」に乗り換えればいいのです。
だから、今のままでいたい人は、もちろんそのままでいてください。ただし、乗り換えるのであれば、そこに重荷を置いていかなければなりません。
目醒めというこの軽やかな世界には、重荷を持ってはいけないのです。
「重荷を下ろしていかないとダメですよ」と言っているのではありません。重いから軽やかにジャンプできないので、行くことができないのです。
つまり、重荷を下ろして、身軽になって、羽を生やすくらいに軽やかになったら、ピョンと飛翔できますよ、というだけのことです。別のたとえで言うと、「使ってきたオモチャ」を、返していかなければいけないのです。
信じられないかもしれませんが、重荷というネガティブな感情は、実は、僕たちの大事な大事な遊び道具だったのです。
保育園や幼稚園で、子どもがオモチャをいっぱい出してワーと楽しんでいる。
親が迎えにきて、「そろそろ帰るわよ」と言われたら、「片づけなさい」となりますよね。「片づけてから帰るわよ」と。
だから、片づける必要があるのです。だって、散らかしっぱなしでは帰れないですよね。
つまり、目を醒ますなら、ネガティブな感情というオモチャを片づけるために、
「不安よ、ありがとう、おもしろかった。
恐怖よ、ありがとう、楽しかった。
この嫉妬というフィーリング、私大好きだった。
でも、私は目を醒ますので、地球にお返ししますね」
そう言って、「目醒めの列車」に乗り込んでいくということです。「眠り」は、もう何世紀も体験してきたので、そろそろ飽きたのではありませんか?
そして、目覚めることに覚悟が決まれば、もう「途中下車しようかな」という発想も起きません。なぜなら、それが本来の自分の在り方だということを憶い出すからです。
そう、今までのように眠っているほうが不自然だったのだ、と気づいてしまうのです。
深く眠っているときは、この完全性、つまり本来の自分の在り方を憶い出していないので、「そんな生き方があるのかしら?」とか「そんなのマユツバじゃないかしら?」となりますが、いったん目醒め始めたら、それが真実だとわかり始めたら、もう眠りの在り方には意識が向かなくなります。一方で、2021年の冬至を越えて眠り続けていれば、もう「目醒め」なんていうことに意識が向かなくなります。
だから、分かれていってしまうのです。
ただひとつ知っておいていただきたいのは、目醒めるのがよくて、眠っているのが悪いのではないということです。
後で「深い海のたとえ」の項で触れますが、僕たちは今まで、この「眠り」というのを体験したくて、わざわざ波動を落として重たい感情を体験してきました。
だから、これからもそれを体験したかったら、もちろんかまわないのです。『目醒めへの近未来マップ 2025→2028』 第1章 より 並木良和:著 ビオ・マガジン:刊


もともと、今は占星術的に「地の時代」から「風の時代」への切り替わりの時期。
約200年に一度の大きな時代の転換点と言われてきました。
ただ、今回はさらに長いスパンで見てみると、それ以上に大きな意味を持つ大事なタイミングだということですね。
「目醒めの列車」に乗り換えるか。
「眠りの列車」に乗り続けるか。
2万6千年に一度の選択のとき。
この時代に生きているすべての人が、決断を下す必要があります。
なぜ、「ネガティブな感情」は凝り固まってしまうのか?
最新の科学である「量子力学」では、僕たちが物体や現象と認識しているものは、本来は素粒子の集まり
です。
素粒子とは、これ以上分割できないとされる小さな小さな粒
のことで、イメージしやすいように言うと、光のドットでできている
と表現できます。
並木さんは、目で見えている現実の向こう側に存在する本質に目がいくようになること
、つまり、目の前の光景を見ていても、光のドットを意識するということ
が大事だと述べています。
見えている現実をそのまま見ているだけでは、その先に行くことはできません。「その先」というのが、「悟りの世界」「覚醒の世界」だとすれば、現実をそのまま見ていたり、出来事に今まで通り反応していたりするだけでは、決して真実にはたどりつくことはありません。
この世界のすべては、素粒子から成り、それらは振動し、波として伝わっていきます(波動)。そして、そうした現象は周波数※8として観測されます。
僕たちの意識も、こうした波動から生み出されるものですから、「こいつムカつくな」と思うと、「ムカつく」というある特定の周波数になります。
さて、僕たちは、無意識に考えたり感じたりしていますが、この周波数には、ある特定の性質が備わっています。同じ周波数は同調して響き合うというものです。ムカつくだけでなく、イラついたり、死ねなどと思ったりすると、ムカつく周波数、イラつく周波数、死ねという周波数が引き寄せられてきます。
信じるとか信じないという話ではなく、波動とは、そういう性質を持っているのです。
「イラつく」と反応したときに、それと同じ周波数が、あなたの周りにワーッと集まってくるのです。
すると、それが壁のように取り巻くことになります。
