【書評】「あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている」(並木良和・村松大輔)
お薦めの本の紹介です。
並木良和さんと村松大輔さんの『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』です。
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並木良和(なみき・よしかず)さんは、スピリチュアルカウンセラー、作家、ライフメンターです。
宇宙の叡智や高次の存在と協働しながら「本当の自分」に一致して生きるための「統合(LDLA)」を伝え、本来の人間が持っている能力や生き方、そして、目醒めた状態で人生を謳歌する「在り方」を、自らの体験を通して国内外を問わず世界に教示されています。
松村大輔(まつむら・だいすけ)さんは、一般社団法人開華GPE代表理事です。
2013年、能力開発塾「開華」を設立され、学力を伸ばすだけでなく、量子力学をベースとした能力開発を目的とした学習塾スタイルを提唱されています。
「スピリチュアル」と「量子論」の融合で何が変わる?
これまで「目に見えない世界」の解釈は、その多くを宗教やスピリチュアル担ってきました。
その語られ方は千差万別、話す人によって、本当にさまざまな解釈をされてきた、あいまいな世界。
そんな「見えない世界」に、近年、“科学のメス”が入っています。
それが「量子力学」です。
量子力学は、物理の最小単位とされる量子のふるまいを研究し、目に見えないスーパーミクロな世界を解き明かしている最先端の科学
です。
これまで理屈で説明できなかったスピリチュアルの世界が、量子力学の理論が明らかにしつつあります。
本書の冒頭にて、インタビュアであり編集を担当した湊さんは、以下のように述べいます。
お2人が語られたとおり、本来のわたしたちはすでに「完全」であるにもかかわらず、情報過多な現代を生きる中では毎日のように、「今よりもっと〇〇になりましょう! そのためにはこの商品を買って、このサービスを受けて!」といった広告の嵐が当たり前の社会です。そこでは無意識に、自分の中の不完全さや不足感、劣等感を煽られて、周りとの比較・競争も強いられながら、「あれが足りない、これもできていない。自分なんて・・・・・・」と常に自分にマイナスのラベルをペタペタと貼り付けて、「〇〇がないと幸せになれない」と条件付きの幸せリストを片手に、がむしゃらに頑張り続ける日々。そうして多くの方々が苦悩やモヤモヤを手放せず、心の奥底に不足感や劣等感、無価値感が積もり積もっていく方も、きっと多いのではないかと憶います。
自己啓発やスピリチュアルの界隈でも、「今のままではダメだから、これをしよう、あれをしよう、こんな〇〇を目指そう!」「キラキラした自分に大変身!」といった成功哲学や願望実現のメソッドがブームにはなっていますが、中にはスピリチュアルの本質から離れる方向に導かれることも少なくありません。実際、さまざまなメソッドにたくさんの時間とお金を費やしてきた結果、自己啓発疲れやセラピー難民、スピリチュアルジプシーに陥って、何が正解なのか分からなくなってしまったり、スピリチュアル・ハラスメントで余計に恐怖心を煽られたり・・・・・・悲しいけれど、そんな人たちがますます増えているのも事実です。
「今よりもっと、理想の自分になるために」と外側の誰かや何かを見習って、「こうするべき、こう在るべき!」と四六時中、自分改造を必死に頑張り続ける毎日。けれども、本当にそうでしょうか? わたしたちは外側の誰かや何かばかり意識を向けて、未来の理想像ばかりを追いかけて、今ここの「ありのままの自分」を無視して生きるべきなのでしょうか?
もしも今、そんな生き方や何かのメソッドに違和感や徒労感を感じているのなら、きっとこの本のどこかに、何かしらの出口が見えてくるだろうと憶います。お2人の対話を読み進めるうちに、ずっと目を背けていた自分、ずっとダメ出しをしてきた自分・・・・・・・そんな自分自身とも、きっと仲直りしていけるだろうと思います。外側に答えや救いを求めて必死に頑張らなくても、ただただ自分の完全性を思い出すだけでいい。いつもご機嫌でいられなくても、自己肯定感を上げられなくても、一人で落ち込むときがあっても、周りに賞賛される何かを持っていなくても、・・・・・・ほんとうは誰もがすでに完璧で、誰もがすでに「宇宙の奇跡を生きている」のだからと。今こうして息をして、たとえ何かに傷ついたとしても、いつも変わらず心臓は同じリズムで鼓動を刻み、あたたかい血液が全身を巡るこのからだが在るのならそれでいいと・・・・・・。対談を通してお2人が何度も諭してくれたのは、そんな「今ここの自分自身の尊さ」でもありました。
そうして本質を思い出しながら、自分自身を調和させることが外側の調和にも繋がること、さらには「みんなが一つに繋がっている」といった悟りの境地すら、スピリチュアルと量子力学の化学反応を通して語られる中では、アタマで理解するのではなく体感としてストンと腑に落ちてくる。それも自分一人だけが嬉しい恩恵を享受できるだけでなく、好影響の波は周りにも広がり、さらには自分と関係がないと思っていた社会や地球をとりまく問題のあれこれも、問題そのものかふわっと蒸発して消えていってしまう。そんなマジックのようなカラクリを、力強くやさしく、ときにはユーモアたっぷりに、終始なごやかな空気感のなか語り合ってくださいました。
皆さんもぜひ、からだもこころも力を抜いて、ときにクスッと、ときにジーンと、ときにアハハと笑いながら、お2人の語らいに耳を傾けてみてください。そのうちに、気がついたら本質を悟っている、笑いながらスーッと宇宙の真髄に連れて行ってくれる・・・・・・。そうして読み終える頃にはきっと、あなたはあなたのママ、いつもと変わらない場所にいるとしても、自分自身や周りの世界を見つめるまなざしや感じ方、日常の在り方がまるで別次元にジャンプしたような感覚と歓びの中で、目に映る世界の美しさ、共に生きる人たちの尊さ、内側から込み上げてくるどんな感覚も感情も、そのすべてを愛おしく感じながら、ここからの毎日をより色鮮やかに、心豊かに過ごしていけるだろうと思います。
インタビュー・編集 湊 亜弥子
『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』 プロローグ より 並木良和・村松大輔:著 ナチュラルスピリット:刊
本書は、スピリチュアルと量子力学、それぞれの第一人者である並木さんと村松さんが、それぞれの高い視座と知識を持ち合って実現した対談集です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「現実はイリュージョン」である!
