【書評】『強運』(斎藤一人)
お薦めの本の紹介です。
斎藤一人さんの『強運』です。
斎藤一人(さいとう・ひとり)さんは、「銀座まるかん」の創業者で“納税額日本一の実業家”として有名な方です。
93年から納税額12年連続ベスト10に入るという快挙を成し遂げられています。
「強運」は、特別なことではない
自他ともに認める強運の持ち主である一人さんは、「強運は特別なことだとは思っていない」と強調しています。
一人さんの理論では、強運って「強運になる考え方」があって、「強運な人」って「それを実践している人」
だからです。
その理論に照らし合わせると、強運を呼び寄せる人とは、「いまの自分の実力より、ひとつ上のことに全力で取り組む人」
なのだそうです。
本書は、一人さん流“強運になるための方法”をわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「人生の壁」は上にいくほどラクに乗り越えられる
一人さんは、よく人生を「竹」にたとえますが、それは以下のような意味からです。
人生には「竹」と同じように、いくつか「節目」があるんです。
竹の節目って、下から見ると、ものすごく厚いように見えます。
下から串を突き刺すとしたら、たくさんの節に当たるから、ものすごく大変に思えます。
でも、竹をまっぷたつに割って、見てみるとどうでしょう。
ひとつ節目があったら、その先はスーッと空洞になっていて、次の節目に当たるまでは、ラクに上にあがっていけます。
しかも、竹の節目って、上にいけばいくほど、どんどん薄くなっているのを知っていますか?
上にいけばいくほど、どんどん、突破するのがラクになる。
竹の節目と同じように、この自然界にあるものは、上にいけばいくほど、どんどん薄くなっていくんです。
高層ビルだって、上の階にいけばいくほど、重量が軽くなっている。
同じように、人生の壁に当っても、上にいけばいくほど、簡単に乗り越えられるんです。
でも普通の人は、上にいけばいくほど、「だんだん難しくなる」と思っています。
たとえば、小学校より中学校、中学校より高校のほうが、授業が難しくなる。
それと同じように、「上にいけばいくほど、問題も難しくなる」って、思いこんじゃっているんですね。
でも、それは、普通の人の観念なんです。
自分で「次はもっと難しくなるぞ」と思って、意図的に難しくしちゃってる。
でも、もういっぺん言うけど、自然界には、上にいけばいくほど難しくなるものは、存在しない。
上にいけばいくほど、どんどん、ラクになるのが真実です。
いちばん下から、最初の壁を乗り越えて、ひとつ上にあがるときが、いちばん大変。
2つめの壁は、もうちょっとラクなんです。
3つめの壁は、もっとラクになっています。
そんなことを当たり前だと思っている人が、「強運の持ち主」なんです。『強運』 P13〜15 より 斎藤一人:著 サンマーク出版:刊
物を動かすときも、一番大変なのは動かし始めるときです。
いったん動き始めてしまえば、慣性の力が働くため、より少ない力で動かすことができます。
力を加え続ければ、動く速度も大きくなり、慣性の力も増して勢いも増します。
人間の潜在意識にも、同じような法則が働いているということでしょう。
動き始めること。
最初の「節目」に全力でぶつかること。
それが自らの力で運を呼びこむ秘訣ですね。
最初は「欲」でいいんです
一人さんは、この世の中で、いちばん大切なことは、女はきれいになる。男は、きれいな女を連れて歩く
ことだと述べ、これを「神様的経営」と呼んでいます。
神様的経営とは、神が人間につけてくれた「欲」を大切にして生きるということ
です。
ここに、お店が一軒あるとします。
このお店が、「人々の役に立つお店」だったら、絶対に繁盛します。
でも、店主の最初の目的は、違っていました。
「このお店でお金儲けて、外車でも買って、隣にいい女乗せて走るんだ」って考えていたとします。
それで、いいんです。
金儲けしたくて商売を始めたとしても、とりあえず、お客さんに来てもらわなきゃいけない。