結果、その壁しか見えなくなるので、さらにイラつくことになるわけです。
それなのに、まだ「イラつく! イラつく!」とやっていると、この壁はますます分厚くなってしまい、泥沼にはまっていくことになります。
こうして、皆、この壁に釘付けになり、そこに意識を使い続けてしまっているのです。※8 周波数 1秒間に繰り返す波動や振動の数のことで、単位はHz(ヘルツ)。
そこではなく、その先があるのです。
この層を見ながらも、その先に意識を向けてみてください。
その先にあるのは「ただの点」「ただの光」。
そこに意識が向くようになると、真実だと思っていた現実が、ガラガラと音をたてて崩れ始めます。
わからなくても、それが見えていなくても、いつも「そんなふうにみてみよう」とすること。
ここからスタートします。
人を見ても、「いやん、イケメン」とか、「うわっ、すっごいキレイ」じゃなくて、そのイケメンの人もキレイな人も、元はただの光のドットなのです。
「こんなブサイクな旦那で」と文句を言っても、その旦那も、ただの光のドットです。
「ブサイク」という表面的な形を見るのではなくて、その人の本質を見てみようとすること。
これも光のドットで、その先はもう霧みたいにものすごいミクロの世界になっていて、という状態を、実際には見えていなくても、そんなふうに見てみようとするのです。
そうすると、現実に対する捉え方が、まったく変わり始めます。
そういう視点で見始めることが大切になります。
それが釈迦が説いた観自在(かんじざい)※9という意味なのです。
観自在というのは、「自在に観る」ということです。目の前のイラつく出来事も、そこにフォーカスすれば、ますますイラつきを感じます。
それを、僕はいつも「使っている」という言い方で説明します。
使うのではなく、その先に意識を向けることで、使う意識から離れることができます。
すると、今までとはまったく体験が異なることに気づくでしょう。
そうやって視点をずらし、本質のほうに向けていくと、目の前の「現実」だけに意識が行かなくなるので、「現実」にガチッとくっつけていた執着も、スーッと離れ始めるのです。
こうした意識が使えるようになると、執着を簡単に手放せるようになります(光のドットワークのやり方は110〜111ページ)(下の図2を参照)。視点を変えるだけで、本当にラクになりますよ。
「現実」だけを見ていたら、大変です。
「こう言われた」とか、「こんな表情だった」とか、「言い方が気にいらない」とか、そうした意識でガチッ、ガチッ、ガチッと固めてしまい、その世界から抜けられなくなるのです。
でも、「そんな世界から抜け出し、変わりたい」と思うのであれば、視点を変えることです。
すると、その瞬間から抜け始めることができるでしょう。人にしても、物にしても、問題だと思っている事柄にしても、そのままを見るのではなく、これらはすべて、光のドットの集まりなんだ。
そう見てみようとしてみてください。
それだけで、目の前の「現実」にフォーカスされていた意識が、スーッとズームアウトし始めます。
このとき、凝り固まっていた「現実」が、柔らかくなります。
柔らかくなるとということは、流動性が増すということであり、変化がより容易になるということです。
でも、「現実」にガチッとフォーカスしていると、動かしがたい事実となり、ますます困難さを極めることになるでしょう。
これが意識の働きなんですね。
意識は、焦点を当てたものを拡大します。そして強化します。
僕たちは自分で自分を苦しめていることに気づいていないだけのです。
ですから、「あ、なんだ、これも光のドット」と、その先に意識を向けると、ガチッと固まっていたものが、柔らかーくなり始めるのです。
すると、「そんなに悩まなくてもいいかも。というか、どうとでもできるかも」といった意識になるわけです。
目の前の「現実」だけに意識が向いているときは、そうはならないですよね。でも、人間は、習慣でついつい目の前で起きていることに意識を奪われるので、いくらこういったことを学んでも、習慣が出ることはあります。
だから、そのつど、目の前の「現実」ではなく、その先、つまり、本質のほうに意識を向けようという意識をクセづけることで、「現実」は確実に柔らかくなっていきます。※9 観自在 迷いや執着に囚われず、物事を正しく自由自在に見極められること。ちなみに、観音様として知られる観自在菩薩は、世の中のあらゆる人を救うため、その姿も自在に変えて描かれてきた。
例えば、スプーンは、トリックのものは別にして、実際に念あるいは思いの力で曲げることができますが、普通には硬い金属が念の力で曲がるなんて信じられないですよね?
そのため「ほんとに曲がるんですか?」とよく聞かれますが、曲がります。
僕は、小さい頃はよくスプーンを曲げていて、母に「いい加減にしなさい!」と怒られたことがあります。レストランでも曲げてしまうので、当然なのですが・・・・・・・。さて、「スプーンは硬いもの」という意識では曲がることはありませんが、ただの光の点、光のドットと捉えることかできたらどうでしょう?