スピリチュアルと量子力学の融合。
それは、目に見える世界と目に見えない世界の融合です。
目に見えない世界、つまりエネルギーが本質である。
目に見える世界、つまり物質は,目で見えない世界の反映にすぎない。
これまで多くの人たちが説いてきたスピリチュアルの真髄が、科学的な根拠を持つことになります。
並木 そうですね。僕はよく「現実はイリュージョン、幻想から目を醒ます」というお話をするんですが、そもそもこの世界というのは夢みたいなもので、本当は自分の意識次第で自由に動かしていける「明晰夢」のようなものだと思っているんです。明晰夢とは、夢だとはっきり自覚しながら夢を見る意識状態のこと。一般的な夢を見ているときは物事は自動的に進んでいきますが、明晰夢を見ている状態では自由自在に動けるので、自分の意識でどのようにでもコントロールしていけます。たとえば、「あ、あの人に会いたい!」と思ったらすぐに会いに行けたり、橋のない川を前にして向こう岸に渡りたいと思ったら、橋をイメージするとパッと橋が架かったりして、橋を意識的に作り出すこともできます。はたまた舞台で何かの発表がある前などは、そのリハーサルもできたり・・・・・・明晰夢って本当にいろんなことができるんですよ。
僕もそんな明晰夢を見ていたあるとき、「本当はこれぐらい自由な意識が、僕たち本来の意識だったんだ!」と、すごくストンと感得したことがあったんです。誰に教えられたわけでもなく、この次元も実は、夢と同じようなものなんだと。そのことを100%明確に理解しながら、「夢だと気づきながら生きていく」ことも、目醒めのプロセスだと思うんです。そして、この事実を知るたけでも、実際に「現実が夢のように柔らかくなる」んですよ。今まではガチッと固定されて「現実はそう簡単に変わらないもの」と思い込んでいたものが、「あれ? 現実って実はものすごく流動的で、簡単に変わるんだ!」と思い込んでいたものが、あれ? 現実って実はものすごく流動的で、簡単に変わるんだ!」という気づきに変わり、実際に、現実が簡単に変化していくことを体験するようになるんです。
村松 すごく分かります。私自身はスコンと寝てパッと起きるタイプなんで、一般的な夢も明晰夢もほとんど見ないんですが(笑)、「現実は幻で、意識で動かせる」というのは、量子力学でも同じ説明ができます。そもそも私たちの身体ひとつをとっても、量子レベルで見るとまったく違う世界が広がっていて、一つの物体として見えている身体も、組織や細胞よりも小さい原子の集まりであり、その原子もさらにミクロに分解していくと、物質の最小単位である「素粒子」の集まりなんですよね(下の図1を参照)。
「素粒子」と「量子」はほぼ同じ意味で使われる用語なんですが、素粒子はあらゆる物質を構成する基本粒子で、この素粒子が毎瞬毎瞬、背景に広がる「ゼロポイントフィールド」から現れては消えて、現れては消えて、を繰り返しているんですね。ゼロポイントフィールドはまだ仮説ですが、どこか特定の場所ではなくて、「宇宙じゅうに広がっている大きな海」のようなエネルギーフィールドのこと。仏教の「色即是空、空即是色」で言うなら、「空」が背景のゼロポイントフィールドであり、この「空」から毎瞬すべての素粒子=「色」が現れでては消えている。その素粒子の点滅を集めたものが、身体という物質に見えているんです。ーー人間の身体を素粒子レベルで見ると「点々の集合体」という真実を教えてくれるイメージ画像(下の図2を参照)を、数年前に松村さんのYouTube動画で初めて拝見したのですが、そのときの驚きはいまだに忘れられずにいます。それまで信じ込んでいた「身体」という概念を思いきり覆されて、雷に打たれたような衝撃でした。
村松 そうですよね。少し詳しく説明させていただくと、この画像にある一粒一粒が「原子」なんですが、人間の身体はおもに炭素原子、酸素原子、水素原子、窒素原子、さらにカルシウムやリンなどの原子が集まったものでできています。この原子の中心には陽子と中性子から成る「原子核」があり、そのまわりを「電子」が飛び回っているんですが、飛び回るといっても電子はどこに現れるのかも不確定で予測不可能、突然現れたり消えたりと神出鬼没。その様子は「粒」というより、絶えず変化している「モワモワとした雲」のように見えることから、量子力学では電子のことを「電子雲」と呼んだりもします。
さらには、原子一つを東京ドームくらいの大きさだとすると、その中心にある原子核はなんと、東京ドームの真ん中に置いたビー玉1個くらいのサイズ感なんですよ。ビー玉のまわりを飛び交う電子の一粒はさらに小さい玉・・・・・・つまり、一つの塊のように見えている私たちの身体も、原子レベルのミクロな世界から見れば、東京ドームとビー玉くらいにスッカスカなんです!(下の図3を参照)
並木 そんなにスカスカなんですか!?
村松 そうなんです。実際にはこんなにスッカスカなので、レントゲン撮影のときにもX線が身体を通り抜けられるわけなんです。
並木 あぁ、なるほど!
村松 ビー玉くらいの原子核を構成する陽子と中性子、その中にあるさらに小さな“クォーク”や、そのまわりを飛び交う“電子”など、物質を構成する最小単位を総称したものを「素粒子」と呼んでいるんですが、今お話したような状態は人間の身体だけではなく、他のあらゆる動物たちも植物も、さらには机も椅子もパソコンも、空気すらも・・・・・実はあらゆる存在がすべて、こうした「素粒子の点滅」なんですね。
素粒子も今のところは顕微鏡で見えないレベルですが、素粒子の実態はちゃぽんと波打つ「ひと波」=ヒモである(超弦理論)とも言われ、その素粒子がそれぞれ固有の周波数を持って「常に振動している」わけなんですね。この現象を、スピリチュアルの分野では「波動、エネルギー」と呼んでいるかと思います。
並木 そうですね。
村松 そうしてすべてのものか振動し、波を放っていることは科学的な事実で、物理学者で量子論がご専門の吉田伸夫先生は、ご自身の著書の中でこんなふうに表現されています。「量子力学の本質は、あらゆる物理現象の根底には波動が存在すること」(『量子で読み解く生命・宇宙・時間』幻冬舎新書)と。つまり、私たちの身体や動植物、机やパソコンも、空気も含め、あらゆる存在を構成する一番小さい単位は素粒子であり、それらはそれぞれの周波数で振動し波打っている「波動」であるということ。
この素粒子も「粒」というより、厳密には「揺れる可能性のある何か」「波(エネルギー)が大きく揺れて、粒のように見えるもの」とされています。私たちの身体も、この世に存在するあらゆるものも、すべては「揺れる可能性のある何か」なので、素粒子たちはただ揺れて、みんなで集まり、物質のような形を見せているだけ・・・・・・これが素粒子レベルから見たこの世界の真実なんですね。ありとあらゆるものを物質の最小単位の視点から見ると、この世のすべてのものがモワモワとした雲のような、「素粒子の波の海」とも言えるんです。ーー自分の身体はもちろん、すべての存在が「同じ素粒子の集まり」が形づくる「モワモワとした雲」で出来ているとなると、「境界線なんてどこにもない」とも言えますね。それこそスピリチュアルや悟り、仏教の分野でも、「個別の私、自我は存在しない」といった境地に至りたいと探究する方も多いてすが、このイメージ画像を見たとき、「あ、これは完全に、『個別の私』なんてどこにも居ないんだな・・・・・・」と、すんなり納得できたことを覚えています。
村松 まさにそうですね。人も動植物も鉱物も、あらゆる存在のすべてが「素粒子の点滅」であって、前出の吉田伸夫先生は「時空に浮かんでいる模様にすぎないと言ってもよいだろう」というようなこともおっしゃっているんです。
ーーえっ、「模様」ですか!?