だって、お客さんが来ないと、お金は入ってきませんからね。
お客さんが最初に1回来たら、そのお客さんに2回目も来てもらいたい。
次は、ちょくちょく来てもらいたい。ずっと来てもらいたい。
ずっと来てもらうためには、人々のお役に立つ店にしなきゃならない。
そう思ったとき、店主は「どうしたらお役に立てるかな」って真剣に考えだすんです。
だから、最初は「欲」でいいんです。
しっかり金儲けを考えることは大事なことなんです。
それができないと、家賃も払えません。社員の給料も払えません。税金も払えません。
(中略)
あのとんがったスカイツリーだって、必ず下に基礎があるんですよ。
基礎って、欲のことです。
最初は神がつけてくれた欲から始まるんですよ。
その欲から始まって、一生懸命やっていると、「欲ばっか出してても、うまくいかないな」ってことがわかってくるんです。
欲をちゃんと出しながら「これじゃダメだ」「ここを、こうしよう」って成長していくのが正しいんです。
立派なことだけ言ってる人って、意外となんにもできない人が多いんですよ。
立派なこと言うばかりじゃ、成り立たないんですよ。
最初は欲で始めても、そのうち、名誉がほしくなると、立派なことを言うようになります。
それで、いいんです。
それこそが「神的経営」です。
世間が言っていることは「道徳的経営」なんです。
神がつけてくれた、自分の欲を大切にしましょう。
神がつけてくれたものに、ひとつも無駄はありません。『強運』 P69〜71 より 斎藤一人:著 サンマーク出版:刊
何ごとも、長く続けるためには、大きなエネルギーが必要になります。
そのエネルギーの供給源になるものが「欲」なんですね。
考えているだけでは、何も始まりません。
まずは、自分の「欲」に従って動くこと。
中身は、走りながら改善していきましょう。
正当なる努力は、楽しい
一人さんは、正しい努力は、楽しい
と指摘しています。
正当なる努力は、やっていて楽しいし、世間も認めてくれるもの。
逆に、間違った努力は、うまくいかずに苦しばかりか、世間にも認められません。
一人さんによると、神様が「いまやっていることは、やめなさい」って言ってるってこと
です。
神様からのお知らせなんですよ。
「1+1=3」と書いていたら、「それ、間違っていますよ」って天からお知らせが来るんです。
でも、そのお知らせに気がつかずに、ずーっと「1+1=3」と書き続けるとします。
そうすると、なんらかの方法で注意されます。
それでも直さなきゃ、怒られます。
それでも直さなきゃ、その次はもっと怒られるでしょう。
だんだん、忠告が、ひどくなるんです。
そういうときは、前と違う答えを出してみるんです。
「1+1=4」にしてもいい。
「1+1=5」にしてもいい。
そうやって前と違うものを出していくうちに、「あれ? これ、数字を戻して2にしてみようか」って気づく。
それで正解に気づくんです。
正解がわかって、やっていることがピッタリとはまるようになると、人も認めてくれるし、世間も認めてくれます。
だから私は苦しくなったときは、「この苦しみを乗り越えたらうまくいく」なんて言いません。
「オレはどっか間違えてるところがあるんじゃないか?」って立ち止まって、見直すんです。
そうすると、必ずあるんです、間違いが。
その間違いを直せばいいんです。
「苦しくても、我慢して乗り越えました」って言う人がいます。
でも、そういう人は、苦しいことを、ずっと続けてきたんじゃありません。
いろいろやってみて、いいことに到達して、それを続けて成功したんです。
必ず途中で、改良しているんです。
いちばんいけないのは、間違った答えをそのまま変えないことです。
間違ったことを変えないで、ガンコに通そうとすると、天からの忠告が山のように押し寄せます。
自分の考えは、すべて正しいと思ったらダメです。
百発百中で当たることは、まずありえません。
「どうやら間違っているな」って気づいたら、すぐ改良するんですよ。『強運』 P83〜86 より 斎藤一人:著 サンマーク出版:刊
結果には必ず原因があります。