そういう意識を保っていると、スプーンを形作っている光のドットが、僕たちの意識と共鳴するようになります。
そのときに、「君は柔らかいんだよ、柔らかいんだよ、柔らかいんだよ・・・・・・」と話しかけてあげると、硬かったものが本当に柔らかくなり、グニャっと簡単に曲がるのです。嫌な思いをしたら、その周波数でガチッと凝り固めたものの、その奥を見る。
では、いい思いをしているときはどうかというと、それも同じです。
例えば、「イラつく」とか「ムカつく」というフィーリング(周波数)を、高性能のバーチャルリアリティーである肉体を通して見ると、「イラつく」「ムカつく」と感じるような形で見えているだけなのです。
それとまったく同じで、「喜ばしい」と自分の中の「喜び」とか「ワクワク」とか「楽しい」とか「ハッピー!」という特定の周波数がガチッと結晶化したもので、このバーチャルリアリティー(肉体)を通して見たときに、それが「喜ばしい」と感じる形で見えているだけなのです。
でも、その本質は、と言えば、ただの光のドットなのです。「光のドットで見てみよう」と言われても、「よくわからない・・・・・・」と思うかもしれませんね。でも、子どもが遊ぶように「やってみよう!」と試してみることが大切です。
目の前の現実の奥にある本質のほう、本質というのは光ですから「光のほうを見てみよう」と。
そういう意識ですべてを見てみましょう。
それには、少し訓練が必要かもしれません。
だって、そんな視点で見ることなんて今までしてきていないのですから、すぐにできなくても当然です。
だから、まずは、できるときに、可能なかぎりでいいので、そういうふうに見てみようとしてみてください。
例えば、目の前のコップを見ても、「あ、これも光の集まりなんだな」。
窓から見える景色を見ても、「これも光なんだな」。
目の前に座る人を見ても、「この人も光なんだな」。
横を通り過ぎるクルマを見ても、「これだって光なんだな」。
そういう意識です。
すると、世界が全然違うものに感じられるようになります。
そういう意識のトレーニングをしていると、僕たちの認識力や感性が、どんどん拡大していきます。
そして、今まで捉えられなかったものが、捉えられるようになります。
また、気づけなかったものに、気づけるようになるのです。映画館を想像してみてください。
僕たちは、「不安」とか「恐怖」とか「心配」とか「嫉妬」などのさまざまなフィーリング(周波数)を、日々感じながら生きていますよね。
このフィーリングがフィルムに相当し、肉体という映写機にカシャッと入ると、そこから光が投影されて、スクリーンに焦点を結びまず。
すると、映像が映し出されますよね。
もしここで、「戦い」の周波数を使っていれば、けんかのシーンが映し出されることになります。ちょうどこの映写機の中に入っている状態を「100の位置」とします。
この場所が、僕たちの本来の位置なのですが、僕たちの意識は、いつも映写室にいるわけではありません。
それどころか、映写室から飛び出して、スクリーンに頭を突っ込んでいます。
「どうしよう、大変なことが起きちゃった!」と言って、スクリーンにがっつりのめり込んでいる状態です。
このスクリーンにべったりの状態を「0(ゼロ)の位置」とします。
そして、スクリーンの位置から映写室の映写機まで、目盛りを0から順に10、20、30、40、50、60、70、80、90、100とふっていきます。
もし、スクリーンにべったり、つまり、0の位置から映像を見ていると、使っているフィーリングを、めちゃめちゃ臨場感たっぷりに、色濃く感じられます。
意識が「眠っている状態」だというのは、このスクリーンに限りなく近づいている状態なのです。
ところが、スクリーンから離れれば離れるほど、「これはただの周波数なんだ」と感じることができるようになります。
使っている周波数を、嫉妬だの恐怖だのと分析するのではなくて、「これはただの周波数なんだ」と感じられる位置に立ったときに、初めて、ネガティブな感情をごっそり外すすことができるのです(0の位置、100の位置のワークのやり方は112〜113ページ)(下の図3を参照)。
スクリーンに近づいていると、ただの周波数として扱うどころか、自分の感情として、リアルに「使ってしまっている状態」です。
「使う」か、「外す」か。
これしかないのです。
使っているのは「眠り」。
外すのは「目醒め」です。
「外していく生き方」を選択し続けるというのが、「目醒めて生きる」ということなのです。僕たちは誰もが、ずーっとスクリーンに強くフォーカスしていました。
だからもう、大変な騒ぎだったんです。
「あんなことが起こっているじゃない!」「そんなことが起こってるじゃない!」「これから世界はどうなってしまうの!」と。
ニュースを聞いて、その情報に「えーっ!」と。
そうやってスクリーンに突っ込んでいくわけです。
すると、「不安」もめちゃくちゃ色濃く感じられます。
これからどうなっていくんだろう・・・・・・食料がなくなったらどうするんだろう・・・・・・買いだめしておいたほうがいいかしら・・・・・となるわけです。
でも、映写室にいると、「これもわたしたちの意識で、使っている周波数で映像化しているだけ」ということに気づきます。
であれば、もし、目の前に映し出されている現実が、自分にとってそぐわないと感じるのであれば、この周波数を、フィルムを替えるようにカシャッと替えれば、変わるーーというのが「100の位置」に立つということです。
映写室の中に入るのです。
「映写室に戻っておいで」ということです。
「0の位置」というスクリーンに頭を突っ込んでいる状態では、フィルムを替えることはできません。
でも、「100の位置」なら映写室なので、フィルムを替えることができます。
だって、映画館では映写室でフィルムを替えるでしょう。
それと同じです。今までは、自分の中にあるこの感情、フィーリングが、現実を映し出すフィルムになっているなんて、夢にも思っていなかったのではないでしょうか? 「私がこういう思いをしているのは、あの人があんなことを言ったから!」と、現実は自分のコントロールの範囲外にあると思い込んでいませんでしたか?