村松 そうなんです。身体という固まった物質に見えているけれど、実際には「並木さんの模様」「村松の模様」など、一人ひとりの「模様」が時空に浮かんでいる。もちろん人だけでなく机の模様、本の模様、パソコンの模様、後ろにある植物の模様、愛犬の模様・・・・・・といったように、すべての生物、すべての存在が「模様にすぎない」とはものすごく的を射た表現だなと感じたんです。しかも、「模様」だからこそ「動きまくる」んですよ、自由自在に! まさに並木さんが先ほどおっしゃったように、「現実の本質は揺れ動く波や模様のようなものなので、自由自在に動かせる」ということが言えるわけなんです。
並木 なるほど、それはとても分かりやすいですね!
村松 並木さんの明晰夢のお話や、「意識次第で現実は変えられる」というお話を聞いて、私もさらに納得しました。今ご説明した素粒子のふるまいは物質だけの話ではなく、実は意識や感情も「フォトン」という素粒子で、私たちはそれぞれに固有の振動数を持った意識や感情、つまり「バイオフォトン」という生体光子を飛ばしていることも、最新の科学で論じられています。ーー物質世界に見えているあらゆる存在だけでなく、目には見えないけれども私たちが日々放っている意識や感情も「素粒子」なんですか!?
村松 そうなんですよ。これはドイツの理論生物物理学者フリッツ=アルバート・ポップ博士が発見したんですが、意識の正体と考えられているバイオフォトンとは、私たちが放つ「かすかな光」のこと。それは私たち人間を含むあらゆる動植物の全細胞にあって、生物であれば誰もが放っているこのバイオフォトンは、「身体のあらゆる部分から意識(光)を発している」と、ポップ博士は伝えしているんですね。それはたとえば、「嬉しい!」と思うと全身から「嬉しいフォトン」が出て、「ムカつく〜」と思うと全身から「ムカつくフォトン」が出るといった具合に。
さらに面白いことに、アメリカの細胞生物学者ブルース・リプトン博士もまた、「遺伝子自体がスイッチのオン・オフをしているのではなく、外の環境の電磁波の情報をもらって細胞膜から遺伝子に電磁波を入れ、それをもとに遺伝子のスイッチのオン・オフがされている」と実験的にも伝えています。電磁波とは、フォトンの波のことです。つまり私たちは知らないうちに、「見えないフォトンの波(電磁波)によっても、外の世界とコミュニケーションをしている」ということなんですね。
こうなるともう、世界の見方がまるっきり変わってくるだけでなく、物事や悩み事への対処も変わってくると思うんですよ。家族関係や人間関係、仕事でうまくいかないときも、外側に見えている現象や相手をどうにかしようともがくより、自分の発している意識や感情の周波数を振り返ったり、相手への感謝や思いやりのほうに意識をフォーカスしていくと、それがそのまま周囲に反映されて、家族関係や人間関係、仕事や経済状態など、さまざまな状況が好転していくんですね。たとえば旦那さんに対して、口には出していないとしても、いつも「いい加減にしてよ」と心の中で思っていれば、「いい加減にして」の振動で揺れ続けるので、その通りの現実が作られていくことになります。反対に「パパありがとうね」と思っていると、「ありがとうね」で揺れ続けるので、相手も状況も感謝に溢れる現実が創られていく。そうして「自分が発する意識=フォトン」で現象を揺らしているだけ」なんです。先ほど並木さんがおっしゃった、「夢だと気づきながら現実を生きる、それも目醒めのプロセス」というお話は、「見えない素粒子が揺れ動いていることにも気づいておきながら、目に見える物質世界を生きる」といった感覚かなと感じたのですが?
並木 まさしくそうですね! その本質の方を捉える意識をベースにした上で、この現実を生きるということですよね。目に見える世界と目に見えない世界というのは、どちらか一方だけで生きるとか、どちらが正しいか間違いかということでもなく、やはり「二つで一つ」だと僕は思うんです。「見えない世界は信じません、分かりません」とバッサリ切り捨ててしまうと半分しか生きられないわけで、それってとてももったいないと思うんですよね。そもそも、僕たちの目に見えている世界というのはごくごくわずか、本当は目に見えない世界のほうが圧倒的に多いわけですから。『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』 第1章 より 並木良和・村松大輔:著 ナチュラルスピリット:刊



素粒子は、雲のようなふわっとした存在で、生成と消滅を繰り返してます。
つまり、目に見える世界と目に見えない世界を、高速で行き来しているということ。
目に見える世界と目に見えない世界。
その境界は曖昧で、ゼロポイントフィールドを通じて、素粒子とエネルギーは常に入れ替わっています。
どちらかではなく、どちらも。
「二つで一つ」という考え方が、これからの時代のスタンダードになります。
重たい感情のエネルギーが「病気」を生む!
現実は、私たちの思考や感情の反映です。
それは「病気」も例外ではありません。
並木さんも、松村さんも、感情は細胞に溜まる、それが病気を引き起こす
と指摘しています。
並木 そうですね。感情というエネルギーは細胞内に蓄積していき、それが「正常な振動数を妨げる」という表現で、僕はよくお伝えしています。本来、細胞が正常な状態のときは「軽やかな振動数」なんですが、不快な感情を感じると重たい感情のエネルギーが刻み込まれる、もしくは溜まりに溜まって振動数が重たくなる。ちょっと、これが言い方として正しいかどうかは分からないんですけれども、その重たい振動数が細胞の正常な振動数を妨げて、重たい周波数を手放さないままでいると凝り固まって結晶化していき、それがしこりを作ってみたり不具合を作ってみたりして「病気」という状態になっていくんですね。
けれども、重たい感情エネルギーを手放して振動数を変えてあげることで、症状が回復傾向に転じていった方々も今までにたくさん見てきました。なのである意味、病気は「自分の中にあるネガティビティを浮き彫りにして、その周波数を自分の中から手放すための出来事」とも言えると思うんです。ーー病気もサインであり、チャンスでもあるということですね。重たい感情の周波数を手放して振動数を変える一つの方法として、並木さんはネガティブな感情を「嫌だ」と避けたり蓋をしたりするのではなく、「認める、受け止める」という統合のワークも教えてくださっていますね。
並木 はい。僕がお伝えしている「統合ワーク」は、「意識的に感情を手放す」方法なんですが、感情を「手放す」といっても「切り離す」こととはまったく違うんです。ここはよく勘違いされるところなんですが、嫌な感情を切り離したり捨てたりすることではなく、どんな感情も「丸ごと受け入れる」ことが大切で、受け入れるからこそ重たい感情も手放せるんですね。たとえば、何かや誰かを「許せない」と思ってどうしても受け入れられない感情があったとしても、それを「受け入れる」ことができたなら、その対象を許すこともできる、だからこそ状況も変わっていくわけなんです。感情は決して「切り離していく」ものではなく、「丸ごと受け入れていく」ことが大切なんです。
村松 なるほど! 私は「手放す=捨てる」ことかとイメージしていましたが、そうではなかったんですね!
並木 違うんです。なぜなら、「捨てる、切り離す」というのは「分離」でしかないので。
村松 ですよね、同感です!