いわゆる、「因果の法則」ですね。
今、自分が苦しいと感じているのならば、そこまでの過程に誤りがあります。
つまり、間違った努力をしているということ。
成功するまで続けることができれば、失敗ではありません。
結果は結果として素直に受け取り、やり方を改良し続けること。
何をするにも大事なことですね。
「ふざけるな!」という思いで勉強する
読んだ本の内容がモノになるコツは、「気愛(きあい)」を入れて読む
ことです。
「気愛」を入れて読むとは、『「ふざけるな!」と思って読むこと』です。
気に入らないことが起きたら、「気に入らない!」って思うだけで終わりじゃないんです。
神様は、気に入らない人間を、あなたに出してくれているんです。
だから、「ここぞ!」と思って、その人を抜くために勉強するんです。
真剣に本を読むんです。
一生懸命勉強して「ふざけるな!」って思っている人を抜いたとき、はじめて「ああ、この人がいたから、いまのオレがいるんだ」って感謝の気持ちに変わるんです。
いつまでも恨みごとを言っているのは、まだ相手を抜いていないってことなんですよ。
本を読むときに、「上司から読みなさいって言われたから・・・・・」とか、「課題で7回読むことになってるから・・・・・」
とか言いながら読んだって、ちっとも頭に入ってきませんよ。
気愛を入れるんです。
よく剣道の道場でも、根性入れて、すべてを懸けて、剣道に打ち込んでいる弟子がいると、お師匠さんがこんなふうに声をかけます。
「お前、もう少し、肩の力を抜けよ」
でも、この「肩の力を抜けよ」という言葉は、最初から力が抜けてる人にはかけません(笑)
見込みがない人には、声もかからないんです。
新しいことを始めるときっていうのは、自分より上の人ばかりです。どんな名横綱だって、最初は「ふんどしかつぎ」って決まっているんです。
上の人の中には、クソ威張りする人もいます。
そのとき、じっとその人を見て、
「お前ら、ふざけんなよ。いつか、ひっくり返してやるからな」っていう気持ちで勉強するんです。
世の中はクリスマスツリーみたいなもので、木の枝にたくさんの人が乗っている。
一人さんはいつも、木のいちばん下を持って、そこを思いっきりゆさぶるんです。
そうすると、誰かが落っこちてくるので、その位置に上がるんです。そして、そこでまた木をワッセワッセとゆさぶるんです。
この「ゆさぶる」っていうのは、力ずくでどかせることではありません。
「ゆさぶる」というのは「学ぶこと」。
一生懸命、自分で学んで、自分で上にあがっていくんです。『強運』 P121〜123 より 斎藤一人:著 サンマーク出版:刊
ネガティブな感情は、ときには自分自身を破壊してしまいかねない、巨大なエネルギーです。
しかも、押さえつけようとすればするほど、大きく膨らんでいってしまうものです。
だからこそ、そのエネルギーを正しい方向へ導いてあげることが必要になります。
自分の中の怒りや不満を周りに発散するのではなく、自分が前に進むための燃料に変えること。
「お前ら、ふざけんなよ。いつか、ひっくり返してやるからな」
そういう気持ち、大事ですね。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
一人さんは、「逆境のとき」に学ぶ人に、神は大きく味方をする
とおっしゃっています。
私たちはつい、つらいときや苦しいときは「運が悪いから・・・」「会社のせいだ・・・」「世の中のせいだ・・・」と人のせいにしてしまいがちです。
そうではなく、あくまでも「このような状況を招いた原因は、自分にある」と反省して、自らを改善していく努力を怠らない人が「強運」の持ち主になれるということです。
寒く厳しい冬の間は、地下に向かって根を伸ばしましょう。
根が大きければ大きいほど、幹も枝も大きくなり、豊かに実ります。
「強運」を味方にして、何ごとにも動じない“大木”になれるよう、日々精進していきたいですね。
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