でも、「目を醒ます」というのは、それを完全に反転させることを意味します。
「あ、違う、自分の感情、フィーリングが先で、現実は後だったんだ」と気づくことに他ならないのです。前述したように、僕たちの肉体は、高性能の映写機になっていて、さまざまな感情というフィーリングが、フィルムとなっていたのです。
例えば、「ひどい、こんなことを言われて傷ついた!」と思ったとき、実は、先にカシャッと「傷つく」という周波数を肉体という映写機に入れていたのです。
「傷つく」というフィルムを回すために、「傷つける人」をそこに映し出し、その人に「そういうふうに言われたら傷つくじゃない」と言いたくなる言葉を言わせる。そういう体験の仕方で人生を楽しんできたのです。
でも、そうしたメカニズムをすっかり忘れてしまっているので、「どうして、こんなひどいことが起きるの?」とか、「私がどうしてこんな目に遭わなきゃならないの?」と思っていたわけですが、「目を醒ます」というのは、「やだ、私が傷つくという周波数をここにカシャッと入れてたから、あんな映像を映し出していただけだったんだ。おバカだなあ」と気づくことなのです。
つまり、全部が自作自演だったのです。
自作自演なのに、今まではそうとは思えなかったんですね。いつも加害者と被害者がいて、どちらかをやってきました。
でもそれは、大きな大きな幻想、イリュージョンであったのだと気づくこと。
「目を醒ます」というのはそういうことです。そして、目を醒ますと、今度は何が起きるのかと言えば、完全に「自分」が主体になります。
「私が使ってるフィーリングがフィルムになって、外に投影されて映像化しているのであれば、私がもし恐怖や不安という心地よくない周波数を感じたら、それを手放して、喜びやワクワク、そして楽しいというフィルムに替えればいいんだ」ということに、気づける位置に立つことになるのです。
すると、フィルムを自在に替えて、望む周波数をカシャッと入れて、望む現実を映し出すというシンプルさを受け入れることができるようになります。『目醒めへの近未来マップ 2025→2028』 第2章 より 並木良和:著 ビオ・マガジン:刊




私たちが「現実」だと思い込んでいるものは、すべて「光のドット」でできている。
つまり、映写機で投影された映像に過ぎないということです。
しかも、その映写機は自分自身の中にあり、映し出すフィルムも自分で選んでいます。
現実を変えるには、フィルムを入れ替えてあげればいい。
それには、周波数を変える必要があります。
波動が高くなればなるほど、ポジティブな現実が映し出されます。
逆に、波動が低くなれば、ネガティブな現実が映し出されます。
この世界は、イリュージョンに過ぎない。
そして、自分自身で、いかようにも変えられる。
それに気づくことが「目醒め」への第一歩だということですね。
「本当にそうなのかな?」と自分で疑って調べることが大事
今、世界で起きていることの真相。
それは、「新しい地球に移行していく」という全人類が体験中の今までにない流れ
です。
ただ、私たち全員が「新しい地球」に移行できるわけではありません。
並木さんは、今は大きな大きな分岐のタイミング
であり、新しい地球に移行していく人と、古い地球に残り、今までの地球を体験していく人との分岐
が起きていると指摘します。
今まで分離に向かって動いていたときにうまくいっていたことは、すべてうまくいかなくなります。
今の政治や経済は分離の意識から生み出されたものですから、崩壊していくのは必定と言えるでしょう。
つまり、統合に向かって、新たな形が生み出されているのです。
だから、いいことが起きている。
「決して、いいことが起きてるように思えません。戦争まで起きてるじゃないですか!」と言う人もいます。
でも、起きていることは、それが起きています。
つまり、そこまで、僕たちの深いところにある、怒りのエネルギー、戦いのエネルギー、ジャッジメントのエネルギー、そういうものか戦争を通して噴出しているわけです。
なぜ、噴出しているのか。
それは、全部根こそぎ炙(あぶ)り出して、終わりにしようとしているからです。テレビをつけると、観ている人を恐怖と不安に駆り立てるニュースばかりです。
まさに、ネガティブな感情を煽る話ばかり。
99ページで、ネガティブな感情は、もともと完全だった意識が、分離して、分離し尽くして、「最初の原型がとどめられなくなるほど粉々になった状態」であるとお伝えしました。
そのネガティブな感情を増幅するような情報に触れると、分離した状態に引き戻され、自分はちっぽけで、価値のない存在に思えてくるのです。
なぜ、ずっとそういう在り方が存在するのかと言えば、この世界には、分離の意識から生み出された支配者がいるからなのです。
この世をコントロールしようとしている人たちが、まだいるのです。
なぜなら、分離とはそういうものですから。
「あの人より、上に立ちたい」
「あの人より、たくさんの物を持ちたい」
メディアというのは、そういう存在たちにコントロールされているので、流すものというのは、必然的にそういうものになります。
全部ねじ曲げて伝え、うそ八百並べ立てるメディアは、いくらでもありますから。
なので、僕は「観なくていいですよ」と言っているのです。
サブリミナル効果※10だってまだありますからね。
ニュースを観て不安になるなら、観ないほうがいい。