並木 感情を切り捨てたり、押し込めて蓋をしたりすればするほど、「分離し続ける」ことになるんですよね。そうではなく、悲しいときはその悲しみをジャッジしないで、ただ感じ尽くしてあげること。多くの方は感情の善悪をジャッジして、「こんな感情は嫌だ、悲しんじゃダメ」と押し込めてしまいがちですが、やはりどんな感情もジャッジせず、感じ切るってとても大切なことなんですよね。
「悲しんじゃいけない」と遮ることなく、「あ、自分は今、悲しいんだな」と認めてあげて、何も邪魔することなく悲しみ尽くせばいい。そうしてどんな感情も受け入れてあげると、あるときスーッと、全部が外れていくんです。これが「統合」なんですね。そうして感情を丸ごと受け入れるからこそ手放せる・・・・・・・これを意識的に行う「統合のワーク」を僕は皆さんにお伝えしていて、統合を進めていくほど心身の不調や現実の問題が消えていかれる方も、たくさんいらっしゃいますね。
村松 それはとても素晴らしいメッセージですね。ーー先ほど並木さんも、一般的には「奇跡」と言われるような症状の回復や変化を目の当たりにされているとおっしゃいましたが、よろしければ少しシェアしていただけますか?
並木 そうですね。たとえばステージ4の末期ガンと診断されて手術もできず、骨への転移も認められ、余命数ヶ月とまで宣言されたお母さまの娘さんが、僕のところに来てくれたことがあったんですね。彼女のお母さまが僕のDVDや、受け取ることのできる情報を片っ端から観てくれて、その中で紹介していたワークを実践していったところ、すべてのガンが消えたという嬉しいご報告をいただいたこともありました。
村松 それはすごいですね。
並木 でもその母娘さんはもちろん、すべてのケースにおいて「僕が何かをした」とか「僕が凄い」わけでは決してなくて、すべては「ご本人の力」なんですよね! ご病気の場合で言えば、ご自身の中の「治る力を引き出した」んですよ。病気の状態というのはそもそも「不自然」なので、先ほどお話ししたように「本質を生きる」という在り方に気づいて、「自分がクリエイトしている」という側に立つと、それこそ変化が起こるんですね。
もちろんそれは、指をパチンと鳴らせば一瞬で治っちゃうようなことではないかもしれませんが、結果的に状態が変わるという現象が起こった。でもそれは僕の中では奇跡でもなんでもなくて、いたって「ナチュラルなこと」なんですよね。
村松 不自然ではない状態、それが「本来の状態」ですもんね。地球上の皆さんがそこに気づいていければ、本来は病気も薬もいらないし、もっというと核兵器も武器もいらなくなって、本当の平和が作れますもんね。
並木 本当の意味での「調和」ですよね。そうしてみんなが「自分で創り出すことができるんだ! もう誰にも遠慮することなく、自分が望むものを生み出せるんだ!」ということに気づいていけたら、それこそ病気も争いもなくなりますよね。村松 病気に関してもう少し付け加えると、先ほど並木さんがおっしゃった「感情が細胞に溜まり、振動数を下げる」という現象は、科学的にも解明されてきているんですよ。
並木 そうなんですか!
村松 はい。先ほど意識や感情の正体がバイオフォトンという光の素粒子で、全身のあらゆる部分から発せられていることをお話ししましたが、たとえば長いあいだ辛い感情を抱えたまま過ごしていたり、「こんな自分じゃダメだ」と思っていると、その情報や振動数が細胞に蓄積されることが分かってきているんです。
そもそも細胞というのは6割以上が水=体液でできていますが、この体液は「液晶水」とも呼ばれます。液晶水は、氷(固体)・水(液体)・水蒸気(気体)に次ぐ「第4の相」として今世紀になって発見され、さらにこの液晶水は「情報を記憶する」ことも分かってきて、21世紀最大の科学的発見としても知られているんです。情報を記憶する作用を持つ液晶水は、その分子構造を見るとH(水素)とO(酸素)が繋がってできた正六角形が敷き詰められた、まるで「蜂の巣」のような状態になっていて、そこに感情や意識のフォトンが入ると「蓄電」されるように、液晶水がその情報や振動数を記憶するイメージです(下の図4を参照)。
そうして私たちの体液は情報を蓄積し記録している、つまり「細胞はすべての情報を記憶している」ということなんですね。たとえば、批判の思いを持っていると批判のフォトンを細胞液に入れ、批判の波で揺れて、「批判の周波数満載の細胞」が作られていくような。そうしてこの「批判の周波数満載の細胞」が臓器や血球、骨や筋肉、お肌など、全身を作っていくことになるわけですが、細胞一つ一つが「批判」で満たされていれば当然、さまざまな歪みが生じてしまいます。ーー先ほど並木さんが「病気は不自然な状態」とおっしゃっていたことにも通じますが、「細胞が放つ周波数の不協和音が、心身の不調和や病気という症状になっていく」とも言えるのでしょうか?
村松 そうなんです。スタンフォード大学医学部でも教鞭をとられたブルース・リプトン博士も、おっしゃっています。今いくつか挙げたようなネガティブな意識や感情が蓄積されることも大きな原因ですが、ご自身の過去の経験や周りからのネガティブな情報、食べたものに含まれる農薬や添加物といった情報も体液(液晶水)に蓄積されていくので、その周波数も物質化して本来の状態ではない細胞を作り続けてしまったり・・・・・・こうした悪循環から、不調や病気に繋がっていくとも言えるんです。
そうならないためには、退役や細胞に蓄積されることを理解しながら食べるものや環境に気を配るとともに、感情との向き合い方もとても重要で並木さんのおっしゃる通りどんな感情も否定せず、「そりゃ辛かったよね。悲しかったんだね」と、ただひたすら受け入れてあげることを私もお勧めしています。なぜなら、感情に寄り添って受け入れてあげると、体液や細胞に記憶された情報の振動数が寄り添いだらけになって引き上がっていくと、私は考えています。並木さんの「統合のワーク」で起こっているたくさんの奇跡も、辛い感情に寄り添って、寄り添いの周波数をかけることで辛いフォトンが愛に変換され、自然の状態に戻っていくからじゃないかなと思うんです。
並木 なるほど、量子力学で見るとそう捉えられるんですね!
村松 そうして辛い感情も否定したり排除したりせず、どんな感情も寄り添い抱っこしてあげることで、自分の愛がどんどんどんどん拡大していく。そうすると、かつて自分が味わった辛い感情を体験している人にも、「わたしもかつてそうだったのよ。そりゃ辛いよね、すごく分かるよ!」と自然と寄り添ってあげられるようにもなるんですよね。
仏教ではそうした経験を経てこそ、「慈悲の心」のような本当の愛が育まれていく、とも説かれています。お寺さんに行くと、ときおり「大慈大悲」という言葉が掲げられているところもあって、私は最初、「大慈小悲、じゃないか?」と思っていたんです。けれども調べてみると、観音様の愛、慈悲心のことを「大慈大悲」と言うらしいんです。「愛しむ」とは相手を思いやる「愛」のこと、そして「悲」と言う漢字には「相手の悲しみを我がことのように思える心」と言う意味があるそうなんですね。それは、「自分が悲しみを経験したことがないと、相手の悲しみを理解することはできない」ということ、つまり悲しい経験を持つことも必要なことなんですよね。人はつい、辛い感情や悲しい感情を「切り捨てよう」としてしまいますが、そうすると、悲しんでいる人に対しても「それは切り捨てなさい」というエネルギーで接してしまうことになり、相手に愛が届けられないと思うんです。
なので、感情を「ただ切り捨てる」のではなく、感情をジャッジせず受け入れて、「辛かったよね」と寄り添うことが何よりも大切で、それを重ねるほど自分が「統合される」という並木さんのメッセージはおっしゃる通りだと思います。
並木 こんな風に説明していただくと、とても分かりやすいですよね!