不安や恐れなど、ネガティブな思いが湧いたら、それを手放して、つまり、分離の線を1本ずつ消して、自分の中の統合を、一歩ずつ進めていきましょう。※10 サブリミナル効果 一瞬の映像やごく小さい音声など、通常の状態では知覚、識別できない表現方法で、視聴者の潜在意識に働きかける方法。日本では、NHKが1995年に、民放では1999年に禁止した。
「洗脳されている」ということを、もう少しお伝えしましょう。
ニュースやメディアというのは、洗脳の媒体です。
これを観ているかぎり、みんな洗脳されています。
だから、「テレビを観るのはやめなさい」と僕は言うのです。
または、「観ても本当に必要と感じるものだけを選んで、それ以外は観ないようにしましょうね」と提案しているのです。
それでも、ニュースやメディアによる洗脳は、なかなかそう簡単に解けるものではありません。
「洗脳を解いていく」ことが「目を醒ましていく」ことのひとつでもあるのですが、そのためには、とにかく「すべてを疑ってください」とお伝えしています。「すべてを疑う」というのは、戦々恐々(せんせんきょうきょう)とする(物事を恐れてびくびくしている)という意味ではありません。テレビでこう言っているけれど、「これ、本当なのかな?」と、ちゃんと自分で精査してみる、という意味です。
ちゃんと、自分で捉えてみようと意識する。
「本当にそうなのかな?」と、ちゃんと情報を調べてみる。
そういった具体的なアクションが必要ですよ、ということです。
何でも真に受けてしまうことって、ありますよね。
「ニュースで言っていたし」
「NHKが言ってたから」
「何とか大学の先生が言ってたから」
「有名なお医者さんが言ってたから」
そうしてすべてを鵜呑みにしてしまう傾向があまりに強いと、僕は思うのです。
そういう意味で、テレビや何かで言ってくることを「いったん疑ってみる」。
「本当かどうかを、自分に向き合って、感じてみる」ということが、とても大事なのです。「たしかに、テレビを観るのは減りました。でもその分、インターネットを観るのが増えたけど、インターネットの情報は玉石混交(ぎょくせきこんこう)、どうやって情報を選んでいけばいいですか?」という質問をよく受けます。
そんなとき,いつもお伝えしているのは、次の7つの視点です。その情報を、心地よく感じますか?
その情報に、惹(ひ)かれるものがありますか?
その情報は、しっくりきますか?
その情報は、楽しいですか?
その情報は、腑(ふ)に落ちるものがありますか?
その情報に、ワクワクしますか?
その情報に、喜びを感じますか?これら7つのキーワードの頭文字をとった「こひしたふわよ」に従おうと僕はお伝えしています(やり方は114〜115ページ、下の図4を参照)。
僕たちの高次元の本質は、ハイヤーセルフ※11と呼ばれる存在です。
ハイヤーセルフは、僕たちの最高のストーリー、最高の幸せ、最高の豊かさ、それらすべてを把握している存在なので、このハイヤーセルフの声に耳を傾けていれば、道を間違うことはありません。
このハイヤーセルフは、「こひしたふわよ」の周波数そのもので振動しています。
心地よさという周波数で振動している。
喜びという周波数で振動している。
ワクワクという周波数で振動している。
ですから、何かを選択していくときに、「ハイヤーセルフの声に耳を傾けよう」というのは、「『こひしたふわよ』に従おう」ということと同じ。「こひしたふわよ」を基準に選択していけば、必然的に自分の高次の存在と同調していくことになるのです。
そうすると、高次の存在は、その人にとっての最善を知っているので、ちゃんとその方向に引っ張っていってくれます。導かれていくようなことが起きます。
だから、あらゆる選択の場面では、頭で考えるのをやめましょう。
「どっちのほうが得なんだろう?」「どっちを選ぶべきなんだろう?」という分析をしていく意識は、ハイヤーセルフの意識からどんどん離れてしまう在り方になってしまいます。
シンプルに、「自分にとって心地いい選択はどっちだろう?」「喜びを感じる選択はどっちだろう?」「楽しいと感じるのはどっちだろう?」と、「こひしたふわよ」をベースにして、情報を選んでいくのです。
話を聞いたときに、「あっ、それはしっくりくるな」と感じたら、「それはあなたにとって真実ですよ」というメッセージがハイヤーセルフからやってきているのです。※11 ハイヤーセルフ 自身の魂の中でも、直接「源」とつながっている高次元の意識。
『目醒めへの近未来マップ 2025→2028』 第4章 より 並木良和:著 ビオ・マガジン:刊


新しいものが創造されるには、いったん、古いものが壊れる必要があります。
これから、既存のシステムや価値観が破壊されるような大事件が起こってくるでしょう。
そういった外の世界の混乱に惑わされず、映画を観ているように眺める。
「こひしたふわよ」に従って、自分が進むべき道を進む。
私たちが「新しい地球」にシフトするための、最も確実な方法です。
感情を手放せば、その記憶の影響を受けなくなる
並木さんは、出来事にはネガティブもポジティブもない
とし、ただ起きていることに、感情のフィルターをくっつけて体験しているだけ
だと述べています。
僕は、子どもの頃は、ずいぶんと生きづらさを感じていました。