村松 こちらこそ、統合のメッセージには改めて共感しました。『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』 第2章 より 並木良和・村松大輔:著 ナチュラルスピリット:刊

つまり、私たちは本来、健康であることが「自然」な状態だということです。
「不自然」を創り出しているのは、自分自身の重たいネガティブな感情や思考のエネルギー。
自分で創り出したものですから、自分で消滅させることもできます。
これまで自分に向けていた批判や非難の感情を、慈悲や愛の感情に変えてあげる。
自分自身を許し、受け入れるところから始めましょう。
どんな感情も「ジャッジしない」ことが大事!
ネガティブな感情は、病気などネガティブな現象を創り出します。
だからといって、それらを切り捨ててはいけません。
村松さんは、「どんな感情もジャッジしない、受け入れることが大切」だと強調します。
並木 善悪を含めたジャッジを外すのは、誰にとってもなかなか難しいことですよね。
村松 本当にそう思います。何かあるごとに「だから私はダメなんだ」とすぐにジャッジして、そのたびにあがいてしまいますよね。ーーよく耳にするのは、スピリチュアルや心理学的なワークなどを通して自分の感情と向き合っているつもりでも、なかなか現実がうまくいかなかったり、「こんなに頑張っているのに、まだこんなにネガティブな感情が出てくるなんて」と落ち込んだり、そんな自分にさらなるダメ出しを重ねたり・・・・・・。
並木 よくありますよね。「ネガティブを感じている自分が大っ嫌い!」とか、「こんなにスピリチュアルな学びを頑張ってきて、統合も進んでいるはずなのに、どうしてこんなネガティブなことが起こるの?」とか。ですが、こうしたことも実は、とても大事な扉になっているんですよね。そもそも多くの方は、ポジティブ・ネガティブの概念を「善い悪いの判断基準」として捉えていると思うんですが、僕がお話しているポジティブ・ネガティブという言葉の意味は、そうした善悪や優劣のことではないんです。僕は、ネガティブの定義を「分離の方向に向かうエネルギー」、反対に「統合の方向に向かうエネルギー」をポジティブと表現しているんですね。
村松 なるほど、それはいいですね!
並木 よく「ネガティブな感情は悪いもの」として扱われがちですが、「嫌な感情を切り離す・捨てる・蓋をする」といったこと自体が「分離に向かう」ため、「ネガティブなことである」とも言えるんです。本来、居心地の悪い感情というのは自分の中にある「分離の周波数」であり、統合していくための「大事な扉」になっているんですよ! 心地よくない感覚に気づくたびに受け入れて手放していく、この「統合」を通して自分の中を一つにすることができる。そうして重たい周波数が解放されて軽やかになり、波動が上がるからこそ本質である全体性へと戻っていける・・・・・・僕はそんなふうに表現しているんです。ーーなるほど。そこで嫌な感情に蓋をして放置したままでいると、統合していくチャンスを失うどころか、どんどんと分離=ネガティブ方向へと進んでしまう悪循環にも陥りかねない、ということですね?
並木 そうです。「こんなのヤダ」とネガティブな感情を押し込めたり突き放したりしていたら、「ずっと分離し続ける」ことになりますから。なので、ネガティブな感情や事象に直面したときは、分離の周波数に気づいて手放せるチャンス。だからこそ「出てきたらラッキー!」と思って、どんどん統合を進めていってほしいなと思うんです。ただ、ここで気をつけていただきたいのは、不快な感情が湧き上がってくるたびにいちいち立ち止まって、「この感情はどうして、どこからやって来ているんだろう? 過去の体験やインナーチャイルドが原因なのかな? わたしのどこが悪かったの?」などと分析して、原因を突き止めようとしないこと。そんなことをしていたら、統合して目を醒ますのに何世紀もかかってしまいますから(笑)。
ーー湧き上がってくる感情の原因を探るために、過去のトラウマやインナーチャイルド、幼少期の体験などを振り返るワークや、それらを癒すメソッドも世の中にたくさんありますが、まさにわたしもいろいろと試してきたものの明確なゴールに辿り着けないまま、苦悩やモヤモヤが晴れない年月がずいぶんと長く続きました(苦笑)。
並木 そうして掘り下げていくプロセスは、とてつもなく大変ですね。でも、僕がお勧めしたいのはそうしたステップを踏むことではなく、湧き上がってきた感情一つひとつをジャッジせす、分析もせず、ひたすらシンプルに「あ、これが自分の中にあったんだな」「次に手放すものはこれなのね!」と、ただ認めて受け入れていく。それを続けるほどに居心地の悪い感情や重たい周波数は手放されていき、僕たちの意識はどんどん軽やかになっていきますし、拡大していくんです。
村松 まさにその通りだと思います。村松 実を言うと、私自身も子供の頃から「ネガティブは良くない。いつもポジティブでいなさい!」と言われて育ってきたんです。「兄弟喧嘩をすると毒素が出る」「喧嘩をして毒素が出たままご飯を食べると毒になるから、食べさせません!」と兄弟で外に出されて、しばらく反省させられることもよくありました。なので、「いつもポジティブでいなきゃいけない」「怒りや悲しみのエネルギーは良くないもの」「親に反抗してはいけない。反抗心は良くないものだから出してはダメだ」といった思い込みも強くて。自分のネガティブ感情もダメ扱いしてきたので、大人になってからもずっとそれを封印していたんです。並木さんの言葉を借りるなら、まさしく辛い感情に蓋をして「分離」し続けてきたわけなんですね。おまけに、空手部だった私は30代後半になるまで、「感情はコントロールできる」と思い込んでいて、それもあって感情を強く抑え込んで生きてきたんです。
ここで何が起こっていたかを量子力学で分析してみると、怒りや悲しみといったネガティブ感情の周波数に、「それは良くない、ダメ」という否定の周波数をかけ続けていたので、並木さんのおっしゃる重たい周波数をさらに重たくして、振動数を余計に下げ続けていた、つまり低い周波数の粒々をどんどん増やしていたというわけなんです。そうなると当然、起こってくる現象もどんどん悪化していくわけで、辛い時期が長く続いていました。当時勤めていた父親の会社では、社員に無視されたり文句を言われたり批判されたり・・・・・・そうしていよいよ苦しくなって、うつで倒れたわけなんですが、そこで初めて「自分にも感情があったんだ、自分はロボットじゃなくて人間だったんだ・・・・・・」と気がついたんです。
それまではどんなに辛くても「辛がってはいけない」と思い込んできたのに、「辛い感情も感じていいんだ、悲しんでもいいんだ」と気がついて。このとき、妻も一生懸命に寄り添ってくれたおかげで、人生で初めて「あ、俺はこんなに辛かったんだ・・・・・・」と自分の感情に向き合うことができたんです。そして、どんな感情も湧き上がるまま、「ただ感じてあげる」ことがいかに大切かを思い知りました。これが並木さんのおっしゃる「統合」ですよね。
並木 まさにそうです。そんなご経験があったんですね。
村松 そうなんです。このときから自分の感情に寄り添えるようになって、「本当はすごく辛かったよね」と自分をねぎらうことで癒されていったんですが、かつての私は「ポジティブは善い、ネガティブは悪い」のジャッジは当たり前だったんです。かつての私は「ポジティブは善い、ネガティブは悪い」のジャッジが当たり前だったんです。
でもこの善悪ジャッジは、量子力学的に見ても明らかに違和感があるなと、今なら感じられるんです。なぜなら、どんな感情も意識もすべてはフォトンという「光の素粒子」なので、「悔しい、ムカつく」といった不快な感情も光の素粒子であって、「嬉しい、幸せ」といった心地いい感情も光の素粒子なんですよね。数値はイメージですが、単純にそれぞれ、100Hz、101Hz、102Hz、1万Hz、1万1Hz、1万2Hz・・・・・・といった「周波数の違い」があるだけで。それなのに、「こっちの光の素粒子は心地いいからOK、こっちの光の素粒子は不快だからダメ」とジャッジするなんて、「光を否定している」のと同じことになりますもんね。
並木 そうですよね!ーーすべては同じ光の素粒子なのに、「辛い感情だけにダメ出しをして、悪者扱いをする」なんて、言われてみればたしかにおかしなことをやってますね(笑)。本当は嬉しい感情も辛い感情も、「どちらも同じ光の素粒子」なんですね!