それはまた、出てくるネガティブな感情を手放す術を知らず、目の前の現実を、ネガティブなフィルターを通して見続けていたからです。でも、それを手放すことができるようになると、ポジティブな意識に取って代わり、現実に対する認識が変化するのです。
すると、当時の記憶が思い出されても、ネガティブな感情が湧いてくることはありません。
なぜならば、記憶と感情はひもづいているからです。
感情を手放せないでいると、いつまでも嫌な思い出として残り続けるのです。
「忘れられない」と、よく言いますよね、「忘れたいのに忘れられないんです」と。
でもそれは、感情を握りしめているからです。
感情とその記憶が、ひもづいてしまっているのです。
だから、感情を手放してしまうと、このネガティブな印象はなくなってしまいます。
場合によっては、その記憶を思い出すことさえなくなるでしょう。自分の波動が上がって、視点が拡大すると、本当は何をやっていたのか、何が起きていたのかが、明確に理解できるようになります。
すると、過去の体験というのは、全部必然で、「自分が選択して体験していたんだ」ということが見えてくるので、もはやトラウマという体験の仕方ができなくなります。
トラウマというのは、シンプルに言えば、被害者意識がベースになっています。
自分の意図に反して、こうされた。
自負っの意思とは関係なく、こんなひどいことが起きた。
つまり、「された」とか「やられた」という「誰か」や「何か」のせいになってしまっている状態です。でも、目を醒ましていくというのは、こうした意識を外していくことなのです。
すると、「あ、誰も責めることなんてできなかったんだ」ということがわかるようになります。
そして、外のせいにすることができなくなる。
なぜなら、自分で選んだのですから。
そして、「トラウマに影響される在り方」から解放されることになるのです。僕は今、「具合が悪い」ということもありません。
本来の自分とつながってくると、病気をしたり、調子が悪くなるということがなくなります。
今はそんな僕ですが、「子どもの頃は病院がお友だちだったんだよ」と話すと、「えっ、先生がですか?」と驚かれます。
そして、ここで大事なのは、病気や体調不良がよいとか悪いとかではなく、本来の自分からズレているサインとして、肉体に出てくることがあるので、ネガティブな感情は手放してしまいましょう、ということです。
つまり、「手放す」か、「使い続ける」か、それだけのことです。僕は、大学を卒業してから整体の専門学校に入学し、その後、整体治療院を経営する会社に入社しました。
いわゆるサラリーマンでした。
僕は、人の身体のどこが悪いのかわかるので、それを活かせるといいなと思ったのです。
案の定、整体の学校に行くと、「私、人の悪いところが視(み)えるのよ」と言う人がいるわけです。やはり、整体の業界などには、そういう人が多いのですね。
当時は、自分の霊的な感性をどうやって役立てていけばいいか、どのように使っていけばいいかがまったくわからなかったので、その入り口になるのではないかと思って、整体の道に入ったわけです。
整体にいらっしゃる方は、頭が痛かったり、肩がこっていたり、腰を痛めていたりと、いろいろな症状を訴えます。
その背景には、ネガティブな感情を手放さないでいることが、自分の身体を壊すことにつながっている、ということもあります。
「ストレスが万病の元」と言うお医者さんもいますよね。
ストレスというのは、自分の中にいっぱいため込んでいる感情的なエネルギーのひとつの表れです。
感情のエネルギーというのは、何らかの形で解放されなければ、内臓に蓄積されます。
例えば、怒りをため込んでいると、心臓に影響を与えます。
すると、心臓発作だったり、心筋梗塞(しんきんこうそく)のような形で、心臓の病やトラブルに見舞われたりするのです。
怒りは肝臓にも影響します。
悲しみは肺に影響することが多いと言えるでしょう。
そんなふうに、その人がどんな感情を主に感じているかで、共鳴する臓器がトラブルを起こし、病気、病巣を作ってみたりするわけです。
逆に、ネガティブな感情を適切に手放していくことができれば、内臓にたまっているエネルギーも解放されることになります。
それが病気の原因になっているのであれば、その病気が解消されてもいいんですね。
「奇跡的に腫瘍(しゅよう)がなくなった」と言う人の話を聞くことがありますよね。
そうした事例は、世界中に無視できないほど存在します。
感情のエネルギーを解放することで、意識が大きく変化し、それが奇跡的な快復につながるのです。
ワークショップに参加してくださっている方のお母さまが、ステージⅣのがんを患い、骨にまで転移して手術適応外なってしまったときに、僕の本や動画で統合ワークを繰り返し行って、1年でがんがすべて消えてしまったそうです。
それは、彼女が、それだけ意識を大きく変えたのです。
自分の中にあるネガティブな感情を、徹底的に手放して。
そして、本来の自分を取り戻したことで、身体が本来の働きを取り戻したんですね。
それを人は奇跡と呼んだりしますが、僕からしたら奇跡ではなく、自然なことなのです。身体と魂、見える世界と見えない世界、それはいつも対局のテーマですが、片方だけでは片手落ちなのです。
だから、両方から俯瞰(ふかん)することが大切になります。
「じゃあ、魂はどこにあるんですか?」と質問されることがよくあります。