村松 そうなんですよ。
ーーそうした量子のふるまいを知っていくと、よりいっそう物事や感情への善悪ジャッジも外れやすくなりますね。
『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』 第3章 より 並木良和・村松大輔:著 ナチュラルスピリット:刊
ネガティブな感情は、「切り捨てる」ではなく「手放す」。
似ているようですが、まったく違うどころか、真逆の方法です。
切り捨てるは、拒否すること。
手放すは、受け入れること。
どんなネガティブな感情も、受け入れることでしか解消されません。
「善い・悪い」ではない、もっと高い視点から、自分自身も世の中も眺める。
それが私たちが目指すアセンションへの道です。
世の中の「カオス」は、一人ひとりの「内側のカオス」が投影されたもの
村松さんは、素粒子は瞬間瞬間の点でしかなくて、今と次の瞬間の点滅には「関係性かない」
ので、素粒子の周波数が変われば、現象は瞬時に良くなる
と指摘します。
つまり、多くの人たちが愛で存在していけば、戦争も核兵器も、病気も薬も要らなくなって、地球全体を平和にすることだって、スルッと実現できるはず
だということです。
ーー世界情勢や混沌とした社会を見ていると、好転していくには相当な時間や労力が必要かと思いきや、「瞬時に創り変えられる・選び変えることができる」だなんて、とても勇気づけられます。
並木 そうなんですよ。もっというと、いま外側の世界に見えているカオスも、実は「僕たちの内側がカオスになっているからこそ」なんです。結局、「すべては内側がそのまま外側に反映されているだけ」なので、外側から何かが変わるということは絶対に起こり得ないんですね。逆に、外側に変化が見えたのならば、ご本人は自覚できていなかったとしても、「あなたの内側が変わったから、それが反映されて外の現象が変化しているんですよ!」と、僕はお伝えしています。繰り返しになりますが、外の世界というのはただの「イリュージョン」であって、自分が放った周波数というフィルムを使って「現実」というスクリーンに映像を映し出しているだけなので。
もっというと、これまでは外側に映し出した映像を見てアタフタしたり、映像に強く強く意識を向け続けることで、僕たちは「分離・眠り」を体験することができたんですね。ちょうどTVドラマや映画に没頭して、それは単なる映像でしかないのに本気で泣いたり笑ったり、まるで当事者であるかのように感情移入しながら心を掻き乱されたり手に汗を握ったりすることがあるように、分離や眠りの意識状態も、「現実というスクリーン」に映し出された映像にどっぷりとのめり込んでしまって、「感情」という周波数を臨場感たっぷりに体感しているだけなんです。
混沌、カオスという状態も簡単に言うと「分離」であって、今はとくに一人ひとりの内側の分離がどんどんと浮き彫りになっていて、それが外の世界に反映されるからこそ混乱した社会が目の前に映し出されているわけです。それはわかっていても、外側に映し出された現実を見れば、「なんでこんな大変な世の中になっちゃったんだろう」と感じてしまう人も多いでしょうが、すべては一人ひとりの内側の分離が投影されたもの。それも「統合するために起こっている」んですよね。だって、分離がどんどん浮き彫りになるからこそ、それを手放して統合できるわけですから。ーー今のカオスは、統合していくためにどんどんと分離が炙り出されているからこそ、なんですね。世の中で起こっているさまざまな出来事を見聞きすると、つい外側をどうのこうのとジャッジしたくなったり、それによって心が乱されたりしてしまいますが、見つめる先は外側の事象ではなく、やはりどんなときも「自分の内側」なんですね。
並木 そう。結局、すべては「自分の意識の延長」なので。
村松 おっしゃる通りだと思います。私たちが現実と思っている世界は、実際には背景のゼロポイントフィールドの結果でしかないわけで、その中で自分がどんな意識・周波数で揺らしているか、それがそのまま現象になっているんですよね。自分の内側が乱れていれば、バチャバチャと乱れた波で周りを揺らすので、現象もバチャバチャと乱れたカオス状態が現れてしまう。そうして「嫌なことが起こった」「事故にあった」「詐欺にあってしまった」など、さらなるトラブルや困難に直面してしまうと、「犯人は誰だ? あいつが悪い!」とついつい外側に犯人を探して誰かを責めたり、怒ったり恨んだりしたくもなりますが、そうしてますます怒りや混乱の周波数を響かせてしまうと、よりいっそうバチャバチャと荒波を立たせることになり、ますます現象が悪化していく悪循環が続いてしまいます。
並木 そうですよね。今はどうしても外側のカオスばかり意識を囚われてしまって、一緒になってグラグラと揺れてしまったり翻弄されたり、不安や恐怖心に苛まれたりする方も多いと思います。けれども、「外側に敵がいる」「私 vs あなた」といった意識もまた、幻想マトリックスに過ぎず、言ってみれば「すべては自作自演」なわけなんですよ。ーー言われてみればたしかに、「自作自演」ですね(笑)。
並木 そうなんです。なので、外側のカオスに翻弄されそうになったときには、「これも自分の投影なんだ」と気づいて、外側に囚われていた意識やパワーを自分に取り戻し、ひたすら統合に集中していくことができれば、どんどん内なる調和が取れていくんです。そうすると今度は、その調和した状態がそのまま外に映し出されていくことになるんですよね。
村松 そうですね。個人レベルでも世の中レベルでも、外側の現象はすべて自分が発したフォトンが「場を揺らした結果」であり、「自分がどんな波を出しているのか」を教えてくれるもの。だからこそ、外側がカオスなときほど、「自分はどんな意識の波を放っているかな?」と見つめ直して、自分の内側に平和や調和を広げっていくほど、それがそのまま外側の世界に現れていきますもんね。村松 ただし、内側が外側に投影されるとはいえ、起こってくる現象に対して咄嗟の反応で怒りを感じたり悲しみが湧き上がってきたり、アタフタと焦ってしまったりとさまざまなネガティブ感情を感じること、それ自体は悪いことではない、と言うことも覚えておいていただきたいですね。
並木 もちろんそうですよね。先ほどもお話したとおり、不快な感情が湧き上がってきても、善悪でジャッジするようなものではなく、統合するためのチャンスですからね。
村松 ですよね。たとえば家族やペットなどが亡くなったときには、誰でも深い悲しみに打ちひしがれて当然ですし、そこで「悲しむな」とか「落ち込むな」ということでは決してなくて。
並木 その通りです。
村松 さまざまに感情が動くこと自体は悪いことではなく、むしろ人間にとってとても大切なことですよね。「不動心」と言う言葉がありますが、これは「何事にも動じない心」と解釈されがちですが、それは大きな間違いなんだそうです。「心が揺れてはダメ。何があってもいっさい揺れない心でいなければ」と思い込んでしまうと、心が揺れ動いたときに「できない自分」を責めてしまうことにもなりかねません。
今ふと思い出したのですが、この「不動心」という言葉の真意を教えてくれる、こんな実験があるんです。一人は長く瞑想の修行を積まれている老僧、もう一人は禅を始めたばかりの若者、この2人の頭に脳波測定器をつけて、瞑想に入ってもらったそうなんです。すると、最初は2人ともスムーズに深い瞑想状態に入っていき、脳波もリラックス状態を表すアルファ波からシータ波へと落ち着いていったんですが、途中で2人に内緒で、何の前触れもなくバンと大きな音を立てて驚かせたところ、2人ともビックリして驚いた途端、鎮っていた脳波が大きく乱れて、一瞬で緊張状態を示すベータ波になってしまったんです。その咄嗟の反応と脳波の乱れまでは2人ともまったく同じだったんですが、そのあとの様子がそれぞれ異なっていたんです。長年、瞑想の修行を積まれている老僧はすぐに落ち着きを取り戻して、乱れた脳波も再びスーッとシータ波に戻ったんですが、若者のほうは、「いけない・・・・・早く空(無)の状態に戻さなくては!」としばらくザワザワしたまま、脳波の乱れもなかなか落ち着かなかったそうです。
この実験が教えてくれるように、「不動心」とは何かが起こったとき、瞬間的には心が反応して揺れ動いたとしても、「ふたたび元の安定した状態に、短い時間で戻っていける心」のことなんだそうです。ーーなるほど。心が揺れることはむしろ自然なことで、そこから「すぐに安定した状態に戻っていけること」が大切なんですね。それは、外側で起こっている現象に心が揺れ動いても、「すぐに意識のフォーカスを内側に戻せればいい」とも言えますか?
村松 そうです。私たちは生身の人間なので、感情はその都度さまざまに湧いてくるのは当たり前。怒りや悲しみなど、自分にとって居心地の悪い感情を感じたとしても、どんな感情が湧き上がっても大丈夫なんです。誰だってお腹は空きますし、手を切れば誰だって痛い。そこで「お腹を空かせるな」「痛がるな」というのは無理な話ですからね(笑)。
並木 そうですよね。切られているのに「痛くありません!」だなんて、不自然ですもんね(笑)。
村松 ですよね。切られて痛いのに「不動心でいなくちゃ!」と、いっさい心を乱さないなんて、おかしな話ですから(笑)。感情を押し殺すことが「不動心」なのではなく、どんな感情も感じてOK。そこで心が激しく揺れ動いたとしても、安心できる場所、安心できる状態を知っていながら、感情を味わっていくことが一番大切だと思うんです。
並木 つまりは「揺れることを否定しない」ということですよね! だって生きてるんだから、感情が揺れ動くことはナチュラルなことで、そういったことも否定せずに、ありのままに受け入れていくことが「不動心」ですよね。
村松 まさにそうだと思います。
並木 心の揺らぎだけでなく、波動について語られるときに、「波動を安定させましょう」といった話をよく聞きますが、それを「ずっと同じ一定の波動に保つこと」だと誤解している方も見受けられます。波動というのは「波の動き」なので、「ずっと同じ状態でいる」というのは不可能なんですね。常に真っ平らで、いつでも凪のような状態というのではなく、例えば「振り幅はあれど、波動を高い状態で安定させる」といった言い方になりますよね。
村松 たしかにそうですね!
並木 波動を安定させようとするあまり、何かがあってもブレずに微動だにせず、気持ちが真っ平らな状態を目指そうとする方も多いんですが、「そんなことは誰にもできませんよ!」と、僕はお伝えするんです。なぜなら、心も波動も「ただのリズム」であって、海の波のリズムと一緒なんですよね。波にいろんなリズムがあるのと同じように、感情や波動が揺れ動くことも、「それも全部、自分のリズムなんだな」と受け入れること・・・・・・それもまた「不動心」だと思うんですよ。ーー「何にも動じない心」を目指そうと思うと目標が高すぎて途方に暮れてしまいますが、「ブレてもいい」と思うと、なんだかすごく安心できますね。
並木 そうなんですよ。ブレてもいいんですよ。ブレたとしても、その老僧のように「戻ればいい」んですよ。
ーーなるほど。「戻れるところを知っている」ことのほうが大切なんですね?
並木 そうです。
村松 まさにそこですね。「ブレてもいい。そのなかで、すぐに戻れるところを知っている、安心できる状態を知っている」ことこそが、真の「不動心」なんだと思いますね。『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』 第5章 より 並木良和・村松大輔:著 ナチュラルスピリット:刊
この世の中に存在する、目に見えるものも目に見えないもの。
それらはすべてエネルギー、つまり“波”でできています。
もちろん、「心」も例外ではありません。
動いて当然、揺れて当然のものを動かないように固定しようとしても、無駄です。
いずれ耐えきれなくなって、折れてしまいます。
揺れ動いても、すぐに本来あるべき場所に戻る。
そんな「竹」のようなしなやかな強さを手に入れたいですね。
「自我とスピリットの統合」が重要!