「どこにあると思う?」と聞くと、人によっては、「ハートです」とか「眉間です」とか、もしくは「身体の中です」とか、いろいろな答えが返ってくることになります。
もちろん、どれも間違いではありませんが、より正確に表現するなら、肉体を抱え込むように大きく広がっているのですね。
簡単に言うと、魂が肉体の中に入っているのではなくて、魂が肉体を抱えているのです。
だから、自分がいて、その周りを魂が取り巻いているとイメージしたときに、その魂の中心になるのが、ちょうどみぞおちの位置になります。
だから僕は、よく統合ワークのときに「このみぞおちに意識を向けて」と言います。
みぞおちは魂の中心。言い方を変えると、「魂の座」みたいなところ。「魂はどんな形をしているの?」と聞かれたら、「まん丸と思って差し支えないです」と答えます。
言い方を変えると、いかようにも姿形を変えられるのです。
ただ、完全というのは、よく球体で表されますよね。
なので、魂という完全体は球体なのです。
地球も、完全な球体ではないのですが、球体に近いと言えます。
種も、楕円形のものがあったりしますが、球でしょ。
つまり、球の形がエネルギー循環を起こすのです。「ネガティブな感情を手放しましょう」と言われても、「人間は本能として自分を守らなければいけないのだから、ネガティブを意識するほうが生存確率が高いと聞いたことがあります」とか、「ネガティブな感情を全部手放しちゃったら、足をすくわれちゃうんじゃないの? だまされちゃうんじゃないの?」と、どうしてもネガティブな感情にしがみついてしまう人もいます。
それは、誰もが避けたいと思うネガティブな現実が起きるメカニズムを知らないからです。
現実がどのように創造されるのか、そのメカニズムを理解していたら、ネガティブな感情を持ち続けようとは思わないはずです。
僕たちは、現実という「出来事」によって、特定の「感情」を感じると思っています。
例えば、「ひどいことを言われたから傷ついた」とか、「期待していたことと違ったからがっかりした」など、「出来事」によって一喜一憂するという習性がありますよね。
でも、これ、完全に逆なのです。つまり、現実の「出来事」によってこんな「感情」を感じているのではなくて、こんな「感情」を持っているから、こんな「現実」が引き寄せられるのです。
それが本当の意味でわかったとき、「恥ずかしい目に遭って、自信がなくなった」と悩んでいたのに、この「恥ずかしい」「自信がない」という感情を持っていたから、それを感じる現実が自分の目の前に現れたのだと、理解できるようになります。93ページからお伝えした、映画館のたとえ話を思い出してください(上記)。
映写機にセットしたフィルムが、スクリーンに映像として映し出されるように、感情がその感情に見合った現実を引き寄せているのです。
出来事が感情を引き起こしているのではなく、感情が出来事を引き寄せているのです。感情が先で、出来事は後です。
「こんな思い」があったから、この「現実」を見ている。
映写機を通して「こんな思い」のフィルムを、スクリーンに映し出しているのです。
「感情」がフィルムだとするならば、「現実」というのは、このフィルムによって映像化されたものです。ということは、その映像を観たときに、どんなフィルムを使っているかがわかるわけです。
例えば「こんなひどいことが起きるなんて!」とワナワナするような感情を感じたときに、「こんなことが起きたからワナワナしてるのではなく、自分の中にワナワナするという感情を持っていたんだ」ということに、この現実を見ることで気がついたのです。
つまり、ある事柄に不安を感じているのであれば、この「不安」という周波数がフィルムになって、その不安を感じるような映像を映し出しているのだということです。
だって、映画だって、ホラー映画のフィルムを映写機にカシャッと入れなければ、貞子※23のようなキャラクターは映りませんよね。
それとまったく同じです。
自分が「不安」というフィルム(周波数)を使っているから不安が映し出され、「恐怖」というフィルムを使っているから恐怖が映し出されるのです。
これを変えたいと思ったら、フィルムを替えるしかありませんよね。
現実を変えようとしても、変わらないのです。フィルムを替えないと。※23 貞子 1998年に公開された日本のホラー映画『リング』に登場する怨霊。「呪いのビデオテープ」を観た者を、1週間後にテレビ画面から抜け出し、呪い殺す。
ネガティブな感情を手放し、統合されると、世の中で起きているすべてのことをニュートラルに見ることができるようになります。
それは、ネガティブでも、ポジティブでもないニュートラル、中立な視点です。よく「いいことと悪いことは表裏一体」という言い方をされますが、これは、言い方を変えると、自分の捉え方次第であるということです。
つまり、現実に、いいも悪いもないのです。
ただ、中立であるだけです。
起きている事柄は、いつだって、何が起きていたって、たとえ戦争が起きていても中立です。「戦争が起きているから悪ことが起きている」のではなくて、「戦争が起きている」だけなのです。
人がそこに倒れていても、大変なことが起きているのでなくて、「人が倒れている」だけです。例えば、倒れている人が見ず知らずの人であれば、「人が倒れている」とニュートラルな意識で見ることができるかもしれません。
でも、お母さんがそこに倒れていたら?