並木さんが、本書の最後に伝えたかったこと。
それは、すべては自分の中にある、もう外に探しに行かなくていいんだ
ということです。
並木 ありがとうございます。僕からいま皆さんにお伝えしているのは、とにかく「自分の中を一つにしていきましょう」という「自己の統合」なんですね。それは言い換えると、「自我とスピリットの統合」と表現することもできます。この「自我とスピリットの統合」が起きてくるとどうなるかというと、それこそが今日ずっとお話してきた「本質に戻る、本質を思い出す」ということなんです。
とくにどんどんと古きものが壊れていき、さまざまな闇も炙り出されながら、新たな時代が始まっていく過渡期とも言われます。そんな渦中だからこそ、世の中は情報戦争真っ盛りで、真偽が混濁したあらゆる情報が出回っているのを皆さんも感じていらっしゃると思います。そこでは今まで多くの人に知られていなかった「真実」と呼ばれるものが明るみになったり、反対に偽の情報、闇側の情報といった類のものも溢れています。そんななか、世界で起こっていることに対して何が真実なのか、何が闇なのかといった情報や答えを、さまざまな角度から探っている方がたくさんいらっしゃると思います。それが「いけない」というのではなく、そうやって情報収集をして答えを探し求めるあまり、不安や恐怖がどんどん膨らんでしまって、うつ状態に陥ってしまう方も少なくないんですね。ーーたしかに情報がものすごく溢れ返っている今は、その真偽も分からないまま翻弄されて、不安や恐怖に怯えて過ごす方も多いように感じます。
並木 そうなんですよ。真実を知りたいからこそ情報を探しに行きたくなるわけなんですが、情報収集が必要かどうかと聞かれたとき、僕は「必要ありません!」とお答えしているんです。「でも、真実を知ることって大事じゃないですか?」と問い直されることもあるんですが、ここでもやはり、「どんなに探し回っても、答えは外側にはない」わけなんですよ。それが腑に落ちてくると、そんなふうに外側に情報を探しに行く必要なんてないことが、自然と理解できるようになってくるんです。
もっと言うと、どんなときもただただ内側に集中して、自我とスピリットの統合を進めていけば、「必要な答えはすべて分かる」んですよ。なので、「真実が知りたい」と外側を探し回るよりももっとシンプルに、「自分の内側を統合していくことに集中するほうが、ずっと簡単なんですよ!」とお伝えしているんです。自我とスピリットの統合が進むほど「知る必要のあることは、すべて分かるようになる」とともに、深い分離や眠りの意識から目を醒まし、本当の自分を憶い出していく。そうして「内なる本質の自分」と融合するほど、冒頭にお話したような自由自在な意識となって、本来の自分の素晴らしさ、パワフルさも取り戻していけるんです。
なので、深く深く眠っていたあいだにすっかり忘れてしまっていた本来の自分との繋がりを深めるためにも、意識を外側に向けるのではなく、自分の内側に集中することが大切なんですよね。そこでは、自分の内側から湧き上がってくる「こひしたふわよ」を意識することも大事になります。「こひしたふわよ」とは、「心地いい、・惹かれる・しっくりくる(スッキリする)・楽しい・腑に落ちる・ワクワクする・喜びを感じる」ことで、それに意識を向けること。「わたしは何を心地いいと感じて、何を楽しいと感じて、何が腑に落ちて、何にワクワクするんだろう?」・・・・・そういった感覚はどれも、外側ではなく内側に意識を向けていないと捉えることができないものです。
もちろん、心地よい感覚だけではなく、不安や心配、恐れといった心地の悪い感情や感覚も、自分の内側に意識を向けていないと捉えられず、統合することもできません。外側に意識を向けているばかりでは、起きた出来事に対して「善か悪か、光か闇か」「〇〇のせいだ!」と犯人探しをして叩いたり、「怖いコワイ・・・・・・どうしよう」と条件反射的に振り回されるだけで終わってしまい、せっかくの統合のチャンスも逃してしまうことになりますから。ーー外側ばかりを気にしていると、そこで自分が何を感じているか、内なる声に耳を傾けることもないまま、外の誰かや何かを善悪で裁いておしまい・・・・・・なんてことにもなりかねませんね。
並木 そう。自分の内側で何を感じているかに気づいて統合していくほど、自分の波動はどんどん上昇していくのに、そのチャンスを逃し続けることになるんですよね。なので、外側がどんな状況であれ、それを見た時に感じる不安や心配、恐怖や憎しみといった心地のよくない感情や感覚を、捉えるたびに丁寧に統合していく。今、僕たちに求められていることはまさに、この内側の統合、つまり「自我とスピリットの統合」なんですよね。これを皆さんで一緒に楽しみながら進めていって、本質に戻っていく、本質を憶い出していく・・・・・・やっぱり結局は、これに尽きると思うんですよね。
村松 そうですよね。並木さんがおっしゃる「自我とスピリットの統合」で思い出したのですが、アルベルト・アインシュタインがこんなことも言っていました。「一人ひとりに与えられた魂は、宇宙を動かしているのと同じ生きたスピリットによって動かされている。」(『アインシュタイン、神を語る』ウイリアム・ヘルマンス著、工作舎)と。ここで言う「宇宙を動かしているスピリット」とは「ゼロポイント・フィールド」ではないかと、その宇宙の根源エネルギーと私たちを生かしてくれるエネルギーは同じだと、私は解釈しています。そんな宇宙のエネルギーによって私たちすべてが生かされていて、いつでも心臓を動かして血液を運んでくれて、身体を構成するすべての細胞も「生きろ〜」と働いてくれているわけなんですよね。
私が今、皆さんに伝えたいメッセージもまさにここで、日々さまざまなことが起こって、そのたびにいろんな感情も揺れ動きますが、どんなときも「宇宙の根源、この命を生かしてくれる本質側があること」に気づきながら、生きる喜びや感謝を響かせる人が増えていくといいなと思っています。ーー宇宙の根源エネルギーに生かされているわたしたち、その毎瞬毎瞬の奇跡と生命活動の尊さを改めて噛み締めてみると、感動や感謝が自然と込み上げてきますね。
村松 そうですよね。
『あなたはすでに宇宙の奇跡を生きている』 第8章 より 並木良和・村松大輔:著 ナチュラルスピリット:刊
この宇宙は、すべて根源なる源(ゼロポイント・フィールド)から生まれていて、一つにつながっています。
そして、私たちの目の前にある現実は、私たち自身の内側の反映にすぎません。
つまり、私たちが内側につながれば、すべてと一つになり、すべてを知ることができるようになります。
もちろん、現実を変えることなど、簡単にできるようになるわけですね。
私たちも、外側の雑音を遮断し、内なる声に耳を澄ます習慣を身につけましょう。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
並木さんは、これからはどこもかしこもキリストやブッダが闊歩する時代になると感じる
とおっしゃっています。
キリストとは「覚醒した者」、ブッダとは「悟った者」という意味の言葉です。
つまり、みんなが「自我とスピリットを統合」し、本質に目醒める・悟る人たちが増えていけば、誰もがキリストになり、誰もがブッダになる
ということです。
いたるところで、キリストやブッダが行ったような奇跡が起こる。
もし、そんな世の中になったら、世界は今とはまったく違ったものになるでしょう。
アセンションした人(アセンデット・マスター)だらけのアセンション(次元上昇)した世界。
私たちも、その一員となるべく、本書の内容を日々の生活に活かしていきたいですね。
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【書評】「量子力学的に現実創造する方法」(ヴァジム・ゼランド) 【書評】『フォーカスの魔法』(BAZZI)