全然知らない人なら、「人が倒れているだけ」と思えるかもしれないけれど、もし、それがお母さんだったら大変だと思いますよね。
「お母さんが倒れている」という現実に対して、「どうしよう、大変だ!」という感情をくっつけて、「お母さんが倒れて大変なことになっている」という体験にしてしまうのです。
これが問題を作り出す意識なのです。
事実は、「お母さんが倒れている」だけで、「大変なことが起きている」わけではありません。つまり、僕たちは、現実という目に見えている映像に、自分のフィーリング(波動、周波数)をくっつけて体験しているだけなのです。
現実はいつでも中立なのに、自分の観念や信念に沿ったものであれば「いいこと」と判断し、そうでなければ「悪いこと」と判断する。
そうやって、常にジャッジしながら、僕たちは生きているのです。
これが、僕たちの体験のメカニズムです。でも、目を醒ましていくというのは、そうした在り方から完全に抜けるということです。
本当は、どこまで行っても、何が起きていても、現実はニュートラルなのです。
いいことも、悪いことも、起きていません。
「ネガティブなこと」が起きているのではありません。
「ポジティブなこと」が起きているのではありません。「人間万事塞翁(にんげんばんじさいおう)が馬(うま)」という故事があります。
あるとき、中国の国境近くの塞(とりで)に住んでいる老人(翁)の馬が逃げ出しました。
周りの人たちは同情するのですが、老人は「これは幸運が訪れる兆しだ」と言いました。
それはその通りとなり、馬はりっぱ名馬を引き連れて帰ってきました。
これに対して周りの人たちが祝福すると、今度は「これは不運の兆しだ」と老人は言いました。
それはその通りで、しばらくすると、息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまったのです。
これに対して周りの人たちが同情すると、老人はまた「これは幸運が訪れる兆しだ」と言いました。
実際、その通りで、息子はそのけがが原因で、戦争に行かなくてよくなりました。
つまり、一見不幸に見える出来事も、幸運につながったりする。その逆もまたしかり。人生における幸不幸は予測しがたいということです。それは、現代の僕たちの生活でも言えます。
例えば、ある人が500万円の宝くじに当たりました。
そのとき、周りの人が「500万って、すごいラッキーだね!」と言いました。
でも、その人は「いやぁ、ラッキーかどうかわかんない」と答えました。
そしたら、その人は直後に交通事故に遭って入院し、手術をし、すべての費用を払ったら、ちょうど500万円が飛んでいってしまいました。
周りの人は「500万円もなくなって、最悪だったね」と言いました。
その人は「最悪かどうかわかんない」と答えました。
その人は、そこで出会った看護師さんと恋に落ちて、結婚しました。
「結婚? ラッキーだったね、けがして!」
その人は答えました、「それはわかんない」と。僕たちは、起きている事柄をすべて、「これはいい」「これは悪い」とジャッジしますが、本当はそうではないということを理解することが大切です。
起きていることは、ただ「宝くじで500万円が当たった」だけ。
「事故を起こして500万円支払った」だけ。
「結婚が決まった」だけ。
事実はそれだけです。
繰り返しますが、僕たちは、「中立的な出来事」(僕は単に「映像」と呼んでいます)に、自分が使っている周波数という「感情」をくっつけて体験しているだけなのです。だから、「お金のことが不安なんです」とよく言われますが、「お金」に対して不安を感じているのではなく、お金に不安をくっつけて「お金のことが不安なんです」と体験しているだけなんですね。
「じゃあ、この不安を手放したら、どうなるの?」
答えは簡単。お金のことで不安を感じることはなくなります。
それだけの話です。
感情をくっつけて体験することで、僕たちはその感情を臨場感たっぷりに感じることができるのです。
これが僕たちの体験の仕方だったのです。
なので、このメカニズムを知ったら、その感情を使い続けるのではなく、手放そうとするでしょう。
それが、「眠り」から「目醒め」るということです。
現実に一喜一憂するのが「眠り」だったのです。『目醒めへの近未来マップ 2025→2028』 終章 より 並木良和:著 ビオ・マガジン:刊
多くの人は、起こった出来事によって感情が引き起こされると信じています。
楽しい出来事が起こったから楽しいと感じたり、悲しい出来事が起こったから悲しいと感じる、というようにですね。
しかし、真実は逆で、自分の中にある感情が、それを感じさせる出来事を引き起こしています。
自分の中にある悲しいという感情が、悲しいと感じさせるような出来事を創り出しているということ。
つまり、出来事自体に、ネガティブもポジティブもなく、すべて中立。
どんな感情をくっつけるか、それともくっつけないかは、私たちが自由に選べます。
目が醒めた状態とは、余計な感情をすべて取り除いた状態です。
いらない感情は、使うのではなく、どんどん手放していきましょう。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
今、地球は次元上昇という、劇的な変容を遂げている真っただ中です。
私たちが、その動きに振り落とされずに、一緒に上昇していくためには、どうしたらいいでしょうか。
並木さんは、大切なことは、あなたの人生を生ききること、あなたが幸せで豊かであること
だとおっしゃっています。
私たちも、地球の一部です。
私たちが目を醒まして、重いネガティブな周波数を手放せすほど、地球はより身軽になって次元上昇を進めていけます。
私たちが変われば、世界は変わる。
それは、文字通りの真実です。
私たちの本質は、光の存在、光そのものです。
そのことに気づいて、輝きを増せば増すほど、周囲を照らします。
光は光を呼び、光の集団となり、光の世界を創ります。
私たちも、本書を片手に光の一員となり、新しい地球を目指していきましょう。
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【書評】『すごい股関節』(中野ジェームズ修一) 【書評】「しんどくなったら、心より先に体を整えよう」(いちい葉子)


